夏本番
◇◆◇
ショコラの装いが変わった。
黒皮のホットパンツ。黒皮の臍出しチューブトップ、バッククロス仕上げ。涼しそうな編み上げサンダル。そんな、やたらとスタッドが目立つロックンロール風トータルコーディネート。布面積が極めて少ない軽快な格好だ。
しかも今回、なんと、ショートソード付き。
お尻の後ろに吊り下げている剣は〈アイス・ファルシオン++〉。外界ではA級冒険者であっても持っている奴は少ないだろう。なかなかの上等な逸品に、ショコラも思わず刀身に頬ずりしながらニンマリえびす顔。
「――ディーゼルさんは、こういうセクシー路線が好みなんですかぁ?」
ショコラが自分の姿をしげしげと眺めて言った。
「お前のことを考えた結果だ」
「ふーん……どうだか。むっつりドSのディーゼルさんですからね。私のおっぱいにこんな卑猥なマークを刻み込むスケベ甲冑さんです」
そう言って、衣服の面積減少によって露わになった胸の上部を指差した。
そこには綺麗なハートマークが、見る者の視線を谷間に誘導するかのように絶妙な位置に描かれていた。
「――ほんとに、どうするんですかこれぇ?」
俺の胸にも描かれた矢のマークと自分のハートマークを、咎めるような視線で交互に見遣るショコラ。
「これじゃあ、私がディーゼルさんのものだって公衆に宣言してるようなものじゃないですかぁ。もうお嫁に行けませんし、ディーゼルさんが一生世話してくださいよ? 一日三食とおやつにチョコがあれば文句は言いません!」
しかし、そんな言葉の裏にも喜びを隠し切れていないショコラ。よほど武器をもらえたのが嬉しいのだろう。子供か。
ショコラの興奮が収まらないので、いい加減面倒くさくなってきた。現実を見せてやろう。
「んっ――あ、ちょっとぉ!」
彼女の首根っこを掴んでアンカーポイントから歩み出す。
直後、降り注いだのはギラつく太陽光線。
届けられたのは波の音。
真っ白な砂浜に反射した光が網膜を焼き、そこから立ち上る陽炎を撫でた風が熱風となって吹き付ける。そんな灼けつく微風が、かすかな磯の香りを運んできた。
エメラルドグリーンの海辺。
常夏だ。
「あっっっつぅ……」
しかめっ面になったショコラが、手でバイザーを作ってポツリと呟いた。
「感謝」
「……このように涼しい装いをご準備いただき、誠にありがとうございます」
俺の催促に素直に礼を述べたショコラに、ふんと鼻を鳴らしてみせた。
「では行くぞ」
「はーい」
ここは五十五階層。正規ルートではないので、スターチェイサーは通っていないと思われるが、俺たちはショートカットを使うために、あえてこちらに来た。
ショコラが俺の前を楽しそうに飛び跳ねている。
「あちっ、あちっ……冷たい! あはっ、あははははっ!」
すこぶる楽しそうだ。灼けた砂浜を走ったり、波打ち際で何かを拾ったり、おっかなびっくり水に足を入れてみたり。
……危ないなぁ。
「おい、あまり海に入るなよ」
「ディーゼルさん! この海すっっっごい綺麗ですよ‼ 何で水が翡翠色なんですかぁ⁉」
テンション爆上げで俺の話なんて聞いちゃない。
いや……いつだって聞いていなかったな、あの女は。
透き通って碧い海、遠浅の水辺。キラキラと水面に反射する太陽光。見渡す限りの水平線。海と混じり合う青空。どこまでも続く白浜。鮮やかに陸地を飾る緑と花々。
雰囲気はまるっきしリゾートだ。
その通り。ここはダンマスのリゾート地のひとつでもある。
この絆の深淵には、ダンマスのストレス発散用リゾート地が、幽世ダンジョンの自由度にかこつけて、わんさか制作されている。
おそらく地上でも、ここまで美しい浜辺は数えるほどではないだろうか。女なら誰しもテンションが上がるのだろう。ここに来るとマグノリアやクラリスもあんな感じになる。
