九話:犠牲の天秤
リリィは避難してきた冒険者達を手伝い山小屋を一通り片付け、重傷者の容態も診て落ち着くと、彼らから感謝をされた。
リリィは曖昧な笑みでそれに応えたが、心の中は晴れなかった。
「自分を責めてるのか、君は。『あれ』を止めなかったことを」
世界全てが終わる可能性と、一部の犠牲が出ることを天秤にかけた。
それをネモは彼女にそっと問う。
わからない。と彼女は答えた。
結局、冒険者達の残りの仲間はここへはたどり着かなかった。
冒険者達のリーダーの老人は、ダグラスと名乗った。
彼は、とりあえずなにか食べよう。と言って山小屋の備蓄を持ち出し、みんなに振る舞った。
食事しながら、リリィは彼らの話を聞いていた。
この辺りは元々、ユニコーンが縄張りとする泉を中心とした精霊の森と呼ばれていたこと。
精霊の泉から流れる川を少し下ったところに小さな農村があり、そこの風習として、周期的にユニコーンへ生け贄の巫女を捧げていたこと。
その代わりその村は他の悪魔に襲われた際はユニコーンが守護する契約になっていたこと。
そしてある日、実際に悪魔が村を襲った時、ユニコーン達は村を守らず自分達の森にこもり結界を張って見殺しにして、村は滅びたこと。
それはリリィの過去と密接に繋がっている。
生け贄として最後に捧げられたのが彼女だった。
そして話はこう続く。
しかしそれから数年後、ユタという青年がこの近くを通ったとき、その話を聞いて精霊の森に入った。
森にはまだユニコーン達に捉えられ、奴隷となっていた少女がいた。
ユタは激怒し、ユニコーン達を皆殺しにして少女を救った。
その後、森は悪魔の少ない、平和な姿へと変わった。
狩猟場として冒険者達に密かに伝わる穴場になったのだ。
今日も彼らは大人数でパーティを組み、狩りに励んでいたらしい。
そこで、『あれ』が起きたということだった。
食事をだいたい終えた頃、外から複数の人の声が聞こえてきた。
ダグラスと一緒に外に出ると、丘の下から数人の兵士がやってくるのが見えた。
「おやまぁ、あれは聖都軍の兵隊さんでねぇか。おーい、こっちだぁ」
ダグラスの言う通り、兵士の中にはリリィが見知った顔があった。
「アシグネ! 」
リリィに気付いたアシグネは、すぐに丘を駆け上がって、彼女を抱きしめた。
「聖女様っ。ご無事でなによりです! 」
「ちょ、アシグネっ。鎧、鎧が痛い」
失礼。といって彼女は離れた。長身に切れ長の目、紫掛かる腰まで伸びた長髪を、ポニーテイルに纏めた姿は、多少汚れや擦り傷などは見えても、気丈な美しさを損ねていなかった。
リリィはほっと胸をなでおろすと、あらためてアシグネに尋ねる。
「どうしてここに? 今、どういう状況かどこまでわかってる? 」
「はい。我々は精霊の泉から少し下ったところにキャンプを張っていたのですが、大きな揺れのあと、太陽からあの黒い塊が近くに落ちるのが見えましたので、すぐに部隊を周辺の村へ送り、避難誘導をしました。現在、この丘の西となりにある高台に、キャンプを移動させ、簡易的な避難所として設置しました。避難した村人達はそこに集まるよう周知しています」
「よかったっ、避難できた人がいたんだ! 避難できたのは、何人くらい? 」
リリィの問いに、アシグネは少し困った表情で答える。
「現在も生存者捜索を続けていますので、正確には……。ただ、今は百人前後かと」
そっか。と思案するリリィ。彼女にはその数が多いのか少ないのか判断できなかった。
「ただキャンプにそれほどの収容数はありませんし、物資も人手も、なかなか足りない状況です。ここの様子はどうですか? 避難民の受け入れはできそうですか」
アシグネの問いに、横で他の兵士と話していたダグラスが応えた。
「寝るだけの場所的にはあと十人くらいなら入るが、人数が増えるなら食料が持たない。特に飲料水はすぐに底をつくぞ。なんとかせにゃ」
彼の応えににアシグネは頷く。その眉間には深い皺が寄っている。
「わかりました。水は確かに最優先ですね。こちらでもすでに確保に手を尽くしています。とりあえず、避難民はできるだけこちらで引き受けます。ただ、今はお互い密に協力していかなければなりません。もしものときは、力を貸していただけますか? 」
ダグラスは頷く。
「わかっとるよ。そちらも、水とか他にもいろいろ、確保できればこちらにも伝えてほしい」
了解しました。とアシグネは胸の前で剣を構えるように両拳を合わせる騎士流の一礼を返した。
そして、彼女はリリィに向きなおった。
「聖女様には、我々のキャンプに来ていただきます。よろしいですね」
有無を言わさぬ言葉に、リリィは怯みかけるが、しかしその前に聞かなければならないことがある。
「アシグネ。フィズは、どうなったの? 」
その問いに、アシグネは困惑の表情を浮かべて言った。
「フィデシア、ですか? 見ていませんが」
一緒だったのですか。と言うアシグネの言葉に、リリィは嫌な想像を消せなかった。
「昨日会ったフィズは、アシグネと一緒に、私を探しに来ていたと、そう言ってたの」
アシグネの表情は困惑の色をさらに深めた。
「いえ、聖女様を探していたのはその通りですが、フィデシアは我々と同行していませんでした」
彼女は聖都騎士団ではありませんから。とアシグネは加えた。
リリィはスマホを取り出し、何度も彼女をコールするが、フィズが通話に出ることはなかった。
「さて、あの女。なにを考えていたのやら」
ネモがせせら嗤う。
アシグネは、リリィの手を握り、
「とにかく、私と一緒に来てください。詳しい話はそこで」
と彼女を引っ張ったが、リリィは、待って。と振りほどき、ダグラスに向かって叫んだ。
「ダグラスさんっ、食事、ありがとうございました! きっと、一生忘れない食事会でした! 」
ダグラスは、微笑んで、頑張りなさい。と返した。
振り返ったリリィはアシグネのあとに続く。
太陽は何事も無かったかのようにいつも通りに高くから地上を見下ろしていた。
彼女はそれを睨みつける。
ここで止まるわけには行かない理由がたくさんある。
でも、ここで彼らと出会ったことは、無意味なんてことは全くない、と彼女は断言するだろう。
人は常に最善の行動を取れなくても、それでも前に進まなくてはならない。
この先、さらなる困難が待ち受けていると知っていても。