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第2話 立場

「こ、心の中、元の、人格?」


 レイラ・ディ・ガストヴィルティンが告げた事実に、来栖駿河(きせいするが)の理解がまったくと言っていいほど追いつかない。

 だってそうだろう? どんな小説であっても、転生したら元の人格など出てこないのだから。それは、お話の都合だという理由があるが、こんな実際の経験をしたこともないのだから仕方ない。

 普通ならば統合されたり、30年近い経験の差によってこちらが押しつぶしてしまうなどあるだろう。このように完全な形で残り、さらには転生してきた側の人格を捉えるなど想像の範疇を超えている。


「マヌケもいいところですわね。この私が、レイラ・ディ・ガストヴィルティンがアンタ如きに押しつぶされるとでも思ったのかしら。

 ガストヴィルティン家を継ぐが、アンタ如き庶民に後れを取るなどあってはならないもの。それに、こうなったのはアンタが原因でもあるのよ」


 そう、レイラは確かに意志が強かった。自我が強かった。大貴族の子女として子供の頃よりそうあれかしと育てられてきた。

 ゆえに、普通の子供よりも発達が早かったのだ。幼少期からの英才教育の途上であったこと、貴族として強い魂を持っていたこと。

 それに加えて、そんな少女に押し込まれた30年にも及ぶ他人の記憶。莫大な圧力によって押しつぶされそうだった人格は、されど下地があったゆえに耐えてしまったのだ。

 むしろ、耐えたことによってより強大になった。数十年分の記憶と知識を受け止める為に精神が急成長した。


「おかげさまで、随分と成長したようだし強くなれましたわ。色々と興味深い知識も得られた」


 レイラは駿河と知識を共有している。あちら側がホストであるため、駿河には一切、彼女は知識を流していなかった。

 彼はどうあれ侵略者である。レイラという牙城に入り込んだ不敬者、カンバスの紙魚だ。

 だが、その知識というものは、有用なものも存在しているのは確かであった。魂に刻み込まれた記録、つまるところ生涯の記憶は、一切欠けない。彼が忘れていると思っていることも全てここには存在している。

