第一章 閻天拳王は村娘に憑依する 4
『えっ、ちょっと……え?』
閻天拳王の脳裏にラルの声が木霊する。
「うむ……なんとも言えぬ感覚だな。貴様の戸惑いまで伝わってくるわ」
ラルの高く綺麗な声に似つかわしくない。重苦しい口調で、ラルに乗り移った閻天拳王がうめく。
『貴方は……さっきの声の? どういう事? おばけなの?』
「フハハハハ! まあその様なものかもしれん! しかし、どうあれ、我は我よ。我が道を塞ぐ物あれば、力でもってそれを排除する。それだけの事よ。小娘。しばらく黙っておるがよい」
閻天拳王……今はラルだが、ラルは男達に不敵な笑みを浮かべる。
「貴様ら、先ほど最強などとほざいていたな。我を前に最強など。自らの分を知れぃ」
急に態度が豹変したラルを男達は訝しげな表情で見る。今まで、狂った者を何人も見て来たが、今までのそれとは明らかに毛色が違っていた。
「おい! ふざけた態度をとるなよ。気が変わってすぐに殺しちまう」
長身の男が懐からナイフを取り出して、ラルに向ける。それにラルは口元を上げて笑った。
「我を殺すだと?」
その瞬間だった――先ほどは長身の男が瞬間移動したようにラルは感じたが、今度は男の方がその感覚を味わう事になる。
「女子供しか襲えぬ脆弱者が! いね!」
『バカン!』
およそ……人体から発しない様な音を立て、男の体が宙を舞った。
(何……が)
視線の端に映るのは拳を振り上げたラルの姿。そこでようやく男は自分がアッパーカットを喰らったのだと理解した。
男の体は弾丸の様に窓を突き抜けると、ゴロゴロと転がり静止した。しかし、それ以降男が立ってくる様子はなかった。
「な! 何だそれは!」
小柄の男が叫ぶ。遠目に見ても、ラルの動きを捉える事は叶わなかった。
「お、お前! 魔法使いなのか!?」
不可思議な現象、それは魔法を使ったのだと小柄の男は解釈した。しかし、魔法使いの数は希少で、それがこの場にいることが不可解だった。
「ふ、魔法だと……まるでお伽話よ。我が剛拳に宿るは力のみ、貴様の体で確かめてみるが良い」
「お、お姉ちゃん?」
イリムが豹変した姉を戸惑ったような顔で見る。その声に小柄な男はようやく、自らに人質がいる事に気付いた。
「く、来るな! 妹が殺されていいのか?」
ナイフの切っ先がイリムに向かう。うっすらとイリムの頬から血が流れた。
『イリム!』
脳内では本物のラルの声、しかし、閻天拳王はつまらなそうに息を吐く。
「くだらぬ、我が前で人質など……それで我の足が止まるか、試してみるが良い」
散歩をする様に平然とラルは近づいていく。
「ほ、本気だぞ俺は!」
「知っておる。だから何だ? それよりも良いのか? 間合いだぞ?」
宣言通りラルは男の目の前にいた。男は容易に接近された事に戸惑い、しかし、覚悟を決める。
「馬鹿が!」
男の頬が急速に膨らんだ。そしてフッと息を吐く。
(火炎袋だ! そして……刺す!)
男の口から炎が噴き出され、ラルを覆った。そしてその隙を逃さず男はナイフをラルに向かって突き出す。
「ははぁ! たとえ魔法使いでも! 唱える隙を与えなければ! どうって事は――」
しかし、男の言葉は途切れる……なぜなら男の吐いた炎はラルの腕の一振りで払われ、ナイフは指先で挟むようにして止められていたからだ。
「弱者に相応しい小細工よ。これで最強を名乗るとは……怒りを通りこして滑稽よ」
ラルはナイフを男から取り上げると、それをへし折った。その光景をイリムと男は放心しながら見ていた。
「貴様はつまらぬ。死ぬが良い」
「ま、待って……俺は黒鷲だぞ! 俺を殺せば! お頭が黙ってない!」
「知らぬわ! 誰であろうと我の歩みは止められぬ!」
ラルは物を投げるようなフォームで男の顔に拳を叩きつけた。それを受けて、小柄の男が先ほど同じく窓から飛びていく。
「くだらぬ……」
大きなため息。それと共に頭から本物のラルの声が響く。
『助かったの……私達』
「お姉ちゃん!」
イリムは感極まってラルに抱き着いた。閻天拳王であるラルは、それを面倒くさそうに押しやった――。