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四話:星と太陽、人と英雄

 

 火を起こすのに存外てこずり、結局()き木が燃えたのは陽が完全に落ちて辺りが闇に包まれてからだった。


 リリィとネモは、あらかじめ持ってきていた荷物からパンやチーズ、雑穀と茶葉と調理器具を取り出すと、夕飯の仕度を手早く済ませた。

 パンは噛みちぎれないほど硬くなっていたが、茶に浸すことで少女はなんとか食べることができた。

 一角獣は雑穀を食べたが、湿気(しけ)っていたのか一口だけで、あとは(かゆ)にでもするといいと言ってリリィに勧めた。

 彼女は残りを小鍋に入れ、水と塩を加え火にかける。

 煮詰まるのを待つあいだ、ネモは果実酒を求めたが、リリィは渡すのを拒んだ。


 「なんでぇ、いいじゃんかよ。折角(せっかく)だしさ、景気良くいこうぜぇ?」


 最期かもしれないだろ、と言外に(ふく)んでいることはリリィにもわかっていた。

 だからと言って彼女は最期かもしれない夜を正気を失って過ごしたり、酔っ払いの相手をして終える気にはならなかったが。


 ぶつくさと文句を垂れる一角獣を(なだ)めて、リリィは弱火になるように小鍋の位置を調節し、粥にチーズを入れて焦がさないようにかき混ぜる。

 チーズがとろけたところで火から下ろすと、辺りにチーズの香りが(ただよ)った。

 できた少々味気ない雑穀のチーズリゾットを、彼女はふーふー冷ましながら食べていると、すぐ近くの森の茂みから、ぎゅう、という腹の音が聞こえた。


 ――誰?とリリィが森の暗闇に問うと、茂みから黒いローブを着た女の子が現れた。


 そしてそれと同時に、ネモは火から離れすうっと闇に(まぎ)れて姿を消す。

 ローブの女の子の髪色はダークブラウンで雑なボブカットというか、無造作おかっぱというか、ボサボサな髪型をしており、リリィと同じくらいの年齢のようだが、彼女より身長はいささか小さく、身の丈に合わない大きなとんがり帽子をかぶっていることも相まって傍目(はため)にはずいぶん幼く見えた。

 女の子は篝火(かがりび)近くのリリィを見留めると、安堵(あんど)した表情を浮かべ話しかけた。


 「……ああ、聖女、さま、でしたか。こんなところでなにをされているんですか?」


 女の子の名前はフィデシア・カエクス。かつてリリィとともに旅をした仲間であり魔法使いである。


 そして、英雄ユタのハーレムの一人だった。


 「なにって、フィズこそ、どうしてここにいるの?」


 フィズと呼ばれた女の子がなにか答えようとしたその時、

 暗闇を駆ける影が彼女に飛びかかった。


 それは狼に似た体躯で、牙が生えるくちばしがあり、ピンと立つ耳と禿げ混じりの獅子染みた真っ黒なたてがみに、それと同様の黒い毛並みが四肢(しし)にすすむにつれ金色の鱗状に変わり、その爪は一つ一つがひと掻きで人間の首をはねられるであろう大きさ鋭さを持つ悪魔であった。

