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 この物語はフィクションです。実在する人物、団体、企業等とはなんら関係がございません。

 その晩は、秋も深まり、そろそろコートの必要になるような肌寒くなってきた霜月の日だった。満月の綺麗な、雲のかげりない空が、不気味に夜の街を照らしていた。

 そんななか夕闇に光る警察署に少年がふらふらとした足取りで現れた。少年の名前は坂井智弘さかいちひろ。茶色に染めた髪は乱れ、青ざめた顔をして。服もこの寒さの中大丈夫かと思うような、Tシャツ一枚といった格好だった。午後十時半を回り人もまばらになった警察署内に倒れこんできたその姿は、ある種異様とも思えた。そして、警察署に入ってきた坂井は、いきなり告げたのだった。

「人を……、人を殺しました。俺を捕まえてください」

 坂井はその場で逮捕された。そして、坂井の供述に基づいて現場に向かった刑事たちは、とある一軒家で、坂井と同い年の少女、岡崎詩織おかざきしおりの遺体を発見したのだった。岡崎は胸を包丁で刺されており、まもなく死亡が確認された。岡崎の両親は共働きで、その当時岡崎は自宅で一人だった。家には荒らされたような形跡は無く、顔見知りの犯行と思われた。凶器の包丁は岡崎の家に最初からあったもので、計画性は無かったように見受けられていた。

 刑事の竹内時康たけうちときやすは、取調室のマジックミラー越しに坂井を見ていた。しおらしく岡崎を殺害したというときの様子を事細かに語る。

「俺が……、俺が詩織を殺したんです。俺が、この手で、ナイフをぶすりと」

「だから、なんで殺したんだと言ってる」

 刑事が机を叩く。けれども、坂井はうつむいたままだった。

「すいません、それは言えません。覚えてません」

 坂井はそれしか言わなかった。動機も、経緯も、何も。聞かれても、覚えてませんと。気がついたら人を刺し殺していましたと、その答えしか返しはしなかった。壊れたラジカセのように、同じ言葉を繰り返すだけだった。

 竹内は思う。坂井は決して嘘をついてはいない。滔々(とうとう)と語る、ナイフを突き刺したときの有様は、決して嘘ではない。あふれ出る赤い液体を見たのは、そして手に残った生々しい感覚は、坂井が実際に体験したことなのだろうと。でもそれでも、疑問が残るのだった。

 覚えていないというのは嘘だ。明らかに坂井はそれを隠そうとしている。それは、刑事の勘でわかる。刑事の勘を使わなくてもわかる。けれど、その理由を追求しようとしても、現状ではまったくの証拠がない。自白に頼るほかはないのだ。

 四八時間の時間制限が恨めしい。警察は、被疑者を逮捕して四八時間以内に送検しなければならない。このままでは、動機のわからないままに検察へと事件が送られてしまう。そうなってしまえば、真実を解き明かすことは永久にできないだろう。

 機会、手段、そして動機。犯罪の立証に必要な三要素だ。機会はそろっている。手段もそろっている。けれども、動機だけは見つけられない。竹内たち警察はあせっていた。本人の自白がある。状況証拠もそろっている。けれども決定的な証拠に欠けていた。凶器のナイフには岡崎の指紋がべったりと付いて、坂井の指紋は見つからない。家の中から見つかっても、これが見ず知らずの犯行ならともかく、顔見知りの犯行となれば直接的な証拠にはならない。動機を見出せなければ、証拠不十分で無罪になりかねないのだ。

 けれども坂井は話さない。話してはいけないといったように、口をつぐんだままだ。ひょっとしたら誰かをかばっているのかもしれない。その考えを竹内は自分で否定する。あの犯行時の生々しい映像の描写は、実際に経験した人間のそれだ。そんなリアルな描写ができるわけがない。

 結局坂井は口を割ることはなく、夜遅くということで留置場に留め置くことになったのだった。そして再び取調べを行うまでの間に、竹内たち刑事は、動機というパズルピースを探すことになるのだった。




 どうして、どうしてこんなことになってしまったのだろうと坂井は思う。どこで、俺は、壊れてしまったのだろうか。あのときか、このときか、それともずっと前なのか。最初からこうなることは決まっていたのだろうかと。

 岡崎詩織とは幼馴染だった。家が近くて、共に賢かった。天才、神童と呼ばれていた。賢いということはそれだけ妬まれるということでもあって。そんな中同じ境遇の二人が仲良くなったのは必然とも思えた。

