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月の謎

月とは何か、人類は本当に猿から進化したのか。世界中に出現するUFOはどこからくるのか

              ーー上ーー



            プロローグ


 高速道路を走る車の流れはいつもと変わらない。

オフィスの中で働く人も病院で患者を看護する看護師も忙しく立ち働いている。連綿と続く時間の中、人々の動きは普段通りである。ただ一つを省いては・・・

 人々は口を塞がれたように沈黙している。ジョークも出ない。笑いを飛ばす人もいない。

 日本中、否世界中の人々が固唾を飲んで生活している。声を押し殺し、今か今かと不安と恐怖を募らせている。

人々の眼や耳は、一つの事に気を取られている。仕事をしながらも、耳は眼となりラジオに聞き入っている。眼は手となり、テレビに集中している。


時は2018年、ノストラダムスの預言詩、諸世紀、

ーー失われて、そして久遠の間、隠れていたのもが再び見出され、そしてある牧者は半ば神のように尊敬される。そして月がその偉大な周期を完了するや、彼以外の古い頭の人々による名誉は失われるだろうーー

 1999年に、恐怖の大王が天から下ると予言したノストラダムス、現実には何も起こらなかった。以来、ノストラダムスへの興味は、人々の脳裡からは急速に消えていく。

 2018年3月上旬、アメリカ大統領が全世界に向けて、緊急のメッセージを発した。

”今年、月は地球から去っていく”一見してジョークと間違えるような内容だった。

 だが大統領の演説は悲壮に満ちていた。たちまち全世界はセンセーショナルな雰囲気に包まれた。大統領への轟々たる非難の嵐が巻き起こる。

ーー月が地球を去るだと!その根拠を示せーー世界中がこの話題で沸騰する。


 2018年8月23日、日本時間、午後1時45分、月が地球を去る日とされている。月が去る?馬鹿馬鹿しい。漫画の読み過ぎじゃないか、大統領を嘲笑の眼で見ていた人々も”予言”の日が近づくにつれて、口を固く閉ざすようになる。その表情にも不安の色が漂う。

 テレビの映像は、宇宙衛星からキャッチされる月を映し出している。今やテレビは家具の1つとなって各家庭に普及している。百インチ画面が一般的となっている。日本全国、世界各地で映しだされるテレビモニターは”月”一色だった。

道路を走る車も、カーナビが月を映し出している。


 8月23日、この日はうだるような暑さだ。台風が沖縄諸島に近づいている。しかし人々の関心は月にあった。

 午後1時45分。

「月が回転しました」テレビのアナウンサーは絶叫する。月が自転しはじめたのだ。

 オフィスでは、人々は仕事も忘れ、テレビに見入る。病院では看護師も医者も病人も、全てを忘れてテレビに写る月を凝視している。家の中でテレビを見る人は眼を皿にしている。 高速道路では、片隅に車を止めてカーナビに釘付けとなる。

 今まさに、静寂な緊張感が爆発する。気が狂ったように走り回る人、世の終末を声高に唱える宗教家。狂気を伴った暴動が世界各地で発生する。

 月は自転しながら、ゆっくりと地球を回る。約10時間で一周した後、地球を離れていく。


月が自転し始めた丁度その頃、神野紘一は中央自動車道の八王子を抜けだしていた。彼の車は国産のスポーツカー、エンジンは特別仕様の4千CC,時速2百キロで富士吉田市に向かっている。カーナビに月が写し出されている。

ーー後10時間で月は地球を離れますーーアナウンサーの絶叫に近い声を聞く。神野はカーナビを道路案内に切り替える。大月インタージャンクションから富士吉田市に入る。河口湖インターをおりて、国道138号線に乗る。山中湖を左手に見て平野から右折して、三国峠にさしかかる。そこから約5キロ先にある明神峠に行く。

 真昼時というのに、高速道路は車が走っていない。時折見かける車は道路脇に止まっている。富士吉田を抜けると、対向車もない。無人の野を走るようなものだ。

 目的地の明神峠から、西の方に巨大な富士山が聳えている。富士山に向かうようにして右折する道がある。道幅3メートル程。周囲は林、約2キロ走る。忽然として平野が拡がる。道が途切れる。

