7.このすんばらしい冒険者どもが
「ねぇ、あれ」
「───げえッ」
「───んん?」
ざわり、とギルドの気配が少しばかり変わりました。
冒険者もギルド職員も、警戒するかのように視線を入り口に向けています。
そこには、一人の少女がいました。
杓杖をつき、少しばかりおしゃれにアレンジした法衣をまとった見目麗しいプリーストの少女です。さらりとした長い髪、小さな顔にぱっちりした目と、整った顔立ちは可憐で、町を歩けば誰もが振り向くことは違いありません。
少女が歩く度に人は先を譲り、掲示板への道ができあがっていきます。
「おいおいまじかよ、来たのかよ……」
「視線合わせちゃだめよ!」
「今日は一人か。まだましだな」
少女の麗しい姿に人々は遠巻きにひそひそとささやき合っています。ギルド中の視線を総なめにしている少女は視線にも平然とした様子です。
依頼を物色しているのか、少女は掲示板を眺めながら唇に指を当て小首を傾げ、少し高い場所に貼られた依頼書には背が足りないのか懸命に手を伸ばそうとしています。
その一つ一つの仕草がどれも愛らしくも美しく、ため息がそこかしこからこぼれています。
それぞれが希代の芸術家が作り出した彫刻や絵画のようで、それを手に入れるためならば瞬く間に、金では収まらない伝説級の一品が山で積まれることでしょう。
それほどに少女は、まるでこの世のものではないかのようなのです。
「───ああぁ……なんて、なんて」
このギルドの人は見慣れているからまだ良いでしょう。しかし隣の受付で換金をしていた冒険者の青年は、見惚れて立ち尽くしてしまっています。その手に握っていた羽ペンもするりと落ちて記入用紙を汚しているというのに、まるで気づいていません。
何度目かのジャンプで依頼書をつかみ取った少女は受付へと向かってきます。そのさなかに青年と目が合った少女は、何も言わずただ柔らかに微笑みました。
「──────あ」
墜ちたな。
彼女が心の中で確信したのは、間違いではないでしょう。青年はおしとやかに歩みを進める少女から目が離せません。
少女は彼女の受付にきて、にこやかに微笑みながら告げました。
「お久しぶりです、受付さん、依頼完了の報告です。こちらが証拠品になりますわ」
「──────はい、確かに」
りん、と鈴を転がすような、かわいらしくも好き通った声がギルドに響きます。
彼女の心の奥底まで染み渡て、暖かい寝床に包まれているような、のどかな平原にあるような心地よさが広がっていきます。
いつまでも浸っていたくて、とろけそうになりますが、彼女はほほをたたいて気はどうにかとどまりました。気を引き締めなければそのまま気の抜けた間抜け面をさらしていたに違い有りません。
このプリースト少女の声は注意しなければならないことを、彼女はすっかり失念していました。油断すれば ”持っていかれる” というのは受付嬢のみんなが言っていること。
彼女は平静を装いながらも証拠として渡された『耳のような固い肉片』を確かめます。
「証拠品は鑑定部の方にも回しておきますが……よく、やれましたね。『オーガロード軍団討伐』なんて一週間で」
「このくらい、うちのパーティならば楽ですわ。あ、それとこの依頼を受けたいのですけれど」
「『マッカヤ湖グリフォン群討伐』ですね。星六つの依頼ですが……」
「私たちならば問題有りません」
プリーストの少女は自信満々の笑顔で胸をたたきます。
彼女が籍を置くパーティは、誰もがギルドでも有数の星六つという実力者です。あまたの強敵に挑み、いくつもの困難を乗り越えてきました。
それゆえ注目を浴びているのは仕方ないことではあります。この少女の場合、それだけではないのですが。
少女が身動きする度に、向けられる視線は強くなっていきます。
巻き込まれて視線の針のむしろに包まれたような心地に、彼女も心なしか身を縮こませてしまいそうです。
「まあ、大丈夫でしょうか。ずいぶん顔色が悪くなっていますよ。───ほら」
少女が小さく手を振ると、柔らかな光が舞い、ほっと彼女の気分が良くなっていきます。
「精神を穏やかにしました。ずいぶんと軽くなったでしょう。一気に感情の波が跳ねて爆発しそうになるなら、むしろ凪になるくらいまで落ち着かせてくれますわ」
「これも魔法ですか……」
「ただの手品ですよ」
「───すごい、ですね」
そう、深い吐息とともに感嘆をこぼしたのは、隣の青年でした。
「───ええ、ええ! そうでしょう?」
「はい。精神に作用する魔法を、そうも簡単に、そして丁寧に施せるなんて」
青年の頬が赤くなっているのは、錯覚ではないでしょう。