「詩織は将来何になりたいんだ」

 ずっと昔に、詩織に聞いたことがあったな。二人きりで公園で。ブランコに乗りながら、夢を語り合ったっけ。あの時は詩織はなんて言ったっけ。もう十年も前のことだからところどころ忘れちゃってるな。坂井は留置場で考える。眠れない天井は、回想のスクリーンにちょうどよかった。

 そうだ、詩織はこう言ったんだ。

「私、かあ。とにかく偉い人になりたいなあ。偉くなって、みんなを見返したいかな」

 そうだ、確か詩織はこう言った。それで、俺はこう言ったんだ。

「詩織はすごいな。俺は、なんになろうか、何も考えてないよ。偉い人って言ったら政治家かな」

「そうだね、せっかくだったら日本初の女性の総理大臣にでもなろっかな」

 そう言って詩織はそう笑ったんだ。それで俺はこう言ったんだった。

「詩織が総理大臣になるんだったら、俺は国連事務総長にでもなろうかな」

 そう言って俺はブランコから飛び降りたんだった。

 たわいも無い子ども同士の会話。今だったら、そんな簡単じゃないこともわかる。俺みたいな不良に、そんなチャンス訪れるはずが無い。でも、その当時は本当になれると思っていた。坂井は思い出す。まだ純真無垢だったほろ苦い時代のワンシーンを。

 でも、そう思い通りにいったわけではなかった。むしろ二人の仲がよかったのは小学生の間だけで、その関係は徐々に崩れ去っていった。

 坂井は眠れないベッドから身を起こし、自らの手を見る。包丁を握った感覚を思い出すかのように。その様子を、竹内は鉄格子越しに眺めていた。竹内にも、坂井と岡崎の過去の話は伝えられている。けれどそれはただのデータでしかなくて、それは坂井の感情を映したものではない。こうしてみる坂井はデータ上の坂井よりも穏やかで、優しげに映った。

 坂井の成績が落ちだしたのは中学校に入ってすぐだった。何の前触れも無く、急激に落ちていったらしい。授業も徐々に休むようになり、素行不良が増えるようになっていった。そして不良グループと付き合いだすようになり、レールからいともあっさりと外れていった。高校も近くの不良たちのたまり場のような高校に進学している。竹内の持つ警察の資料には、それまでに起こしたトラブルが事細かに記されていた。校内で生徒を殴った、コンビニで万引きした、近くの不良グループと縄張り争いをして傷害事件を起こした等、いろいろ。

 逆に、岡崎はさらにその天才ぶりを発揮していく。中学では学年の主席を取り、生徒会長にも選ばれた。県内有数の進学校に余裕で合格し、東大の試験も合格間違いなしとまで言われた。友達にも恵まれ、順調に青春を謳歌おうかしていた。親も、教師も、友達も、岡崎に期待をし、岡崎の将来は明るく見えていた。そんな刹那せつなの出来事だった。

 まだ事件は新聞には載っていないだろう。でも、報道されればきっと多くの人が悲しむ、そんな人間だった。期待を寄せられ、明るく振舞うさまは多くの人から好かれていた。

 坂井と岡崎には、幼馴染という以外の接点はないはずだった。かつて天才、神童と呼ばれたけれど、今は全く別の生き方をしている二人。どこかで交わることも、関わることもないはずだった。二人で仲良くブランコを漕いだ日は遠い昔の出来事で、それは坂井自身が一番よくわかっていた。

「どこで変わっちまったんだろうな」

 坂井がぼやく。ひょっとしたら、と無意味な仮定をしてみる。もしも俺があの時、勉強を続けていれば、俺は今頃どうなっていたんだろうか。ひょっとしたら詩織と同じように優等生で、隣に立っていたのは俺かもしれない。それとも俺は詩織のことが好きだったのだろうか。いや、それすらも無意味な仮定でしかないのだ。どこまでいっても俺はこの道を選んだし、結果として監獄にいる。今がそれまでだと、坂井は思っていた。

 俺は逃げ出したんだ。何もかもから。親や、教師や、友達の俺を見る目がだんだん厳しくなっていって、縛られていくのが怖かったんだ。だから逃げ出した。何もかも捨て去って不良になれば、俺を見放すはず。誰も干渉なんかしないはずと思ったんだ。だから逃げ出した。そんな俺に、もしもなんていう資格があるわけが無い、か。坂井は自分を責める。自分ののどに両手をあてがった。けれども、結局下ろしてしまう。臆病だな、という自分に坂井は気がついていた。

