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二十五話:異界へ続く黒海は絶望で満ちている。希望の香りで誘いながら





 ホレオラは、最初の『太陽の黒涙』の落下地点から最も近く、最も被害が大きかった地域である。


 黒い泥は、この世界の全てを消去してしまう性質を持つことがわかっていたが、落下地点が海であり、海水と混ざり合って地上を押し流した結果、平地の奥の方の被害は、物理的な破壊の方が大きく、黒い泥を含んだ瓦礫(がれき)の波が引いてしまえば影響は比較的早く減少していた。


 しかしここホレオラは、黒泥の影響が強く残り、現在も侵入禁止区域に指定されていた。


 その漁村へと、リリィ達がたどり着いたのは、日が落ちて夜に入ってからだった。


 リリィは手付かずのまま壊滅状態の村をひそりと歩く。


 「酷いね。

 海岸から遠い地域は、避難した人も冒険者もみんな手伝って、少しずつ瓦礫の撤去が進んでるって聞いてたけど。


 ここは当時のまま、放置されてるんだ」


 彼女はわずかに形を残す、真っ黒に汚染された廃墟を見ながら、両腕で自身を抱くように身震いする。


 「やはり、君の力に影響が出ているのか? 」


 ネモがリリィに尋ねる。


 「うん。やっぱりこの泥は私の力すら無効化しようとしてるみたい」


 「ということは、あの現象は……」


 リリィは頷く。


 「この世界の外からの干渉。ということだね」


 彼女は苦い表情を見せる。

 視えない世界からの滅びのメッセージ。


 ネモはため息を吐いて口を開いた。


 「今ここに長居すればそれだけで悪影響だろう。


 ここに来た理由はなんだ? 」


 リリィは声を小さく抑えて答える。


 「いろいろ情報提供があって、全部含めて考えると、このタイミングで尻尾を出す確率が高いの。

 今はとにかく実際に黒涙を経験した研究者の意見とサンプルが欲しいはずだから」


 尻尾? とネモは首を捻った。


 リリィはネモに、しっ。と静かにさせると、廃墟の暗闇に浮かぶ明かりを指差した。

 彼女達は目配せし、明かりの方へ忍び足で近づいていく。


 近づくにつれ、その光が小さな真新しい小屋から漏れ出るものであり、窓から幾つかの影が中にいる様子が見えてきた。


 リリィは小屋裏の物陰に隠れ、ネモに様子を見るように頼んだ。


 ネモは頷き、小屋の窓から中を覗いた。


 「——はっはー。なるほどな。そういうことか。


 君の予測は大当たりだ。

 今やつらが出てくるから、そこを狙いな」


 リリィは了解の合図を送り、中の気配が外に出たのを確認してから音を立てず窓をこえ小屋に侵入した。


 小屋の中でまず目に入ったのは、部屋の半分ほどを占める魔法陣であった。

 おそらくは転移魔法用のものだとリリィはあたりをつけた。

 彼女はその魔法陣に少し細工をして、他にもなにかないか探した。

 小屋のもう半分には棚や机に、雑多なものが置いてあったが、その中からリリィはいくつか書類を見つけ内容を大雑把に把握し掴み取って小屋を静かに出た。


 「やつらは向こうへ行ったぞ」


 ネモが首を振って指し示す。

 リリィは頷いて、その方向へ静かに急いだ。


 海岸が近いのか、波音と潮の香りが強くなっていく。

 やがて複数の明かり持った影が見えてきたので、リリィは慎重に距離を詰めていった。


 どうやらその影達は瓦礫を汚染する黒い泥を回収し、そこから何かを探しているようだった。


 作業に夢中になっている影のひとつに、リリィは背後から近づき、大鎌を首元に突き付けた。


 「こんばんは。日が落ちても仕事なんて、悪魔は働き者なんだね」


 捕まったトカゲと猿とコウモリを足して割ったような悪魔は、小さく悲鳴をあげた。


 そして、作業していた影が一斉にリリィのほうを向いた。


 「さて、なにをしていたか説明してもらおうかな、マレー」


 瓦礫を選別していた手を止め、そこらへ投げ捨てると、マレーは手袋を外し、彼の緑がかった髪をかき上げ答えた。


 「こんばんは。聖女様。今日は予定通り、この泥の資料を集めに来たんですよ。

 あなたも知っているでしょう? 」


 マレーの細い目は鋭さを増し、しかし口元には笑みを浮かべて言った。

 リリィは警戒しながら再度問う。


 「そうだね。昨日聖都から出発したって報告があったよ。


 ところで、ここに来るまで、馬を使いつぶしても最速で二日半以上はかかるはずなんだけど、どうやって一日でこれたのかな。

 今までの報告でも、行き帰りには数日かかっていたはずだけど、一日で移動できるなら、余った時間はなにをしていたのかな。

 まぁ別に答えなくてもいいけど、このお友達に聞けば答えてくれそうだし」


 リリィは大鎌の刃を悪魔の首に滑らす。

 悪魔の首から一筋血が(したた)った。


 「別にそいつに聞いてもなにも出てきやしませんよ。

 単に、悪魔が馬よりも速いというだけの話です。

 それより、再び黒涙が落ちたというのになにをしているのです? 

 まったくDSSはどうしたのですか? 」


 リリィは悪魔の首を刎ねた。

 どさり、と死骸が転がり血溜まりがリリィの足元を濡らした。


 「そろそろ、私の質問にちゃんと答えてくれるかな。

 このままあの転移装置を利用して黒涙でガタガタのインテゲルを攻めてもいいんだよ? 」


 マレーは両手を上げ、降参を示して言った。


 「わかりました。


 全部話しましょう。

 といっても、どこから話せば良いのやら」


 マレーの横にいた馬と牛とゴリラを混ぜたような悪魔が口を開いた。


 「おい、それでは我々との契約が——」


 「このお嬢さんは、単騎で大都市を破壊できる力を持っている。

 そう報告したはずですよ。

 今転送されれば、インテゲルは確実に墜ちます。


 その責任、あなたが取るというなら、ワタシは構いませんよ」


 マレーの言葉に、悪魔は黙った。


 「さて、あまり横道にそれるような話はしたくないので、ワタシの任務から話しましょうか」


 リリィは大鎌を持ったまま、彼の話に耳を傾ける。


 「ワタシは代々、悪魔との密約において聖都貴族や現元老院議員との橋渡し役をしてきた家系の末席です。

 家系といっても血の繋がりはありません。

 そうしたものを教育するとある孤児院の出身です。

 現在は水道老朽化について、悪魔に資金援助と情報提供をする代わりに内密に復旧作業をしてもらうこと。

 その障害となり得る可能性のあるDSSの監視役を担っています」


 「それで、あなたの本当の上司は誰? 」


 マレーは少し躊躇ったが、結局その名前を口にした。


 「——聖都元老院議会ノビリタス副議長です」






 夜の潮風は、湿気た空気を運びリリィに纏わりつく。

 沈黙のなか、波音は静かに繰り返し響いていた。


 暗闇の海は、真っ黒に蠢く巨大な異物のようであり、足を踏み入れればそのまま別世界へと連れて行かれてしまいそうな雰囲気があった。


 今もその先に、太陽から零れた大量の泥が残っているだろう。

 あるいは、本当にそこから異世界へと繋がっているのかもしれない。


 その先が、今よりマシだという保証はどこにもないが。





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