お菓子の家
「すっごぉーい!」
目を輝かせ、口の端から涎を垂らすショコラ。
彼女の見つめる先には一件の家がある。
鬱々とした森の中に建つ、場違いにカラフルなその家は、お菓子の家だ。
「ちょっとまて、ショコラ」
彼女を呼び止め、俺が最後の月煌石を地面に落とした。
ここは二人で協力しなければならないエリアだ。
エリアの入り口に落ちている貴重な月煌石は、全てこうやって土に落として帰りの目印にしなければならない。ひとつでもネコババすると、この森から出られなくなる仕様だ。餓死するまで彷徨う羽目になる。
そしてこのお菓子の家の中にいる魔女を殺して、鍵をゲットし、落としておいた月煌石を辿って戻るのがミッションだ。
お菓子の家では一人が魔女に捕まり、もう一人が魔女と対峙することになる。
魔女を騙して窯に押し込み、外側から窯の扉に閂を下ろさなければならない。魔女はくっそ強いので、タイマンで勝つのは、ほぼ無理だ。
魔女が焼き上がる(?)と窯からパンが出てきて、その中に鍵が入っている。
と、まぁ大変凝った造りの階層なのだ。ダンマスの創作欲が高まっていた時の気分で作られた。
「――私、このお話知ってますよ? 男の子と女の子がお菓子の家に行くあれですよね? だとすると、男の子役のディーゼルさんが捕まって、女の子役の私が魔女を騙して窯に誘導すれば良いんですね? まっかせてください! ディーゼルさんを魔女に食べさせたりなんて、そうは問屋が卸しませんよ!」
グッと力こぶを作って見せたショコラ。
「いや、捕まるのはお前だ」
「ええ……」
無慈悲な通告に、彼女が困惑の眼差しを送ってくる。
「要するに、魔女を登場させるための鍵として、もう一人どうしても必要なだけだ。だから、お前が捕まって魔女をおびき出しさえすれば、後は俺がぶった切る。魔女はかなり高位のリッチーなので、本来ここで力任せに斃すのは困難だが、俺は統べる幽鬼だ。造作もない」
「そんな、お話が一番盛り上がるところを力で……」
「お前みたいなポンコツに俺の命を預けると思ったか?」
「ひどーい!」
拗ねた顔になったショコラの背中を押し、お菓子のドアへと促す。
「――さぁ、行ってこい。言っておくが、お菓子は全部モンスターだ。食べようとすれば逆にお前が食われる結末が待っている。すぐに出してやるから間違っても手を出すなよ? お前、なんか甘味に目がなさそうだからな」
「さすがにこんな怪しいのは食べません」
まぁ、魔女さえ出した後なら死んでくれても構わんがな。
と内心で付け加えている間に、ガチャリとドアが開き、ショコラがその中に恐る恐る身体を滑り込ませた。
その背中を見送って、ひと息つく。タバコ……は切らしていた。イライラ。
鉄靴で地面をザッザッと掘り、ストレスを散らしながら待つ。
「さて、と――」
しばらくしたら、俺を呼ぶために中から魔女が顔を出すはずだ。即刻、叩き切ってしまおう。時間が惜しい。セオリーになんて従っていられるか。
タバコがないというのは、割と危機だったりする。なにもただの趣味趣向だけで年がら年中タバコを吸っているわけではないからだ。タバコは俺にとって色々と重要な役割を果たしている。だからダンマスだって禁煙ではなく分煙を持ち出したのだ。
これを抜けたら、またショートカットを行くしかなさそうだな……。
あそこは、ショコラがまた拗ねるかも知れんな……。
そんなことを考えていると、カチャ……と控えめにドアが開いた。
背中の〈闇黒に絶る大瀑布〉を抜いて、薪割りフォームで振りかぶる。
中から顔を出したのは――ショコラ。
