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十六話:望まれる者、望む者




 リリィは議事堂の階段を下りて中庭のベンチに座った。


 円形に造られた建物である聖都ソルコンシドの元老院議事堂には、中央に中庭があり、伝統的な彫刻や整えられた造園の中心には豪華な装飾がされた噴水が設置されている。

 しかし、いまその噴水には水が流れていなかった。


 造園の花をしげしげと見つめていたネモが、リリィに気付き近付いた。


 「どうした? 会議はまだ終わってないだろう」


 リリィは溜め息をついて、抜け出してきた。と答えた。


 「まぁ、あの手の会議は先に結論ありき、だからなぁ」


 リリィはわかってる。と返事したが、表情が納得していないのを物語っていた。


 「わかってたけど、私は政治に向いてないんだね」


 (むな)しげに話す彼女に、そもそも政治に向き不向きなんかない。あるのは悪人か、もっとずる賢い悪人だ。とネモは皮肉った。

 それに少し笑ってリリィは語る。


 「みんな、ユタの幻影に(とら)われてる。……違うか、過去の栄光、かな。今や人類は衰退していくことを運命づけられたようなものだから、とりあえず手に持っているものを離さないことだけに必死で、新しく輝かしいものは誰かが持ってきてくれるって思ってる。本当は自分から手を伸ばして取りに行かないといけないのに」


 あの責任の押し付け合い、利権の誇示にチームワークだなんてね。とリリィは口元を歪ませる。


 「怖いんだろ。手を伸ばした先に、なにもないって思い込んでる。

 なにせ失敗例には事欠(ことか)かない世の中だからな。


 そして成功者でさえ、全てがうまくいったわけじゃないことをみんな知っている」


 「ならどこへだって何度だって手を伸ばせばいい。伸ばした先が地雷で吹き飛ばされようと、挑戦し続けていずれ未来を掴んで、やっと人は救われる」


 「一度転んだ人間を見下し手を差し伸べない世の中では、それも望めないだろうな」


 だから、ユタが望まれるんだね。とリリィは悲しげに呟いた。


 完全無欠の絶対者。肯定しかされないもの。


 失敗しないもの。


 あの災害から一ヶ月が経った。

 リリィが聖都に入ると、水道が止まっていて、みんな少しでも節水しようと自粛(じしゅく)する動きが出ていた。


 もともと、この聖都ソルコンシドは大ティダス帝国時代に築き上げた五本もの長距離水道橋によって栄華を極めた都市だ。

 しかしそれは百年以上も前の話で、悪魔大戦や聖都奪還戦を経た今、ついに老朽化が限界に達したのだ。


 今五本ある水道橋のうちの三本が使用できなくなり、残った二本も一本はもうすぐ限界がくるので、酷使しないよう水を絞ったり一時的に止めたり騙し騙し使っているような状態だった。

 当然水の供給量は足りず、聖都の区画ごと時間帯で水道を止めて対応していた。


 聖都の革新的な上下水道は、都民の生活基盤であり、文化的発展の要であった。


 劣化したなら修復するか、作り直せばいいじゃないか、と思うだろうが、聖都は長らく悪魔に占拠されていたのだ。


 水道に関する技術は途絶えつつあり、新しく作り直すなどとてもできそうになかった。


 しかも水道橋は、悪魔に占拠されている間に複数回改修作業が行われていた形跡があり、そのどれも今現在人類が持っている技術水準をはるかに越えていたのだ。


 つまり下手に(いじく)れない状況というわけだ。



 閑話休題。



 しばらくリリィがベンチで休んでいると、アシグネが彼女を見つけ、そっとその横に腰掛けた。


 「……あの、ありがとうございます。ああ言って頂けて、少しだけ気が晴れました。

 ——意外と、自分も鬱憤(うっぷん)がたまっていたようです」


 アシグネはそう言って少し口角を上げた。


 「でも、あれはいけません。聖女様を支援して頂いたプロド公爵にも迷惑をかけます」


 アシグネの忠告に、リリィは頷いて応える。


 「そうだね。自分でも今反省してたところ。つくづく向いてないなって」


 自嘲するリリィに、アシグネは首を横に振って否定した。


 「そんなことはありません。聖都の人々が冷静になれたのは、聖女様の説得が彼らに届いたからです。今も、みんな聖女様を信じているから、頑張っていられるのです」


 リリィはそれでも寂しげな表情を変えなかった。


 「私じゃなくて、ユタだよ。みんなが待ってるのは」


 「それは……」


 アシグネは言葉が見つからず、うつむいた。

 リリィはベンチに背中を預け空を見上げた。


 中庭に縁取られた空は快晴で、日差しが眩しかった。



 沈黙のなか、やがて議事堂からゆっくりと下りてくる人影があった。

 フェレウス・エクィティム総将、聖都守備隊の統括責任者その人だった。

 少し抜けたような雰囲気の軽そうな男だが、悪魔との防衛戦において数々の功績を上げ登りつめた叩き上げの将校である。


 「ここにいたか。グラジオラス団長」


 アシグネは即座に立ち上がり、敬礼をした。

 それにフェレウス総将も応える。


 「申し訳ありません! 公式な場にてあのような振る舞いを——」


 「いや、いい。お前は聖女近衛騎士でもあるだろ。(とが)められることじゃないさ。まぁ、なんだ。それに、そこのフェリクス嬢ちゃんのおかげで、突破口ができたからな」


 アシグネの言葉を(さえぎ)ったフェレウスの言葉に、リリィは首を傾げた。


 「なに、増援の運用について、こっちから先に具体案を出して、議会が許可するっていう、まぁいっちゃなんだが当たり前の流れに方針が決まったって話だ」


 (ほう)けた表情のリリィを、アシグネが軽く揺さぶるように抱きしめる。


 「やっぱり無駄なんかじゃなかったんですよ! 聖女様には、ちゃんと世の中を変える力があります! 」


 喜ぶアシグネに対し、リリィはそれでも曖昧な微笑みを返すだけだった。

 リリィはフェレウスに尋ねた。


 「それも、プロド公爵の後ろ盾あってのことだよ。そうでしょう? 守備隊長さん」


 否定はしない。と彼は答えた。


 「ところで、だ」


 彼は少し真面目な表情になり聞いた。


 「お前ら、聖都でなにかやらかそうとしてないか? 裏で人を集めてるって。まぁ俺にも色々伝があるから、そこでちょいと小耳に挟んだんだがな」


 アシグネは完全に固まってしまった。

 リリィは答えを探し視線を泳がせていると、フェレウスは豪快に笑った。


 「はっはっはっ! こりゃ二人とも政治家は無理だな! 別にチクろうとかそういうわけじゃないさ。ただ、隠れようにも嗅ぎつけるやつはどこにでもいるってことだ。安心しろ。お前らがみみっちい悪事をするとは思ってないから、これは忠告だ、覚えとけよ」


 そう言って彼は颯爽(さっそう)と去っていった。





 「どうします? 」


 困った表情のアシグネがリリィに尋ねた。


 「……とりあえず、今は言葉通りに受け取っておこうかな」


 では、今夜も? と小さく聞くアシグネに、リリィは頷く。


 「うん、予定通りに」





 かつて栄華を極めた都市は、一度大きな戦争によって滅んだ。

 それでも英雄によって奇跡的な復興をしたその街は、いくつもの複雑な経緯を経て、絡まった紐のように硬く、解けぬ問題を抱えている。


 自粛ムードで活気に欠けるその都市のなか、抑えきれない衝動を抱えた者達もまた、数多くいた。

 願わくば、その者達がただの破壊者に終わらんことを。





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