・・・車を降りて、歩くがよい・・・頭のなかで声がする。

 車を降りる。神野は富士山に向かって歩く。周りには何もない。真夏というのに、ひんやりとして涼しい。

 神野紘一、35歳。中肉中背。あらゆる格闘技に熟達している。髪を7・3に分け、薄い唇を一文字に結んでいる。鼻梁は高い。サングラスをかけ、鋭い視線で周囲を伺う。ゆっくりと歩く。微塵の隙もない。黒のハーフコートを着こみ、黒のネクタイ、黒ずくめの服装だ。内ポケットには消音付の拳銃をぶら下げている。腰にはサバイバル用のナイフを忍ばせて、ダイナマイトを身につけている。

 百メートル程歩く。

・・・止まれ・・・声が頭のなかで響く。と思う間もない。体中に衝動が走る。しめつけられるような苦しさだ。

ーーしまった。罠かーー歯ぎしりする。内ポケットの拳銃を握りしめる。身動きできない。彼は傷ついた獣のように、その場にうずくまる。急に視界が暗くなる。気が遠くなっていく。

 はっとして我に還る。長い時間気絶していたような感覚だ。身を起こす。一歩後ずさりする。一分の隙もなく身構える。注意深く周囲を見渡す。暗い光景が漂っている。

 瞬間眼が眩むような光があたり一面に照り輝く。眼が痛い。太陽を直視している感じだ。やがて眼がなれる。

「これは!」神野紘一の驚愕の声が響き渡る。原っぱにいるとばかり思っていた。彼がいるには巨大なドームのような建物の中だ。二人がかりで抱えるような大理石の柱が林立している。柱に巻き付いた龍が何匹も彫刻されている。実に精巧な彫り物だ。龍が生きているように見える。床も磨きぬかれた大理石だ。

・・・こっちへ来い・・・頭の中の声が導く。神野は用心深く歩く。周囲を伺う。窓はない。光源は天井からだ。

 柱の間を3百メートル程歩く。

前方が一段と高くなっている。そこには巨大なスクリーンがある。自転しながら地球を回転している月の姿が映し出されている。その手前に背もたれがある。一人の男が神野を背にして、スクリーンに見入っている。

 神野の手にはしっかりと拳銃が握られている。

・・・お前は私を裏切ったな・・・頭のなかの声が怒っている。その声の主が前方の人物だと推測する。

「お前がルシファーだな」神野は詰問する。

・・・私は人類の神だ。お前の主人だ・・・

「こちらを向け、顔を見せろ」

 神野の言葉が終わらぬうちに、背もたれが機械じかけのように、くるりと回転する。強烈な採光の中、その人物はゆっくりと立ち上がる。段を降りて、神野に近づく。

「お前は!まさか・・・」神野は絶叫する。人物の影が闇の中から現れる。その姿を見て、神野は失神する。


 地球を一周した月は、ゆっくりと地球を離れていく。世界中の人間がその月を見守っている。大型ディスプレイに映し出される月。数千の群衆がそれを見守る

 その中の一人の男の子がクローズアップされる。金髪で年の頃は8つくらい。色が白く、頬が紅潮している。ディスプレイの中の月を見上げる少年の眼に涙が光る。諦めと悲しみの混じった表情だ。

 少年の口から涸れた声がもれる。

「グッドバイ・ルナ・・・」少年は何度も呟く。その表情が全世界のテレビモニターに映し出される。

「グッドバイ・ルナ・・・」

 少年の周囲の人達も悲しみの声を発する。それが巨大な波となって、全世界の人々の心に響く。

 グッドバイ・ルナ

 月に届けとばかりに、全世界の人々が和する。


                       望郷


 望月彰太郎は、はっとして眼を覚ます。時計をみると夜中の3時。近頃おかしな夢を見る。夢を見ている時は夢と判る。眼が覚めると夢の内容が全く思い出せない。不安な気持ちだけが心に残る。

