第6話 師匠
子爵との晩餐を終えるとあとは休むだけとなる。風呂をわかしてもらいそれに入るが、その前に、月下の中、表に出た駿河は剣を構えていた。
「――!」
九種斬撃をなぞる。これでは足りない、こうじゃない。違う、もっと――。
舞踏が如く、流麗に、可憐に、されど苛烈に、静謐に、剣舞が月下にて行われている。美しき、少女が金糸の髪を舞い踊らせながら、剣を振る。
「違う。こうじゃないな」
息を整え、意気を滾らせ、今日もまた剣を振るう。ただひたすらに基礎を積み上げていく。剣の型は未だに教えてもらっていない。
教える気がカインにはないのかもしれないが、それでも駿河は言われたままに愚直に、まっすぐに反復していく。
宿痾天稟が示すままに、ただひたすらに。
かつての駿河であったならば、とっくの昔にやめていたかもしれない。一人になれば絶対にサボっていただろう。
だが、己の中にはレイラがいる。レイラがずっと見ている。ならば、やめることは格好悪い。子供に負ける大人というのは本当に格好悪いというプライドが駿河を変えていた。
性根というのは早々変わらないが、変わると思えば変わるもの。数年の同居生活は、二人を互いに変えたと言っていい。
このように毎晩剣に邁進するくらいには駿河は真面目に修行を頑張っていた。いつか天を斬るのだと言われたとき、とてもしっくり来たからだ。
だが――。
「やればやるほど、師匠のすごさがわかる」
カインのすさまじさがわかるようになってくる。果ては遠のくばかり。いいや、果てはない。どこまでもどこまでも、ただただ進む道があるだけだ。
「……まだやっているのか」
「カイン師匠! 街に入った途端にいなくなってしましたが、今までどこに?」
「この街の守護役と話をしていた。旧いなじみでな」
「なるほど、そうだ師匠、手合わせをお願いします。今日はまだでしたので」
「明日も移動だ。それに、手合わせを願うのならば子爵に願いでると良い。アレは結構な使い手だ」
「師匠以上ですか?」
それはない。レイモンド子爵は、確かに使い手だろう。このガストヴィルティン領の貴族なのだから、強くないと嘘である。
というのは、食事中にレイラに聞いた話だ。ガストヴィルティン領は、魔獣被害が多い。ゆえに、平民から貴族に至るまで自衛の力を持つ者が大半だ。
特に、人の上に立つ貴族は、その性質上必ずと言っていいほど剣術、あるいは魔術を修める。子爵は、その中でも王宮剣術を扱う。
だが、それが竜殺しに比するかと言われれば、子爵本人が、ご冗談をと苦笑するだろう。それほどまでにカインの実力は抜けている。
もはや人ではない。その血を浴びすぎて、その身体機能も、何もかもが人の領域をはるかに超えているのだ。
「いいや、違う」
「え?」
「オレは、既に限界だ。血を浴びたところで、オマエのような強化など望めまい」
違うのだ。カインという人間はとっくの昔に限界に来ているのである。血を浴びたところで強化などされない。
だが、それでも彼は竜殺しを成した。あらゆる外敵を鎧袖一触するだけの技巧を持っている。そう関係ない。身体の強さなど術理の前には関係ないのだ。
心体合一すれば、例え非力の子供であろうとも竜を斬れる。それこそが、人間術理の根幹。人間は弱いゆえに生まれた術理。
そして、天を斬る術理だ。如何なる強化も必要ない。ただ、振れば斬れる。剣術とはそういうものという極限を煮詰めた。
銘を、天斬と呼ぶ。
「――! 私も、それを覚えたいです!」
「やめておけ。オレの剣は血に濡れすぎた。オマエのような者に教える剣術ではない」
「いいえ、違います。きっと、私は、その剣を覚えるために生まれてきました」
駿河の宿痾、その剣は天を斬る。
天斬と呼ばれる術理があるならば、それこそは、来栖駿河が覚えるべき剣の理に他ならない。そう今、心から魂が叫んでいる。
その剣を覚えたいと。
「オマエに、この剣を教えるつもりはない」
「師匠!」
彼は去って行った。
「それでも、オレは……」
諦めない。いつか必ず、その剣を教えてもらうのだ。
そのために、
「…………」
今夜も剣を握る。
九種斬撃。ただただ、愚直に、今、心からやりたいことが見つかったと言わんばかりに、真っすぐに剣を振るう。
何回も、何十回も、何百、何千と。
限界が来れば、レイラの魔法で全てを治癒する。超高速で鍛え上げられていく肉体。成長を阻害しない程度を意識しながら、駿河は剣を振るい、筋トレを行う。
その途上で――。
「うわっとっとお!?」
心の部屋に呼び戻された。
「やりすぎよ。体が痛いわ」
「魔法で治るしいいだろ?」
「良くない――でも、目標が見つかったのは良いことね。初めて会った時よりマシな顔しているわ」