そしてその言葉がうれしかったのか、少女の笑顔はどんどん明るくなっていきます。まるで少女自身が光っているかのように。
「ぼくは医療術士志望なんですけど、どうしたらそうまでその魔法を扱えるようになるんですか?」
あ、と漏らしたのはギルドの中の誰だったのでしょうか。
彼女か、青年を担当した受付嬢か、それとも遠巻きに見ていた冒険者たちか。そこかしこから聞こえてきました。
ギルド中を包む妙な雰囲気に気づかずに、少女は答えました。
「気になります?」
「はい!」
「ふふ、それならば──」
「───信じなさい。崇めなさい。奉りなさい。女神であるこの私を」
「───え」
しん、とギルドが静まりました。
「私を!」
もう一度、少女は力強く言いました。
「結局あれか……」
「懲りんね、あいつは」
再びがやがわとギルドに音が戻っていくなか、少女は誇らしげに胸を張っています。
青年だけが戸惑ってあたりを見回しているのも、無理はないでしょう。それほどにこのギルドの人は慣れきってしまったのです。
おずおずと、青年は尋ねます。
「え……と。すみません、よく聞こえませんでした……」
「女神である私を讃え、信徒になりましょう!」
その言葉に今度こそ青年は目を剥きました。
このプリースト少女、自身を女神といっているのです。
このギルドで冒険者登録をした時にはすでにそう言っているらしく、先ほどまでの尊大な態度を固持するさまに常日頃から悩まされてきました。
「あなたもどうです。ぜひ我が信徒に!」
満面の笑みでのお誘いに、彼女ははっきり言いました。
「結構です」
「私の信徒となれば、お悩み相談も懺悔も常に受け付けますし、魔法の恵みと施しもいくらでも差し上げますよ……?」
「ギルド職員は一個人に肩入れすることは強くはばかられますので……確かに先ほどお魔法は非常にありがたいのですが」
「ならなぜ我が信徒にならんと!」
「さきほど精神が落ち着く魔法かけてくださったじゃないですか。そのおかげでで非常に冷静に判断が付きます」
「そんなにお誘いが精神揺さぶるん!?」
カウンターをたたいて身を乗り出して、叫んでいます。
「いえ……その効果が発揮されるほどムキにもなりませんし」
「本心からぁ……」
ショックを受け後ずさりますが、少女はへこたれません。
「どうです? 我が信徒となり、みっちり懇切丁寧に授業を受けませんか」
青年は、少々眼を泳がせてから、
「ええ、と……信徒のお誘いは結構です」
「なんとぉぅ……」
ふらふらと足ももつれ、頭を抱えています。それでもめげずに青年を担当した受付嬢へと、
「そちらの方───」
「すみませんっ!」
「───はぁっ……!」
またも断られ、少女は膝をついてうなだれました。先ほどまで包み込んでいた光も薄暗くなっているようです。
「あのう、大丈夫ですか?」
「──────まあ、良いでしょう。強制は出来ません」
やおら立ち上がった少女は、平静を装いながら言いました。
「私の力をお見せすればいいのでしょうか? ならば……この依頼、すぐさま完遂して見せましょう!」
待ってなさい、と言って『マッカヤ湖グリフォン群討伐』の依頼所をひっつかむと、外へと駆けだして行ってしまいました。
「ええ、と……?」
「行かないのですか?」
「え!?」
「先輩、それはひどいですよ……」
青年を担当していた後輩にも、彼女は素知らぬ顔です。
「よく飽きませんよねぇ、あの人も……」
「もう慣れたました」
あの自称女神の少女はへこたれないのです。どれほど信徒の誘いを断られても、チャンスが有れば幾度となく ”お誘い” をかけます。共にしているパーティメンバーへすら熱心にお誘いしています。
このギルドへやってくる人は、いったい何度その”洗礼”を受けたのやら。
「しかし、女神を騙るなんて、あの娘もよくできますね。教会に目の敵にされるのに……」
さきほどまでの夢もさめたのか、青年はあきれるように言いました。
しかしその言葉に、二人は眼をそらします。
「え?」
「───あ、こちら換金したお金になります。間違えがないかご確認ください」
「───次の方どうぞ」
「え、えええ?」
換金した金銭を受け取った青年はさっさと追いやられてしまいました。
”女神”をあがめている当の教会は、自称女神の少女には全くの無反応の姿勢を貫いています。
詐称など女神をおとしめる行為には強く対処している教会がこの対応。少女の戯れ言と気にも止めていないのか、それとも。
謎が深いものも多い冒険者の界隈ですが、少女の素性に厳に触れてはいけないことは、ギルドの暗黙の了解です。




