三十五話:乗っているのか、溺れているのか
DSSでは、最近メンバーの近辺で不審な事件が多発していた。
ヴェナリス公爵を聖都に護送したあとから、怪しい影に狙われているという相談がリリィに相次いで入った。
それを聞いた彼女は、ついに始まったと、気を引き締めた。
リリィはメンバーに量産を開始したスマホモドキを持たせ、連絡を密にとるよう警戒を呼びかけた。
ある日、DSS本部から帰宅する途中、彼女は通りの先から子供が一人駆けよってくることに気付いた。
その十に届くか届かないかくらいの年の男の子の向こう側には、母親のような女性が子供を笑顔で見守っている。
しかし、その女性の笑顔には、引き攣ったような違和感があった。
男の子はリリィに向かって震える声で、サインください。と懐から何かを取り出そうとした。
リリィは全てを察して、その子が取り出したものを即座に取り上げ、思いっきり宙へと放り投げた。
それは棒状のクロマミウムを加工したマナ爆弾だった。
リリィは男の子に覆いかぶさるように屈むと、上空で爆発が起こった。
爆発の規模自体は大したことなく、周囲の誰も怪我をすることはなかったが、通りの人々はパニックに陥っていた。
騒ぎを聞きつけた憲兵が民衆の混乱を収めようと試みるなか、そのうちの一人がリリィに話しかけた。
「大丈夫ですか?
どこかお怪我は?
その子供から離れてください。
参考人として我々が保護します」
リリィは腕のなかで震えて縮こまる男の子を離さなかった。
憲兵の対応が早すぎるからだ。
憲兵は聖都守備隊内の聖都治安維持を目的とした警察機構だが、聖都の治安の良さは、住民の裕福層が他の地域と比べ高い比率を占めるがゆえの結果であり、憲兵の怠慢や汚職は常に槍玉に上げられている。
そのため現在リリィは警戒心が最大限高まった状態にある。
混乱のなか、母親役だった女性は姿を眩ませている。
リリィはすべき行動を即座に判断しなければならない。
最優先すべきことはなにか、最も効果があり、リスクが少ない選択はなにか。
リリィは憲兵に名前と所属と兵士番号を聞いた。
「は、しかし。今は早急にここから離れるべき事態と——」
「いいから答えなさい!
この子は私が保護します。
一度DSSに戻って対応を検討します」
憲兵は名前や所属と番号を苦い顔で答えて続ける。
「DSSにそのような権限はないはずですが、その子供は現行犯であり、背後関係を調べるために——」
「黙って仕事に戻りなさい。
許可ならあとでいくらでも取るから、あなたはDSSの邪魔をするつもり? 」
リリィはわざと民衆に聞こえるように言った。
思惑通り騒めきは憲兵への反発に向かい始めている。
憲兵は歯を食い縛りながら喋った。
「いい気になるなよ。田舎の農民風情が、議会に逆らえると思っているのか? 」
リリィは憲兵を押し倒し、大鎌を突き付けて他の憲兵に尋ねた。
「誰かこいつの名前と所属を言える者は? 」
困惑する憲兵達だったが、誰も彼を知るものはいなかった。
リリィはそのまま増え続ける野次馬に向かって宣伝した。
「容疑者二人確保。
皆さん、ご迷惑おかけしました。
これから、DSSで事件の背景を調べますので、わかり次第公表いたします。
ですのであまり軽率な行動は控えてください。
大丈夫です! 必ず私達が解決いたします! 」
見ていた民衆から大きな喝采が上がった。
しばらくDSSコールが叫ばれ、憲兵達はリリィに対し、どうすることもできなくなってしまった。
DSSに戻ったリリィは、早速捉えた二人に質問していった。
彼女が思った通り、あの母親のような女性は子供に暗殺をさせる仕掛け役であり、男の子は事情を知らず巻き込まれただけであった。
一方憲兵のほうは、ノビリタス議員が持つ私設諜報員の一員、名前はアッフィルモであることが、マレーからの情報でわかった。
「どうします?
諜報員だとしても、こいつを憲兵や元老院に引き渡しても、有耶無耶になかったことになり消されるだけです。
まぁこんなお粗末な仕事振りでは、どの道長生きできなかったでしょうが」
マレーはリリィに忠告する。
彼女は腕を組み手を顎に添えて考えながら喋った。
「そうだね。
一応、結果としてDSSの宣伝を手伝ってくれたわけだし、なんとか命くらいは助けてあげたいところではあるんだけど。
どうしたらいいかな?
どうしたい? 」
リリィは諜報員のアッフィルモに尋ねる。
「……マレー。お前が二重スパイであること、必ずノビリタス様に伝えてやるぞ。
そうなればお前もフェリクスも終わりだ。
さもなくばここで俺を殺すがいい。
そうして、DSSが殺人集団であることを民衆に見せてやれ!
正義は我にあり! 」
鼻息荒く喚くアッフィルモに、マレーは呆れたように肩を竦め、リリィはため息を吐いた。
「あー、この手の狂信者は交渉も効かないんだよね。
頭が固すぎて思考停止しちゃってるから。
困ったな。
マレー、なにかいい方法思いついた? 」
リリィの問いに、マレーは眉を曲げて答えた。
「一応確認しておきますけど、ワタシはすでにノビリタス副議長から二重スパイの疑いは持たれています。
それは報告しましたね。
それでもワタシの首がこうして繋がっているのは、向こう側にも有益な情報を流しているように見せかけているからです。
この信仰だけの無能と違って、自分の手柄を誇示できる実力があるから、生かされているわけです。
もっとも無用と判断されれば即、消される立場であることに変わりはありませんが。
つまり言いたいのは、こうして無能を晒した以上、この者が生き残れる可能性はないということです」
二人は隣の部屋を移動し、相談を続ける。
リリィは渋い表情で考えるていたが、やがて決心したように口を開いた。
「よし、ここは彼にDSS宣伝部長としてさらに活躍してもらおう」
マレーは、嫌な予感に冷や汗をかきながら、その作戦内容を聞いた。
リリィはマレーにそっと耳打ちすると、彼はその細い目を全開に見開いて口を滑らした。
「やっぱりあなた頭おかしいですよ」
リリィはニヤリと不敵な笑みを浮かべ言った。
「マレーとオルサとストルオが力を合わせればできるでしょう?
どうなるかは、そうだね。神のみぞ知る? 」
マレーは気力を全て出し尽くしたような息を吐き出した。
人の数の力は単純が故に、即効性が高く劇的な変化をもたらす。
世界が一変するような変化を求める者にとってその力は避けて通れない。
しかしそれを制御し上手く利用できるかどうか問えば、イエスとも言えるし、ノーとも言える。
どちらが本当かと答えるなら、自身が体感できる方が真実だと人は答えるだろう。
神は意識せずとも賛成以外を自動排除することができる。
だがそれは、神から視える景色だけが、世界の全てであるという前提においてのみ機能する。
神に見捨てられ、視点が遠退いた世界で同じことが起これば、人々はそれを自覚することができるのだろうか。
その大きな力の流れが、必ずしも明るい未来に進んでくれるなんて保証は、どこにもないのだから。