ひょっとして誰か遊んでないかな、という淡い期待もあったが、スターチェイサー迎撃態勢だと思われる今、やはり遊んでいる同僚はいなかった。上司として誇らしく思う一方で、がっかりもした。
「――ディーゼルさん」
ふと気が付くと、ショコラが俺の鎧をツンツンとして、何かを指差していた。
「なんか、でっかい黒光りするのが落ちてます。ナスっぽいんですけど……」
「あれはナスだな」
俺の迷いなき肯定に、困惑のショコラ。
「ナス……にしては大きいですし、なんでここにナスが……?」
彼女の疑問はもっともだ。
砂浜に無造作に横たわっているのは、紛うことなきナス。野菜のナス。ツルテカ黒光り。ただし大きい。普通の成人男性よりも一回りは大きいナスだ。
「あれは、モンスターだ」
「ええ……ナスが……?」
ショコラが困惑を深めた。
このエリアは袋小路となっている。この長い砂浜はいずれ先細って途絶え、やがて海原だけとなるのだ。そういった理由で、あまり防衛戦力は置いていなかったりする。だから、ああいうふざけたモンスターも配置されているというわけだ。
「色々とあってな」
「ふーん……あ、そうだ! せっかくディーゼルさんに取ってきてもらった、この〈アイス・ファルシオン++〉の錆びにしちゃいましょう! ディーゼルさんと一緒にいると、まるで私がポンコツに見えちゃいますけど、私だってなかなかの腕前なんですからねッ! この機会に私の実力を見せてあげちゃいます‼」
またこのパターンか……。
「よせ、ショコラ。それは――」
「はあああああああッ‼」
冷気を零すアイス・ファルシオンを逆手に構え、グンッと加速してナスに殺到するショコラ。想定以上の加速に、引き留める暇がなかった。
その先で、ムクリとナスが立ち上がった。
一瞬だけ怯んだショコラだったが、ええいままよと飛び込んでいく。砂を蹴り、低い姿勢でなかなかの身のこなしだった。
直後、ナスの胴からズボズボッと手足が生えた。
ムッキムキの剛腕だ。ゴツゴツと隆起した筋肉が、ナス特有の黒光りする表皮によって強い陰影を帯びていて、見た目は凄く強そう。
それを見たショコラの顔が引きつった。次の瞬間――
「――ごふっ」
ショコラの振るった剣がナスに届く寸前、彼女の身体がドンッ! と跳ねた。
ガクリと膝を突き、砂浜にバタリと倒れ込んだ。ナスの腰の入った鋭いボディーブローを綺麗にみぞおちにもらったようだ。ピクリとも動けない。
シャキンと音を立てて、ナスのヘタから鋭い棘が無数に伸びた。
ナスがその棘を足元のショコラに叩き付けようと頭を振りかぶったのと、俺の大戦斧がナスを輪切りにしたのは同時だった。
ドサリ。砂浜に倒れたナス。中身はやっぱりナスだった。今すぐ酢水にさらしたい衝動に駆られる。
ショコラの腕を持ち上げて、まだ呼吸困難に喘いでいた彼女を立たせてやる。
「……ひっひっふー……ひっひっふー……」
彼女は、ちょっと間違った呼吸を繰り返していた。
「な、ナスとは思えない……ミドル級ばりのボディーブローでした……」
「ただのナスではない。砂浜の〈マッチョナス〉だ」
「マッチョナス」
「ああ。ナスはナスなんだが、一年中太陽の下、砂浜でトレーニングしているナスだ。おかげで真っ黒。中身もぎっしり詰まって、アクも少なく、美味しいそうだ。皮がちょっと固いとかいう話だ」
「品評は完全にナス」
「まぁだがしかし、基本的に野菜だから、どれだけ近寄っても攻撃を受けるまでは動かない。一撃で仕留められれば都合の良い食料になる」
「私、先制カウンターを受けたんですけど……」
「アイス・ファルシオンの冷気で、せっかく鍛えたボディーが凍みてしまうのが嫌だったんだろう。野菜の意地かな」
「そ、そんなぁ……」
格好いいところを見せられず、しょんぼり肩を落としたショコラ。しかし彼女はすぐに別の獲物を見つけてキラリと猫目を光らせた。
