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雪山の死闘

「アブ――んぐっ!」


 アデリーヌの警告は間に合わなかった。口を手甲で塞がれたからだ。


 そのまま彼女の頭を掴んで空中に引っ張り上げたのは、闇黒(くらやみ)を凝縮したかのような全身甲冑騎士――幽鬼(アブザード)だ。


 幽鬼(アブザード)がアデリーヌの頭部を洞窟の壁に押し付ける。


 彼女の足がバタバタと宙を蹴った。


 まったくもって問答無用。幽鬼(アブザード)に会話の意思などない。あるのはただ、ダンジョンを(おか)す愚か者どもを抹殺し、その魂を食らうという無機質な意思のみ。


 甲冑の隙間という隙間から邪悪な(おり)がズズズズズ……っと染み出し、腕を伝ってアデリーヌにまとわり付いていく。彼女はそれを恐怖に見開いた目で見続けることしかできない。


 恐慌(きょうこう)を起こしかけたアデリーヌが腰から剣を抜いた。さすがは歴戦の女剣士。無意識の動きだった。


 だがしかし、その刃が幽鬼(アブザード)に届くことはなかった。


 幽鬼(アブザード)のもう片方の手甲が、彼女の剣を持った手をがっちりと握り締めてその動きを止めたからだ。


 パキリという音が立ってアデリーヌの腕が折れた。


 くぐもった悲鳴が上がる。


「~~~~~~~~~~ッ⁉」


「――あっ! ちょ、ちょっと! ちょっとまって――きゃあッ‼」


 ショコラが止めに入ろうとしたが、幽鬼(アブザード)に首根っこを掴まれて洞窟の奥に放り投げられてしまう。その拍子に尻餅をついて出た彼女の大きな声に、事態を飲み込めずに茫然と眺めていたミトラとフラミーの硬直がようやく解けた。


