♯110 ここにある日常
「ありがとうございました。ゆきちゃんまたねぇ」
あの日から数週間が経ち、お爺さんにはしばらく休んでもいいと言われていたが、爻はいつものように店に出ていた。
「爻君。備品の発注なんだけど……」
「足りない物を調べてリストにしておくから、それを見て頼んでくれるかな?」
ハルはあの日以来、艾の話をしない。
つまり、忘れてしまった者ということだ。
昔から知っている存在を記憶から消されても気付かないというのは、どんな感覚なのだろう。しかし、分かりたくないものだと爻は思うのだった。
「おや、これはどうも……こちらこそ、爻君にはいつも世話を掛けてばかりで……ええ、ええ。お待ち下さい」
ニコニコ顔のお爺さんから、嫌そうに受話器を受け取る爻──
「万理姉。店に電話するなよ。お客様が繋がらなかったらどうするんだよ。で? 今日は何の用?」
「爻のデフォルトは無愛想かな? あのね、わたしそろそろ帰るから。そこにいるハル君も連れて行きたいんだけどさぁ、お爺さんにはやっぱり、筋を通さなきゃと思ってね。だから、お店が終わったら2人を連れてあのお店に来てね。じゃあよろしく~」
相変わらずの一方通行──
ここにある日常は変わることなく、連続した時間があの日から流れている。
「爻君。雨が降ってきたようだから、傘立てを出して置いてくれるかい?」
「はい。すぐに出します」