三話:チートを持っていようができないこと
——ていうかね。
未だ拗ねて無言の少女の機嫌をなおそうと、一角獣は話しかける。
「俺は君とそういう不毛な議論をしたいわけじゃないんだよ」
わかるだろ。と言いながらネモはリリィに(六脚のうちの前二本を器用に使い)手招き(?)する。
彼女はちらりと視線を向けたが、結局それを無視した。
めげずに一角獣は話し続ける。
「せっかくさ。何の因果か、世界の終わりまでこうして猶予ができたんだから、最後になにかやろうよ。なんかないの?やりたいこと」
彼女は少し考えるそぶりを見せる。
「……死ぬまでにやりたいこと十個やるまで死ねま10——みたいな?」
「混ざってるしちょっと古いし。でもまぁ、そんな感じ。あるでしょ?」
リリィは苦笑いを浮かべた。
「世界から猫でも消す?」
「映画化でも狙ってんの?いやそれが君の望みならいいと思うけど、マジでそれでいいの?映画化は無理でも、今の君なら、大概のことはなんでもできるよね」
ぶっちゃけ今は君が神様でしょ。とネモは言った。
「——半分は、ね」
リリィは左眼の眼帯のズレをなおすように指を添えた。
「でもね、私のいちばんの望みは、叶えられないから」
そう言って彼女は足元の草を毟ると、ふっと息を吹きかけ飛ばした。
草の葉は風に乗り、宙をゆらゆら漂うと、次第に人型の形を成し踊り始めた。
「この世界の中だけなら、私はなんでもできる。
でも終わっていくこの世界を維持し続けることはできない。
それにはこの世の外の理に干渉する力が要るから————
————結局、私は舞台の一役者に過ぎないの」
少女はヒールを脱ぎ捨て泉の浅瀬に素足を浸す。水面を慣らすように足を滑らせば、ちゃぷりと波立ちいくつかの水泡ができた。泡は少しだ波紋に流されると、すぐに弾けて消えた。
その様子を、一角獣は黙って見守っていた。
ふと、リリィはいなくなったユタのことを思い返す。
彼は、この世界の人々のことをどう思っていたのだろう。
全ては彼自身で設定した容姿や性格の人間に囲まれて、いったいなにを考えていたのだろうか。
リリィは左眼に神の力がとり憑き、世界の真実を知った時の心境を重ねる。
彼女は初め絶望していた。
故郷の滅亡も両親の死も、奴隷に堕ちる境遇も、そこからの救いと、英雄ユタへの恋心も、全てが仕組まれていたと知って、騙されていたと感じたのだ。
あまりに不自然な世界に今まで疑問を抱かず、彼を信じていた自分を恥じた。
世界の終わりなんて待たずとも、自らの手で全部壊してしまおうと思った。
こんな不出来な世界こそ消えてしまえばいいと。
しかし、彼女はどこか冷めてもいたのだ。
真実を知ったことで、本当は心の奥底で眠っていた不信と諦観が暴かれ、憤怒と恥辱で乱れる感情の表層を覆い隠し、それがあたかも客観的で冷静であるかのように彼女の気持ちを代弁した。
——つまり、今自分が思うままに世界を壊せば、それは彼がしてきたこととなんら変わらないと気付いたこと。
そして、世界を好き勝手にできるということは、全てにおいて己の責任から逃れられないということでもある。
背負えなかった。
どれほど怒ろうと、男に弄ばれたから、なんて個人の怨みでこの世界の人々に残された時間を奪うような選択は馬鹿げていた。
彼女の脳裏に浮かぶのは、旅の道中出会った人々の、悪魔に怯えながらも懸命に生きる姿。
ともに悪魔と戦った仲間達も、英雄ユタを慕い、おそらくは今でも彼の帰還を信じて待ち続けていることだろう。
どれもこれも神の視点に立ってしまえば、取るに足らない存在でしかないのかもしれない。
実際、ユタは彼に賛同し賞賛しない相手にはとことん容赦しなかった。
彼が囲う少女たちに手を出そうものなら、苛烈な制裁は免れない。
それを彼女は当時むしろ嬉しがっていたが、事情を知った今となっては引くだけである。
だから最初、リリィはユタが、ただ己の欲望に任せて自分勝手に世界をかき回し、それに飽きたからこの世界を捨てたのだと思っていた。
あるいはもしかしたら、彼はなんでもできるということの責任の重さと不自由さに気づいて、それで嫌気がさしたのかもしれない、と。
どちらにせよ無責任なロクデナシである。だが残念ながらもはや彼の心境を知る術はない。
彼は一度も自分の心の内を、彼を慕う少女達にすら話すことがなかったのである。
戦うのはいつも人に請われてからで、正面から欲求を口にすることはなく、回りくどくかまってよ察してよと気を使わせ、面倒くさがりになくせに力を見せびらかすのが大好きで、病的なまでに人に弱さを見せることを嫌がっていた。
それは彼にとっては人形に語りかけるようなものだったのかもしれない、とリリィは苦笑する。
そして彼の神の力の半分を継承し、その立場を多少なりとも理解した今だから、彼女はもう一度ユタを思い返すのだ。
今にしてみれば英雄ユタは、ずっと好き勝手に振舞っているように見えて、常に『なにか』に制限されていたように思う。
『だれか』の目を気にして、機嫌を損ねないようにしているような不自然さがあった。
それはきっと、断片的に知識として流れてきた『神の世界』が原因なのだろう。
なぜそこまで『見られること』にこだわるのかわからなかったが、全てがその『だれか』のためなのだとすれば、彼は本当にこの世界に興味をもっていなかったということではないだろうか。
リリィはそれが無性に悲しかった。
拙くても、欲まみれの矛盾だらけでも、せめて自分で創ったこの世界を愛してほしかった。
実際どうだったかはわからない。
もう彼には会えないのだから。
リリィは泉から上がると、ネモは彼女に布巾を渡す。
足を拭いてヒールを履きなおすとリリィは、薪を集めなきゃ。と言った。
「確かにもう陽が落ちるが……。魔法は使わないのか?」
それなら簡単だろう。と勧める一角獣に、少女は首を振って、そんな気分じゃないから。と答えた。
渋々薪あつめを手伝うネモの横で、リリィは見上げた空に浮かぶ一番星を見つけた。
夕焼けの赤から群青に染まりつつある空には、もこもこした奇妙な形の積雲がまだらにかかり、その合間でひっそりと一番星は存在を主張していた。
独りぼっちに見えるその星にも、陽が落ちれば仲間が増えるのだろう。
見えずとも、いつも誰かがそばにいる。
自らが光ることしか考えない太陽では、きっとそのことに気付けない。
それは寂しいことだと、彼女は哀れんだ。
そのままぼんやり空を見つめていると、ネモがサボるな、と咎めた。
リリィは適当な返事をすると、手頃な薪を探しに森の奥へ入っていった。
————あのときあなたは、どのくらい。心をゆるしてくれていたのだろう。
届かぬ問いは、落陽の最後の光とともに地平に沈む。
夜が訪れる。