「――あ、見てください、スイカ! 普通サイズ! あれならやれそうです! スイカ割りしましょう! とあああああああああ‼」
「ぎゃああああああああああああああ‼」
「ぎょええええええええええええええ‼」
アイス・ファルシオンを両手で構えて飛び込んでいったショコラが、突如として上がった断末魔にびっくりして飛び退いた。目を見張るほど高くぴょーんと跳ねた後、俺の背中に回り込んで尻尾をぶわーっと膨らませている。よほど驚いたのだろう。
入れ違いに俺が大戦斧を薪割りフォームで振り下ろす。
バスンッと小気味よい音を残して、スイカは赤い液体と、やや白みがかったゼリー状の中身を砂浜にまき散らした。断末魔はそれで止まった。
「――な、なんなんですかぁ、これぇ……」
俺の背後からビクビク覗き込んでくるショコラに、近くに飛び散ってきたゼリー状の欠片を拾い上げて説明してやる。
「こいつはスイカの帽子を被せた狂人だ。ここで脳天割り遊びをするために植えられている」
「じゃ、じゃあそれって……」
「クリーンヒットで脳味噌が飛び散る仕様だ」
「おっぷ――」
口を押さえて嘔吐くショコラに、肩をすくめてみせる。
「ここはN級ダンジョンだぞ。まともな場所など、あるものか。この砂浜には他にもマッチョな野菜モンスターがいるから、なんなら挑んでみると良い。久しぶりに生野菜が食べられるかも知れないぞ?」
そう言って俺が指差した先には、砂浜で思い思いのポージングを決めている大型野菜達が。どいつもこいつも健康的だ。
「――たまに畑で取れる、絶妙なポーズの奇形野菜みたいですね」
「それは……言い得て妙だな」
ショコラはぶつくさ言いつつも、もろこしだけは食べたいということで〈マッチョモロコシ〉に挑んでいったが、数分ですごすごと帰ってきた。彼女の顔が無残にもボクシングでボロかすに負けた選手のような顔の腫れ具合となっていた。
「マッチョモロコシは粒を射出してくるし、芯が硬いから、わりと難敵だ」
「マッチョな野菜っていったい……どうして、なんでこんな敵を……」
沈んだ表情になったショコラが、砂浜に向かってブツブツと文句を垂れていた。
「N級だからだ……と言いたいところだが、この野菜達には明確な目的がある」
波打ち際を歩いていた俺とショコラの前には、いつしか万謝の燭が姿を現していた。それを指差して続ける。
「――手ぶらでここに来ても、すぐにバーベキューができるように野菜が配置されているのだ」
万謝の燭の周囲にはコンロが並んでいた。雰囲気がもう、キャンプファイヤーを囲んだ砂浜のバーベキュー場そのものだ。
それを見たショコラが、我は天啓を得たりと言わんばかりの表情になって飛び上がった。
「バーベキューしたぁ~いッ!」
その言葉を聞いて胸中で笑った。面白そうだから、やらせてみよう。
「ディーゼルさん、私達もバーベキューしましょうよ‼ だからあの憎きマッチョ野菜を軒並みぶち殺してきてください‼」
「いいぞ」
「え、いいんですか……?」
まさかの俺の快諾に、逆に不審げに表情を曇らせたショコラ。
「ああ。ただし、お前が自分で肉を斃せたらな」
「肉を、斃す……?」
意味が分からないとでも言いたげに愕然と呻いた彼女に向かって、無言であごをしゃくって砂浜の向こうを示す。
ショコラの視線がその方向を追った。
遠くの砂浜で、ミノタウロスが寝そべってひなたぼっこをしていた。例に漏れず、こんがり日焼けして健康そうだ。
眉間のしわを深めるショコラ。
「……」
「当然、肉も現地調達だ。あれは牛肉」
「あの、できれば、お肉もディーゼルさんが……」
「俺は固形物は食えん。食いたきゃ自分で獲ってこい」
「もうその設定いいじゃないですかぁ! 意地悪ぅ‼」
涙目になったショコラが、ぽかぽかと俺の鎧を叩いた。




