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三十九話:喚起されるトラウマ






 ——でも。とリリィは反論する。


 「すでに魔法も奇跡も、人の生活に不可欠なほど根付いてしまっています。


 そこからまた、未来に悪い影響が出るかもしれないので禁止しましょう。と言っても皆納得しないのではないですか? 」


 教皇は杖の先についたなにか人型の装飾を撫でながら答える。


 「確かに。

 一度生活の基準が上がって仕舞えば、人はそれを落とすことは絶対に避けるでしょう。


 今回考えるべきことは、あなたが広めた通信魔法技術が、人にとってどのような変化をもたらすのか、未知数なまま広がってしまったことです。

 誤解して欲しくないのは、技術自体は素晴らしいものだと、わたくしも感じているということ。

 この技術はただの流行に終わらず、人類の生活に根付くでしょう。


 もともと、聖都を奪還し人々が再びこの都に住み始めたときにも、悪魔が占領していた時代の退廃的な文化の名残りが、悪魔風という言葉と共に流行った時期がありました。

 幸いそれは一時的な流行りですみましたが、しかし教会が憂慮(ゆうりょ)しているのは、こうした流行によって人々が魔法に傾倒(けいとう)し、人の形を捨てることに抵抗を感じなくなることなのです。


 そうなればやがて悪魔と人の境はなくなり、戦争などせずとも人類は悪魔に屈することになるでしょう」


 リリィは考える。

 すでに世界を存続させるための計画は、最終段階に移行している。

 そのためにスマホモドキの流布は不可欠な要素であり、今更止めることはできない。

 なにもお金儲けのためだけにリリィはスマホモドキを売り出したわけではないのだ。


 眉の間に皺を寄せ指を添えながら、彼女は熟考して口を開いた。


 「つまり、スマホモドキを長期使用して人々が悪魔に変異してしまうこと、ないし魔法への畏怖を失ってしまうことを懸念されているわけですね。


 私は、……私は結局、それは制御なんてできないと考えています。


 人々が悪魔になることを怖れないなら、もう人の形にこだわる必要もないですし、この世界が全員悪魔になれば、人類と悪魔の対立はなくなります。

 そして、例えそうなったとしても世界から戦争がなくなるわけでもない。


 それでも、人がこのままの形で残り続けて欲しいという願いは、理解できます。


 私は、信じてみようと思います。

 この時代の流れは、今大きく世界を変えようとしています。

 その方向性を、なんとか自分が理想とするものに向けたいという気持ちは、痛いほどわかります。


 けど、個人の想いが世界より重いわけがないんです。


 私達は流れに乗っているのか、溺れているのか、そんなことは自分からの視点だけではわかりようがない。

 だから、私は私ができることを一つずつやっていく、それだけです」


 リリィが語り終えると、教皇は寂しげに話しだした。


 「やはり、あなたはそう言うのですね。


 わかりました。

 それでは悪魔と魔法、教会と奇跡の関係を、スマホモドキを使って一般に広く知ってもらうことにしましょう。


 人類がどのような選択をするのか、あなたは見届ける。

 それで構わないのですね? 」


 リリィは、はっきりと頷いた。


 教皇はその答えを受け止め、目を閉じて深く息を吸った。

 そしてカッと目を見開いて言った。


 「それでは、もう一つあなたには知っていただきましょう。


 悪魔が創る世界とは、どういうものなのか、その身を持って体感してもらいます。


 それでも決意が揺るがないというなら、わたくしはあなたをあらためて聖女と認めましょう! 」


 教皇は杖の先で思い切り床を叩いた。

 執務室に黄金の幾何学模様の線が無数に浮かび上がり、大規模な魔法陣が展開された。


 リリィは以前にも同じ流れを経験して覚悟を決めていたため、そこにもう驚きはない。


 それでも、眩い光に包まれ転移された先に見えてきた景色には虚をつかれたように面食らってしまった。




 そこは聖都ではあった。

 しかし、建物の外観が新しかったり別の建物だったり、なにより水道橋が全て健在している。

 つまり今の聖都ソルコンシドではなく、大ティダス帝国時代の首都であるソルコンシドだったのだ。


 なんて規模の都市だろう。リリィはその人の多さに驚いた。


 現在の聖都も奪還後から人が戻り増え始め、人口は他の領地の大都市と比べて遜色のない人数である。

