四十話:追憶(悲劇Ⅱ)
下から振り上げるようなドラゴンの尻尾を受けて、リリィはソルコンシドの遥か上空へ吹き飛ぶ。
翼をはためかせた先代魔王は、そのまま彼女へ追撃せんと空へ飛び上がった。
リリィは空中で翻り大鎌を構え迎え討ち、飛翔する魔王と戦いながら、頭には疑問が浮かんでいた。
この赤いドラゴンは、明らかに現魔王サニーの力を上回っている。
だというのに、その爪も、牙も、尻尾の一撃も、リリィはなんなく受け流すことができたのだ。
リリィは左眼の眼帯がちゃんとされていることを確認する。
『神の力』は完全開放されてはいない。
ということは、純粋にリリィの力が上がり先代魔王と力が拮抗したことを意味する。
しかしなぜそんなことが起こったのか、それがわからないのだ。
魔王は明らさまな焦りを見せて、その巨大な爪でリリィを振り払った。
リリィは大鎌でそれを受け止め、弾く、体勢を崩した魔王に、反動を利用して回し蹴りを横腹にめり込ませると、魔王は吹き飛び街に落ちて建物を数件潰しながら倒れた。
地面に降りて、トンッ、とリリィは軽く足を踏み込むと、一瞬消えたかのような速さで魔王の直上へ浮上し、落下しながら大鎌をその首に振り下ろした。
ザックリと大鎌は首を裂いたが、如何せん体格が違い過ぎるため、首を切り落とすまでは至らなかった。
首から血飛沫を上げて、魔王は咆哮する。
その衝撃によって、リリィは飛ばされ、数十メートル離れた場所に後退りながら着地した。
「だ、大丈夫か⁉︎
あんた一体なにもんだ?
あんな化物と戦えるなんて、とんでもないな! 」
手を地面につき傾いた状態で声をかけられ、リリィは立ち直りながらその声の方へ顔を向けると、通りの露店の棚の陰に隠れた帝国兵がリリィを見ていた。
リリィはさっきの戦いに巻き込まれなかった彼の悪運に呆れながらも、忠告した。
「さっさと逃げたほうがいいよ。
といっても、もう過去のことだし、意味ないのかな。
どちらにせよこの街は滅ぶ。
だから、好きにすれば」
帝国兵は興奮しながら喋る。
「やっぱもう駄目か。
くそぉ、国から出てきて、こっちで一旗上げようとしたのが間違いだったかぁ。
斜陽だとしてもおとなしくプロダリスで家を継いどきゃなぁ」
その帝国兵の話を聞きながら、リリィはその顔にどこか見覚えがあることに気付いた。
彼女が帝国兵の名前を聞こうとしたそのとき、彼のほうが先に魔王を指差し叫んだ。
「ありゃあ、なんだ! 」
赤いドラゴンは、立ち上がり、苦痛に呻きながらも俯き、口を開いた。
口は限界まで開かれ舌と下顎まで二つに裂け、緑色の光が漏れ始めている。
「なにをするつもりだぁ! 」
帝国兵が叫ぶ。
赤いドラゴンの体は急激な変異を起こし、徐々に翼が刺々しく先鋭化し、背中や脚が膨れ上がっていくのが見える。
リリィは眼帯越しに左眼で魔王の周囲のマナが一気に集まり始めているのを視た。
そのあまりの力の大きさに、魔王の巨軀全体が発光していく。
「ヤバイ。いくら私でもあれは死ねる」
焦るリリィも最早目に入らないのか、魔王は嗤いながら呟く。
「フハハ、力が高まる、溢れる」
帝国兵は棚の下から飛び出すと、リリィの手を掴んで、走りだした。
「ちょ、なに、どこ行くの⁉︎
正直あの規模じゃどこいっても無駄——」
「無駄じゃない。
どんなときだって希望はあるんだって。
母さんが言ってた」
二人は魔王から離れ、広場にたどり着く。
そこはいつかリリィがストレピトゥスと出会ったのと同じ広場だった。
広場の噴水は水が流れ、なにかの女神のような彫刻が彫られていた。
帝国兵はその辺に転がっていた樽の蓋を開けると、リリィを中に押し込んで蓋を閉じようとした。
「待って、待ってってば!
