十七話:「Dum spiro,spero! (私の息が続く限り、希望を持ち続ける)」
日が落ちた聖都ソルコンシドの中心街から、少し外れた裏通りに、フード付きローブを頭まで被った二つの影が動いていた。
影は辺りを見回すと、裏通りの地下へと続く階段下に下りて、入り口の扉を叩いた。
「もし私が死すれば——」
扉の向こうから声がした。
「——誰がその望みを知る」
ローブ姿の一人が答える。
「天使が割ったのは——」
扉からもう一度問いが返ってくる。
「——発火する奇妙な皿」
もう一人のローブ姿が答えた。
それで扉は開き、二つの影は素早く中に入り込んだ。
扉を閉めて二人はローブを脱ぎ捨てると、アシグネがリリィに問いかけた。
「これ、やる意味あります? 」
リリィはちょっと頬を赤く染めて答えた。
「だってちょっとやってみたかったんだもん」
ネモが隣で爆笑していた。
そんな二人を迎えたのは緑がかった短髪のくせ毛と、細目で白衣姿の長身の男だった。
「はいはいお二人さん、仲がいいのは結構ですが早いとこ奥に行きましょう。みんな待ってますよ」
そう言ってさらに地下深くへと続く階段を下りていく。
やがてたどり着いたのは、聖都のちょっとした公衆大浴場ぐらいの大きさの空間に、鉄製の大きな檻やら、何種類もの砂や砂利が入った袋が積まれていたり、複数の大きな釜のようなものの中で何か混ぜられていたり、怪しげな薬瓶が並ぶ机やら、赤黒い染みがついた手術台のようなものや、その隣の沢山の種類がある謎の刃物だったり、奥には何の動物かわからないなぞの骨格標本があったり、とにかく胡散臭さ全開の地下室だった。
「ああ、やっと来たか」
下りてきた三人を見て、ボサボサな黒い長髪に生気のない色白の肌の、真っ黒いローブを着た男が反応した。
その声に気付いた、地下室にいた十数名の作業員がリリィ達を迎えた。
リリィは適当に挨拶を済まして緑髪の男に聞いた。
「で、マレー。進捗状況は? 」
マレーと呼ばれた緑髪の長身細目男が答える。
「太陽から落ちる黒い泥。通称『太陽の黒涙』の対策ですが、まだ根本的な解決方法は見つかってません。
現状わかっていることをまとめると、泥は太陽表面に出現を確認してから太陽との距離を無視したありえない速さで地表に到達したにもかかわらず、直接的な破壊力においてはその速度と質量に見合わない小さな規模であったこと。
泥自体は浸透性が高く、何にでも染み込んでしまう性質を持っているが、同時に物理的な除去もある程度容易であること。
泥に汚染されたものについてですが、やがて消失してしまうことが確認されています。溶けるとか揮発するとか変質するとか塩に変わるとかでなく完全な消失です。が、その速度についてはものにより変わり、瓦礫などの無生物に対しては浸透性も低く消失も緩やかですが、生物、特に人間に対してはすぐに染み込み、跡形もなく消してしまう性質があります。
悪魔に対してですが、これは現状サンプルが少なく、憶測が多くなりますが、浸透性においてはおそらく人間と同程度の早さかと思われますが、人と違い消失が起きるまでの猶予があり、その間理性を失い暴れると予測しています。
わかっているのはこれぐらいですね」
リリィは事務的に簡潔に報告したマレーに礼を言うと、今度はボサボサな黒い長髪の男に尋ねた。
「オルサ、通信機の生産はどうなってるの? 」
男は黒いローブを引きずりながら、おそらく自分の作業台であろう机に向かい、なにか持ち出すとまたローブの裾を引きずりながら戻ってきた。
「ほらよ。試作品だが大体は再現できたぜ」
そう言って彼がリリィに投げよこしたのは、シンプルで黒いシックなデザインの手のひらほどの大きさの光る板、スマホモドキだった。
リリィはフィズからもらったそれをオルサに解析してもらい、量産できないか頼んでいた。
「まったくこれを作ったやつは天才だな。従来、長距離伝達魔法は送信も受信も固定された中規模魔方陣が必要で、それこそ主要都市の役所や貴族の屋敷なんかにしか無かったわけだが、これほど小さく持ち運びできるようにするとは。フィデシア・カエクスだったか。あの賢者ロゴの孫ってらしいから納得はいったが。まぁそれをこんな短期間で再現してしまう俺も天才だがな」