「アデリーヌ‼」


「アデリーヌさん‼」


 二人の声に弾かれて男達が振り返った時、すでにアデリーヌの全身は闇に包まれていた。


 洞窟という閉鎖空間に突如として現れた大柄な全身甲冑騎士。


 その腕の先には、もはや黒い塊しか見えてない。


 男達には、それがアデリーヌだとは認識できなかった。


「? 何? なんなんだ……⁉」


 リックの目が、黒い塊の下からほんの少しだけ覗いていた、ピクピクと震える突起に留まった。


 それは確かに、アデリーヌの靴だった。


「――っ⁉ てんんめえええええッ‼」


 リックの咄嗟の投げナイフが宙を走った。


 たかがナイフ。されどナイフ。彼が送るナイフには、様々な致死的な効果が乗っている。


 熟練の投げナイフは見事幽鬼(アブザード)の腕に命中した。しかし――


 キンッ……という金属質な響きを残して、それは呆気なく弾かれた。


 ナイフが床に落ちたのと、その場の全員が戦闘態勢を取ったのは同時だった。


「アブザあああああぁぁぁどおおおおおおおおッ‼」


 野太い声を上げ、ゴツいメイスを振りかざして猛然と幽鬼(アブザード)に殺到するのはドワーフのボルドー。


 聖騎士である彼の武具は全て神聖な力を帯びている。故に闇のものどもには特攻を示すのだ。彼が手に持つメイスには、何百という闇の怪物の残滓(ざんし)が染みついている。


 彼の聖なる鉄槌が振り下ろされる、まさにその寸前、その手が止まった。


 幽鬼(アブザード)がアデリーヌを盾にしたのだ。


 ボルドーの顔が憎々しく歪む。


「ぐっ――ッ!」


 直後、彼の身体が大きく跳ね返されて焚き火の元へと転がってきた。


 彼が見せた一瞬の隙を突いて、幽鬼(アブザード)が前蹴りを見舞ったのだ。ボルドーも聖騎士らしく負けじと重装備だが、それを軽々と蹴飛ばしたことになる。


「立て、ボルドー!」


 そんなヘファイストンのかけ声に応えるかのように、メシャアッという生卵を握りつぶしたような音が洞窟に響いた。


 シンッとなった洞窟。


 幽鬼(アブザード)の手から黒い塊がドサリと落ちた。


 塊から闇が霧散した。その下からは、頭部を失ったアデリーヌの死体が。


「ひッ――‼」


「ミトラ! 後ろに下がるんだ‼ 幽鬼(アブザード)から距離を取れ!」


 盾を構えながら前に出るヘファイストン。


 直後、幽鬼(アブザード)が背負った洞窟の奥から、得体の知れない冷たい気配が、スーッとスターチェイサー面々の合間を駆け抜けていった。


 その空気に足を撫でられた全員が、言いようのない悪寒に襲われる。


 瞬時に闇黒(くらやみ)に包まれた洞窟。


 自分の手すら見えない。


「――何も見えんぞッ!」


「焚き火が消えた!」


「寒い……ッ!」


「フラミー、明かりだ!」


 リックの声に従って、闇の中、何処からともなく声が上がった。


「〈光よ〉!」


 フラミーの声に応じてフワン……と浮かび上がった光球。しかしそこから発せられる光は、闇夜の蛍のように頼りないものだった。


 魔法を放った当のフラミーから困惑の声が上がる。


「――あれ⁉」


「これは……焚き火が消えたんじゃない! 未知の攻撃を受けているぞ!」


 ボルドーの警告。そこにすかさず、ヘファイストンの号令がかかる。


「フラミー、光球を“風下”に流せ! 全員、それを目印に洞窟の外へ出ろ! 外で囲んで始末する! 総員退避(フォールバック)‼」


 ヘファイストンのシャウトに押され、彼らは一斉に駆け出した。


 足元も見えない闇黒(くらやみ)の中、頼りない光球の導きを信じて足を送る。


 耳に届くのはハァハァという呼吸音と、早鐘(はやがね)を打つ心臓の音だけ。


 ほどなくして視界が急激に明るさを取り戻した。


 ミトラ、フラミー、ボルドー、ヘファイストン。


 次々と洞窟から飛び出して雪原に倒れ込む面々。


 そこにリックの姿がない。


「リぃいいいいいいック‼」


 ボルドーの焦りの(にじ)んだ叫びが、洞窟に吸い込まれていった。


 ひょっこりと、洞窟の闇からリックの姿が現れた。


 彼の足は宙に浮いていた。


 その場の全員の表情が凍り付いた。


 リックの胸から、脈動する赤い塊が突き出していたからだ。


 異常に早い鼓動が、冷たい吹雪に晒されて湯気を上げている。見る者の怖気(おじけ)を誘うには十分な光景だった。


「――に、にげ――」


 リックの言葉は、赤い塊が弾け飛ぶのと同時に途切れた。ビクンッと強く跳ね、直後にがっくりと弛緩したリックの死体。


 握りつぶしたのは漆黒の手甲。


 ズブリ。リックの胸から手甲が引き抜かれ、彼の遺体は雪の上に落ちた。


 かわりにその場に立っていたのは、黒鉄(くろがね)の甲冑騎士。


 多少明るくなって、ようやく彼らにもその異常さが分かり始めた。


 大きい。偉丈夫(いじょうふ)のごとき体躯。


 そして後ろに背負った、岩をも断ち切れそうな巨大な戦斧。


 無数の冒険者の怨念で織られたかのような、悍ましい外套。


 鎧からは吹雪よりも冷たい気配があふれ出し、見る者全てを心の芯から凍えさせた。


 そんな甲冑の兜に白い棒が刺さっていることを、フラミーがめざとく見つけた。


「タバコ……マイクのメッセージにあったやつだ!」


「え……じゃあ、あの幽鬼(アブザード)は……」


 続く言葉を飲み込み、ゴクリと喉を鳴らしたミトラ。ヘファイストンが代わりに続きを口に出す。


「マイク達を()ったのと、同じ個体だということか……なるほど、な。あれが相手では斥候中心のブラボーチームでは歯が立たんはずだ……」


幽鬼(アブザード)とは、これほどのものだったのか……」


 吹雪の中、ボルドーがメイスを握り締め、苦々しく(うめ)いた。受けるプレッシャーは、彼がかつて対峙したどの怪物をも圧倒している。


 ヘファイストンがすぐに頭を切り替え、指示を出す。いかなる絶望的な状況であっても、指示を出すのが自分の仕事なのだという司令官(パラゴン)矜持(きょうじ)が、麻痺しかけた彼の脳味噌に血流を送り込んだ。


「あの女獣人も駄目か……ミトラ、俺とボルドーの後ろへ。一番強烈なやつだ。ここはお前しかいない。頼んだぞ。フラミーはミトラを頼む」


「……は、はい!」


「分かった!」


 フラミーを抱えて、膝まで埋まる雪を蹴って移動するミトラ。


「――ボルドー、止められるか?」


「一人じゃあ、せいぜい数分だろうが、お前さんと一緒なら十分はもつだろう」


 ボルドーが答え、ミトラが後ろに回ったのを確認したヘファイストンが盾と剣を構えた。


 この足元の不確かな地形で闇黒(くらやみ)の亡霊から逃げ切るのは無理だ。中途半端に背を向ければあっという間に全滅する。それだけはダメだ。せめてもう一チームでもイルバーンの元に帰さなくては。


 まだ希望はある。ヘファイストンとボルドーはチャーリーチーム。ミトラとセフィラはエコーチーム。どちらもまだ“全滅していない”のだ。


 ここで幽鬼(アブザード)を撃破できれば、戦力低下無しでイルバーン達に合流できる。同時に後顧の憂いも断てる。スターチェイサーが絆の深淵を踏破する活路(かつろ)は、今ここであの怪物の撃破する他にない。