それと同時に、30年前に捨てた筈の故郷が懐かしく感じられる。再び床に就く。

 2013年、望月は45歳になる。独身、小柄で風采が上がらない。丸顔で度の強い眼鏡をかけている。分厚い唇に、団子鼻、印象の薄い顔だ。性格もおとなしい。

 時は3月。春の気配が感じられる。ここ常滑は飛行場の需要で潤っている。望月は常滑焼の朱泥の急須を作る工場で働いている。

 常滑に来て、すでに20年。町の雰囲気に溶け込んでいる。人と争わないし、愛想が良いので、人に好かれる。

 彼の住まいは、飛行場から約4キロ東にある丘陵地帯の3軒長屋の一番西。畳半分の玄関、4.5帖の台所、4畳半と6畳の和室、トイレ。風呂は外にある。

 西の窓から、飛行機の離発着が手に取るように見える。飛行場が間近なのに静かだ。勤め先は自転車で10分ぐらいで行ける。毎日が平穏に過ぎていく。


 彼の生まれ故郷は青森県鹿角群鉛山、東に十和田湖が広がっている。望月は15歳の時、追われるようにして故郷を捨てている。彼が10歳の時、翔禄神道社という新興宗教が、同県東郡平内町を中心として多くの信者を集めていた。

 この教団の特徴は超古代に栄えた月信仰の復活にあった。十和田地方には庚申塚が多く残されている。豊作祈願の23夜の行事等が古くから行われている。翔禄神道社の教祖、白沢清史郎なる人物は、1918年、陰暦8月22日の夜、荘厳な神の声を聞く。

ーー我は月の神なるぞよ。明日(8月23日)は我が命日なるぞよーー

 戦前は片田舎のささやかな教団だった。戦後十和田地方に多くの信者を獲得していく。望月の両親も入信する。望月の周囲に入信者の数が増えていく。

 望月15歳の時、翔禄神道社の信者が殺される事件が起こる。それも狙いを定めたように、信者のみが殺される。その数も日増しに増えていく。警察に駆け込んでも、型通りの捜査をするだけだ。どこの誰がどんな目的で殺人をおこなうのか、全く不明だ。

 夏の或夜、数人の黒ずくめの男達が望月家を襲う。運良く、望月彰太郎は、別棟の納屋にいて難を逃れた。両親を殺されて、彼は故郷を後にする。以来一度も青森に帰っていない。


 真夜中に眼が覚めて、頭が冴えている。故郷や両親の事が妙に生々しく思い浮かぶ。悲惨な思い出を忘れることが出来ない。

・・・一度帰ってみたい・・・郷愁の念にかられる。だが帰るのが怖い。

望月は起き上がると、42インチの液晶テレビのスイッチを入れる。ホームページを検索して、十和田湖を映しだす。何度見ても懐かしい光景だった。

 殺された両親を弔って、早々に故郷を出ている。あれから30年・・・。まさか、今だに殺し屋がいるとは考えられない。意を決して里帰りしようかと考える。


                     庚申待ちの夜


 2013年5月、望月彰太郎は、鉛山の麓に佇んでいた。常滑沖にある中部国際空港から青森県の八戸飛行場まで行く。東北本線に乗り換えて、三戸群南部町の、さんの駅に降りる。そこからバスを乗継して十和田湖まで走る。

十和田湖の南東部には湖畔の乙女像や十和田神社、瞰湖台などの名勝が並ぶ。観光客も多い。

 北東方面には十和田湖湿原郷から十和田湖まで十和田おいらせレインが走っている。その周辺は十和田八幡平国立公園となっている。奥入瀬渓流や阿修羅の流れを中心として、11もの滝が密集している。一大観光地だ。

 望月の故郷鉛山は十和田湖の西側、和井内神社の近くにある。この周辺だけは数10年の昔から僻地である。望月が生まれた頃から、すでに過疎化の現象が生じていた。

 和井内神社は県道沿いにある。国道103号線と102号線が十和田湖を包み込むようにして、北から東、東から南へと走っている。国道沿いに名所、旧跡、温泉地が密集している。片や湖の西側約10キロは空白地帯、名所や温泉は1つもない。県道が走っているだけだ。

