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第5話 出立

 月日は流れて、駿河がこの世界に転生し、レイラの中で間借り生活を初めて三年が経過した。レイラは九歳になっていた。

 身長もあれから伸びたが、まだまだ子供というほかない。

 駿河とレイラの生活は三年前から変わらない。駿河が剣の修練、レイラは魔法の修練。ともに、九歳の子供とは思えないほどの実力を身につけつつあった。

 それは才能も大きいだろうが、レイラの努力家という性質が大きいだろう。それに触発されて、負けないように駿河も努力を重ねた結果、子供ではありえないような実力を手にしていた。

 決して才能だけではない、努力の結晶がそこにはある。疲労や筋肉の損傷を魔法で治癒する高速肉体改造を軽くだが導入し始めており、肉体もまた更なる発展の(きざはし)を見せていた。


 そんな時、レイラにも他の貴族の子弟子女と同じく学園都市ラブレストへの入学の報せが届いた。


「学園都市?」

「ええ、そこで親元を離れての修行を行うのよ。剣術、魔法、礼儀作法、歴史、多くを学ぶのね」


 この三年で二人の関係も、それなりに砕けたものになっていた。レイラも宮廷における通商統一言語の言い回しを使わなくなり、口調もすっかり気の強い女という感じに変貌している。

 ある意味これが素っぽいのは駿河としても納得であった。男を自分の中に間借りさせてる女が気が強くなかったらなんだと言うのだ。


「それ必要なくないか?」


 既に、レイラはそのほとんどを修めていると言ってもいい。駿河も彼女にあせて学んでいたのでまあまあわかると言った程度。

 正直、主であるレイラがわかっているので、別段学校に通う必要がないと思っているのだが、どうやら貴族にとってラブレストでの日々は、勉学が主目的ではないようだ。


「家庭教師が網羅していない部分の補完の目的もあるけれど、主目的はコネづくりね。国の団結を強固にする政策の一環なのよ」

「ああ、なるほど。貴族の子供同士を一緒にして、これからの若者たちにそれぞれコネを作らせようというわけか」

「ええ、そういうこと。上級生たちからの派閥勧誘や、社交界やサロンなど、実際の貴族社交界に負けず劣らずの小社交界ともいうべき場所よ」


 特に派閥というのは今後の人生に大きくかかわることになる。だいたい親と同じ派閥を形成するのが通例だが、親と違う派閥を形成し、将来的にその力を大きくしていく計画もあったりするのだ。

 下手な派閥にいれば、貴族としての地位に大いにかかわる。辺境伯という大貴族の令嬢であるレイラの動向を気にする者は多くいることだろう。


「しかし、親元を離れてか寂しくないのか?」

「そうね、多少寂しさはあるけれど、アンタがいるんじゃ、一人ではないからね。おそらくついてくるのは剣術指南役のカイン師匠だけじゃないかしら」

「あれ? カイン師匠はいいの?」

「彼はほとんど特例というか、彼は元々学園の剣術講師よ。ひたすら断り続けたところを、学園長がごり押したとか」

「なるほどねぇ。しかり、一人暮らしかぁ。大丈夫かー、料理とか、掃除とか、洗濯とか」

「学園にも侍女はいますので、それらは一括で行われるわよ」

「なんだ、ツマラン」


 そういうことをやったことがない貴族の令嬢ならば、多少慌てる姿なりを見ることが出来るのではないかと思ったが、そうはいかないらしい。


「お生憎様、アンタの知識があれば、それくらいできるわよ」

「ズルいぞ、チートだチート!」

「もし順当に私を押しつぶしていたら、それをやることになったアンタが言う?」

「はい、すみません、まったく言えませんでした!」


 口調は砕けて、多少距離感は近づいたかに思えたが、関係性はあまり変化はないようである。


「それで? 今後の方針は?」

「変わりなく。やるからには全力よ」

「大変そうだ」

「せいぜい、消されないように頑張りなさい」

「了解、このスパルタめ」


 などと会話をしつつ、今日も一日を始める。


 時間は、さらに過ぎて入学の日。用意された馬車にレイラは乗り込む。


「では、行って参りますお父様、お母さま」

「しっかりとやってくるのだぞ」

「体に気を付けるのよ」

「はい」


 別れもそこそこに馬車は、学園都市ラブレストへ向けて出発する。同行者は御者を除けば一名。カインのみだ。

 彼は護衛も兼ねており、御者席の方にいる。馬車の中には正真正銘レイラのみであった。


――それで、その学園都市ってやつにはどれくらいでつくんだ?