 竹内はその様子を事細かに見ていた。どうしても、坂井智弘という人間を知りたくて、そして留置場までやてきた。それは動機を解明するためでもあり、人となりを知るためでもあった。

 ある時点を境に、互いに真反対に進みだした二人。変わってしまった人と、変われなかった人。もはや二人の間に関係など生まれるはずが無い。竹内はよく理解していた。けれど、事件は起こった。岡崎が死に、坂井は岡崎を殺したと言い張る。そこに無理やり動機をつけることは可能であっても、それはとても不自然なもので、そんなものを坂井が認めるとは、竹内には思えなかった。監獄の少年はとてもおとなしくて、はかげな少女のように竹内には見えた。

 坂井に岡崎を殺す理由は見つけられない。竹内はそう思っていた。




 事件に急展開が訪れたのは、その翌朝の未明のことだった。坂井のアリバイが証明されたのだった。それも、岡崎自身の手によって。

 岡崎のスマホから、自撮り写真が発見されたのだった。岡崎の死亡推定時刻は午後十時頃だった。そして午後十時頃現場から車でも三十分以上はかかる場所で撮った写真が、存在したのだった。その写真には、午後十時頃に撮られたという記録と東南東の空に輝く望月と共に、岡崎がピースをして写っていたのだった。岡崎のピース写真は、この直後に殺されたとは思えないほど元気なものだった。

 ありえない話だった。午後十時頃に岡崎は殺された。もしも現場が自宅だったなら、写真が存在するはずはない。岡崎は、写真を撮った直後に殺されたことになる。そこから被害者の家まで遺体を運び、自首したというのなら、時間が足りない。午後十一時前にならなければ警察署にはたどり着けないのだ。しかも、それは最も早い場合に限る。車を持っていない竹内には、無理な芸当だった。

 さらに言えば、大前提として、殺害場所が違うのだ。岡崎の死因は失血死である。当然、人を死に至らしめるに足る量の血液が流れ出している。そのため、犯行現場は間違いなく岡崎の自宅である。ということは、同時刻、違う場所に、同一人物が存在したということになる。明らかに、不可能犯罪であるのだ。その状況で、坂井を拘留こうりゅうし続けるわけにはいかなかった。どれだけ坂井が自分が殺したんだと言い張っても、アリバイのある人間を拘留こうりゅうし続けることなどできないのだから。

「本当なんですよ、刑事さん。俺が、……俺が詩織の体に包丁を突き刺したんです。覚えてるんですよ。あの生々しい、嫌な感触。どんどん詩織の体が青くなって、冷たくなっていくんです。そのせいで、昨日眠れなかったんですよ」

「そうか」

 留置場から出る途中、坂井が竹内に言う。いくら不良とは言え、人殺しまではしない。その感覚で臆病おくびょうになるのも仕方ないと思える。そして竹内の勘は、間違いなく坂井が犯人だと告げていた。罪と罰。この言葉が竹内の頭をかすめる。坂井は罪を犯しても罰を受けていない自分自身を責めているのだろう。けれど、どれだけ直感がそう思っていようと、坂井が自白をしていようと、証拠がない坂井を逮捕したままにしておくわけにはいかないのだった。

 竹内は坂井を犯人だと思っている。けれど、だからと言って個人の力量で坂井を逮捕するわけにはいかない。アリバイになる写真が存在したから。存在してしまったから。だから、竹内は自身の意思に反して、坂井を釈放しなければならないのだ。警察署から去ろうとしない坂井を、竹内は覆面パトカーに乗せて無理やり坂井の自宅へと連れて行くのだった。




 もしも写真が存在しなかったなら。いや、写真が存在しないことにできたなら、坂井は拘留こうりゅうされたままだっただろう。存在しないことですべてが丸く収まるというのならそうできる。けれど、その写真は被害者自身の手によってTwitterに投稿されていた。既に多数の目に触れた写真が存在しないことには、どう頑張ってもできるはずがなかった。

 上層部は頭を抱えていた。全く持って事件解決の糸口は見えなかったのだ。いや、正確に言えば筋書きはあった。けれど、それを証明するには駒が足りなさ過ぎた。

 筋書きはこうだ。まず、岡崎が殺害された場所は写真を撮った場所の近く。そこから車で遺体を岡崎の遺体を運ぶ。そこで、事前に採取しておいた岡崎の血液を撒き散らし逃走。そこへ警察が登場し、あたかも自宅で殺害されたように見せかけた。坂井は真犯人をかばっているだけ。

