十八話:歯車は廻る
さて、今更ながらリリィが聖都に帰ってまず何をしたかと言えば、被災地への支援を正式に嘆願することだった。
アシグネや、プロド公爵の後添えもあり、その声を元老議会に届けること自体は比較的簡単にできたのだが、返答はお役所的な先延ばしとたらい回しをされただけであった。
理由はすぐにわかった。
聖都は水道の老朽化によりとても他のことに手をまわす余裕がなかったのだ。
リリィは早々に正式な手続きによる解決に見切りをつけ、聖都奪還戦などでユタに借りがある人々のところへ赴き、協力をお願いした。
みなすんなりと引き受けてくれたが、それでも元老院が機能不全に陥っている隙を狙った法的にグレーな、というか一部真っ黒なことも多かったので、リリィは申し訳なさとあらためて引き返せないことを始めた覚悟を持った。
とくに聖都守備隊の被災地増援を事後承諾的に認可させたのは議員の不評を買った。
それが、議事堂での守備隊への冷遇に繋がっていたのは、リリィにも理解できたが、しかしそうでなければ現地の避難所の維持などとてもできなかっただろう。
同時進行でリリィは、今起きている重大な危機をまとめて対処する組織を立ち上げた。
それが先日名前を決めたDum spiro,spero.略してDSSである。
ちなみに略称についてはドゥムスピ派とDSS派がいるが、結論どっちでもいいじゃん、ということになった。
メンバーは基本的にユタと旅をした時に世話になったり逆に世話したりした人達だが、リリィが自分の足で探してスカウトしたものもいた。
マレー、オルサ、ストルオなどがそうである。
「なんでイケメンばかりなんですかねぇ」
ネモがリリィをからかった。
「別にイケメンってわけでも、……それはそれで失礼か。いやホントに偶然だよ? っていうかこれ以上女の子増えると男女比おかしいでしょう」
基本的にユタが旅で関わったのはほとんど美少女ばかりなので現在DSSメンバーの男女比は半々くらいである。
「しかし、水道が使えないくらいで、こうも暗い雰囲気になるかね」
ネモとリリィは、昼間の大通りを歩いていた。
以前のような活気はなく、ふと街角で笑い声が上がってもすぐに周りを見て申し訳なさそうに真顔になるのだ。
街のいたるところに節水を呼びかける看板が掲げられ、同時に水がいかに大事か訴える文言が並んでいた。
「……聖都の文明、技術の象徴だったからね。他の都市と比べてはるかに清潔で進んだ街造りだったのが、機能不全までいけばみんな落ち込むよ。悪魔から奪還して復興したばかりだったし」
「それだけに、君の演説は民衆に響いたわけか」
ネモが含み笑いで茶化す。
リリィは少し困った表情で黙ってしまった。
たしかに、リリィは聖都の状況を知って、各方面に協力してもらい聖都にいくつもある広場や劇場や都市中心街の円形闘技場で、民衆に此度の災害の状況を伝え、聖都の水不足に冷静に対応するよう何度となく呼びかけた。
ただリリィ自身はそれをちょっとやり過ぎてしまったように後悔していた。
彼女は自分の影響力を甘く見ていたため、その深刻な訴えをみな真剣に聞き入ったまでは良かったのだが、その先こうも暗さを引きずってしまうとは考えていなかった。
「まぁ、おかげで暴動も起きなかったんだし、いいんじゃないの」
ネモの楽観的なフォローに、リリィは少し微笑んで礼を言った。
リリィは買い物を済ませ、かつてユタと暮らしていた邸宅に帰った。
聖都内でもかなりの豪邸に入るその家の玄関を開けると、侍女が彼女を迎えた。
メイド服姿に、桃色の髪を短いツインテールにしばった彼女の名前はミセリア。
彼女もまたユタに対し淡い恋心を持っていたようだが、ユタとは釣り合わないと遠慮しているような印象をリリィは持っていた。
リリィが彼女に聖都を出てユタを探しに行くと言ったときも、彼女は黙って見送ってくれたのだった。
そしてリリィが聖都に帰ったときも、ミセリアは心配したと言って一目散に駆けよりリリィを抱きしめ本気で泣きながら喜んでいた。
リリィはミセリアにただいまを言うと、彼女は微笑んで応えた。
「おかえりなさいませ、リリウミアお嬢様。お客様が応接室にてお待ちしています」
客? とリリィは首をかしげた。
そんな予定を入れた覚えはなかった。
とりあえず買い物袋をミセリアに渡すと、彼女は言ってくれればわたしが買い物しますからっ、とちょっと怒り気味に言った。
リリィは苦笑しながらミセリアをなだめた。
「買い物はただの気晴らしついでだから。
ところでその客って誰? 」
ミセリアは渋々納得したような表情のまま答えた。
「プロド公爵のひ孫様ですよ。たしか、ルーナ様でしたか」
ピクリと、リリィは固まった。
「——そう、ありがとう。すぐ行く。大事な話をするから、とくにお茶とかは要らないよ」
ミセリアは承知しました。といって買い物袋を持って立ち去った。
はぁ、とリリィはため息をついた。
「どうかしたのか? そのルーナとやら、知り合いか」
ネモが尋ねる。
「知ってはいる。でももう彼女はこの世に……。
とにかく会ってみなきゃわからない」
リリィは応接室へ向かう。
その足取りには少し戸惑いが見えていた。
応接間の扉を開けた先には、赤い髪に同じ色の瞳を持った少女が、窓を開けて枠に腰掛けていた。
「やぁ、待っていたよ。聖女リリウミア」
少女はその赤い髪と黒いゴスロリなドレスを風になびかせる。
その顔をリリィは知っている。
もちろんプロド公爵のひ孫なんかではない。
ルーナはすでに故人だ。
今目の前にいるのは、まぎれもなく悪魔を統べる魔王ホスティリス・ファス・コントラリウスだった。
己が信念を貫こうと道を行けば、様々な人に出会う。
道はすでに決まっているが故に、正しいかどうか、走りきれるかどうかは別として、その方法論の歯車が外れることはまずない。
しかし歯車が狂うとすれば、それは出会いによる摩擦が最も原因としてあり得るだろう。
魔王と聖女の邂逅は、果たして世界にどのような意味を持つだろうか。
ただひとつ言えることがあるなら、この世界は摩擦なしではなにも起き得ないということだけだった。