 だが今彼女が観ている景色に比べれば、見劣りするのは否めない。


 文化の最盛期であるこの場と、衰退していく現在の差を知れば、老人達がかつての栄光に(すが)る気持ちも少し理解できた。



 そして、突如街から悲鳴が上がる。

 気付けば、夕暮れの空一面に、悪魔の軍勢が侵略していた。


 次々と悪魔はソルコンシドに着地し、人々を襲っていった。

 輝かしかった大都市が焼かれていく。


 リリィは街の中央を目指してがむしゃらに走った。


 そこは帝国軍と悪魔軍の最戦線であり、当時の魔王が帝国兵士をゴミクズのように蹴散らしていた。

 先代魔王は、全身を覆えるほど大きな翼と鋭い爪が生えた四肢を持つ赤いドラゴンであった。

 その体長は後ろ足で立てば聖都のどこからでも頭が見えるほどの巨大さであり、その長い尻尾を一振りすれば街の一角が半壊するほどの力を持っていた。


 「フハハハ! 人間共よ! 滅びよ‼︎ 」


 暴虐の限りを尽くす魔王に、帝国兵は一斉に火矢と魔法の十字射撃を浴びせた。

 しかしドラゴンの赤い鱗には傷ひとつ付かず、魔王は人間達を見回した。


 「なんなんだ、今のは? まさか攻撃のつもりか? 

 破壊とはこうしてやるのだ! 」


 ドラゴンは息を深く吸い込むと、口を開きそこから緑色の閃光が放たれた。

 閃光は聖都の建物を次々貫き、ドラゴンが首を振ると帝国兵諸共数十の建築物を吹き飛ばした。


 「クズが。所詮人間は我に勝てぬ」


 炎上する街を見て魔王が呟く。


 「ば、化物めぇ! 」


 仲間を殺された帝国兵が叫んだ。


 「化物。我が化物? 


 違うな、我は魔王だ」


 そう言って魔王は悲鳴を上げる兵士を掴み捻りあげ放り投げると、手から緑色の閃光を発し兵士を粉々に吹き飛ばした。



 リリィは混乱のなか、天に向かって問うた。


 「これは時間移動なの? 

 それともただの幻覚? 」


 すると彼女の頭の中に直接教皇の声が響いた。


 『あなたが観ているのは過去の記憶の再現です。

 ですが、お気を付けなさい。

 その空間は虚構ではありますが、そこで起こったことと現実のあなたの体はリンクしています』


 つまり、ここで死ねば現実でもリリィは死ぬということだ。


 『生き延びたければ、鍵を探しなさい。

 それが過去から出る唯一の方法です』


 リリィは鍵について聞こうとしたが、答はなかった。

 一方的にに話を終えた教皇に、彼女は心の内で舌打ちした。


 リリィがどう動くか考えていると、先代魔王が彼女の存在に気付いた。


 魔王はその真っ赤なドラゴンのような巨軀を擡げ、隣の三階建ての建物をゆうに越える高さからリリィを見下ろした。

 ドラゴンは翼をはためかせ周囲の全てを突風で煽った。

 近くにいた帝国兵はそれだけで倒れ転がり、リリィも姿勢を低くし手で体を庇った。


 魔王はその風を吸い込むように深呼吸すると、リリィに話しかけた。


 「貴様、何者だ? 臭うぞ。


 貴様からは強い力を感じる。

 人間ではない、それ以上の力だ」


 リリィは魔王を見上げて答える。


 「あなたならとっくに知っているでしょう? 


 悪魔に伝わる神話で、なんて呼ばれているか」


 魔王は一歩後ろへ下がり、その長い首を降って否定した。


 「莫迦(ばか)な。ありえん。


 それはただの伝説だ。

 人間の脆弱(ぜいじゃく)な幻想に過ぎん。

 我こそが、宇宙最強なんだ! 」


 赤いドラゴンは天に向かって雄叫びを上げる。

 それだけで、緑色の閃光を伴う衝撃波が周囲の建物、人、悪魔すら吹き飛ばし、魔王を中心に巨大な陥没ができていた。


 その破壊の嵐の中でも、倒れることなくリリィは魔王を見つめていた。




 記憶のなかの悲劇を少女は追体験する。

 彼女にとっては産まれる前の遠い昔の話のはずなのに、それは確かに今と地続きである実感があった。


 どれほど薄められハリボテのようになろうと、彼女の意識を形成する文化や言葉に刻まれた記憶が刺激され、呼び起こされたのだろう。


 かつての帝国は滅びても、世界が終わったわけではない。

 どれほど時間が経とうと、過去がなくなるわけでもない。

 誰かが語る一つの側面でしかない正義ではない、事実がそこにある。


 ならばそこにはきっと残っているはずだ、今を生きる人々と同じ、彼らもただひたすらに時代のなかで生きていただけなのだ、という証が。






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