ドヤ顔のオルサに、魔法使いってドヤ顔しないと済まないのだろうか、と思うリリィであった。
そして他の作業員の一人からも、ハードを作ったのはアタシでしょ。とツッコミが入った。
リリィはやや頬を引きつらせながらもオルサにもう一つ質問した。
「どれくらい作れそう? 」
オルサは少し考えて口を開いた。
「希少鉱石を使ってるからな。今はできてあと二個が限界だな」
それと、とオルサは付け加える。
「これは元々の伝達魔法でも問題だったことだが、妨害や傍受をされやすい性質は解決していない。だから未だに重要機密は早馬の手紙が現役なわけだが。
そしてこのスマホモドキ独自の問題として、魔力探知を使った傍受には暗号化が天才的だからそうそう解析されないだろうが、こいつは各地に無数の中継魔法陣を敷き魔法通信ネットワークを築くことで成り立ってる。
まぁ実際見たところ相当な隠蔽魔法で隠してるみたいだからバレる心配はあまりないだろうが、もし中継地点を物理的に破壊されたり、あるいはそこで直接傍受されれば、結局は秘匿性は崩れることになる」
リリィは思案する表情を見せたあと、二人に向かって言った。
「そっか……。わかった、ありがとう。二人ともお疲れ様。ちょっと私、アシグネと話してくるね」
アシグネは背の低いダボダボのニットシャツを着た明るい茶髪の男の子と話していた。
「アシグネっ。と、ストルオも一緒だったんだね。ちょうどよかった」
リリィが話しかけると、二人とも笑顔で彼女にどうかしたのか聞いた。
「うん。今とりあえずマレーとオルサに進捗を聞いてきたところ。で、早速で悪いんだけど、この間頼んだ、水道に関する資料って見つかったかな」
ストルオはちょっと困った顔で答えた。
「一応聖都の図書館をざっとあらってみたんだけど、やっぱりあの悪魔大戦後の占領でほとんど紛失しちゃってるみたい。今他の各都市のほうでもないか問い合わせて探してもらってる」
リリィはストルオにお礼を言いってアシグネを伺う。
「こちらも、当時の技術を継承している建築士を探していますが、いい報告はできそうにないですね」
大ティダス帝国時代のインフラ土建業は軍部が行っていたので、その後継組織である聖都守備隊に技術を継承しているものがいないかと、リリィは期待していたがあてが外れたようだった。
申し訳なさそうな表情をするアシグネに、リリィは慌てて大丈夫だから。とフォローしたあと、険しい表情で呟いた。
「やっぱり、冒険者の人達も当たってみるかな」
それを聞いたアシグネは怪訝な表情をした。
「彼らは、もちろん中には有能なものもいることはわかっていますが、被災地支援といって現地の貴重な備蓄で宴会を開くような馬鹿者たちだっている。リスクを考えれば——」
ストルオがアシグネの手を引っ張った。
「——失言でした。ですが、ことは慎重に考えてください」
リリィは、わかってる。と答えてその場を離れると、地下室の端に備え付けられたソファーに座った。
「地下に秘密組織ねぇ。本当、考えがユタ染みてきてないか? 」
ネモが含み笑いしながら彼女に話しかける。
「……疲れてるの。今はネモの冗談に付き合ってあげられない」
リリィが、そのままソファーに横になろうとしたとき、誰かがリリィを呼んだ。
「……なぁにー? 」
リリィは目を閉じたまま応えた。
「そろそろこの組織に名前をつけませんかー? 」
その提案に多くの賛成の声が地下室に響いた。
リリィは目を開けて見回すと、地下の全員がリリィを見つめていた。
「——え、なに。私が決めるの? 」
彼女の言葉にみんな頷く。
ネモが、そりゃそうだろ。とあくび交じりに言った。
リリィは少し考えて、控えめに声を出した。
「じゃあ、黒涙災害対策本部。略して黒災対とか」
残念な空気が地下室に漂った。
「まって。ちょっとまって。今考えるから! 」
うんうん唸るリリィだったが、やがてこう宣言した。
そして十七話タイトルへ