「そりゃ、なぁ。オマエがいるのに、サボるわけにもいかんだろう」
そのおかげで、一日中ゴロゴロ計画は台無しだ。
「次は私の時間よ」
「アレ、もうそんな時間か?」
時計を見れば、確かに交代の時間だった。二人で交代しながら、一日を効率的に使う。一人が眠っている間に、一人が身体を鍛えたり、魔法を鍛えるのだ。
そして、今は、レイラの時間。
「お風呂に入ってから魔法の鍛錬を行います。アンタは眠ってなさい」
「わかった了解」
今度はレイラが表に出る。
「ああ、まったく汗でぐちゃぐちゃ」
そう文句を言いつつ魔法で服を乾かし、用意された風呂に入る。すっかりと遅くなってしまったが、魔法で水を温め治せば丁度良い。
「ふぅ」
魔法で髪を洗い、まとめ上げて湯につかる。
頬を伝う水気。水滴は喉を通り、鎖骨を伝って湯へと落ちる。つつましやかな胸は、まだまだこれからの成長に期待だ。
などと風呂に入り、汗を流したあとは、用意された部屋で魔法の修練に入る。
「さて――」
このエレニア王国において魔法とは、力ある言語によって超常の現象を引き起こす事である。
ガストヴィルティン領を有するエレニア王国特有の魔法術式は、他国と比べるとオーソドックスであり、ある程度の習得は簡単であるため、平民であろうとも学ぶ意志さえあれば学ぶことが可能となる。
この魔法体系は、魔力と言語、その詠唱によって術式陣を空間に構築することによって効果を発揮する。
ただ魔力を籠めて言葉をつぶやいても発動することが出来るが、相当の使い手でなければ発動はままならない。
「我が名において命じる・火よ起これ――火焔」
初級の火を起こす呪文を唱える。ただ火を求めればいい。
略式などせず、魔法陣を構築し、火を起こす。発動までの時間は速く、精度、威力ともに低い。どれをとっても初級と言わざるを得ないただの火を起こす魔法だ。
詠唱とともに、掌の上に環状魔法陣が現れ、その中に炎が現出する。
「えーっと、これだと温度が低いのよね」
――魔法が普通の科学と同じならだけど。酸素を多く与えれば青くなって温度が高くなるはず。
「酸素、酸素ね……こうかしら」
魔法陣の構築をいじる。すると炎は赤から青へと代わる。
――おお、どんな感じ?
「温度は高くなってる感じはするけど、ただ火をだす呪文に、この手間を入れるかって言われたら微妙ね」
――そりゃねぇ。
酸素を供給する分、少しだけ発動が遅くなるらしい。魔法戦闘において、重要なのは何をおいてもまずはその魔法の構築速度だというのだから、遅くなるのは意味がない。
「まあいいわ。改良できるのはわかっていたのだしね」
――家じゃ、そんな冒涜的なことさせられないって禁止だったからな。しかし、どうしていきなり改良なんて?
「決まっています」
「君の宿痾が、そう叫んでるんだよねぇー」
「――――!!」
突然の声。
それは、天井から。そこにいたのは、魔女だった。魔女というような姿の存在だった。
黒い服、黒い三角帽子。駿河をしてどこからどう見ても魔女だという風貌。ただし、ちょっと扇情的。特に体の側面が露出されたスリットは特にえっちぃと思ったほど。
「ニハッ、こんばんはー、お嬢ちゃん」
「どなたでしょうか。この屋敷の者ではありませんね」
「おおっと、そんなに警戒しないでよー。お姉さん、かなしいかにゃー?」
「一体このような時間に何の用ですか」
「いやはや、面白い魔法の使い方してるようだからさー、ちょっーっとちょっかい出しにねぇー。えーっとー」
「レイラです。レイラ・ディ・ガストヴィルティン」
「じゃあ、レイラちゃん。ちょっと、お姉さんと戦わない?」
「意味不明です」
いきなり何を言っているのかまったく意味不明であった。
「いやー、ほら。だって、こんな原石がどれだけ出来るのか――知りたいじゃない。そして、磨きたいじゃない」
――殺気!
「――ッ!」
駿河の声にレイラは無意識に反応した。咄嗟に窓から中庭へと飛び出す。
「さあ、やりましょうか
我・契約を告げ、其は世界を燃焼させる炎の大神を纏う」
放たれた言葉は、エレニア王国魔法言語ではない。それは別の形式。紐の如き魔法陣が指先より紡がれ、全身を包むと同時に発火する。
彼女の総身が燃え上がった。だが、彼女自身には何ら痛痒をもたらしてはいない。ならば熱くないのかと問われれば否だ。
その灼熱は、遠くにいるレイラすらも熱して焼かんと猛っている。それほどの熱量、屋敷の住人が気が付くだろうと思われたが、彼女が結界を張っているのだろう。
つまり助けは来ない。
「その魔法は――」
「考えている暇はあるのかニャー?」
「――!!」
――おいおい、どうすんだよ!
