八話:悲劇
走る彼女達の背後から、町一つ飲み込めるくらい巨大なクジラいっぱいに空気を詰めて破裂させたような爆音が聞こえた。
ネモは更に速度を上げる。
リリィは背後を振り返ったとき、壊滅した森の地平の先に、天まで届かんばかりの大きな水柱を見た。
その後、彼女達はなんとか丘の上まで、辿り着くと、そこには小さな家屋が建っていた。
小屋は外観はボロボロだったが、今すぐ倒壊しそうなほどのダメージは見受けられなかった。
意外にもしっかりした造りだったようだが、さすがに中は棚や机が倒れ物が散乱していた。
一息つくと、彼女達は丘の上から、海岸方面を見下ろした。
そこから見た光景を、リリィは生涯忘れてはいけないと思った。
太陽から近海へ落ちた黒い泥は、巨大な波を引き起こし、まず近くにあった漁村を襲った。
海水と泥が混ざった高波は、小さな船橋にある漁船も建物も、全てを飲み込んだ。
船はいくつか押し流されながらも原型を留めるものがあったが住居は木っ端微塵に砕け散った。おそらく朝食を作るために火をおこしていたのだろう、住居の破片は煙を上げ燃えながら真っ黒な泥の一部となって突き進んでいく。
この辺りの地形は海抜からさほど高さは無く平らな場所が多く、精霊の泉から流れる川を利用した稲作がさかんだった。
黒い泥の波は川を上り、橋を破壊しながら田畑を流れ、上流の農村すら飲み込んで行く。
リリィの故郷は精霊の泉に近い場所にあったがすでに廃墟となっている。
しかし、農村は川沿いにいくつも存在しているのだ。
小さい頃リリィは他の村の子供たちと一緒によく遊んでいたことを覚えている。
すべてが、ゆっくりと瓦礫まじりに燃え上がる黒い泥に押し流されていく。
そう、流れの進行自体は見下ろす分には非常に遅く感じるのだ。
だがいつも通りの日常を送っていた人にとってそれは致命的な速度であった。
いち早く異変に気付いた農村の人達が、避難を始めている様子をリリィは『視えて』しまっていた。
発狂しそうなほどの、感情の濁流に、リリィは目を背けようとしたが、左眼は、容赦なく飲み込まれる人々の姿を映し出した。
ネモは彼女が人が飲み込まれるのを視るたびに助けようとするので、リリィを押さえつけていると、この丘に登ってくる人影があった。
「おーい! 無事かぁ! 」
頭を抱えていたリリィはその声に振り向く。
それは七人の冒険者で、皆それぞれどこか怪我をしていたが、一人は重症のようで、支え技で全身固められながら三人ががりで運ばれていた。
「女の子一人で、ようあの揺れで無事だったなぁ。ここはわしら冒険者が作った休憩所じゃ。安心せい。頑丈にできとるし、食料も救急箱も毛布も予備がある」
リーダーであろう最年長の老人が、震えるリリィの肩を叩いきながら言った。
「テリーっ! ロバート! いないの! 」
冒険者のなか、気の強そうな女性が叫ぶ。
その後、彼女はリリィに尋ねた。
「仲間とはぐれちゃったのよ。もしものときの避難場所にここを伝えておいたんだけど、見てない? 」
首を横に振るリリィに彼女は落胆し、しゃがみこんでしまった。
「おおい、こっちも手伝え! 傷がまた開いて出血が止まらない! 」
重傷者の男を診ていた三人が叫ぶが、リーダーと残りの一人の若者は丘の下に広がる光景を見て唖然としていた。
「やばい、嘘だろ……これ。どうすんの……」
「ありゃー……。……こりゃもう家はだめだ。大変だぞ……これから」
若者は治療班に呼ばれ小屋に救急箱を探しに入っていった。
しゃがんでいた女性も眼下の光景を見ると驚愕し、立ち上がって必死に、逃げて、と繰り返し叫んでいたが、やがて黒い泥波が精霊の泉あたりまで飲み込むと、目を背け再びうずくまってしまった。
あたり一面全てが黒い泥に覆われた大地は、瓦礫まみれで、ところどころから火の手が上がり、煙が空へといくつも昇っていた。
空の太陽は元の姿に戻り、立ち昇る煙の間から、まるで見せつけるように破滅した地上を照らしていた。
この世の終わりがあるなら、これ以上の光景なんてないと、そう願いたかった。
けれども、リリィにはこれがただの始まりに過ぎないという予感があった。
彼女の予感ということは、それはもはや未来予知に等しい。
少女は完全に放心状態で、手近な石に腰掛けた。
そして、いつの間にか何かを手に握りしめていることに気付いた。
フィズから受け取ったスマホだった。
彼女は即座に、フィズへ通話をかけた。
通話口からはすぐにフィズの声が聞こえてきた。
『お掛けになった番号は、現在魔力切れか、魔法の届かない――』
リリィはスマホを落とし、泣き崩れた。
ネモはずっと、そんな彼女に寄り添っていた。