五十四話:実らなかった木と、酸っぱい果実
白い巨人の正体は、英雄ユタの体から中身が抜けた結果、『外の世界』の怨念を集める器になってしまった姿なのだろう。
そこには意思などなく、ただ呪いを吐き出す装置に成り果てた、かつて私の好きだった人がいた。
負の感情によって膨れ上がった巨体は、もしかしたら私もそうなるかもしれないひとつの結末を示している。
私は赤い尖塔から跳びこみ首元を大鎌で狙った。
巨人は左腕でそれを防ぐ。
大鎌の刃は全く突き刺さらない。
白い石膏のような表皮には傷一つなかった。
私は舌打ちした。
やっぱり『外の世界』には、私の『神の力』は通用しないのか。
白い巨人が腕を払う。
それだけで私の体はオモチャのように吹き飛び、ビルの壁面を突き破ってオフィスの机にめり込んだ。
ここの職員と思わしき周囲の人影は雑音のような悲鳴と歓声を同時にあげて、私を囃し立てる。
私は大鎌を支えに立ち直ると、空いた穴の先、巨人が眼孔からまた放射するのが視えた。
「やばい」
黒い破壊の閃光は、巨人と並ぶほどの高層ビルであろうと容易く貫き、建物を飴細工にバーナーを当てたように焼き溶かしていく。
間一髪、私はオフィスの壁を外まで全部ぶち抜いて横に避けたが、ビルはその後ろの建物と一緒に崩れ消えていく。
困った。
ここまで圧倒的だと、活路が全く視えない。
私はスーパーの屋上に着地して考える。
高いビルに挟まれた二階建てのその場所は、自転車やバイクが置かれた駐輪場だった。
あれさえなんとかすれば、黒涙は防げるというのに、文字通り刃が立たない。
こちらの動きも全て先読みされている感じがする。
待て、私はなにかを視落としている。
私の眼はもともと彼のものだった。
そして、今は彼の体は『外の世界』と繋がっている。
そうだ。すでにやり方はわかっているんだ。
『神の力』が、ただの虚仮威しだと、私は嫌というほど知っているじゃないか。
それでもここまで歩めた理由は、別にある。
私は、着ていた純白のドレスを破いた。
白い巨人は、遠く二階建ての屋上に立つリリィに向かって歩く。
その一歩一歩に人々は狂喜乱舞して、踏み潰されていく。
再び巨人の眼孔から涙が放射される。
黒い閃光は今度こそリリィを消し飛ばしたかに見えたが、しかし彼女はすでに屋上から離脱していた。
リリィはバイクに乗って、大鎌を肩に担いで白い巨人の足元へ全速力で走行していた。
巨人は両手で周囲の建物や車両を掴み投げつける。
それをリリィは蛇行しながら間一髪で避けた。
彼女が車線を無視して車を追い越す度に、中の人影から嗤い声と罵声が飛び交い、車道に次々飛んできた飛来物に潰れたり避けようとして別の建物や車両にぶつかったりする。
そうしてまたその光景を歩道の人影は嬉しそうに写真を撮るのだった。
再度巨人が涙を放とうとしていることに気付いたリリィは、バイクにマナを注いで一気に加速した。
大鎌を構えたリリィは、ギリギリで黒涙放射前に巨人の股の間を潜り、すれ違い様にその足の腱を切り裂いた。
口の無い巨人は傷口から真っ黒い泥を吹き出し苦しげに膝を付くと、リリィは大鎌を地面に突き立て火花を散らしながらバイクを急ターンさせて、再度走り寄りもう一方の足を断ち切った。
白い巨人は建物を数棟潰しながらついに倒れた。
リリィはバイクを走らせ巨人の頭部付近まで来ると、バイクから飛び降りた。
「無敵の英雄も、いえ、英雄だからこそ、私の脚刈りは防げない。
あなたにとって弱点は『神の力』じゃなくて、なにより私自身だもの」
リリィの両眼はドレスの切れ端を巻いて塞がれている。
それは『神の眼』が、同時に白い巨人の眼でもあったからだ。
『外の世界』からの呪いを防ぐ方法は、一つしかない。
リリィは白いドレスの眼帯を外して、英雄を視つめた。
英雄の眼孔とリリィの両眼の視線が絡み合う。
そこにどんな思いが込められているのか、表現するのは難しい。
それでも語ることを諦めないで、リリィは口を開く。
「あなたの眼、返すね。
もう私達には、必要ないから。
今までお疲れ様。
——ゆっくり休んで」
リリィ両眼は、元の彼女自身の、人の目に戻っていた。
巨人の眼孔は窪んだ黒い穴から、焦げ茶色の瞳を持つ眼に変わり、ゆっくりとその眼を閉じていった。
これで、『太陽の黒涙』は封印された。
リリィは大鎌を振り上げると、巨人の首に刃を下ろした。
ザックリと切断された首から、大量の真っ赤な血が吹き出し、リリィはその血をもろに浴びて視界を遮られてしまった。
最後に、その夢を視た。
私は大通りの交差点で、信号を待っていた。
周囲の人混みはガヤガヤと、なんでもない日常の会話をしている。
私は隣のおじさんに、今日は何日ですか? と聞くと、おじさんはちょっと嬉しそうに、十二月十日だよ。と答えた。
私はおじさんにお礼を言うと、信号が青に変わり、みんな一斉に交差点を渡り始める。
私もそれに続いて歩き、道路の真ん中まで進んだとき、すれ違う人の中にユタを見たような気がした。
私は人混みをかき分けてその人を探したが、結局見つけることはできなかった。
諦めて私はせっかくだからと、映画を観に劇場へと向かった。
映画館の前では私と同い年くらいの男達が四人で、紐の色がどうのと話していたが、そのうちの一人が私とぶつかった。
「あ、と。すいません。大丈夫ですか? 」
私はその青年に平気だと伝えて、その場を離れようとすると、青年は私を呼び止めた。
「あの、これ。落としましたよ」
そう言って渡されたのは、フィズが持っていて消失したはずのスマホのオリジナルだった。
私はそれを受け取ったが、頭には疑問符が浮かんでいた。
劇場に、次の上映が始まるアナウンスが響く。
スクリーンに向かう人達の中に、私はかつての婚約者の後ろ姿と、隣に背の低い濃い茶色のボブカットの女の子が混ざっていたような気がした。
青年達は映画館を出て行く。
そう言えば私は入場料を払えないことに気付き、仕方なく外の光に向かって歩いて行った。