幽鬼
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俺は夜目が利く。
五〇階層に到着して、すぐに三人の冒険者を射程に収めた。
ショコラを万謝の燭に残して一人で出撃した。
最初の一人は、ベジュガ草を採集していた様子で、その草が群生する急斜面を降りてきたところで、出会い頭にその首をねじり切って背骨ごと引き抜いた。
それを手土産に、残りの二人が張っていたキャンプに踏み入った。
有無を言わさず大戦斧を振り抜いて、手近に座っていた一人を切り飛ばした。
最後に残った一人は肝の据わったベテランだった。俺の姿を見てすぐに炎の月煌石を俺に食らわせるという思い切りの良さを見せた。
だが、あいにく月煌石ごときでは俺にダメージは入れられない。
このマント――〈蝕む幻影〉――〈シャドウ・コンテイジョン〉の魔法防御を貫通するには〈神煌石〉を持ってこなくては。
しかし、なかなかの手際の良さに少しだけ感心した俺は、次に何をするのか興味が湧いた。
タバコを吹かして待った。
すると男は月煌石が通用しなかったと見るやいなや、闇夜に逃げ込んで、しゃにむに走って逃げた。良い判断だった。奴に出来ることはそれ以外にはなかった。
しかし闇黒は俺のホームグラウンドだ。
難なく追いつくと、地面の上に蹴り転がして馬乗りになり、タバコを吸いながら重苦しい手甲で滅多打ちにして男を殴り殺した。
俺の拳が地面を突いて、男の頭部がミンチになって消失したのを確認し、その懐から虫下しを拝借した。
他にも連中の所持品等を検めた後、たった今、ショコラを待たせていた近くの洞穴――万謝の燭に戻ってきたところだ。
洞穴の隅では、ショコラがゲロロロロ……と嘔吐していた。
「Oh……」
とりあえず背中をさすってやり、彼女が落ち着くのを待った。
胃の中の物を全て出しきって、ようやく落ち着いてきたショコラ。
「――さ、サイコキラーなんですか……ディーゼルさんは? 役にのめり込み過ぎですよぉ……」
「どういう意味だ……」
心外な唸り声が鎧から漏れた。
ショコラに必要な虫下しを手に入れ、彼女の望む復讐も同時に遂行してやったのだ。非難されるいわれはない。
「スターチェイサーを殺して欲しかったんだろう? 何が不満だ?」
「そ、そうですけどぉ……やり方ってものが……」
「侵入者どもにトラウマを植え付けるのも、俺の仕事だ」
「見ている私の方に、一生消えないトラウマが植え付けられちゃいましたよ……」
「そこで忘れてならないのが、ショコラも侵入者だということだ。二度とこのダンジョンに来たくないと思ってくれれば僥倖。それに越したことはない。わざわざ手間のかかる殺し方をした甲斐があったというものだ……というかお前、あの闇夜の中で見えていたのか?」
「はい……ぜんぶ。しかと目撃しました……見ちゃいましたぁ……」
両手で顔を覆ったショコラ。
ここはかなり暗い階層だ。
月のない夜の山岳地帯。やまない雷雨。視界の効かない中、土砂崩れや鉄砲水の危険と隣り合わせの原料採集。この暗鬱なエリアには、何がなんでも虫下しを作らせたくないダンマスの陰険さがにじみ出ている。
俺の殺戮内容がここから見えていたとは思えないが……。
「私、豹系の獣人ですから、夜目は利くんですよぉ……」
「なる、ほど?」
俺の甲冑から感心そうな声が漏れた。
猫じゃなくて、豹らしい。見た目は完全に猫だけどな。
「ならば今後、普通の冒険者は通らないような暗いルートも行けるな。助かる」
「……」
何言ってるんだこいつ、みたいな視線を送ってきたショコラを無視し、洞穴を見渡す。万謝の燭がこの広い空洞を明るく、そして恨めしく照らしていた。