 それでも和井内神社を中心として、10数軒の民家が点在している。鉛山は和井内神社のすぐ南側にある。その麓に望月の家があった。

 5月ともなれば東北地方でも心地よい風が吹く。樹木の色も青々として気持ちよい。

 望月の生家は雑草が繁殖している。30年の歳月は望月の望郷の念を無残に打ち砕く。記憶の残滓に浸ろうと、しばらく佇む。無性に涙が出てくる。

 両親を殺されて、自分は追われる様にして故郷を捨てた。無念やるかたない憤懣が望月を襲う。十和田湖の湖面は藍色に染まっている。波静かだ。

 殺された両親は部落の者の手で先祖の墓に丁重に葬られた。それが唯一の慰めとなっている。

 和井内神社を中心とした部落は昔から望月部落と言われている。全員が望月の姓を名乗っているからだ。当然親類縁者も多い。

・・・自分を望月彰太郎と知る者がいるだろうか・・・

30年の空白を埋めることが出来るか、不安が心に拡がる。彼は紺のサファリコートを着ている。トレッキングシューズは長距離を歩くに適している。

 部落に入る。ここは豪雪地帯なので、屋根の勾配は緩やかだ。屋根に積もった雪下ろしは、部落総出で行う。何をするにも助けあって生きていく。昔の事が眼に浮かぶ。

 部落の周囲には畑が拡がっている。部落の北の奥に和井内神社がある。腕時計をみると、昼の2時、畑の他に野菜や果物も栽培している。数人の男女が耕作に勤しんでいる。

「こんにちは」望月彰太郎は声をかける。一人の男がぺこりと頭を下げて望月を見る。首に回した手ぬぐいで顔を拭きながら、望月を凝視する・野菜畑から飛び出してくる。年の頃は40くらい。眼が大きく、眉が濃い。白髪混じりの頭を手ぬぐいで払う。ねずみ色の作業服のほこりを軍手でおとす。

「あんた、もしかしたら、彰ちゃん?」

 男は大きな声で呼びかける。

「わしだがね。ほれ、吉蔵だがね!」人懐こい声で望月の手をとる。軍手の土が望月の手につく。

 吉蔵と名乗る男は慌てて軍手を脱ぐ。

「吉っちゃんか!」望月は吉蔵に抱きつく。幼なじみとの久し振りの再開だ。。破顔の吉蔵の後ろから中年の女と、若い男と女が近づいてくる。吉蔵は女房と子供達だと紹介する。

 望月吉蔵は耕作仕事を切り上げる。久し振りに帰ってきた幼なじみをもてなす準備をする。彰太郎はご先祖様の墓参りを済ます。

 夕方吉蔵の家で歓待の宴が始まる。望月彰太郎を一目見ようと、部落の面々が、三三五五集まってくる。酒宴を催しながら、今日までの経緯を語り合う。

 望月彰太郎は部落を出奔してからの三〇年間を手短に話す。話しながらも耳をそばだてる面々の顔を見る。三〇年前の記憶が蘇生する。半数は知った顔だ。過疎化が激しく、人口が減っているとばかり思っていた。現実は都会生活に幻滅を感じてのユーターン現象が起こっている事をしる。若者が村を支えているという。人口は300余人。

ここ鉛山の部落では、時間が止まっているみたいだ。30年前の事を昨日のように覚えている。望月彰太郎の両親が殺された事件は、今でも語り草となっている。

「よう、無事で帰ってきた・・・」彼らの感嘆の声だ。望月彰太郎は部落民の一員である事を自覚する。

「4日後に庚申待ちの夜がある。彰ちゃんも出なよ」

望月吉蔵は親しみをこめてすすめる。

 庚申待ちの夜とは、庚申の日の夜を不眠で過ごす。

本来は庚申の日に行う行事だが、ここ十和田地方では、23日の夜に行っている。その謂れは不明。23夜の行事は旧暦の正月、8月、12月に行われていた。その時の月の満ち欠けによって農作物の吉凶を占う。月の出が早ければ吉。遅ければ凶。雲がかかっていれば温暖な年、晴れていれば冷害。その時の月の状態によって1年の作物の出来具合や天候を占い、月に豊作を祈願する。

