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深夜、日付が変わる直前に、坂井家に訪れた人影があった。竹内だ。
「坂井智弘君、君を、迎えに来たよ」
坂井はずっと家に閉じこもったままだった。ベッドの上で三角座りをしていた。何も食べず、何も飲まず。扉の外から響いてきた竹内の声で、坂井はのろのろと動き出した。
「刑事さん、ですか」
「ああ、俺一人だ。事件の真相がわかった」
「そうですか」
感情の籠らない声で坂井は言う。
「安心して欲しい。まだ誰にも伝えてない。だから、俺と一緒に来てくれないか」
竹内の台詞を、聞いて坂井は考える。扉の外にある気配は一人分だけだ。この人を、信用してみようか。そう、坂井は思った。
「わかりました、ちょっと待ってください」
坂井はそう告げると、枕のチャックを開けて一通の封筒を取り出し、折りたたんでズボンのポケットに突っ込んだ。それから一呼吸おいて、坂井は部屋の外へと出る。
竹内は、坂井を観察する。札付きの不良と呼ばれていても、服はしっかりとしているし、髪が染まっていても、その表情は人間のそれと変わりない。坂井智弘も、ちゃんと悩める一人の人間だ。そう思った。
背中に手を沿え、覆面パトカーの中に連れ込む。自分は運転席へと座り、車を発進させた。坂井は暴れる様子はなく、しおらしくしていた。
「悪い、取調室開けてもらえるか」
警察署に着いたところで、竹内が言う。竹内は、自分一人で取調べを行うつもりだった。それがイレギュラーなことだと知っていても、なお。
「おい、竹内、何なんだよ」
「悪い、理由は聞かないでくれ」
同僚の言葉に口を噤んだまま、竹内は坂井を連れて取調室へと向かう。その竹内の台詞に、坂井は心の中で感謝するのだった。
「君が釈放されたのは、岡崎さんが犯行時刻に別の場所にいた写真があったからだ。それは聞いてるね?」
竹内の質問に坂井は頷いて肯定の意を示す。けれど、その表情はどこか不本意そうだった。
「でも君はそれを知らなかった」
それにも頷く。
「刑事さん。俺は、俺は本当に」
「うん、知ってるよ」
竹内は優しく言う。その続きをわかっているとでも言うかのように。
「そのアリバイ、俺が崩してあげるよ」
マジックミラー越しにいた刑事が驚く。竹内はまだ、誰にもこのことを話してはいなかった。
「今日は綺麗な十六夜だね。ここからじゃ月は見えないけど」
そう言いながら、竹内は自分のスマホを取り出した。そこから一枚の写真をピックアップする。ついさっき、竹内が立証のために撮った写真だ。
「この写真は、今日、岡崎さんが写真を撮ったのと同じところ、同じ角度で取ったものなんだ。ちょうど午後十時頃にね」
「何が言いたいんですか?」
怪訝そうに坂井が言う。早くして欲しい。早く話して楽になりたい。そんな思いが溢れ出ていた。
「月はこの通り、東南東に出てる。並べてみるとほら、ほとんど同じ位置だ」
マジックミラー越しに何人かが息を呑んだ。
「月はほぼ三十日で地球の周りを一周する。だからね、ありえないんだよ。翌日、同時刻に同じ位置に月が見られるなんて現象は」
そう言いながら、竹内は別のことを考えていた。これから話す内容は、他の刑事たちに聞かせるわけにはいかない。そんなことを。
「これは、事件の一時間前、午後九時頃に撮られた写真なんだ。スマホの時計をわざと一時間、ずらして、ね。こうすれば、午後九時に午後十時の写真が撮れるし、アリバイの謎も明かされる」
竹内はそう言って、岡崎のスマホを置いた。そのまま取調室を出て行き、雪崩れ込もうとしていた同僚たちを押し留める。
「悪い、ここからは俺一人でやらせてくれ」
「おい、そんなイレギュラーな話聞いたことがないぞ」
鈴木が言う。他の刑事たちも言いたいことは同じだ。それでも、竹内は一人にして欲しいと願う。
「これは俺一人じゃないとだめなんだ。頼む、この通りだ。ここからは、俺一人だけにしてくれ。マジックミラー越しの部屋にも入らないでくれ」
竹内が懇願する。その様子に、刑事たちは驚きを隠せないでいた。
「イレギュラーだってことは知ってる。でも俺は、そうしたいんだ。そうじゃなきゃだめなんだ。理由は言えない。でも、俺を信じてくれ。この通りだ」
必死に頭を下げる。刑事たちは何が何かわからずに立ちすくんでいた。
「竹内、お前がやろうとしてることは規則違反だぞ。それもわかっているのか」
鈴木が声を発する。その表情は真剣そのものだった。鈴木も、竹内も。
「ああ、わかってる。でも、俺の仕事は犯罪者を捕まえて検察に送ることだ。善良な市民を傷つけることじゃない」
竹内と鈴木が見つめあう。自身の信念を伝えるかのように。時を忘れ、ただ、見つめ合う。
「わかった」
そう、小さく鈴木は言った。
「すまん、ここは俺に免じて、竹内の思うままにさせてやってくれ」
「鈴木、恩に着る」
そう言うと、竹内は取調室へと戻って行った。鈴木も約束を守って、刑事たちを取調室から追い払った。
「ありがとうございます」
部屋に戻ってきた竹内に、坂井が告げる。
「何の話だ?」
「僕のアリバイを崩してくれたことですよ」
「ああ、仕事だからな。感謝するほうも変だけど」
そう軽い雰囲気で言った竹内だったが、次の瞬間には真剣そのものに変わっていた。
「いえ、いいんですよ。俺が……、俺が詩織を殺したのは事実ですから」
「そうだな」
「否定しないんですね、刑事さんは」
「ああ、言ったろ。何もかもわかったって」
竹内が坂井の瞳を見つめる。威圧するような、そんな視線。だけれども、そんな視線に坂井は安心していた。感謝していた。ようやく自分の罪が許されるような、そんな気がして。
そして竹内は告げる。誰も知ることのなかった真相を。坂井が全てを失ってなお、守ろうとしたこの事件の本当の動機を。
次回、動機解明。読み進める場合はご注意を。