十九話:我々は神の玩具なのか
リリィは瞬時に応接室のテーブルを飛び越え、同時にその手に大鎌を出現させ振りかぶると、魔王の首を狙って振り下ろした。
「——ふふ、勇ましくなったものだね。前に会った時はユタの後ろで守られていたというのに」
大鎌の刃は魔王の首の薄皮に触れたところで止まっていた。
魔王は微動だにせず、また全く動揺も見せなかった。
「今すぐミセリアにかけた魔法を解きなさい」
リリィが低い声で命じた。
「それは無理だ。彼女は保険だよ。ボクにもしものことがあれば彼女は死ぬ。わかるでしょ。ボクはキミとお話をしに来たんだ」
リリィは大鎌を収め、魔王に応接室の椅子を勧めた。
魔王は首筋から垂れる一滴の血を手で拭うと、リリィと対面する形に座った。
「さて、何から話そうか。やっぱりまずは時節から入ったほうが——」
「本題を言いなさい。別に親交を深めようってわけじゃないでしょう」
リリィの冷たい返答に、魔王は肩をすくめた。
「それが場合によってはその必要も出てくるんだよ」
魔王の返しに、リリィは眉をひそめた。
「じゃあまず、はっきりさせておきたいんだけど」
喋り始めた魔王は、そこで一間おいてリリィと視線を合わせて言った。
「その左眼、今はキミが『英雄』なんでしょ? 」
リリィは表情を変えずに答える。
「質問の意味がわからない。何を聞きたいの? 」
魔王はリリィを嗤った。
「——ふふ、隠し事が下手だね。人としてはそのほうが好感を持てるけど、英雄としては未熟だ。いや、不完全と言うべきか。割り切れず、そんな迷いがあるんじゃ、ユタに成り代われないよ? 」
魔王の言葉に不快感を隠さずリリィは真意を問う。
「いいからさっさと本題に入ってくれる? こっちも暇じゃないの」
「これが本題であり、問題の本質なんだけどなぁ」
魔王は苦笑しながら立ち上がり、応接室にある暖炉の火かき棒を取り出し、くるくると弄びながら喋った。
「この世界の神話を知っているかい? 人間にとってはサルボ教に伝わる教典といってもいい」
リリィはその質問に困惑した。
質問の内容にではない。
リリィも子供の頃に聞いていたはずのその神話の内容を、話すことができなかったのである。
だけど、その理由はすぐに察しがついた。
決まっていないのだ。
ステータスと同じことが起きている。
僧侶がいるなら教会もある、教会があるなら教典も神話もあるはずだ。そこまではいい。
だけど神はその内容まで考えていなかったのだ。
つまり、聖都にあるサルボ教会の総本山にある教皇が持っている教典は、白紙ということを意味する。
リリィはその事実に気付き愕然とした。
彼女は元老院でした、議事録にも残っている祈祷の内容を思い出せなかったのだ。
「——そう。この世界には多くの矛盾がある。それでもこの世界が維持し続けられたのは、実際に神が存在していたからだ。そして、悪魔にも伝わる神話、というより予言があるのさ」
悪魔は火かき棒を剣のように構えると、応接室に飾られていた絵画に振り下ろした。
「悪魔は神から遣わされる英雄によって滅ぶだろう」
絵画に描かれた何を表現しているのかわからない母と赤子は、真っ二つに切り裂かれた。
魔王は火かき棒を投げ捨てリリィに振り返った。
「たったそれだけ。その一文だけで、ボクたち悪魔は滅ぶ運命となったのさ」
リリィは言うべき言葉が見つからなかった。
会話を聞いていたネモが、リリィに忠告しようと口を挟んだ。
「同情を誘うのが上手い小娘だ。いや、小悪魔か。悪魔が人間になにをしてきたか、忘れたわけじゃあるまい。呑まれるなよ」
ネモの言葉でリリィは自分を持ち直した。
「——それがどうしたの? 悪魔がしてきたことを考えれば自業自得じゃない」
魔王は一瞬驚いた表情を見せたあと、警戒するように部屋を見回した。
「……へぇ、なかなか面白い『精霊さん』が憑いているようだね」
リリィとネモは息を飲み込んだ。
ネモの姿は魔王には視えないはずだ。
それを一瞬で見破った。
リリィは最悪の事態を想定する。
もしも魔王が『あれ』を持っていれば、人類は終わりだ。