 だが、同じ十和田地方でありながら、鉛山部落のみは、庚申待ちを毎月23日に行う。豊作の祈願はしない。部落の主だった者が和井内神社に集まる。たとえその夜の月がどのような状態であろうとも、神殿の中で夜を過ごすのである。


 庚申の日の夜とは・・・。

人間の体の中に3さんしという3種類の虫が棲みついていて、常時その人間の言動を監視している。

 この虫は、庚申の日の夜、当人が眠っている間に、密かに体を抜け出す。天に昇り、天帝にその素行、悪事を報告する。天帝はそれ相応の罪状を判定する。重科の場合は命をとる。あるいは命を縮める等の処置をとる。これを防止するためには、庚申の日の夜、不眠で起きていなくてはならない。こうして3尸の虫が体から抜け出さないようにする。同時に天帝を崇拝する事が大切となる。

 5月23日、夜7時、望月彰太郎は鉛山部落の一員として、和井内神社の神殿にいた。


                     闇の支配者

 神殿は四方、4間幅の板の間、北側に和井内神社の神様が鎮座している。古くからの言い伝えでは月に関する神様といわれている。それ以上の事は、古老に尋ねても芳しい返事は返ってこない。

 集合したのは12名。その中に望月吉蔵もいる。齢95歳の長老もいる。32帖の広さのある神殿で車座を組む。中央にローソクが一灯あるのみ。

 望月彰太郎の心の内に戸惑いがある。望郷の念にかられて生まれ故郷にやってきた。4,5日逗留して帰るつもりだった。泊まる所がなければ近くの温泉につかって、骨休めを兼ねる予定だった。それが鉛山部落の一員として、庚申待ちの夜に出るはめになった。彰太郎を含めた12名は皆望月姓。

望月彰太郎はこの場の雰囲気に違和感を抱いている。30年という空白が断絶となっている。彼は覚めた眼であたりを見回す。

「今日は久し振りに帰ってきた者がいる。その者のために、改めて庚申待ちについて述べる」

 長老は神様の鎮座する神棚を背にして胡坐している。夜は冷えるというので、皆厚着である。白髪の長老は綿入れを着込んでいる。しょぼついた眼を瞬かせて、歯のない口を動かす。

 

 ーー庚申待ちの行事は、本来は道教の思想から出ている。

 3世紀末頃、三国時代から西晋の時代に、東晋の学者葛洪の著した抱朴子に出てくる。5世紀にはすでに中国では広い範囲に、庚申待ちの行事が行われている。

日本でも道教思想を受けて、平安時代の貴族の間で、庚申待ちは顕著な行事となっている。この夜を過ごす際、詩歌管弦の遊びを催す”庚申御遊”と称する宴をはるようになる。

 中世の武家社会になると、一般の夜待と同じように、会食談義を行って徹宵する風習が伝わる。庶民の間でも、サル(猿)に対する信仰と結びついた庚申信仰が一般化する。

 室町時代後期から庚申待供養の塔や碑に”申待”と託したり、山王(日吉山王)の神使猿を描くものまで現れる。こうした塔は庚申の年ごとに建てられた。塔を築く際に酒壺をその下に埋めておき、60年ごとに取り替える伝承さえあらわれる。

 しかし一般的には、近世の庚申待ちには3尸虫の伝承の影はなくなり、サルも関係がなくなっていく。現在では庚申の石碑が見られるものの、庚申待ちの行事は廃れて、一部の地方を省いては忘れさられている。

 次に23日。この日が重要視されたのは一般的ではない。十和田地方のみの風習と考えられる。23日が神聖視されたのは、古代の暦と関係がある。古代の暦は月の運行を基準にした太陰暦である。

 紀元前の古代ローマは、1年を12ヶ月を355日とする太陰暦を用いている。この暦では通常1ヶ月は30日であるが、調整のために29日を設け、1年最後の日を23日としていた。この

