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二十九話:抑圧の反勢力





 皇帝。

 リリィはなにを言われたのか、一瞬理解できなかった。

 正確には頭が理解を(こば)んだといっていい。


 それは、かつて英雄ユタも望まれ、しかし彼は拒否したことでもあった。



「民衆は希望を求めています。

 それは正義や平等を気取った上からの抑圧的な自由ではなく。

 肩を組んで悪口を大っぴらに言い合える。

 手近に触れることができる暖かい仲間意識です。


 しかし今までの社会では、それは実現不可能でした。

 貴族や、議会の決定こそが社会の意思そのものだったからです。


 ですが今その基盤が揺らいでいます。

 このギルドは、貴族や議員には底辺の掃き溜めと認識されていますが、彼らが底辺と呼ぶ者達こそ、この社会を支えている基盤なのです。


 もう彼らは上から押し付けられる価値観を信じないでしょう。


 そうした気運を作ったのは、紛れもなく英雄ユタ・クレメンスと聖女リリウミア・フェリクスなのです」


 ストレピトゥスは、そう言ってリリィを見つめ沈黙した。


 「……私に、彼らが暴れる口実を作る神輿(みこし)になれ、と? 」


 リリィが険しい顔でそう言うと、隣のストルオが口を(はさ)んだ。


 「違うよ、リリィ。


 僕たちはただ暴走の被害を軽減したいだけだ。

 この流れを止めることはできなくても、方向性を少しでも意味のあるものに変えていきたい。

 多分、この激しい反発は長くは続かない。

 なぜなら、ここに来る前に兄が言ったと思うけど、これはただの憂さ晴らし、感情の発散だからね。

 それでも一度壊れてしまえば、作り直すのがどれだけ大変かは、十分わかってるでしょ。


 もう悪魔大戦後のような失われた時代を繰り返したくないんだ。


 それはDSSの利害と一致しているはずだよ」


 リリィは額を指で押さえながら尋ねた。


 「……いろいろ言いたいことはあるけど、あなた達が言っていることが本当だとして、どうやって私を皇帝にするつもりなの? 


 どんな手でも無理なように思うんだけど」


 (いぶか)しげなリリィに、ストルオが明るい声で答えた。


 「それがあるんだよ。ね、兄貴」


 ストレピトゥスがそれを受けて説明する。


 「ああ。英雄が残した、元老院の抜け穴だ」


 彼の説明を要約すると、ユタが創った元老院議会は、もともとユタを聖都を中心とした新しい国の皇帝にしようとしていた周囲を諦めさせるためにできたものであった。


 しかしプロド公爵含め多数の貴族とサルボ教会教皇はユタを皇帝にする機会を諦めていなかった。

 彼らはユタを皇帝にする方法を秘密裏に作っていたのだ。


 その条件とは、単純に成人を迎えた聖都民の過半数の賛成があれば、その者を皇帝にするかどうか他の領地の貴族も含め公開議会で決議することができ、全会一致の可決によって誕生するというものだった。


 「いや、それが無理じゃん。って思うんだけど」


 リリィは困り顔でストルオに言った。

 しかし兄のストレピトゥスの方が答えた。


 「言ったはずです。

 翼を授けると。


 今ほど民衆の声が支配層の抑圧を越える瞬間はありません。


 あなたは勝てます。

 都民の投票も、議会の決議も、必要な要素はそろっています」


 リリィはそれでも懐疑的だった。


 「なにを企んでいるのか見えてこないけど、たとえ私が皇帝になったとして、その後どうするの? 


