三十二話:いつか受ける報い
それから数週間後、リリィはネモに乗ってシリシヴァレス領の鉱山へ向かっていた。
「予想外に遅れちゃったね」
リリィはネモの背で揺られながら言った。
「そりゃDSSも大きくなってるのに、ホイホイ代表者の予定が空くわけないだろう。
あの二重スパイからの報告も裏取りが必要だったしな」
リリィは頷く。
「うん。
でも、マレーはよくやってるよ。
そうとう危ない橋を渡ってるのに、まだ首がつながってる」
そう言えば、とネモは切り出す。
「被災地の復興、順調に進んでいるようだな。
議会の想定以上に早く避難村が完成したそうじゃないか。
報告ではそっちでも邪魔が入ったのだろう? 」
リリィは苦い顔で答えた。
「まぁね。
各地からの支援が、ちゃんと被災者に届くように、いろいろ手回ししたよ。
信じられないけど、支援金を懐に入れようとするやつが本当にいるからね。
災害をビジネスと捉えてるやつが多すぎて、休む暇がないよ」
ネモは嗤いながら言った。
「金が動けばそういう輩が亡者のように湧き出るのが世の常だ。
しかも、自身が善意でやっていると疑わないような厚顔さ持つ。
実際そいつらの建前はご立派だったろ? 」
それはね。とリリィは相槌を打って続ける。
「官民協調、再生復興、運用透明化、正義。
講演では聞こえのいいことを言うけど、実際には全く反対の行動をとる。
正直、今まで暴動が起きなかったのが本当に奇跡としか言えないよ」
「それも雲行きが怪しくなってきたか」
しばらく、両者から言葉が出ることはなかった。
大昔に大ティダス帝国が造った街道を行く。
もうずっと整備されていないであろうそのボロボロの道は、鉱山町へ続く山林道に入った。
そして、その林の木々の間から、不穏な気配を放つ者達がいることに、リリィは気付いた。
「つけられているぞ。どうする? 」
ネモが尋ねる。
「わかってる。
ねぇ、足には自信あるよね」
「誰に聞いてるんだ?
俺はこの世界最速だ。
俺に勝てるやつなんていない」
リリィは少し口角を上げた。
「じゃあ、証明してもらおうかな。
誰だか知らないけど、どうせ悪魔側の差し金だし、撒いて」
ネモは頷き、嘶きながら上体を起こした後、一気に加速した。
周囲の樹々が矢継ぎ早に過ぎ去っていく。
追跡する影も速度を上げて、置いていかれまいとする。
ネモは街道を外れ、林の中を走った。
それでも障害物を全く意に返さず、速度が落ちることなく進む。
影は林の木や岩の地形に阻まれ、やがて彼女達を見失ったようだった。
「ちょろいな。
全力を出すまでもない」
ネモは道に戻ると、ちょっと息を上げて喋った。
「はいはい。
本気なら地形を利用せずともぶっちぎってたもんねー。
わかってるわかってる」
リリィはネモの首を撫でて労う。
やがて鉱山町の入り口付近までたどり着くと、前方に数頭の悪魔が見えた。
「待ち伏せされたな。
撒いた意味ないじゃん。
疲れ損? 俺」
ネモの文句に、リリィは考えながら否定する。
「あれはさっきの奴らとは別だよ。
多分つけてた奴が連絡したんでしょう」
ネモは思い出して納得した。
「向こうにも通信手段を渡したんだったな。
なるほど、それは仕方ないが、厄介だな」
リリィはしょっぱい顔で頷く。
「わかってたけど、この技術が広がれば、隠密行動は見つかればあっという間に敵に情報共有されちゃうからね」
リリィはネモから降りて近付いていき、正面から悪魔達に声をかけた。
「こんにちは。
シリシヴァレス領は冒険者ギルドも対魔ギルドもなく、ちょっと隠れれば領境を悪魔が自由に行き来できて、人間と一緒に住むことも許されてるって噂で聞いてたけど、本当だったんだね」
悪魔は答えず、代わりにリリィに襲いかかった。
馬と熊を足して蛇の尻尾を付けたような悪魔が鋭い爪を振り下ろす。
リリィは大鎌を出現させ、軽く振るうと、爪が届く前に肩口から腕ごと切り飛ばした。
「サニーと比べると児戯だね。
実力差は明白だけど、それでも続ける? 」
腕を切り落とされた悪魔は、呻き声を上げながら後退する。
他の悪魔も怯むが、道を開けるつもりはないようだった。
「……私はこの先にいる鉱山の責任者に会いに行くから、悪いけど邪魔するならここで命を捨てることになるよ」
そう言ってリリィは歩き進む。
悪魔は近づいてくる彼女に戦闘体勢をとるが、その手に持つ大鎌の間合いに入らないよう、ジリジリと押されているように下がっていく。
しかし意を決して、カバと虎を足して二足歩行させたような一頭の悪魔が、手斧を振りかざしてリリィに突撃した。
リリィは袈裟におろされるその一撃を大鎌で受け、捻りあげるように斧を絡め取り力任せに悪魔ごと弾き飛ばした。
吹き飛んだ悪魔は別の一頭を巻き込みそのまま太い樹の幹に叩きつけられた。
呆気にとられた悪魔達だったが、今度は残り全員一斉にリリィを襲った。
それを見て彼女は無自覚に口元に笑みを浮かべた。
囲むように襲う悪魔達に大鎌を回転させ勢いのまま周囲横一線に薙ぎはらう。
その圧倒的な力により放たれた衝撃波が悪魔達を粉砕した。
もはやそれは斬撃と呼べぬ破壊の嵐だった。
残ったのは最初に腕を切断して戦意を失った悪魔だけだった。
「ステータスが意味をなくした弊害かな。
こんなに戦力に差があっても退却を選ばなかったのは。
それとも、ちょっとでも時間が稼げると思ったのかな。
後続が追付くまで私を止められると。
でも援軍が来たところで無意味なのは今のでわかったでしょう?
是非とも、あなたのボスに合わせて欲しいんだけれど」
リリィが大鎌を突きつけてお願いすると、片腕の悪魔は苦しみながら頷いた。
悪魔の道案内でたどり着いたのは、鉱山町の中にある教会だった。
人と悪魔が共存する町を歩き進む。
通りは静まりかえっていたが、住宅の窓から、隠れていくつもの視線を向けられている。
リリィが得た情報が正しければ、今日はいるはずだ。
案内役の悪魔に早く治癒を受けるよう勧めて開放したあと、リリィは教会の扉を開いた。
礼拝堂では、一人の女が跪き祈りを捧げている。
リリィはその女性に近づき声をかけた。
「信仰熱心だね。
どれだけ祈ったら、あなたが悪魔に魂を売った罪が濯がれるのかな」
その言葉に女性は立ち上がり振り返った。
彼女はヴェナリス公爵。シリシヴァレス領主であり、ノビリタス議員と親交深い貴族だった。
身なりの整った容姿から漂う品の良さとは裏腹に、その目は蛇のように鋭くリリィを睨んでいた。
リリィは礼拝堂を見渡す。
知らないとはいえ、すでに神が見捨てた世界で、祈ることになんの意味があるのだろうかと。
教会は、ずっと無自覚なまま白紙の経典を諳んじていたことを、どう思うのだろう。
いずれにせよ、裁きの時は来た。
それは絶対者を前提に他者を否定するだけの者全てが受ける矛盾の報いであった。