 駿河はここぞとばかりにレイラに質問する。


(そうね。到着するまで、五日ほどかしら)

――五日か。暇になるな。

(途中、五つ街を経由するわ。さほど暇にはならないでしょう)

――なるほど、新しい街なら退屈はしないか。


 馬車に揺られて最初の逗留地にたどりついたのは、夕暮れ時となる。ずっと座りっぱなしであったので、身体も凝っているが、それの解消は駿河の担当だ。

 全身の凝りをほぐすべく、調息し全身の気の運行を正していく。身体の凝りは基本的にこの気の運航の乱れゆえだ。

 全身の経絡を巡る内息を自在に操るのは、武術家としては基本事項であるとカインに習ったばかりである。

 どこぞの漫画で見た修行法として、とりあえず、常時内息を意識せずに操れるようにしている最中だ。

 駿河の宿痾はこのような内功においても発揮されている。全ては剣に通ずる術理であればこそだ。


――本当、これやると楽になるのよねぇ。

(だったら覚えればどうだ?)

――無理、魔力はわかっても内息とかまったくわからないもの。

(俺の方は魔力の方がわからないんだが)


 まあ、そのおかげでこうして駿河にも役割がある。互いに足りない部分を補い合えているうちは消される心配はしなくていい。

 ともあれ、全身の凝りを解したら今日の宿へと向かう。レイラが止まるのはこの街の領主の館であった。

 領主と聞くと豚をイメージしてしまうが、そのイメージとは裏腹に柔和な壮年の男性だった。レイラの両親とはまた違った渋さというか柔らかさを感じるナイスミドルといったところ。


「やあ、レディ・レイラ。御噂はかねがね」

「こちらこそ、レイモンド子爵。先達ては、父と街道の魔獣相当に兵をお貸しいただけたと聞き及んでおります。獅子奮迅の活躍をなされたとも」

「ははは。部下のおかげですよ。私自身は指示を出していたに過ぎません」

「指示を出すことが貴族の仕事です。子爵は職務を立派に果たされたと思います」

「噂通りに、君は本当に聡明だ。私の娘が君くらいの時は、まだまだやんちゃであったというのに。君は随分と落ち着いている。さすがは、ガストヴィルティン辺境伯の娘さんだ」

「過分な評価、恐縮でございます。未だ若輩の身ゆえ、今後も精進していきたいと思っております」

「なんともさすがは神童と呼ばれるだけのことはある――さて、君も移動で疲れただろう? ささやかながら晩餐を用意した」

「ありがとうございます」

「自分の家のようにくつろぐと良い」


 レイモンド子爵の計らいで、レイラは晩餐に招かれる。駿河が想像した通りの食堂と長テーブル。磨かれた銀食器は、鏡のようにレイラの端正な顔を反射している。

 運ばれてきたのはガストヴィルティン領名物の魔獣料理だ。ガストヴィルティン領は魔獣が多いという性質上、農耕に向いていない土地柄だ。


 どれほど畑を作ろうとも、作物に対する魔獣被害は多い。収穫量は土地の広さと比べても微々たるものといってよい。

 ゆえに、農耕よりも狩猟の方が盛んであった。その辺を歩けば魔獣が出るとすら言われているガストヴィルティン領であるため、狩猟生活であっても問題なく、魔獣の食材は栄養価も高かった。