「な――⁉」
まさかの光景にギョッとなる。振り下ろしかけた斧の軌道を慌てて逸らした。
ゴォンッ‼
ショコラの前髪と鼻先を掠め、大戦斧が地面を叩き割った。
「……? ――ひっ⁉」
ショコラが一拍遅れて悲鳴を上げた。
「――なんでお前が出てくる。危うく脳味噌をぶちまけるところだったぞ」
「でぃ、ディーゼルさんこそ! 何で誰が出てきたのか確認もせずに脳天かち割ろうとしてるんですか⁉ 殺人鬼の所業ですよ、それ‼」
「実際、殺人鬼だからな……で、どうしたんだ? 魔女はどうした? 中に入ったらすぐにお前を拘束するはずだが?」
「もー、役に入れ込み過ぎなんですよぉ……」と文句を垂れつつ、ちょいちょいと手で俺を招くショコラ。「なんだ?」と訝しくもドアの中を覗く俺。
お菓子の家の中は、人形だらけになっていた。
「なん、だ……これは……」
薄気味悪い人形ばかりではあるが、その中でも群を抜いて、うす気味悪い人影があった。
ドルトンだ。
ドルトンは部屋の隅で突っ立っているのだが、ざんばら髪の奥に得体の知れない笑みを能面のように張り付かせ、ピクリとも動かない。
服装がオーバーオールに変わっており、手に持った包丁にインパクトがある。辛い愛別離苦を経て、幼児退行を起こした憐れなおっさん、といった雰囲気だ。
本来、魔女が焼かれるべき窯には、ごうごうと燃える恨めしそうな人形がたくさん詰まっていた。
「私では処理しきれません……ディーゼルさんお願いします」
「ああ。このパターンだと――」
俺がお菓子の家に入ると、「やや!」というかけ声と共にドルトンが滑り込んできた。息が既に荒いのはデブだからか、あるいは変態だからか。こいつに詰め寄られると、どうしても一歩引いてしまう。
「ディーゼル師匠! このようなところでお目にかかれるとは‼」
「――ああ、元気そうだなドルトン。ここでなにをしている」
予想はつく。でもあえて確認する。
「小生、このお菓子の家で〈ファッキー〉のコスプレに勤しんでおり申した!」
元気よく言ったドルトンに、うんうんと頷いてみせる。
「おお、確かにな。雰囲気は良く伝わってくるが……どうしたんだ? これまでのやけに細かい設定のコスプレとは違って、今回はシンプルじゃないか」
ドルトンはこれまで、かなり回りくどい、モンスターの被害者側のコスプレをしていた。ところが今はどうだ、奴の装いはモンスターそのものだ。
ドルトンが床にひれ伏す。
「ははぁ……。小生、師匠の暴力的コスプレを目の当たりにして、目が覚め申した。小生は如何にオリジナリティを出すかというところに拘りすぎて、コスプレの本質を見失っておったのです」
「ほーう?」
「なりたいものになる。心の底からなりきる。それこそがコスプレ。小生は師匠の背中にその真理を垣間見申した。下手にこねくりまわすよりも、シンプルにモンスターになる。誰も手を出せなかった危険領域で好きなモンスターになりきる。前衛的悪夢レイヤーとして小生、一歩前進いたしましたぞ」
「その、前衛的悪夢レイヤーについてもう少し詳しく頼む――」
「それってぇ、もうコスプレというか、擬態に近いですよね?」
俺の不安げな問いかけを遮って、ショコラが背後ろから顔を出した。
「……なんだ、ジェーンドゥ。貴様、まだ師匠の金魚の糞をしておるのか。なんのコスプレもせずに、かの偉大な師匠の隣にあるという幸運と貴重な時間をドブに捨てておる愚かな小娘が、儂に気軽く話しかけるでない」
細い眉をギッと吊り上げ、急に鬼の形相に変貌したドルトン。器用な顔芸だ。実際、ファッキーによく似ている。