最後の月の名をフェブラリィで、現在では2月の月名となっている。

 古代ローマ暦では1年が355日なので、1太陽年とは10日程ずれる。これを調整するために、2、3年に一度マルケドニウスという名の閏月を設ける。この月の数が23日であった。後年は閏月を設ける事をやめ、フェブリアリウス月に閏月を追加する方法を取る。この場合も最後の日に加えずに、23日の翌日をまた23日とする方法をとった。

 こうしたことから、古代ローマではフェブリアリウス月の23日は特別な日とした。

 フェブリアリウスの語源はフェブリオ(死神)と言われる。現世が終わる(死ぬ時)、それがフェブリアリウス月の意味となった。この月齢23日で現世が終わり、また新しい世が始まる。

 23日の日が神聖視されるには、以上のような背景があったーー

 長老の声は年の割には張りがある。一語一語しっかりしている。

ーー23日の日、庚申の日の真の意味は、誰にも判らぬ。永遠の謎じゃーー

ーー太古、地球には月がなかった。天帝の乗り物として、月が地球の周りを回るようになる。それまで地球に住んでいた人類は、天帝の天地異変によって滅ぼされる。天帝と一緒にやってきた神々が、その後の人類となったーー

 突拍子もない話に、一同は固唾を飲む。ローソクの炎が揺らめく。長老の表情の陰影が濃くなる。

ーー約100年前、翔禄神道なる宗教組織を作った、教祖の白沢清四郎は、月こそ地球の神だと声高に宣伝したーー

「彰太郎や・・・」長老の目は慈しみ深い。落ち窪んだ眼で、彰太郎の小柄な体を眺める。

「お前の両親が殺されたのは、地球の神としての復活を声高に主張したためだわ」

「誰が殺したんですか」彰太郎は思わず叫ぶ。

「闇の支配者・・・としか判らん」

「闇?」

「太古から連綿と続く闇の組織。月の信奉者達を抹殺するために作られた暗殺集団・・・」

「それは!」

望月彰太郎は絶句する。ずり落ちそうになる鼻眼鏡をたくし上げる。

 翔禄神道が月の復活を声高に叫んだところで、たかがか片田舎の宗教団体だ。信者を殺さねばならぬ程世間を騒がした訳ではない。

 翔禄神道は今でも布教活動を続けている。3代目の教祖は健在だ。殺されるべき教祖が生きて、生きるべき彰太郎の両親がどうして殺されなければならなかったのか。

この疑問に長老は口をつぐんだままだ。


 夜が深くなる。時々トイレに出かける者以外誰も身動きしない。しわぶき1つ聞こえない。平安朝の貴族の様に音楽を聞いたり酒を飲む者もいない。ただそこにいるだけだ。ローソクの炎だけが、寂しい光を放つ。

「長老・・・」彰太郎は静寂を破る。

「闇の支配者について、もっと教えて下さい」

 長老は眠たそうな眼を向ける。

「何も判らん。太古の昔から月の神、天帝と闘っているとしか・・・」

 彰太郎はそれきり口をつぐむ。

 深夜の3時にローソクの光が消される。明け方の5時まで漆黒の闇となる。


                      暗殺者


 2013年夏、神野紘一は名古屋市昭和区富士見ヶ丘にいた。南に八事霊園がある。北の方に八事日赤病院や中京テレビ、名古屋大学などが控えている。

 この一帯は高級住宅街である。深夜2時、神野は黒のスポーツウエアにマスクを被る。人気のないのを見届けて、とある屋敷の塀を乗り越える。猿のように身軽だ。高さ3メートルはある塀を縄1つで難なく飛び越える。

 塀の内側は広々とした日本式庭園となっている。その奥に中二階の入母屋の屋敷がある。百坪はある大きな家だ。庭園の庭石を猫のように飛び跳ねて、屋敷の裏手に回る。ダイニングキッチンとバスルームの間に、勝手口がある。幅1間はある引き戸だ。引き戸は真ん中に帯があり、上下がすりガラス。

・・・屋敷のガラスはすべて強化ガラス。ハンマーで叩いても割れない。中に入ると防犯ブザーが鳴る・・・この家の事はすべて調べつくしてある。

 神野はピッキング用の小道具で引き戸の鍵を開ける。物の1分とかからない。防犯ブザーのセンサーは窓や入り口、勝手口などの金物に微量の電流が流れている。そこに電磁波が生じる。”もの”が通ると電磁波が干渉し合い、センサーが働き、ブザーが鳴る仕組みとなっている。自動的に警備保障会社に通報する。