「……よし、スターチェイサーの恐ろしさをあの幽鬼(アブザード)に思い知らせるぞ! ぶちかませ、ボルドートゥー・ザ・ヴィクトリー‼」


 掛け声と共に、ドッと雪を蹴って前に出た二人。


 悠然とタバコを咥えたまま背中の戦斧を抜く幽鬼(アブザード)


 ヘファイストンとボルドーが左右から挟み込み、攻め立てる。


「おどれあああああああああああッ!」


「はああああああああああッ!」


 二人の気合いの声は、雪山に吸い込まれて信じられないほど頼りなく聞こえた。


 幽鬼(アブザード)は静かに、しかし驚くべき軽快な動きをもって応えた。


 あたかも小枝で遊んでいるかのごとく自由自在に振り回される、巨大な戦斧。


 そんな戦斧のひと振りが、白い雪山の上に分厚い黒刃(こくじん)を描き出す。


 風圧で舞い上がった雪の中を幽鬼(アブザード)が動くと、そこには墨汁を垂らしたかのような濃い瘴気が後を引いた。


 見るからに異常。尋常ならざる敵だ。


 しかし二人にもA級冒険者としてのプライドがある。一歩も引かず、幽鬼(アブザード)手強(てごわ)く戦った。


 ボルドーの光の力を込めたメイスが幽鬼(アブザード)の背中を捉えた。しかし、信じられない硬度でもって弾き返されて、その瘴気をかすかに散らすことしかできない。


 漆黒の戦斧を受け止めたヘファイストンの威厳ある盾にはひびが走り、逆に彼の剣は敵の甲冑を貫くことができない。喉が乾燥した冷気で出血するのにもかかわらず、ひたすらシャウトを繰り返して戦力を底上げし続ける。


「あんっっの野郎、光の属性を弾いて……! どうなってやがる⁉」


「甲冑の隙間を狙え‼」


「俺のぁメイスだぞ! 無茶言うな‼」


 しかし二人の果敢な攻めは、(ことごと)く黒鉄の甲冑には届かなかった。


 一方の幽鬼(アブザード)の攻撃は、掠っただけで死に至りそうな殺傷力を秘めている。


 戦力差は歴然。とても二人では太刀打ちできない。


 やがて、まるで戦士らしからぬ動きで逃げ惑うだけとなった二人。彼らの身体には既に無数の裂傷が刻まれている。そしてさらに、そこから体内に流れ込んでくる猛毒の瘴気が、彼らの力を継続的にそぎ落としていった。


「つ、強すぎる……!」


 雪原を転がされたボルドーが、雪まみれの顔で呻いた。


「話が違うな……これは、S級だけで組まれた大人数パーティーでなければ、歯が立たないぞ。なんなんだこの強さは……」


 スターチェイサーに所属するS級冒険者は、リーダーのイルバーンと、魔法使いのマキア、そして神官戦士のオレガノだけだ。他は全てA級冒険者となる。


 この場には、A級しかいない。


 だが、とっておきのダークホースが二人の後ろに控えている。


 ミトラと、フラミーだ。


 ミトラはA級なりたての魔法使い。フラミーに至っては冒険者ですらない。


 しかし、あのハーフエルフが(つか)う精霊術はエルフの秘技と人間の技巧を組み合わせた前代未聞の破壊力を誇る。今はまだ若いがしかし、いずれS級になるべき人物だ。


 フラミーはまだ目覚めていないが、それでも神話の生物。


 言葉では言い表せない頼もしい気配を背中に感じ、チラリと振り返ったヘファイストン。その視線の先に、ミトラの周囲に魔方陣が組み上がり、彼女の身体が輝き始めているのが見えた。


 薄暗い雪山の陰気をはね()ける、生気に満ちたその光こそ、精霊が応えた(あかし)だ。


「――お二人とも、私の後ろに‼」


 ミトラの叫び声に、待ってましたとばかりに駆け込む男二人。


 幽鬼(アブザード)は追って来なかった。


 まるで、見世物を待つ観客のように、吹雪の中で大戦斧を肩にかけて不敵に突っ立っている。


 直後、幽鬼(アブザード)がまき散らした瘴気が突風に吹き散らされた。


 吹雪が止まった。


「〈全てを拒む氷雪の山麓に潜みし力の(ことわり)よ――〉」


 ミトラの声に応えて山体がドンッと一度だけ強く震えた。


 その揺れに、幽鬼(アブザード)が足を取られて体勢を崩した。


「〈我は求め、訴えたり――〉」


 目を妖しく輝かせたミトラが腕を振り上げる。


「〈落ちよ、白きうわばみ(コール・アバランシェ)!〉」


 彼女が腕を振り下ろした直後、斜面から到来した純白の激浪(げきろう)が、轟音と共に幽鬼(アブザード)の邪悪な気配を飲み込んだ。


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