二十一話:空と大地が混じりあう場所
爪と大鎌がかち合う音が赤い砂漠に響きわたる。
単純な力においては、魔王が明らかにリリィを上まわっていた。
だがリリィは致命的な一撃だけを的確に見分け、避けながら返し技を放つ。
そのどれも鋭い反撃ではあったが、魔王にとっては解せなかった。
たとえ、その一撃が魔王に届こうとも、決定打にはなりえないものだったからだ。
魔王はリリィの攻撃によって確かに傷を負っている。
しかしそれは悪魔の自然治癒能力ですぐに治る程度のものだ。
その疑念を魔王はリリィに聞いた。
「時間稼ぎのつもりか。
——そうか、あのミセリアとかいう女のためか」
リリィは肯定も否定もしなかった。
「それもある。だけど本質はそこじゃない。
もう少し語ろうか、きっとそれで伝わるから」
リリィは魔王との間合いを一気に詰めて大鎌を右から薙いだ。
魔王はその一撃を受け止めて言う。
「バカめ、一人のために人類全体を危機にさらすなど、早々に切り捨てればいいものを。やはり人間は未熟だ」
大鎌を弾き、魔王はリリィの心臓を串刺しにしようと右爪を伸ばした。
リリィは体をねじりそれを紙一重で躱すと、その回転の勢いのまま大鎌を振りかぶる。
魔王は左爪で防ごうと構えたが、リリィは回転しながらも姿勢を低く腰を落とし、防御の範囲外の下段の位置でほとんど地面と水平に大鎌を薙いだ。
「脚刈りかっ」
リリィの狙いを理解した魔王の表情が凍る。
その神速の一薙を、魔王は避けることができず、その両足はばっさりと切断された。
砂漠に転がる魔王に、リリィは追撃しなかった。
魔王は苦痛に呻きながらも、翼をはためかせ宙へ飛び上がる。
「——はぁ、はぁ。まさか英雄の力すら引き出せないとは。本当にこの体は不便だ。
なぜ人間がこの形状に固執するのか、ボクには理解できないよ。
人間だけなんだよ、そんな姿形にこだわって他と区別する生き物は」
リリィは呆れ顔で返答した。
「また誇張してる。
私は知ってるからね、悪魔の間でも容姿で差別してる奴がいるって。
それと、言っておくけど。
英雄には遠く及ばなくてもユタと旅をしていた私は、人類最高レベルの戦力を持ってるって、わかってるでしょう? 」
魔王は苦い顔をすると、なにか呟き切断された足に赤い模様が浮かび、徐々に再生していった。
「欠損も即座に治癒できるんだ。
やっぱり基本的に悪魔の魔法は人類より進んでるね」
リリィは関心していると、再生を終えた魔王が口を開いた。
「どうにも、このままじゃ埒が明かない。
仕方ない。ボクの美学に反するが。
本当に仕方ないので、人質を使わせてもらうよ」
魔王はニヤリと嗤うと、パチリと指を鳴らした。
すると砂漠に魔法陣が浮かび、光を放ちながら人影が中から現れた。
「ミセリア! 」
出てきたミセリアは、リリィを見つけると安心したように笑った。
「リリウミアお嬢様! 無事だったんですね! よかったっ」
リリィがミセリアに駆け寄ろうとするのを、魔王が遮った。
「おっと、人質だと言っただr——」
リリィは割り込んだ魔王の顔面に裏拳をぶちかましてミセリアを抱きしめた。
「リリウミアお嬢様? あの、ちょっと、困りますこんなところで」
戸惑うミセリアを無視して、リリィは彼女の全身を弄った。
「——よし、魔法は解除されてる。お疲れ様、オルサ」
魔法陣が再び光ると、そこからボサボサな長髪に黒いローブを着たオルサが現れた。
「まったく、この俺が天才だったから魔王の呪いさえ解呪できたんぜ?
昇給は間違いないよなこれは。
しかし、途中で通話が途切れたのは焦ったぜ。
悪魔の研究はしていたがこれほどの長距離を空間転移できるとは驚いた。
今は逆にその魔法陣を利用させてもらってるがな」
オルサの登場に、魔王は自失したように呟いた。
「通……、話? 」
リリィは魔王にスマホモドキを見せた。
「まぁ、あの応接室でのやり取りは全部筒抜けだったってこと。
で、オルサ。
やっぱり、転移直後に通話が途切れたってことは」
オルサは頷いた。
「そういうことだ。
さすがにここまでは手が回らなかったってことだろう」
魔王は自分の頬をさすりながら喋る。
「伝達魔法。まさか隠し持てるサイズとは、人間の技術を甘く見ていた」
リリィはかなり複雑な心境ではあったが、しかし状況は変わった。
「どうする? このまま互いに援軍呼んで人数増やして泥沼の戦闘を始める?
それこそ人類と悪魔の最終戦争を」
リリィは魔王に尋ねた。
「いや、キミを孤立させられず、人質を失った時点で今日はボクの負けだ。
もちろん、単純な悪魔と人間の戦争ならボクらに負ける要素はない。
でも、今日の戦いで確信したよ。
この世界に英雄の力はまだ残されている。
なら、いずれボクらはまた戦う運命にある」
リリィは躊躇いながらもその問いを口にした。
「ねぇ、今はそんなことしてる場合じゃないって、あなたもわかるでしょう? 軋轢を忘れるのは無理でも、人類と協力するぐらいの姿勢は取れないの? 」
魔王は口角を上げて答えた。
「ボク個人としてはそのほうが効率的だと理解しているけど、悪魔にも時流ってのがあるからね。
そうすると、過激派連中から目を付けられて、ただでさえ英雄失踪で存在意義を問われているボクの立場が、一瞬で消し飛ぶことになる」
リリィは深いため息をついた。
結局はどこも権力闘争なのだと。
「このままこやつを始末してしまうのはどうなんだ? 」
ちゃっかりオルサと一緒に転移してきたネモがリリィに聞く。
リリィはそれに視線で否定して、魔王に言った。
「とりあえず、今はあなたが悪魔をまとめていてくれた方が、人類にとっては良さそうだし。見逃してあげるから、次はもっとこう、穏やかに話し合おうよ」
魔王は悔しげに口を歪ませる。
「わかってる。
今回はただの挨拶だよ。
次は絶対に負けない」
わかってないじゃん。という言葉を飲み込んで、リリィは飛び去る魔王を見送った。
——そういえば。と一息ついたリリィが口を開いた。
「ここって悪魔の領地なわけでしょう?
ちょっと観光してく? 」
「見たところここは悪魔領の僻地にあるハレナ砂漠だろう。
まわりになんにもないこの砂漠をうろつきたいなら構わんが。
あと空間転移魔法陣を維持し続けられないから置き去りになるな。
それでいいなら好きにしろ」
期待した目でオルサに提案したリリィを彼はばっさり否定した。
リリィは唇を尖らせながら、冗談だったのに。と言ってオルサに従った。
ここに転移したときと同じ魔法陣に入っていくオルサとミセリアに、リリィも続いたが、最後にもう一度、周りを見渡した。
悪魔の領地。悪魔の運命。悪魔の戦い。悪魔の望み。
リリィはこの赤い砂漠と青い空のぶつかり合う境目、地平の先をぼんやりと見つめた。
そこに答えはあるのだろうか。
ミセリアに呼ばれて、リリィは我に返り、魔法陣に入った。




