二十六話:空席から視つめるもの
「——聖都元老院議会ノビリタス副議長です」
リリィはその名前を聞いても動じなかった。
「そう。一応私も悪魔と協力すること自体はそれほど否定的ではないのは知っているよね。
メンバーからは大不評を買ったけど。
だから、今までDSSを泳がせていた。ってところかな」
マレーは否定しなかった。
リリィは小屋で見つけた書類を取り出しつきつけた。
「——でも、この取引内容はちょっと酷過ぎないかな。
ほぼ全面的に悪魔の条件をのんでる。
水道建設は都市の基盤だよ?
これじゃこっちは懐に爆弾を抱えるようなものじゃん。
せっかく取り返した街を、またいつでも悪魔に攻め入れさせられるようにしたいの? 」
マレーはため息を吐いて答えた。
「それが元老院の意思ですので、ワタシにはなにも決定権はありませんよ。
悪魔に頭が上がらないのは、今に始まったわけじゃありません。
先の大戦以後、我々人類は常に悪魔に隷属していたのですから」
その自覚すらない人達も大勢いますが。とマレーは口を歪めて言った。
リリィは呻くように息を吐いた。
「——英雄ユタがそこに風穴を開けたが、消えてしまえば、また元通り。
そういうこと? 」
マレーは特に感情が動くようなそぶりは見せなかった。
その細い目にはなにも光を宿していなかった。
ひたすら己を機械のように、ただの歯車であると主張しているようだった。
「マレー。あなたが自分の意思を表明するつもりがないのはわかったけど。
私はこの取引を邪魔させてもらうから」
その言葉に、悪魔が反応する。
「おい、話が違うぞ。
これでは我々も対応を——」
悪魔の話を遮り、リリィはその悪魔に向かって声をかけた。
「さぁ、あらためてこんばんは。会えてうれしいです。悪魔の大使さん。
ご心配なさらず。
なにも取引を全て取り消すわけではありません。
少し、内容に変更を加えたいと言っているんです。
もちろん無条件に、というわけではありません。
悪魔側にとっても、魅力的な対価を私は用意できます。
お話、聞いていただけますか? 」
大鎌を構えながら、リリィは笑顔で悪魔に聞いた。
悪魔は渋々といった顔で頷き、マレーは再びため息を吐いた。
「聖女様。ご自分がなにをしているのかわかっていますか?
これは明確に元老院に刃向かう行為です。
これまでの隠れた行政へのアシストとは違い、本格的にDSSは聖都の敵と看做されますよ」
「マレーは黙ってて。自分の意見がない人には、この場に発言権はないから」
リリィに気圧され、マレーは黙り込んだ。
「——では、聞こうか。聖女フェリクス。
そちらの要望と、払える対価を」
悪魔の高圧的な態度に、リリィはまるで意に返さずはっきりと主張した。
「まず、変更点として、老朽化した水道橋の復旧作業は、悪魔に委託せず、人類側の技術者で行います。
都民に非公開で都市の開発を悪魔に任せることはできません。
つまり、こちらの要求は復旧作業自体ではなく、聖都占領時に奪われた水道技術の返還ということです」
悪魔は苦虫を噛み潰したような顔で続きを促した。
「それで、その変更の対価にお前はなにを払える」
リリィは悪魔にスマホモドキを投げよこした。
「それは、持ち運びできるまで小型化した伝達魔法術を付加したアイテムです。
こちらからは、その技術資料を提供します。
つまり、今回は資金援助などもなく、単なる技術交換をしよう、ということです。
そして、今回の取引。我々人類側は古い技術を取り戻すだけですが、悪魔にとっては新技術を手にすることになります。
この通信技術は、ホスティリス魔王も、大変興味を示していましたから、もしこれをあなたが持ち込めば、出世街道が開けるんじゃないですか? 」
悪魔は唸り考え込む。
しばらくの後、悪魔はリリィに向かって言った。
「取引に応じよう」
リリィはにっこり笑って、悪魔と握手した。
悪魔が転送で帰ったあと、リリィは大鎌を一振りして小屋を吹き飛ばした。
マレーは引きながらその様子を見たあと、リリィに尋ねた。
「いいんですか?
ここまでやると、本当にDSSは潰されますよ。
それに、さっきのスマホモドキ。
悪魔も手にすれば今以上に人類にとって脅威となります」
リリィは大鎌を肩に担ぎ、スッキリした様子で答えた。
「じゃあマレーは、副議長の腹案通りにいって、聖都の心臓をいつでも悪魔に鷲掴みできる状態に改装されたほうが良かった? 」
それは。とマレーは言い淀む。
「通信技術はまだ辛うじてこちらに分がある。
一つ条件が平等になったところでそもそも総合的に向こうが圧倒的にリードしているんだから、致命傷を避けることを第一に考えなきゃ」
マレーは細目をさらにしぼめて話す。
「人類の存続はできても、DSSにとって致命傷にならなければいいのですが」
リリィは首を横に振った。
「マレー。それは本末転倒だよ。
DSSは人類存続を最優先にしているんだから、先に人類が滅んじゃったら意味ないんだよ」
リリィは遠い目をして続ける。
「私は、多分ろくな死に方をしないだろうけど。
それでもこの世界がちゃんと続いてくれれば、それで幸せだよ」
しばらく、二人の間に沈黙がおりた。
やがてリリィが口を開いた。
「さて、それじゃあマレー。今回のあなたの処分を決めようか」
マレーは苦笑しながら応じる。
「やっぱりそうなりますか。
やり方は?
できれば大鎌でスパッと一思いに——」
「なに言ってるの?
これからあなたは二重スパイになってもらいます。
やったねマレー。
危険が増えるよ」
マレーは目尻を垂らし、泣きそうになりながら喋った。
「勘弁してくれませんか?
死んだ方がましな道じゃないですか」
リリィはからからと笑いながら話した。
「もともと操られっぱなしの死んだような人生でしょう?
ならその命、最後まで歯車として私に使い潰されなさい。
それが嫌なら、ちゃんと自分の意思を私に示して」
リリィは笑顔でいながらも、マレーを試すような視線で見つめていた。
そこに込めた願いが届くよう。
いつだってそうしていたように。
「わかりました。
でも、フェリクスさんも理解していると思いますけど、二重スパイはいつだってどちらの陣営を裏切ってもおかしくない立場ということですから。
努努油断しないように」
そう言って、二人は吹き出して笑った。
空っぽの人生。操られるだけの捨て駒。
仕組まれた運命。太鼓持ちの慰安人形。
二人の過去は観客のいない舞台の上で空回りし続ける道化のようだ。
それでも生き続けてきた理由があるから、今ここに存在している。
目を逸らし、逃げ続けたその根源願望こそ、二人の心に空いた伽藍堂を埋めるだろう。
たとえそれが、この先立ち塞がる壁になろうとも。




