三十三話:背中に預けて
お待ちしていました。
と、彼女は言った。
静かに、しっかりとリリィと目を合わせて、揺らぐことはなかった。
リリィはそんなヴェナリス公爵の様子に眉をひそめながら宣言した。
「あなたが持つ鉱山の採掘権を、譲渡していただきます。
すでにあなたがクロマミウムを悪魔側に横流して、不当に利益を得ていた証拠は掴んでいます。
平等契約管理委員会と元老院の承認も得ています。
今日私はその代理人として来訪しました。
今後あなたの公爵としての権利は制限され、聖都へ証人喚問として呼び出され、処分が下されるでしょう」
ヴェナリスはしっかりとその言葉を受け止め、ゆっくりと頷こうと口を開きかけたそのとき、礼拝堂の天窓から数頭の悪魔が二人を囲むように降り立った。
「——困りますな。
我々との契約を阻むというなら、ここから生きて帰すわけには行かない」
悪魔の内、翼を持った灰色の闘牛のような顔で大槍を持った一際体躯の大きい悪魔が喋った。
リリィはヴェナリスを護るように大鎌を構え、彼女を庇った。
「私達の内政に、悪魔がでしゃばるつもり? 」
リリィの守護を拒んで、前に出てヴェナリスは悪魔に話した。
「アリゲル。
もう良いのです。
私の役割は終わりました。
あなたはよく尽くしてくれました。
もともと、ノビリタス家のから巨額の借用をしていた辺境の没落家が、領主としてこの僻地の改革を進められたのも、あなたのお陰です。
以前とは比べものにならないほど、ここは豊かになりました。
人と悪魔の調和の可能性を見せてもらいました。
それでも全てが上手くいったわけではありませんが、こうして、英雄を継ぐ者が現れた。
ようやく、私の罪が裁かれるときがきたのです」
アリゲルと呼ばれた悪魔が叫ぶ。
「馬鹿なことを言うな!
罪だと?
お前がいなければ、ここの腐敗はこの世界全てを巻き込んだ戦争を引き起こしていたぞ!
これだけの資源、あの悪魔より悪魔染みた金と虚栄心の亡者に渡せば、本当に地獄が現実になる。
人間だけの問題じゃ済まないんだ、ヴェナリス! 」
ヴェナリスはそれでも首を横に振ってアリゲルに答えた。
「私は正義を騙って、悪魔に加担し、そうすることで結果的に世界の混沌を防ぐ。
そんな偽善に満ちたシステムに疲れてしまったんですよ」
聖女フェリクス。と彼女はリリィと向き合った。
「あなたが英雄を継ぐ者という噂は、ここ人類と悪魔が向き合う境界線でも聞き及んでいます。
世の中が、再び希望を求めているのですね。
また、あの頃の輝きを取り戻してくださいますか?
絶対的な正義を無垢に信じられた、夢のような時間を」
その声には彼女の信念と挫折と、なにもかもが詰まっているような重みがあった。
リリィは、これまでの調査と彼女達の会話から、なにが起きていたのかおおよそ察して、どうして自分にこの役割が廻ってきたのか悟った。
「ダメだ! ヴェナリス!
行かないでくれ!
お願いだ! 行けばお前は殺される!
あの子達はどうするんだ!
まだお前は世界に必要なんだ、何より俺にとって! 」
アリゲルは嘆き叫ぶ。
リリィは大鎌を構え直し、アリゲル達悪魔に突き付けた。
「ヴェナリス公爵を聖都へお連れし、証人喚問と異端審問を受けて頂きます。
邪魔するというなら、容赦はしません。
——それでいいですね? 」
リリィはヴェナリスに問う。
彼女は、覚悟を決め静かに深く頷いた。
アリゲルは叫びながら、その手に持った三又の大槍をリリィへ突き出した。
大鎌と大槍がかち合う。
絡み合った刃にお互い力加減をよみ、競り合う。
やがて、引くとみせて大槍を押し弾いたリリィが、そのまま懐へ踏み込み追撃せんとすると、アリゲルは翼を羽ばたかせ後ろへ後ずさった。
アリゲルの部下であろう他の悪魔達も、リリィに襲いかかったが、鎧袖一触、あっさりと大鎌によって両断されていった。
アリゲルはそれを見て半狂乱で叫ぶ。
「クソッ、クソッ、クソォ‼︎
何故だ!
英雄はもういない!
魔王と違って俺は騙されないぞ!
そいつは偽物の英雄だ!
世界を変える力なんてない!
偽善者? ふざけるな!
そう糾弾するものがよりよい世界を創れた試しなどないではないか!
冷めた皮肉で文句を言うだけならシステムに欠落があっても我慢しろ!
それが嫌なら己の力で世界を変えてみせろ!
それが、それこそが俺たちが共有していた信念だろう!
愛していた、惹かれ合った理由だろう!
ヴェナリス‼︎ 」
リリィは姿勢を低く屈めアリゲルへと間合いを詰めていく、踏み込んだ反動で、教会の床板が弾けるように割れた。
その大鎌の刃は突風染みた衝撃波を伴いながら、アリゲルの足元を狙う。
アリゲルは咄嗟に宙へ飛び上がり、その一撃を避けた。
「俺に足刈りは効かんぞ!
秩序の破壊者! 」
アリゲルは空中に飛んだまま、目から青い閃光を放った。
閃光は下から上に振り上げるような軌道を描き。
リリィはそれを横に倒れこむように跳びこんで避けた。
青い閃光にそって、教会は縦に割れ、日差しが直接礼拝堂を照らした。
リリィは立ち上がりながら、埃まみれのドレスの裾を払うと、アリゲルに向かって語りかけた。
「秩序が完璧でないなら、零れ落ちた嘆きの涙がいずれ支配を崩すのは歴史から見れば明白でしょう?
あなたは彼女の覚悟を無碍にするつもりなの?
あなた自身が言った通り、世界の変革を求めて動き出した人達がいるの。
それはきっと新たな悲劇の種を内包するでしょうが、でもあなた達がしてきた努力となにも変わらない。
結局、あなた自身が憎んでいたはずの障害になってしまったことを認められないだけでしょう? 」
リリィの言葉をアリゲルは否定する。
「違う。違う。違う!
お前のような模造品が次代の英雄であってたまるものか!
俺達が造り上げたものに頼っておいて、それを感情的に破壊するだけで、お前ら人間はなにも産み出せない!
ただただ世界を劣化させ、衰退に導くだけだ! 」
リリィはアリゲルを見上げたまま、背後のヴェナリスに語りかけた。
「ごめんなさい。ヴェナリス公爵。
彼が言っていることも、全部が間違っているわけじゃないの。
私は英雄にはなれない。
神のように、全てが完璧な世界なんて創れない。
そして、あなた達が志した未来をなかったことにもしない。
そんな無責任な終わりは許さない。
それでも、少しでも世界を良くしていきたい気持ちは引き受けるから。
だから——
——あとは任せて」
リリィは前を見続ける。
割れた天井から差し込む光が、舞い散る砂埃を反射し、その後ろ姿の輪郭をぼんやりと輝かせている。
そんな彼女に、ヴェナリスは近づいて行き、鋭かった目尻を下げて、安堵したように息を吐きながら、リリィの背中に手を添えて呟いた。
「……はい。お願いね」
リリィは一言、承りました。と答えた。
アリゲルは槍を落とし、自らも地面に降りて泣き崩れた。