 その中にあった、農耕技術や冶金技術、その他多くの技術について。

 それは、この国よりもはるかに発達した時代の知識だ。全てを見てはいないが、有効に活用すれば、ガストヴィルティン領はさらに発展するだろう。

 すっかりと駿河の侵入による過負荷によって成熟しきったレイラの精神は、この状況を受け入れて、有効活用しようとしていた。


 一方で、その侵入した側の駿河と言えば、いまだに混乱の最中にあった。

 状況は呑み込めていない。わかったことは、レイラが元人格であるということ、自分は捕まってしまっているということ。

 とてもマズイ状況であることはわかっていたがそれだけだ。今の状態でも死ぬのかはまったくもってわからないが、このままではマズイということは本能的にわかる。

 だが、対策は何一つ思いつかない。


「そ、それは良かった、な」

「ええ、さて、それじゃあどうしましょうか」

「どう、とは……?」


 嫌な予感がした。彼女の笑みが怖くて仕方がない。生殺与奪を握られるということがこれほどまでに恐怖を感じるのかと思い知った。

 動けない。声を出すのもやっとのことだ。怖い。怖くて怖くて仕方ない。嫌だ、助けてと叫びだしたいし、下手をすれば失禁すらしてしまいそうだった。

 レイラの手前、男の沽券に関わるゆえに、それだけはなんとか我慢しているが、いつまでそのプライドが持つかもわからない。


 ただ願うことは生存だった。一度死んで、転生したのだ。であれば、死にたくなかった。死ぬことがどういうことかは少しだが体感している。

 ただ、消えるのだ。何の感慨も、思う事すらなく消滅していく。あの一端を感じてしまえば、もう死にたくないと思うのは当然だった。


「アンタの処遇よ。知識はもらったし、別にアンタいりませんわよね」

「ま、待ってくれ!! あ、いや、ま、待ってください」


 堪らず声を荒げたが、すぐに状況を理解して言葉を正す。


「嫌ですわ。アンタは必要ない、邪魔なだけ。頭の中で騒がれても迷惑ですもの」

「だ、だからって、俺は、何もしてない、俺は、俺は悪くない――」


 頼む頼む頼む。

 願うは生存。


「だからって、そのままにしろと? 嫌ですわ。アンタのおかげで、私は一週間も寝込む羽目になった。苦しかったんだから」

「それは、俺のせい、じゃ」

「アンタの意思じゃなくても、アンタのせいだもの。ほら、アンタを消す以外の選択肢なんてないのではなくて?」


 何を言っても無駄だった。

 来栖駿河に価値はない。異世界の知識も彼女に共有されてしまっている。彼女の頭脳ならば、時間をかければすべて理解して、こちら風にアレンジして使うだろう。 

 駿河を残すメリットは一切存在しない。


「ひ、ぃぁぁぁああ、い、いやだ――」


 彼女が手を振れば、指先から、足先から消えていく。


「ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい――」


 見っとも無く床に頭を押し付けて、鎖を精一杯伸ばして、手首が痛くなっても構わずに、平伏してただただ懇願する。


「お願いしますお願いしますお願いします、消さないで、消えるのは、嫌だ――」


 ただただ願うのは、生存。


「なんでもします、どんなことでも、なんでもしますから――!」


 だから、お願いします、消さないでください。

 奴隷のようにただただ濃い願う。


「呆れました。アンタには矜持も誇りもないの」


 心底呆れて、さげすんだような目を向けられる。頭に足を乗せられて踏みつけられている。

 屈辱だった。ここまでされて、屈辱を感じないはずがない。だが、生殺与奪は完全に相手に握られているのだ。

 ここでは己が弱者であり、強者は相手。いじめを受けていたこともある駿河は、その時は殺してやると恨みをぶつけたが、今回は無理だ。

 なぜならば、苛めた相手は対等の存在であったから。いじめを受ける側といじめをする側という立場の違いはあっても、人間というくくりの中で対等の存在だった。


 だが、彼女は違う。ここは彼女の世界。彼女が自由にできる世界。駿河を消す事など造作もないのだ。そんな存在に向っていく勇気など駿河にはありはしない。

 ただこびへつらって、頭下げて、頭下げて、頭下げて、屈服して、生存を希うしかできない。言われれば足すらも舐める勢いで、額を床にたたきつける。


 血が出るがお構いなしに、ただただ生存を願った。

 それ以外に出来ることなどありはしなかった。来栖駿河に、この状況を打破する策など思いつかない。不屈の闘志で、彼女に打ち勝つなどというヒーローじみたことは出来そうにない。

 既に、意志力で敗北した。大人の経験であっても、敗北は必然だった。それでは勝てない。レイラに対する優位性は、そこにはない。


 だから、今は、ただ血が出るほどに頭を打ち付けて土下座をする以外にない。ただ、生きたい、死にたくない。

 その一心で。もう二度は死にたくない。あのような意識の断裂をもう味わいたくなどないのだ。だから、無様に生きぎたなく、哀れに滑稽に、されど躊躇いなく、哭いて吠えるように生存を乞う。


 その無様な有り様を哀れに思ったのか、心底呆れたのか。それとも興味をなくしたのか、価値がないと断じたのか。

 レイラの内心を駿河は知る由すらなかったが。


「――いいわ、なんでもするというのなら、生かしておいてあげましょう」


 駿河は、生存の許可を得た。


「あ、ありがとうございます!!」


 歓喜。高揚。まさしくその言葉が天啓であるかの如く聞こえた。神の言葉とはこういうものを言うのだろうと悟ったほど。

 生き残ったのだという安堵は一瞬にして、駿河の内心を満たし駆け巡っていく。状況など変わっていないが、生存が少しでも約束されたという事実は、これほどまでに安堵をもたらすのか。

