第3話 言葉
異世界に転生して、三日目。
一日飛んでいるが、どうせやったことと言えば部屋の改装くらいである為、何一つ語らなくても問題などなかった。
今日も今日とて、駿河には特に何事もない。駿河のやることと言えば、ただ黙ってレイラの生活をのぞき見することくらいである。
与えられた部屋は、とりあえず住みやすいように改装するという楽しみはあったのだが、一度部屋が出来てしまうとあとはもう動かそうという気は失せてしまう。
とりあえず、記憶の中からソファーやらベッドやらを用意した。心の中ではイメージによってある程度自由に物が出せたりする。
駿河の場合、与えられた権限があまり多くない為、豪華な部屋は作りようもなかったが、庶民である彼からしたら十分な部屋には出来た。
そんな部屋に寝転がってテレビに映るレイラの生活を覗き見るのである。
なんともいけないようなことをしている気分であるが、特にやることもない上に異世界の様子というのも気になるのも事実。
だからこそ、こうやって覗き見をしている。あわよくば、綺麗なお姉さんの裸でも映らないものかと思っていたのだが、今のところレイラの貧相な体のみであった。
さて、そんなわけで今日も今日とて一日が終わる。何もせずに過ごすというのは楽ではあるが退屈極まる。何かやることでもないものかと、無駄に筋トレやらをやっていたところ。
「いますわね」
ノックもそこそこに許可を得ることなくレイラが部屋に入ってきた。それにはムっとするが、間借りしている家の大家である。
強く言えるわけもなく、消される恐怖に口は勝手に黙ることを選択する。
「あら、意外に綺麗な部屋。それになんだか涼しいわ」
「エアコンがあるので――それでレイラお嬢様、何の御用でしょうか」
「アンタを教育してあげようと思ってね。この世界のこと、それからこの世界の言葉、文字、風習に作法、全部覚えてもらうわよ。アンタが表に出て何かするときにヘマされたら私の沽券に係わるからね」
つまり、勉強だった。
一瞬、うへぇ、嫌だぁ、などと勉強嫌いが発動しそうになったが、ふと、異なる異世界のことを知るいい機会だ。
何より言葉がわかれば、覗き見テレビも面白くなるかもしれない。なにより、これからこの世界で生活するのだから、必要なことである。
ならば必要経費。寧ろ、ここで覚えられないと消されかねないことを思い出して、即座にやる気スイッチオン。
「それじゃあやりますわよ」
「はい」
まずは、発音と簡単な読み書きから始める。相手は日本語がわかっているので、日本語対応表なんてものをつくってくれていたおかげで、読み書きの方はどうにかなりそうであった。
三十四種類の音素と七十二種の意素と呼ばれる言語の組み合わせによって、言語とするらしいので、そこらを覚えてしまえばあとは組み合わせによって音と意味を理解するだけだ。
だから簡単だとレイラは言ったわけなのだが――。
「アンタ、この程度もわからないの?」
「ぐ…………」
今日初めて習ったんだぞ、という言葉は寸前で呑み込んだ。ここで反論して消されてしまっては最悪だからだ。
そもそもこんなものどうやって覚えろというのだというのが、駿河の思いであった。
合計百六の意音を覚えることによって、文字を形成する。音素はまだいい。それは音を示すからだ。問題は意素の方。
それ単体でも意味を持っている上に、組み合わせることによって、意味が変動する。最低二つから意素の組み合わせが始まり、最大で十を超える。
さらに発音も酷い。意素の組み合わせに、音素が追加されることによって凄まじく数が多く複雑怪奇な発音と化す。こんなもの全部覚えるとは不可能だろう。
似たような漢字だって四文字や六文字だ。それが十。母体数が少ないから余裕だと? そんなわけはない。
根本的な地頭が足りなさ過ぎてハゲそうだった。何より漢字はまだ意味が見てとれるが、こちらの文字は完全初見もあって文字が文字に見えない。ただの模様とかにしか見えない。
そもそも他言語に苦手意識バリバリな駿河である。頭が足りていたとしても覚えるのは至難の技だったであろう。
あまりの出来なさに教え始めた六歳児も呆れというより憐憫の方が強い。このまま六歳児に負け続けるとかどうすんだという思いが強くなるが、言語とか苦手中の苦手であるため一朝一夕にはいかない。
これを普通に使える異世界人どうなってんだよと思うばかり。どう考えても頭の構造が違うとしか思えない。
「はぁ、そんなんじゃ魔法の習得は無理ね」
「魔法! 魔法がある――んですか」