ここは秘密のアンカーポイントだ。ほとんどの冒険者はここを見つけられない。
「――すこしここで寝ろ。起きたらすぐに動くぞ。スターチェイサーはまだそう遠くに行っていないはずだ。急げば間もなく追いつける」
「ここで……ですかぁ……? さっきの人たち復活してくるんじゃ? 仕返しされちゃいますよぉ……あの殺し方だったら絶対、顔真っ赤にして追っかけてきますって」
「それはない」
俺はぴしゃりと言った。
「幽鬼との戦闘で全滅すると、その挑戦者は全員、ダンジョンの入り口まで戻される“しきたり”だ。連中はもう、ここでは復活できん。奴らの魂は今頃ダンジョンの外に弾き飛ばされている」
それゆえに、幽鬼は深層において特に怖れられている。
百日、あるいは何百日を超える努力と忍苦を、一発でご破算にされるわけだ。幽鬼に全滅を喫するということは、実質的にダンジョン攻略の失敗を意味する。
「幽鬼は主に深層で現れるが、その実、神出鬼没で、たまーにこうして浅層にも現れたりたりもする。この絆の深淵に挑む、あらゆる冒険者に死と絶望を同時にもたらす、まさに悪夢の怨霊よ」
俺が威厳たっぷりに言うと、ショコラがピクンと猫耳を立て、揶揄うような視線を送ってくる。
「――またまたそんな、かっこつけちゃって~~~……でも話を聞くと、ちょっと格好いいですね、幽鬼って。だからディーゼルさんも憧れちゃったんですね? 男の子ってぇ、ドラゴンとか暗黒の騎士とかに弱いですもんね~?」
こいつ……。
少し折檻してやろうと手を動かす。
それを見たショコラが、即座にサササッと俺から距離を取った。素早い動きだ。だいぶ俺との付き合い方にも慣れてきたようだ。
「――なんにせよ、ここ寝るのは嫌です。私、嗅覚も良いんです。ここはあの人達の死臭がプンプン匂って鼻がもげそうです。次のアンカーポイントまで行きましょう」
「……まぁ、そうだな。俺も汚いのは嫌だ。お前のゲロの匂いも充満していることだし、先に進むとするか」
俺のひと言に、ショコラが詰め寄って頬を膨らませ、下から睨め上げてきた。
そんな彼女のふくれっ面と、その下にあるふっくらとした胸の谷間とハートマークが目に入って、ひとつ重要なことを思い出した。
「忘れるところだった――虫下しだ。飲んでおけ」
「虫下し……ですか? はぁ、頂きます」
特に理由も聞かず、ショコラは俺が差し出した粉薬を口に注ぎ込んだ。
「――ん……んんんんんッ⁉ ……に、にがあああああいッ⁉」
まさに苦虫を噛み潰したように、舌をべーっと出してヒーヒーと頬を引きつらせたショコラ。彼女のベロは毒々しい紫色に染まっていた。
「ちゃんと全部飲め。じゃないと胸を食い破られるぞ」
「ヒーッ、ヒーッ……って、胸? えっ? えっ……? それって……?」
彼女は慄然と俺を見つめた。
「可能性の話だ。さぁ、早く飲め」
ショコラは俺の言葉にコクコクと頷き、残りの虫下しを口に入れて、水でぐいぐいと飲み干した。
「――ディーゼルさん……私、これを飲めば大丈夫なんですよね……? 胸からブシャーって、ワラスボの親玉みたいのが出てきたりしないですよね?」
目に涙を溜めたショコラと、しばし見つめ合う。
ゴーゴーと吹き上がる万謝の燭。
ザーザーと聞こえてくる大雨の音。
フラッシュがショコラの縋るような面持ちを白く浮かび上がらせた。
追って轟いた雷鳴。
「――さぁ、次のアンカーポイントへ行くぞ。ここからはそう遠くない」
「ディーゼルさぁんッ! 答えてぇ‼」
泣きわめくショコラの頭をグリグリと押さえつけ、俺達はその場を後にした。
スターチェイサーの残党は、十二人。




