二十八話:変革の兆し
「世界を、変えたいとは思いませんか?」
男の言葉に、リリィは独白するように呟く。
「……私は、ずっとそのために行動してきた。
それが人類のためになると信じて頑張った。
でも私の方法では、零れ落ちる救えない人達がいる」
リリィは自分の両手を見つめる。
その手のひらは、もうどうしようもないほど汚れている。
『神の力』を出し惜しみ、犠牲になった人々を想った。
あの荒ぶる民衆が、今まで彼女がしてきたことを知れば、必ず断罪を叫ぶだろう。
「英雄とは違う。
都合の悪い部分を全部無かったことにできない。
最善の選択を常に選び続けるなんて不可能だった」
リリィはDSSで聞いた災害の被害者数や、聖都の水道停止による失業者数の報告を思い出した。
どれもこれも救うなど、人では到底不可能であり、また正道を進めばいいわけでもなかった。
男は抑揚のない声で話した。
「根本的に、人間には憎悪や破壊願望といった負の感情を持ちます。
それはどんな倫理、理想、正義、綺麗事で飾ろうとも隠すことはできません。
なぜならそうした衝動が最初にあり、それを向ける対象を探しているだけだからです。
欠点のないものなどこの世にありませんから、理由や理屈なんていくらでも作れます」
リリィは力なく息を吐くように言う。
「わかってる。
英雄を除いて、ね」
男は変わらず感情の読めない声で語る。
「ただ、彼らは己が起こす結果については責任を一切負いません。
破壊の後に残る問題については、なにも考えようとはしないのです。
それは感情の発露でしかないため、仕方がないことではあります。
世の中の、ほんの一面でしかない価値観に合わせ正しいことをすべきだ。という蓋で抑えつけ続けられた反動が起きている。
残されるのは、他人だけでなく自らも滅んでいく結末だけです」
リリィは呻くように声を絞り出す。
「世界を正そうとすればするほど、抑えられた感情は大きくなっていく。
ならどうすればいいの?
一つ問題を解決すれば、そこから新たな問題が生まれる。
それでも一歩ずつ、少しでもこのどうしようもない世界を存続させようと努力した。
なのに、いずれ世界は終わるのに、どうやっても正解なんて選べない」
リリィは知っている。
正解を選ぶ唯一の方法を。
「私は、間違っていますか? 」
男は震え声のリリィと正反対の無機質な声で答える。
「決断はすでに終わっています。
重要なのは、その理由を知ることです。
故に、人々に示すべきことは明白です。
そして、あなたはその象徴と成り得るのです」
男はリリィに手を差し伸べた。
「あなたに翼を。
人類には希望が必要です」
迷える少女は、震えながら、男の手をとった。
男に案内され、リリィがたどり着いたのは、聖都の外れにあるスラム街の長屋のうちの一つだった。
どうやらそこは酒場のようで、中はそれなりに広く、たくさんの客で賑わっていた。
リリィが酒場に入った途端、ガヤガヤしていた店内が静まりかえった。
「まさか、本当に? 」
「やれ嬉しや! 」
「聖女さまだ。聖女さまがお越しなさったぞ! 」
騒めきたつ人々に、リリィは気圧されながら、男に説明を求めた。
「失礼。
まだ名乗っていませんでした。
私はストレピトゥスと申します。
ここは我々退魔ギルドの本部です。
皆あなたを歓迎します」
フードをとった男は、クシャクシャな明るい茶髪と眼孔鋭い碧眼を持つ引き締まった顔をした男だった。
彼とリリィは初対面のはずだが、その顔は誰かと面影が似ていた。
「リリィ!
来てくれたんだね! 」
そう言って彼女に駆け寄ったのは、DSS主要メンバーのひとり、ストルオだった。
「ストルオ⁉︎
どうしてここに? 」
リリィの問いに、ストルオはストレピトゥスの横に立って説明した。
「うん。紹介するよ。
ここはね、悪魔を世界から排除することを目的とした組織で、こっちの暗いのは僕の兄。
退魔ギルドのマスターだよ」
リリィは困惑し、何か話そうと口を開いたが、言葉は出て来なかった。
「まだわからない。って顔をしてるね。
それは仕方ないけど。僕らはリリィに危害を加えるようなことは絶対にないよ。
わからなければなんでも答えるよ。聞いてみて? 」
笑顔で促すストルオに、リリィはとりあえず浮かんだ疑問を口にした。
「退魔ギルドって、冒険者ギルドとは違うの? 」
ストルオは笑みを崩さず答える。
「うん。冒険者だってもちろん悪魔を退治するけど、基本は狩猟をする何でも屋みたいなものだからね。
この退魔ギルドは悪魔を殲滅することを目的とした組織だよ。
結構、農作とか大工とか酪農も両立してやってるメンバーは多いから、冒険者ギルドの亜種と考えてもいいんじゃないかな」
リリィは少し眉を寄せ、ストルオに尋ねる。
「悪魔を殲滅って。
私が悪魔に対して、憎しみはあっても、協力すること自体は否定しない立場なのは知ってるでしょう?
どうして私をここへ連れてきたの? 」
リリィの問いに、ストルオは言い淀んだが、代わりに兄のストレピトゥスが口を挟んだ。
「それについては私から説明しましょう。
しかし少々込み入った話になりますので、この騒がしい場で立ち話もなんですし、個室に案内します。
ガルダ。二階は空いていますか? 」
ガルダと呼ばれた酒場の店主であろう男は頷き、ストレピトゥスに鍵を投げ渡した。
彼は店主に礼を言い、リリィを店奥の階段上に案内していった。
二階に上がり、一番奥の部屋に入ると、ストレピトゥスは部屋の真ん中にある丸いテーブルにつくよう、リリィに勧めた。
二人はテーブル越しに対面して座り、後から入ってきたストルオが、その間に座った。
「それでは、我々があなたを招待した理由をお話ししましょう」
ストレピトゥスが語りだす。
「我々の組織は退魔ギルドと言えど、すでにそれは形骸化しており、その実態は現実に、世界に不満を持つ者たちの受け皿、寄せ集めのようなものに変わっています」
彼は少しだけ疲れたような感情的な表情を始めて見せた。
「その経緯については追々話す機会もあると思いますが、まずは我々があなたを呼んだ理由です。
我々は、あなたに人類の統率者になって頂きたいのです。
かつての大ティダス帝国の皇帝のように」
リリィはもともと大きな目をさらに見開いて驚く表情を見せた。
英雄は言った。
一人の判断で全てが決まるような実権を、人に持たせるべきではない、と。
現在の元老院の議会制は、その言葉によって創られることになった。
英雄の言葉ほど絶対的なものはなかったために、それは賞賛され、反対意見など出ることはなかった。
たとえそれが自ら責任を負いたくないから出た言葉であれ、実際の支配層が全く変わっていなかったとしても、権力の分散は世界の形を少しだけ変えていた。
そしてようやく、多くの人がそのことに気が付き始めたのだ。
それは世界にとって福音だろうか。
それとも終末を告げるラッパの音なのだろうか。