 その牙が、爪が、フィズに届く直前に、銀色の閃光が悪魔の横腹に突き刺さり、そのまま悪魔を吹き飛ばし樹木の太い幹に叩きつけた。


 「――せい、やっ!」


 リリィの手には、いつのまにか大鎌が握られている。


 先ほどの一撃は彼女が大鎌を薙いだものだった。

 その勢いを殺さず、大鎌を回転させ立ち上がろうとする悪魔に投げつけ、その三日月を割ったような銀色の刃が悪魔を貫き、背後の木に(はりつけ)た。

 悪魔は真っ赤な血を吐き、息も絶え絶えに辛うじて言葉とわかる声で話した。


 「忌々(いまいま)しい人間どもめ。神の威光に(すが)り自ら()って立つこともできぬ出来損ないが、世界を握るなど、(はなは)だしい思い上がりと知れ……」


 リリィは悪魔に近づき、脇腹に突き刺さったままの血が(したた)る大鎌を握る。

 フィズからはその表情は見えない。しかし彼女がなにか思い詰めているような気配は感じていた。

 悪魔の息が浅くなっていく。

 リリィはよく見ると、その額と背中には無数の古い傷痕があることに気付いた。

 彼女はそっと悪魔に問いかける。


 「あなたはそれで満足なの?その生涯に、納得できるの……?」


 フィズにはその声が、泣いているようにも、怒っているようにも聞こえた。

 悪魔は目の光を失いながら、最期に呟く。


 ――ああ、思い残すことなどない。


 リリィが大鎌を引き抜くと、大量の血を流しながら悪魔は自らの血溜まりに転がった。

 ふっ、とリリィの持つ大鎌がかき消える。

 フィズは彼女に駆け寄って、


 「大丈夫ですか、聖女さま」


 と壊物(こわれもの)に触れるように話しかけた。

 リリィは足元の亡骸(なきがら)をしばし見つめたあと振り返って、大丈夫。と答えた。

 彼女がドレスの裾をはらうと、悪魔の返り血は綺麗になくなり、元の純白に戻った。


 そしてリリィはフィズに、聖女と呼ぶのはやめて、昔と同じように話して。と言った。


 旅をしていた頃、彼女たちはお互いをリリィ、フィズと呼び合い、とても仲が良かったが、聖都でリリィがユタと婚約をして以来、少しよそよそしくなり、リリィは気まずい思いをしていた。

 フィズはやや表情を硬くしてリリィに答える。


 「……いえ、わたしは、その。――そ、そうです。聖都騎士団が聖女さまを探しにこの近くまで来ていて、この源泉から流れる川を少し下ったところでキャンプを張っているんです。わたしはそれに同行して、寝る前に森を散歩していたらチーズのいい匂いがしたので、それで――」


 フィズの、なにか隠すような慌てようにリリィは訝しんだが、それより気になることがあった。


 「聖都騎士団?アシグネが、私を探しているの?」


 リリィはフィズを焚き火の近くに座らせながら、戸惑う様子を見せた。


 アシグネ――アシグネ・ミレス・グラジオラスも、ユタハーレムの一員にして聖都騎士団の一番隊を(まと)める女傑(じょけつ)であり、リリィがユタとともに聖都を奪還し、聖女となった後は彼女の近衛騎士を務めていた。


 以前のリリィは、アシグネがユタに対して懸想(けそう)していることを知らなかった。

 しかし、英雄の眼を継承したときの情報で、二人が逢引していたことは察せられた。


 ただ、昔ならともかく今さら彼女はそれについてとやかく言うつもりはなかった。

 フィズや他の数人の少女もユタへの好意を隠そうとはしていなかったし、それを容認した上でユタとの婚約をしたのだから。

 そしてユタに対して失望した今となっては、むしろ同情の気持ちのほうが勝っている。

 とはいえ、どう接すればいいか計り兼ねていることも事実だった。


 それはフィズに対しても同じだ。

 だから、リリィは聖都に帰らずこんな泉でぐだぐだしていたのだ。

 気持ちの整理がつかないまま、彼女はフィズの言葉を待った。


 「うん。――あ、いや、はい。そう、です。……聖女さまがいなくなって、聖都は大混乱のてんてこまい、です。だから、アシグネさんが探しに行こうって」


 ただでさえ、今はユタがいないのですから。とフィズは言う。

 その言葉を聞いて、リリィは喉が詰まるような息苦しさを感じた。


 フィズもアシグネもきっと、ユタがもう帰ってこないことを知らない。


 リリィは言うべきか迷った。

 ユタのこと、世界が終わること、果たして言ってしまっていいのか。

 どう足掻(あが)こうが世界の終末は防げないのだ。

 運命はすでに決まってしまった。

 ならば、何も知らず最後まで希望を信じたままのほうが幸せなのではないか、残酷な真実を知らせる必要はないのではないか。

 リリィは逡巡(しゅんじゅん)する思考を振り払うように目閉じ、深呼吸する。

 心の中はぐちゃぐちゃに掻き乱れている。


 なぜかはわからないが、それでも彼女は、全てを打ち明けようと思った。


 彼女が目を開ければ、世界の半分が視える。

 隠し事はしたくない。チート(ずる)なんてしたくない。誠実でありたい。

 そんなところだろうか。


 ――できることから逃げ出して、責任を負いたくない。楽になりたいだけだろう?


 左眼の眼帯に覆われた、世界のもう半分の暗闇がリリィに問いかける。

 結局、それはユタと同様の身勝手さなのかもしれない。


 ――同じなんかじゃない。今はわからなくても。それは、けっして――


 リリィは彼女自身のその右目で、様子を(うかが)うように揺れるフィズの瞳を見つめる。

 今や正常なのは片方だけだというのに、なんだか彼女と始めてしっかりと目を合わせた気がしていた。


 「フィズ。私、みんなに話さなきゃいけないことがあるの。でも、まずはフィズに聞いてほしい」


 空の雲は晴れ満天の星が輝き、星雲の中で最早あの一番星だったものがどこにあるのか見つけることはできない。

 地を照らす光量において太陽に勝てるはずがなくとも、夜を彩る星々は泉を碧く輝かせ、幻想的なもう一つの側面を浮かび上がらせる。

 それで、()の星は良しとするのだろうか。

 それとも大勢に埋もれ、太陽になれなかったことを悔やむのだろうか。

 いずれにせよ、太陽も星も、やがては消えゆく運命であることを知っていた。



 


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