リリィは冷や汗を隠しながら、魔王に話の続きを促した。
「——ふふ、いいね。キミと話すのは思ったより楽しいよ。
少なくとも、ユタよりね。
話の続きね。そう、ボクらはそんな適当な一節だけで滅ぶなんて御免だった。
まぁ当たり前だよね。
力も知恵も種としての特徴も人より遥かに進んで豊富な、人間以上の存在であるボクら悪魔が、どうして滅びなければならない? 」
魔王は少し興奮しながら椅子に乱雑に座り直し、両手を組み握りながら喋り続けた。
「だからボクらは策を練った。
神に対抗するため、なにをすべきか。この世界で人間の有史が始まる前から。
気が遠くなるほどの時間、世代を経て試行錯誤を繰り返した。
でも残念だけど、どれほど力や技術を高めようが、神には勝てない。
それがボクらが出した結論だった。
その屈辱がどれほどだったかは、今は置いておこう」
魔王は組んだ手を握りなおした。
「だけどまだ悪魔が生き残る方法は残っていた。
付け入る隙があったんだよ。
神には無くても、『英雄』にはね」
うつむいて話していた魔王である少女が顔を上げると、その紅い瞳が窓からの日差しを受けて煌めきを宿していた。
彼女の顔はとても整っている。
同性であり悪魔を憎むリリィですら、人間基準で魔王が美少女であることを認めるのに躊躇いはないほどだ。
それでリリィは察しがついた。
「——ふふ、そう。英雄色を好む、ってね。ボクがこんな人間に近い体格と、人間にとってカワイイ容姿をしているのそういう事情なのさ」
それが事実だとすれば、リリィは、いや人類にとって悪魔の存在をどう受け止めるべきか、根本から考え直さざるを得ない。
「まぁ、いろいろ試した結果、悪魔であることの特徴を持ちつつ、キミみたいに容姿端麗であることが一番有効だと判断された。
——こんな感じでね」
魔王は再び立ち上がって窓明りに照らされながら翼と尻尾、額に角の生やした。
そのままくるりと一回りして、ゴスロリスカートをちょっと摘んで膝をかるく曲げ可愛く一礼した。
その動作も容姿も、たしかに悪魔であることを強調しながら、そのじつ人間的な魅力を引き立てるためだけの飾りにすぎないのだと、今のリリィには理解できた。
「策は上手くいった。
ユタに接触して、悪魔に同情的な話をいっぱいして、——いっとくが嘘を言ったわけじゃない。誇張は、まぁしたけど——ユタはボクを気に入って、囲い女の一人にした。
こうして、本来滅ぶ運命にあったボクらは、街ひとつ取り返される損害だけで見逃されたのさ」
魔王は誇らしげにも、虚しげにも見える、複雑な表情で語った。
「……あなたは、それで良かったの?
正攻法ではないし、それにあの隙だらけのユタを出し抜くなんて、他にいくらでも方法がありそうだけど」
「あれが最も簡単で成功率が高い方法なんだよ。
今も、昔も、人間にとっての一番の弱点だ。
神が人間に擬態した姿である英雄にも同じことが言える。
それに、実際ユタの洗脳力は凄まじかった。
周りの女が絶賛しかしないわけだよ。
魔王であるボクでさえ、一時期本気であの無能に惚れていたんだからね」
魔王は寂しげとも悲しげとも聞こえる声で呟いた。
沈黙が応接室を包んだ。
リリィとて、ユタに惚れて、婚約までしていたわけだ。
それがただの幻想でしかなかったと知ったときの感情の複雑さを、よく知っている。
魔王と聖女はお互い見つめ合う。
その視線上にあるものはなんなのか、共感か、疑念か、同情か、不信か。
おそらく彼女ら自身にもそれはわからないだろう。
先に沈黙を破ったのは、やはり魔王だった。
「英雄も上手く丸めこんで、これで安心だと思ったんだよ。
つい一ヶ月前まではね」
魔王の雰囲気は変わり、まるでこの空間そのものが警告を発しているような錯覚を、リリィは抱いた。
彼女は悟った。
ようやく長い前置きが終わったのだと。
この先の選択によって、人類と悪魔の未来は大きく変わるのだ。
ネモは二人に気付かれないように、溜め息をついた。
仕方がないとはいえ、こんな大き過ぎる決断を年端もいかぬ少女達にさせ続けなければならないこの世界を、呪いたい気持ちだった。