「ええ、当然でしょう。アンタの世界にはなかったようですけれど」
魔法! それは何とも異世界じゃないかと思った。それはぜひとも習得してみたいと思うのが男の子の性であるが――。
「いや、無理だろこれ……」
即座に諦めることになる。異世界の通商統一言語による日常会話もままならず、読み書きも覚束ない中で、さらに魔法の為のエレニア王国魔法言語まで覚えることは不可能であった。
さらに言えば、魔法言語の方が数が多い。事細かな命令文を作り上げるというのは、プログラム言語のようでもあったが、そんなん門外漢にわかるはずもなし。
何より――。
「まあ、アンタには魔法の素養はないしね」
これである。
悉く夢を打ち破られて、なおかつ頭をフル稼働させた駿河はもういろいろといっぱいいっぱいで溺れそうである。
「でも、こっちはアンタのおかげで得したわ」
「得? ――ですか」
「ええ、得。アンタが入り込んだ過負荷で魂が強くなったって言いましたわね? そのおかげで魔力が増大しました。今もアンタがいることによって増大しています。
アンタが知識をつけたりして強くなればこちらも比例して強くなるらしいですわ。今、少しだけれどこちらの言語について知ったでしょう。ちょっとだけだけど強くなった」
さて、そういうことはまるっきり駿河にはわからない領域の話なのだが、それはつまり彼の価値が少しだけ増したということである。
「せいぜい努力することですわ」
「……はい」
さて、続きであるが、言語だけでいっぱいいっぱいの駿河にこれ以上何かを覚えることなど不可能。よって、簡単な絵本を置いてレイラは去って行った。
いつもならば相手がいないならば存分に怠ける駿河であるが、このまま負けっぱなしというのも面白くないのである。
よって、目にモノ見せてくれるわと、絵本に手を伸ばして開いて――。
「寝よ」
断念――。
「…………」
「さー、もう少し頑張るぞー」
レイラが扉の隙間から見ている。超怖い。
即座にいつの間にかオフになったやる気スイッチがオン。絵本を読み始める。扉の向こうの気配が消えるまで、しっかりと読んでいるフリをしていた。
「はぁ……」
しかし、どうにもこれは難題だった。絵本と言えど、まったくわからない言語だ。確かに日本語との対応表があるため、それを見ながらならば読めるが、先は長いと言わざるを得ない。
それがなければまったく読めないのだから。
「えーっと、これが、こうで、こうだから。おお、なるほどこういう意味で――」
しかし、やることもないので真面目に取り組んでみると、意外や意外、面白い。対応表ありでも意味がわかると楽しいと思えて来た。
まあ、それでも読みだけで、書きの方など対応表がなければ全然だめだし、ミミズがのたくったような文字になってしまうのだが。
ともあれ、やることがないよりやることがある方が大いに一日が充実するとはこのこと。日がな寝転がっているにしても暇を持て余し過ぎて駄目になりそうだったので、これはこれで良い暇つぶしになった。
勉強であるため、それ以外にやることもなければそれをやるしかないだろうという感じに嫌々ではあったが。
それでも毎日数時間でも続けていると次第に出来るようになってくる。出来るようになれば楽しくなってくる。異世界の物語は元の世界に負けず劣らず魅力的だった。
次第に駿河はレイラが持って来る物語を待ち望むようになっていた。
ヒアリングの方は、テレビをつければ、日中であればレイラの生活を覗き見ることで異世界の言語が聞ける。
ご丁寧に字幕がついているのは、彼女が日本語をマスターしたおかげだろう。おかげで、多少は聞き取りも徐々にであるが出来るようになり、異世界のことがわかるようになってきていた。
まず、レイラが住んでいる国というのがエレニア王国という国らしい。その中でもガストヴィルティン辺境伯領の主都ゲルヴィンが、今現在彼女が住んでいる場所である。
異世界らしく魔獣というものがいて、どうやらガストヴィルティン領というのは特に魔獣が多いらしい。隣国の魔王国と接しているからだという。
そう魔王国。お隣の隣国は、カイゼルヴィント魔王国という国であり、そこの王様はなんと魔王だという。魔族と呼ばれる超級の魔法適性を持つ種族の国であり、レイラ曰く駿河の想像通りの種族が住んでいるという。
邪悪というわけではないが、とても魔素という空気中の魔力成分が高い為に狂暴化した獣――魔獣が多く、それと国境を接しているがゆえに魔獣の数が多いということのようだ。
「大変なんだなぁ」
