残念! 俺でした!
「な、なんでこんなことに……! 頼む、目を覚ましてくれ。エイナァーーーーー!!」
壁から発射された矢に貫かれて死んだ女の横で、一人の男が慟哭する。恋人の死を嘆く彼の目は、光を失っていた。
ここは、億万長者を夢見て数々の冒険者が挑戦し、そのほとんどが死にゆく嘆きのダンジョン。張り巡らされた悪辣なトラップに、殺意に満ちたモンスターが冒険者たちを苦しめる。生きて帰れた者も、仲間を、恋人を失い、人生のどん底に落とされてゆく。
ダンジョンには幾つもの白骨死体があり、さらに壁や床には、二度と落ちないだろう赤黒い血が染み込んでいる。何本にも枝分かれしている通路は、絶対に逃がさないという、ダンジョンの悪意があらわれているかのようだ。
先程の男が、幽鬼のような足取りで帰っていく。その後ろ姿は悲しみに満ち溢れている。呼吸をしていること以外、なんら死人と変わりがない。時折つぶやく言葉は憎しみに満ち溢れ、世界そのものに絶望しているようにも聞こえた。
男がしばらく歩くと、通路脇にある小さな部屋の様な場所に辿り着いた。そこは、安全地帯。地獄の様なダンジョンにある、唯一の救済と考えられている場所だ。ここだけは罠もモンスターもないということを、男は知っていた。ダンジョンの通路との間に仕切るものは一切ないが、なぜモンスターが入ってこないかは不明だ。
長い探索でエネルギーを欲していた体は、男の意思とは関係なく、携帯食料を食べ始める。その様子はどこか機械的だ。
男が安全地帯に着くまでに発動したトラップはない。そして、一度もモンスターと遭遇していない。そこがこのダンジョンのいやらしさである。希望を持つ者だけを襲い、罠にかけ、絶望の淵へと誘う。もうすでに絶望している者には何もしないのだ。
男はジッとしていると、恋人の死をあらためて実感し、むせび泣いた。
彼は幼いころに両親を亡くし養子として先程の女の家に引き取られた。両親を失い悲しみにくれていた彼を、彼女もその家族も暖かく受け入れてくれた。それからというもの、いつでも傍にいて暖かく包み込んでくれるような彼女に惹かれていった。
成人して、彼女が昔から憧れていた冒険者になると言い村から出て行こうとした時、彼女の盾となるためについていった。彼より彼女のほうが強かったが。それからは二人で数々のダンジョンを攻略し、いつしか二人は最高位の冒険者となっていた。
そんなときだった。嘆きのダンジョンの噂を耳にしたのは。嘆きのダンジョンから帰ってきた冒険者の全てが、絶望に満ち溢れている眼をしている。嘆きのダンジョンを攻略した者は一人としていない。そんなことを耳にした二人は、彼らの無念を晴らすために、嘆きのダンジョンを攻略することに決めた。そこで彼らの命運は尽きてしまったのだろう。
男は泣き疲れたのか、座り込んで眠ってしまったようだ。悪夢にうなされているその寝顔は苦渋に歪んでいて、寝ているときでさえ安らげていなかった。
「デイル、早く起きて」
つい先ほどまで悪夢にうなされていた男は、聞き慣れた声とともに体が揺さぶられる感覚を覚え、目を開いた。
男は目の前の光景が信じられなかった。死んだはずの恋人が、優しく微笑みながら佇んでいたのだ。
「エイナ、なのか?」
「何言ってるのよ、当たり前じゃない」
男は、存在を確かめるように彼女に手を伸ばす。触れられることを確認すると、彼の目に光が蘇った。彼女を抱きしめる彼の目から、先程とは違う種類の涙がこぼれ落ちる。
「ちょっと! いきなりどうしたのよ?」
「悪夢を見たんだ、凶悪なモンスターに追われて、必死に逃げまどっていたらいきなり壁から矢が飛び出てきて、それでエイナが」
「私が?」
「エイナが、矢に貫かれて死んでしまったんだ」
彼は再び泣き出した。ついさっき見た、まるで実際に起きたような、鮮明過ぎる悪夢を思い出してしまったのだ。しかし、それと同時に安堵していた。今彼の腕の中に彼女がいることを感じて……。
ドスッ
その瞬間、彼は脇腹に鈍い痛みを感じた。
彼の脇腹から刃が生えていた。現実味のない光景に彼は混乱した。わからなかった。何故自分の腹に刃が生えているのか。それも、安全なはずの場所で……。
この場には二人しかいない。誰がやったのかは明白だ。そのことを理解したとき、彼はますます混乱した。なぜ? どうして? 彼の頭は、そんな答えの出ない問いで埋め尽くされる。
「な、んで……!?」
先程まで安堵と嬉しさが浮かんでいた顔は、驚愕に染まっていた。
ズシャァッ
彼の腹から、刃が引き抜かれる。ドクドクと真っ赤な鮮血があふれ出て、その様子は、彼の手から幸せが零れ落ちていく様に似ていた。
膝を付いた彼を、目の前にいる彼女の形をした何かは、純粋な瞳でジッと見つめている。
それはだんだんと形を崩していき、最後には、黒く、影の様に薄っぺらいただの人型になっていた。人型の顔には、宝石の様に綺麗な目玉が付いていて、口からはギザギザの歯が見え隠れしている。
「残念! 俺でした!」
そいつは、無邪気に笑うと、また次の標的を探しにどこかへ消えていった。