 けれども、それには致命的な欠陥がある。まず、そもそもなぜ坂井は真犯人をかばっているのか。そして、どうしてそう都合のいい場所で岡崎が写真を撮ったのか。そして何より、どうして殺害場所を偽装できるほどの岡崎の血液が存在したというのか。もしもそうだとするならば、岡崎は事前に血液を採取されていたということになる。そうだとしたら、岡崎自身が自分が殺されることを知っていて協力したということになってしまう。その筋書きは、明らかに破綻はたんしているのだ。

 竹内も、その考えには反対だった。もっともそれは、坂井が真実を語っていると確信しているからだ。もしアリバイ写真が存在しなければ、この筋書きは簡単に成り立つ。けれどもその写真を消せない以上、竹内の考えにも無理があった。

 実は上層部の筋書きは、証拠さえあれば成り立つ。写真を投稿した位置がわかれば、その時間どこにいたかがわかる。けれど残念なことに、岡崎は写真の位置も投稿の位置も非表示だった。これでは場所がわからない。写真の風景から、撮られたポイントは特定していたが、それだけではなんともしがたい。しかし水で洗い流したとしても、血の跡は消せない。もし、そのポイントの近くで、大量の岡崎の血液が発見されれば、それは真実となるのだ。けれども、一向に第二の現場は見つかる気配がなかった。もしそうなら、俺は車の中で殺して、車ごと海に捨てる。竹内はそう考えていたし、実際そう考えていた刑事は多かった。きっと犯人も同じことを考えただろう。そう思いながらも、万に一つの可能性を信じて、無意味な捜査を続けるのだった。

 竹内の同僚の鈴木忠紀すずきただのりはもっと突飛な考えだった。鈴木はコンビで捜査に当たっていた竹内に語る。

「俺、この事件、双子トリックだと思うんすよ」

「双子トリック?」

 竹内が聞き返す。

「まあ、正確には双子じゃないっすけどね。そっくりさんがいればいいんすよ」

 そういう鈴木は得意げに話し出す。コートを着ていても吹き付ける風が竹内を冷やそうとする。鈴木はそんな様子を気にも留めずに語った。

「あの写真の被害者は偽者なんですよ。真犯人は被害者のスマホを奪って、被害者に成りすまして写真を撮ったんす。それを平然とTwitterにあげておけばほら、同一人物が二箇所にいれるっしょ」

 饒舌じょうぜつに語る鈴木に、竹内は痛烈な批判を入れた。

「おい、最近のスマホとかTwitterにはパスワードがあるぞ。それも結構長いやつ」

「う、そ、それはきっと何とかしたんすよ」

 鈴木は狼狽ろうばいした様子で言う。竹内は溜息を吐いた。枯葉が鈴木の頬に張り付く。

「だとしても、だ。あの写真が被害者本人のだってのは鑑識で確認されてるぞ。最近のカメラは高性能だからな。ピース写真の指紋がばっちりだ。加工された形跡もなかったぞ」

「まじすか」

 鈴木は溜息を吐いた。

「これで解決だと思ったんすけどねえ」

「ミステリーの読みすぎだ」

 竹内はそう言って首を振った。内心では一度考えたことを隠しながら。

「もう、坂井が犯人でいいんじゃないすか」

「あほ、マスコミに叩かれるわ」

「未解決でも叩かれるってどうすりゃいいんでしょうね。テレポーテーション的な超能力でもあればいいんでしょうけど」

 鈴木がふざけたことを抜かす。どこまでいっても議論は平行線で、結論が出ることはなかった。捜査もどこまで言っても無駄足で、事件は迷宮入りする。竹内はそんな気がした。本当にテレポーテーションならいいのにとは絶対に口に出す気はなかったが。




 結局、夜になっても事件の手がかりは見つからなかった。竹内と鈴木は捜査を中断して岡崎が写真を撮ったと思われるポイントで休憩中だった。もっとも、事件を考えるのは止めないが。

 十六夜いざよいの月が東南東に輝く。冷たい夜風が二人のコートをはためかせていた。昨日と同様、かげりのない夜が町を支配していた。

「あ」

「なにっすか」

「……わかった。……わかってしまった」

 竹内はつぶやいた。

 次回、トリック解明。読み進める場合はご注意を

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