どうするのか説明して! 」
帝国兵は首に下げていた噴水の彫刻と同じデザインの首飾りをリリィに渡して言う。
「この噴水は地下を通って街の外の川まで繋がってる。
それは死んだ母さんがくれたお守りだ。
大丈夫、あんたは生きるよ」
グッドラック。と言って帝国兵は蓋を閉める。
リリィは彼の名前を叫びながらも、樽は噴水に投げ込まれたようで、叫び声は彼には届かなかっただろう。
樽の中で水流によって盛大にシェイクされながらも、はっきりとリリィはその音を聞いた。
それは帝国の終わりを告げる、一つの時代を破壊した爆発の音だった。
やがて樽はどこかで引っ掛かり止まった。
リリィは樽の蓋を蹴破って外に出ると、聖都から離れた川岸に着いていた。
聖都の方角を見ると、大きなキノコ状の雲が浮かび、街から火の手がいくつも上がり煙が夜空へと向かって登っている。
雲は街の火災に照らされ、赤く染まっていた。
神に挑んだ悪魔の限界、マナを取り込み過ぎれば、体が変異に耐え切れず自壊する。
その結果がこれか。とリリィは教皇とサニーの言葉を思い出した。
彼女はその光景をあの災害と重ねた。
それでも、人は生きている。
世界は終わっていない。
リリィはずっと握りしめていた首飾りを空に掲げた。
「——ほら、これが鍵でしょう? 満足した? 」
すると周囲の景色がぼやけていき、気付けばリリィは執務室へと戻っていた。
彼女は教皇へ首飾りを渡しながら話しかけた。
「あなたは、プロド公爵に助けられたのですね」
教皇は受け取った飾りを杖の先に付け直して頷いた。
「当時わたくしは、しがない露店商の売り子でした。
あの大戦を経験した後、戦災孤児として教会に身を置き今に至ります。
聖都が奪われたとき、そのまま人類が滅びてもおかしくなかった。
それを食い止めたのは、当時の人々の様々な思惑が重なった結果でした。
あなたは、あの光景を見ても、その決意に揺るぎはありませんか? 」
リリィは即答した。
「はい。
私は私の時代を生きています。
悲劇への恐怖が常に隣にあったとしても、世界を止めるわけにはいきません」
二人はしばらく見つめ合ったまま沈黙した。
その後、教皇のほうが先に口を開いた。
「——そうですか。わかりました。
あなたは、ユタとは違うのですね。
でも、それがいいのかもしれない。
正解なんて、わたくしにはわかりませんもの。
全ては神の御心のままに。
あなたを改めて聖女と認定いたしましょう」
そう言って彼女は少し、ただのドミナであったころを思わせる微笑みを見せた。
その後、教会は魔法と人と悪魔の関係を広く一般にも公開した。
発表された声明文は、教会がスマホモドキを公認したともとれる内容だった。
それによって世論はさらに混乱を極め、悪魔を排除すべきなのか、協調していくべきなのか議論が活発に行われた。
スマホモドキに関しては、購入者の間でも使用すれば悪魔になるという噂に機器を捨てるものも少なくなかったが、大抵はすでに生活の一部と馴染んでしまっていたため、大きく普及率が下がるようなことはなく、結局は人類の大半がスマホモドキを手にするのに、そう時間はかからなかった。
そうして、二度目の聖女認定を授けるという教皇の異例の対応に、民衆のリリィへの関心はさらに増大していくことになるのであった。
「——おい、つまりなんだ。
その教皇ってのは、百年前の大戦時には産まれてたわけだろ?
あんな二十代後半くらいの美人に見えて、プロド公爵と同じくらいの——」
リリィがDSSで仕事がてらネモに経緯を話していたとき、ネモがそれを話題にしようとしたので、リリィは、スッと羽ペンを喉に突き付けた。
「——はい」
ネモは返事して黙る。
リリィは唇に指を当てながら言った。
「女性は秘密が多い方が美しいって言うでしょう? 」
おっしゃるとおりで。とネモは応えた。