「とにか水よ。我が名において命じる・濁流よ焔を消し去れ――龍水!!」
紡がれる詠唱。音素の発音とともに、エレニア王国魔法言語が励起し青の魔力とともに彼女の指先に魔法陣が構築される。
命令文そのままに、魔法陣より現出する圧縮された水。それは臨界を突破し激流となって火焔に包まれた魔女を襲う。
「おー、凄い凄いでも――当たらないと意味ないよねーにはっ」
突如として女の姿がブレた。
「な!」
まるですり抜けたかのようにレイラの魔法は外れた。何をされたのかレイラにはわからない。
――あいつ、炎で加速しやがった!
わかったのはただ観察している駿河だった。やったことは全身に纏った炎を噴射して、急加速を行い激流を躱したのだ。
なるほど、アレは鎧であり、高速機動を可能とするブースターなのだ。だとすれば、水系魔法のように威力はあるが遅い魔法は当たらない。
「だったら――我が名において命じる・雷獣の剣よ、宙を舞い敵を穿て――紫電一閃!!」
紡がれる上級呪文。
エレニア王国魔法体系の中でも最速最大威力の攻撃呪文が炸裂する。発生する紫電。構築された魔法陣より放たれるのは無数の雷剣。
それらは宙を舞い、雷速の剣戟を女へと放つ。
「おー、凄いなーだったら――」
空間に、印を切って紋様を刻む。刹那のうちに完了する迎撃態勢。炎の鎧が刻印を超高速化していたのだ。
――なんだそりゃあ!?
駿河も驚く、炎の噴射を利用した超高速空間刻印。複雑怪奇な他国の魔法言語が紡がれていく。
「ウッドストーム」
紡がれる解号。
発動する現象。
オミルヴェルガ公国と呼ばれる西の小国において使用される固有紋様刻印魔術が起動する。超高速で成長する巨大樹木。雷の剣群が葉を広げた大樹に叩き落された。
――おいおいおい、やばいぞ
「うるさい、黙ってなさい! 我が名において命じる・古の大公よ、その禁呪を解き放て――暗黒波動」
放たれる極悪の魔法。禁呪と呼ばれる呪文。その破壊力は、あらゆる呪文を凌駕する。レイラをして、制御が困難とも言われる最大魔法。
暗黒の波動が、あらゆる生命体を食い潰す。生命体など、この波動に触れれば即座に死に絶える。
「乞い願う・我は信徒なり――大神よ、楽園の守りを与えよ」
願われる祝詞。
ミセルリント聖教国。宗教国家において使用される信徒が扱える神の奇跡がここに発動する。それこそは絶対の護りを与える守護。
生じる光の結界が暗黒の波動を防ぎ切った。まったくの無傷。これの効果がないとなると
「そんな――」
レイラが膝をつく。大の大人を超えるほどの魔力を有していてもまだ子供であり、禁術の使用はかなりの負担となのだ。
「うんうん。いいじゃないいいじゃない。その歳でこれだけ出来るのなら大したものよー」
女はぱちぱちと拍手。既に戦闘意気はなく、全ての魔法を解除しているようだった。
「これなら、いいかも」
「なにが、いいかも、なのです。魔法喰いの怪物ネルフェル」
「あり、ワタシのこと知ってるんだぁー」
「ここまで様々な魔法を見せられたのですからわかるわ。有名よ貴女。各国で魔法の技術を盗んで回っている魔女。付けられた名が魔法喰いの怪物」
「心外だにゃー。ワタシはー、ただ知的好奇心がちょーーーーっとつよーいのと魔法が大好きなだけなのにー」
「…………」
「あー、信じてな―い。ちょーっと魔法教えてってー言ったらどこからも追いかけまわされてるだけなのにー」
「当然でしょうに」
魔法の情報は、おいそれと他国に渡していいものではない。いつ戦争になるかわからないのだ。その時に、敵に魔法の情報がバレてしまって対策が取られたらどうしようもなくなる。
ゆえに他国の者に魔法は教えない。このエレニア王国の魔法は広く普及しているが、単純故に奥深く、多様性があるため独学で全てを学ぶことは不可能だ。
必ず弟子入りが必要となり、その弟子入りにおいて他国の者は絶対に弟子にすることは出来ない。そう国家に契約させられるのだ。
「えー、だってもったいない。魔法、全部組み合わせたらすごい面白いことが出来るのに。だーかーらー。それをわかってもらうために、キミに教えることにしましたー」
「な――!?」
――ええ!?
「むっふっふ、拒否権などなーい。教える。寧ろ、こんな原石輝かせなかったらどうするのかって話。というわけで、これからよろしくねー、レイラちゃーん」
こうして、レイラの魔法の師匠が爆誕した。
いや、勝手についてくるストーカーが誕生したと言った方が正しいのかもしれない――。
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