 よって、この土地の食物の大半は魔獣由来のものになっている。


 レイモンド子爵が用意した晩餐は、ニジュルのスープ、カンジェリィの香草包み焼き、イマドのサラダ季節盛りであった。

 どれもこの地方ではありふれた食材であり、季節の滋味である。


 それは心の中の駿河の部屋にも存在していた。


「さて、これはどんなもんなかなっと」


 レイラが味わうと、それは心の中にも現出する。いや、より正確に言うのならば、現出させてもらっているというべきか。

 より深く印象に残れば残るほど、それは心の中の富みにつながる。


 富みは重要だ。特に心の中に間借りさせてもらっている駿河にとっては、娯楽というものがあるかないかの瀬戸際になるからだ。

 例えば、彼女が読んだ本や食事がそれにあたる。


 今回も食事として、心の栄養として駿河に与えられたのは今回の晩餐。下手すれば犬の餌が与えられてもかしくないので、今のところ駿河の価値はそれなりというところだろう。


「さて、それじゃあ、いただきます」


 まずはニジュルのスープから。透明度の高いスープである。煮込まれているのは、このガストヴィルティン領によく自生している自走植物群だ。

 ニジュルというのは、簡単にいってしまえば動く木だ。

 迷いの森というものがある。迷いの森はその名の通り、足を踏み入れた者を迷わせる森のこと。その原因というのがニジュルという自走植物だ。

 魔獣の住処、迷いの森。そこに自生し、旅人を惑わし、獣に襲わせ、土を富ませる。それが、ニジュルという植物型の魔獣の特性だ。


 そのため肥沃な土地にしかニジュルは群生しない。正確に言うのなら、ニジュルのいる土地が肥沃なのだ。そのため、栄養価は特に高い。

 見た目は普通の木であるが、皮を剥いだ内側に樹肉は、生のままでも食べられるが、今回の料理はそれを一晩ほど煮込んだものになる。


 透明度の高さと、浮いた繊維状の樹肉。味付けは、これまたこの地方でとれる魔獣を用いた香辛料だ。キマチェブ。

 花生魚(キマチェブ)と呼ばれる植物魚。それは、身体に植物を生やした魚である。その身は植物の味に変わるために、基本はその肉を食べる。

 しかし、そこに生えた植物もまた食用出来る。辛味、甘味、酸いなど、ハーブとしても利用できる種類もある。

 魔獣被害が多く、大量の香辛料をガストヴィルティンに運ぶのは至難である。そのため代替として古くからの伝統料法として使われるのが件のキマチェブである。


 キマチェブを粉にしたものがスープに溶け込み味を出しているのがわかる。それを良く吸ったニジュルの樹肉は、ふんわりと味が染みていてとてもウマイ。

 舌に直接、杭でも打ち込まれたかのような衝撃に、駿河は思わず仰け反ったほどだ。こんなものを食べて平然と会話を続けているレイラには、頭おかしい。

 などと思いながら、皿ごと飲み干す勢いだ。銀の匙で飲むのでは足りない為、ごくごくと皿から直接飲んだ。


「あー、うめぇ」


 レイラが見ていれば行儀が悪いと言われるだろうが、レイラは表に出て子爵とお話している。そのため、怒られる心配はない。

 爽やかな森の味がするのはニジュルの特徴だろう。しっかりと引き締まっていた肉が解けるほどに煮込んだスープ、うまくないはずもなく、舌から髄を抜けて、脳内でスパークする美味さは、叫び声をあげさせるほど。


 ただの一口で、この世の夜明けが見えたように思ったほどだ。ガストヴィルティンで食べた料理もおいしいが、やはり別の町で食べる料理というのはまた格別なものがある。

 家の料理よりも、外食したら何か特別な感じがするのと同じだろうと駿河は思いつつ、次の皿へと手を伸ばす。


 次に手が取ったのはカンジェリィの香草包み焼きだった。黄色の香草に包まれた焼き料理。包みを開けば香る、珠玉の匂いは、ただそれだけで幸福感を与える。

 カンジェリィ。またの名を、雷獣。遠く空にある雷雲に住むとされる魔獣だ。ただの魔獣のくくりを越えている獣を人は幻獣と呼ぶこともある。カンジェリはその類であった。


 雷を落とす白銀の神獣とすら呼ばれている。いかに魔獣の多いガストヴィルティン領であっても中々食すことの出来ない料理の一つだ。

 ほろほろと匙で触れば崩れそう。これは確実に美味い。匂いからして美味いことはわかっていが、触ってみてもわかるほどの美味さは、絶品の予感を増大させるばかり。


「――いただきます」


 ごくりと喉を鳴らし、神妙に箸を使って肉を解して一口。

 確かな存在感が口の中に広がり、なおかつそれは決して強すぎるというものでもなく、柔らかくきめ細やかな肉質は、どれほどでも食べられてしまうと思ってしまうほどだ。

 美味。圧倒的、美味。自分の権限で用意した白米と合わされば、なんども最強か。やはり肉には米だ、だ。何倍でも食べられる。


「うまい、うますぎる!」


 無駄なく引き締まって、脂身の少なさのおかげでさっぱりと食べられる。されど、舌が痺れるほどの肉という味の存在感は、実に心地よくご飯が進む

 一番近いのは馬の肉だろうか。しかして、それよりも良く引き締まっている。噛めばちぎれて、ほろほろに。

 うますぎる肉は、ものの数分でなくなってしまう。


「しまったなぁ。サラダだけ残ったか」


 食べる順番を甚だしく間違えたかと思ったが、それは間違いだった。

 イマドのサラダ季節盛り。それは、サラダとは名がついているが、盛られているのは野菜ではない。それは、昆虫である。

 見た目は完全にサラダであるのだが、その実、サラダとは名ばかりの昆虫飯である。


 野菜に擬態するものばかりを集めた擬態サラダ。駿河は、一口食べた際の衝撃に思わず吐き出しそうになった。

 上質な蛋白。上質な栄養素。吹き抜ける、味、味、味。

 先ほど二品に劣らない美味さ。なにより見た目がサラダなのが、良い。駿河はこの後も、これが虫などとは思ってもいなかったからだ。

 なお、知っても味を知ってしまったら食べるだろう。


「ああ、美味い、異世界の食事って本当にうまいなぁ。なんでだろう」


 現代の食事もうまいとは思ったが、異世界の食事は何かが違うのだと駿河は感じていた。


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