などというのは駿河の談であるが、見る限りそこまで悲壮感は強くない。誰も彼も逞しく生きているのがとても印象的な領民たちであった。
魔法が一般的であるというわけではないようだった。一部の、特に貴族なんかが使えるような代物であるらしい。
「それにしても、こいつ人気だな」
レイラはそれはもう大事に扱われているようであった。確かに見眼麗しい少女だからというのもあるだろうが、貴族だからというのが一番か。
さらには、凄まじいまでの魔力量。子供とは思えないほどの聡明さなどなど。まるで転生主人公のような扱いである。
「いや、ある意味転生主人公、なのか?」
ふむ、そこは考え物である。転生したのは駿河であるし、彼女は元人格のレイラだ。そのままでは転生主人公と言えないと考えられるが、転生した駿河による恩恵によってと考えると転生主人公といえなくもない。
ただ、ただその恩恵だけによるものでは断じてなかった。レイラは努力家だった。常に、努力している努力マシーンかと思えるほどの努力家だった。
勉学に魔法、礼儀作法。本来ならば剣術も習うらしいのだが、病み上がりだということもあって少し遅らせている。
それでも、本当に子供かよと思えるほどに彼女の毎日は忙しさに満ち溢れていた。
「……すげぇな」
自分には到底無理だ。サボれるならサボるだろうし、やらなくていいのならやらないだろう。それは転生して一からのスタートでも変わらない。
人間、性根なんて早々変わらないのだ。人が見ている前ではそれなりにはやるだろう。天才だ、神童だなんて言われたらいい気になってやるかもしれないが。
それでもレイラのように自分から、不屈の意思でここまでやるというのは到底真似できそうになかった。
きっとちょっとすごい人くらいで終わるのに対して、彼女ならば歴史に名を遺す大偉業を成してしまうのかもしれない。
ただただ、羨望だった。自分には出来ないことが出来る。それはとても凄いことだと思った。そして、そんな相手に寄生している自分が惨めでしかたなかった。
「……頑張ろう」
それでも、少しでも頑張ってみるかなどと思ってみて、本を読んだ。毎夜教えに来てくれるレイラには悪いが、出来のいい生徒ではなかっただろう。
レイラには数日で出来ることが駿河には数週間かかった。それでも、根気よく教えてくれたのは、少しでもやる気を見せたのとレイラが優しいからだろう。
気がつけば、数か月の時が過ぎていた。
「――まあ、及第点ね。まだまだですけど」
「これで及第点か……」
「そうよ、精進なさい」
ようやく駿河は異世界の言語であるところの、通商統一言語で日常会話がなんとかできるようになっていた。ゆっくりであれば聞き取りに間違いはない。読み書きならば問題なく出来るほどになっていた。
ここまで来ればあとは、練習していけばちゃんと話せるようになるだろう。ここからさらにレイラのような宮廷言語を覚える必要があるのだが、それは応用に近いし言いまわしの変化だけなのでそれほど苦労はない。
「しかし、本当だなぁ。言語を覚えるなら現地に行けは……」
日本語で話す相手がいないから、自然と異世界の言語を覚えるしかなかったというのもあるし、レイラの教え方も良かった。
というのも覚えられなければ消すという戦法を取り出してからが早かった。死にたくなければそりゃ必死になって覚える。猿だって覚える。
「もっと最初からそうしておけばよかったわ」
「やめてくださいお願いします。なんでもしますから」
「はいはい。アンタのなんでもしますは聞き飽きたわ。少しは誇りと矜持を持ちなさい」
「はい、善処します」
無理である。どうやったって来栖駿河は庶民の一般人だ。レイラのような、貴族的な誇りも矜持も持てるはずもない。自分には出来ないことは一番良く分かっている。
「まあいいですわ。アンタはそうだってわかってるし。じゃあ、次よ。基礎的な歴史と風習、特に宗教儀礼や作法関連を覚えてもらうわ。それが覚えられたら、私と代われるようにはなるわね。覚えたら、アンタに初仕事をあげる」
初仕事ときいて、うへぇとなったがニコリと笑う彼女の顔を見ては、やらないわけにはいかない。
これでも歴史は得意な方だったので覚えられるだろう。そう思いながら彼女の授業を受けてさらに数か月。
ここに来てから駿河の感覚で約半年後、父親の親ばかは外れ、半年遅れで剣術の授業が開始となったのである。
そして、それが、駿河の初仕事であり、出来ることになる――。
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