 言っとくけど、確かに今DSSをまとめて運営してはいるけど、私もともとただの農家の娘だからね。

 結局傀儡(かいらい)政権にしかならないよ」


 二人は(そろ)って首を横に振った。


 「リリィ。農家の娘が、あれだけの組織を立ち上げて半公的な立場になってる時点で、ただの(・・・)、なんて枠に収まるわけがないよ」


 「自分を過小評価しているようですが、安心してください。

 あなたは即決できる人です。

 今は見つからずともやるべき事をすぐに掘り出して取り掛かるでしょう」


 リリィはため息を吐いて、しばらく考え込む。

 やがて口を開いて言った。


 「検討はしておく。

 でも今はDSSが最優先。


 二人がちゃんと下の人たちを抑えておける、いえ、行動が予測できると証明すれば、話に乗ってあげる」


 リリィの言葉に、二人は頷いた。


 「それとストルオ。


 今まで退魔ギルドについて黙っていたことについて、私に言わなくちゃいけないことがあるんじゃないの? 」


 ストルオは首を竦めて謝った。


 「ごめんなさいっ。

 でもわかってほしいのは、今不満を抱えている人達だって、普段は本当に普通の、一般人だってことなんだ。

 このギルドにいる人達もそうだよ。

 いろんな怪しい噂があると思うし、あるいは本当のこともあるのかもしれない。

 それでも、一方的に正義を(かた)って彼らを(ないがし)ろにはできないよ」


 リリィはそれに同意した。


 「確かに、注意すべきなのは確かだね。

 今までそうした人達がなかったこと(・・・・・・)にされてきたから、こうして問題が起きたんだと思うし」


 それはそれとして。とリリィは続ける。


 「謝るのもそうだけど、こんな広く交流があるなら、水道関連の技術者も見つけられるんじゃないの? 」


 ストルオはバツ悪そうに答える。


 「それは、アシグネさんあたりに絶対否定されると思って、あんまり積極的じゃなかったんだ。

 でもその可能性はある。

 ここにはいろんな層の人達が集まるから。

 リリィが許可してくれるなら、捜索範囲を広げるよ」


 「じゃあお願いするね。

 アシグネは私が説得しておくから」


 そうして彼女はその後も兄弟のことなど、いろいろ話を聞いて、お茶もご馳走になると、夜も更けていた。


 帰り道、送っていくとストレピトゥスは言ったが、リリィは遠慮した。

 ちらりと、酒場を出た曲がり角に、ピンクの毛並みが視えていたからだ。





 兄弟と別れ、リリィはネモに声をかけた。


 「どうしたの? 

 私が恋しくなった? 」


 ネモは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


 「馬鹿者が。

 今何時だと思っている。

 君がホイホイ素性の知れぬ輩について行くから、こうして見張っていたんだよ。


 いくら君を襲えるやつなんていないとは言え、油断し過ぎじゃないか? え? 」


 リリィは苦笑しながら返事した。


 「はいはい。

 素直に心配だったって言えばいいのに」


 馬鹿者が。とネモは再び言って、リリィはネモの背に乗って帰って行った。






 正直に言えば、リリィは皇帝になったとして、()すべきことを思いついていた。

 しかしそれは英雄の行くはずだった道を意識せざるを得ない。


 彼女は今までの道程(みちのり)を振り返る。



 『続き。書いてよ』


 『私にとっては、それが全てだもん』


 『忌々しい人間どもめ。神の威光に縋り自ら依って立つこともできぬ出来損ないが、世界を握るなど、甚だしい思い上がりと知れ……』


 『あなたはそれで満足なの? その生涯に、納得できるの……?  』


 『できることから逃げ出して、責任を負いたくない。楽になりたいだけだろう? 』


 『同じなんかじゃない。今はわからなくても。それは、けっして——』


 『そして、リリィの立場とその力は火そのものなのです』


 『リリィらしいね』


 『やばい、嘘だろ……これ。どうすんの……』


 『自分を責めてるのか、君は。『あれ』を止めなかったことを』


 『ダグラスさんっ、食事、ありがとうございました! きっと、一生忘れない食事会でした! 』


 『頑張りなさい』


 『……ユタの、形見よ』


 『なにを恨めばいいのか、責任はどこにあるのか。今の私にはもうわからなくなっちゃった』


 『なにも言わなくていい。それが神の力の本質だ。それを覚えておけばいい』


 『それで全部、かたがつくから』


 『あくまくるのー? えーゆーユタがやっつける? 』


 『ごめんね。この人を助けることは、もう誰もできないの』


 『こいつらは対処できない化け物なんかじゃない! 誰が決めたかもわからないステータスなんて数字に惑わされるな! 戦いは自分の力を信じて、自分で頭で判断しろ! 行くぞみんな私に続けぇぇぇ‼︎ 』


 『神は我々人類に救世主を授け賜りました。英雄ユタ・クレメンスです。彼は絶対に帰ってきます。祈りなさい。そして、すべての人々は救われるでしょう』


 『権力の保持や奇跡に縋るより、私は現実的な解決を望みます』


 『私じゃなくて、ユタだよ。みんなが待ってるのは』


 『やっぱり無駄なんかじゃなかったんですよ! 聖女様には、ちゃんと世の中を変える力があります! 』


 『Dum spiro,spero! (私の息が続く限り、希望を持ち続ける)』


 『ふふ、勇ましくなったものだね。前に会った時はユタの後ろで守られていたというのに』


 『悪魔は神から遣わされる英雄によって滅ぶだろう』


 『神はこの世界を無かったことにするつもりだって』


 『キミこそがユタの、神の力を継承した、現在の『英雄』だ』


 『なら、今こそ悪魔が英雄を打倒し得るときなんだ』


 『言ったでしょう。人は、絶対挫けないって』


 『だから、今の被害から復興することと同時に、再度『あれ』が来ても阻止、ないし軽減して減災することを目指さないといけない』


 『聖女様がやるべきことなのか、よく考えてください』


 『信用してるよ』


 『英雄ユタがそこに風穴を開けたが、消えてしまえば、また元通り』


 『マレーは黙ってて。自分の意見がない人には、この場に発言権はないから』


 『私は、多分ろくな死に方をしないだろうけど。それでもこの世界がちゃんと続いてくれれば、それで幸せだよ』


 『世界を、変えたいとは思いませんか? 』



 リリィはネモの背で揺られながら密やかに微笑む。

 確かに、決断はすでに終わっていた。





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