 古今東西の物語において、悪役が更なる絶望に突き落とす前振りをするのがよくわかった。これは確かに、効果的に過ぎる。


「ルールを決めましょう。

 一つ、アンタは、私に絶対服従。私がやれと言ったのならやりなさい。身体を貸してあげる。

 二つ、余計なことをしない。余計なことをしたら殺すわ。お節介であろうとも、私の意に沿わないのなら消す。覚えておきなさい。

 三つ、隠し事も嘘もなしよ。といっても、これはほとんど意味のない約束なのだけれど、アンタの知識は全部こっちに共有で来てる。

 でも、こっちから見ようと思わないとわからない。そもそも私の知識じゃないですからね、間違っている可能性もあるわ。いい、それがアンタの価値よ」


 檻が解除され、自由になる。いつしかそこは温かな部屋に変わっていた。絨毯がひかれ、暖炉に火がともった暖かな部屋だった。


「こっちに来なさい」


 逆らうことは出来ない。ここでの力関係は完全に相手が上なのだ。駿河はおとなしくついて行く。案内されたのは書庫だった。


「これはアンタの知識。アンタはこれの管理をしなさい。私が必要と思う知識があったら探してくるの」

「わかりました……」

「いいわ。ルールさえ守れば、好きにしていいわ。せいぜい、私の機嫌を損ねない程度にね。それじゃあ――ああ、そうだった。アンタ、名前は?」

「知ってるんじゃないのか」

「ええ、知っているわ。でも、アンタの言葉にしなさい。私だって名乗ったのですから」

「駿河……来栖駿河だ」

「……家名が先で、名前が後に来るのね。いいわ。これからよろしく」


 こうして彼女の人格は表に出る。表に出ている間、この心の部屋ともいうべき場所に彼女はいない。彼女がやって来るのは、彼女が意識をした時か、意識が失われた時だけだ。

 だから、彼女が去ったあと。


「くそがああああああ!!」


 滅多に怒らない菩薩の駿河ともよばれていた彼にしては珍しく、地団太を踏んで壁を蹴りつける。何度も、何度も。


「……くそ……なんで、こんなことに……」


 本当ならば今頃、楽しくはないが、それなりな日々を送っていたはずなのに。転生したのなら、前世の知識で無双とかしていたかもしれないというのに。

 それが、現実はどうだ。来栖駿河は完全に寄生虫であり、宿主の意向一つで消し飛ぶ哀れな存在でしかない。ここからの挽回など不可能だろう。

 しかして、逆に考えるとこの状況はある意味楽なのではないかと思った。確かにいつ消されるかなどという恐怖はある。


「けど、俺が有用性を発揮し続ければ、あいつなら俺を無下にしないんじゃないか?」


 ほとんど意味のない価値でここにとどめてくれているのだ。余計ないことは考えないにして、もしかしたら、それなりに優しい奴な可能性はある。

 かなり希望的観測であるが、そう楽観でもしなければこんな場所でまで生きようとは出来ない。


「それに、逆に考えれば異世界の面倒なことを全てあいつが引き受けてくれて、俺はそれを眺めることが出来るんだよな……」


 怠惰な気、面倒くさがりの気がある駿河は、人がいるところでは真面目であるが、楽ができるとなればとことん楽をするエセ真面目人間である。

 つまるところ、消されなければ毎日、朝から晩まで仕事をしろということもない。その時々でレイラに対して自分がいることが有用であるという価値を示せばいい。

 あとは自由。それではまるで。


「なんというヒモ!」


 いや、厳密に言えば違うのかもしれないが。それでも、楽なことに代わりはない。

 楽観的に楽観的に楽観的に。

 それは駿河の一種の逃避でもあったのだろう。人間誰もしも、自分の死についてなど考えたくもない。だからこそ、楽観的に考え、楽な方に考える。

 日がな何もせずゴロゴロと出来るならば誰もがそれを選ぶだろう。だから駿河も選んだ。それだけのことである。


 なにより異世界である。それをほとんど危険ゼロ――極大の危険を除いて――で見て回ることが出来るし、何より将来美人になるであろう女の子の中だ。

 それなりに役得もある。例えば風呂とか風呂とか、風呂とか。未だ貧相な体つきであるが、いつかはあの母親らしき人物と同じように豊満に成長するであろう。

 そうなれば、鑑賞のし甲斐はあるというもの。


 楽観的に楽観的に。

 今まで積み重ねて来たなんとかなるという自信で、この難局を駿河は消化しようとする。


「なんとかなる、ああ、きっと――いつか目にモノ見せてやるからな」


 こうして駿河とレイラの奇妙な関係は幕をあけた。

 状況は、完全にレイラを喰おうとしていた駿河が、逆に喰われて呑み込まれ、その腹の中で生きているような状況であったが、それでも生きている。

 ならば、いつか必ずやこの関係をどうにかすることが出来るだろう。そんなわずかな希望を胸に、来栖駿河の第二の人生は幕をあけたのだ。


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