 神野は背中にくくりつけた2本の棒を取り出す。明けた引き戸の両側に取り付ける。この棒は特殊な塗料を塗った電磁波不緩衝器だ。人が通っても電磁波の干渉波は生じない。

 家の中に入る。暗視装置ノクトビジョンをつける。暗闇で物を視る装置だ。西側奥の夫婦の寝室に忍び込む。16帖の洋室にダブルベッドが2つ。1つに男が熟睡している。彼は10年程前から急成長を遂げてきたマイクロチップ開発会社の社長である。

 神野は背中に背負った簡便用のリュックから小さな瓶を取り出す。寝入っている男の鼻をつまむ。男は無意識の内に口を開ける。すかさず神野は瓶の中の液を口の中に垂らす。

 この液体はスズランから抽出したユニバラトキシンだ。致死量、60キロの体重の大人で18ミリグラム。

ーースズランの花畑で寝るなーーこんな言い伝えがある程、強い毒性を持つ。急激な眠気に襲われて、心不全で死亡する。この毒は水溶性なので、体内に残らない。 自然死と見せかけるために暗殺者が好んで使う毒だ。

 神野はすべての作業を終えると、塀を乗り越え、黒のスポーツウエアを脱ぐ。近くに止めてある白のカローラバンの中で半袖シャツに着替える。

・・・任務完了・・・神野は心の中で叫ぶ。

・・・ご苦労・・・耳元で声がする。闇の支配者だ。


神野紘一は暗殺者だ。彼は東京の中産階級に生まれたが、5歳の時に両親が死亡。母の弟と名乗る男に引き取られる。

 山梨県大月市の彼の家で18歳まで過ごす。高校卒業まで何不自由なく過ごす。学校に通うかたわら、男から徹底的に武術の訓練を受ける。高校卒業と同時に、テヘランに連れて行かれる。

 テヘランの西北にある、エルブルズ山にアラムートの城壁がある。ここには11世紀から13世紀に猛威をふるった、イスマイリ派の支派ニザリ教団、別名”暗殺教団”があった。ここでは古来から薬”ハッシッシュ”が栽培されている。フランス語で”暗殺者”をアサシンという。ハッシッシュに由来している。

 二ザリ教団の創始者はハッサン・ビン・サバーブ。彼は1030年頃に現テヘラン近くのライーの町に生まれる。その後各地を転々とする。

 1090年、アラムートの山城を奪って、二ザリ教団の本拠地とする。以来死ぬまでここから外に出る事はない。

 彼の目的は原始イスラム教の絶対性を復活することだった。それを邪魔する者、反対者は容赦なく殺していく。二ザリ教団の信徒は狂信的でハッサンに絶対の忠誠を誓っている。ハッサンの命令とあれば暗殺を嬉々として行う。こうして二ザリ教団は勢力を拡大していく。

 1124年、ハッサンは90歳で死亡。しかし暗殺教団の勢力は衰えることなく、それから約150年続く。

 1256年、フラグ・ハーン率いる蒙古軍により、ニザリ教団8代目フールシャーは殺され、二ザリ教団は歴史の舞台から消える。

 しかしニザリ教団は宗教色を払拭して、暗殺集団”アサシン”として歴史の陰で連綿と続く。その目的は暗殺の依頼を受けて、多額の報酬を得る事だった。

 神野はアラムート山に送りこまれ、暗殺の為の訓練を受けることになる。以来10余年、厳しい訓練に耐えて日本に還る。


 山梨県大月市の”母の弟"の家に帰るが誰もいない。彼の代理人と称する弁護士から、土地、屋敷の譲渡証明書、それに多額の現金とA4版の角封筒を手渡される。封筒の中にはこの家の地下室にある銃器、火薬類、暗殺に使用する道具や薬草などの数量が記されていた。

 神野紘一、29歳の春に、暗殺の指令が入る。入るーーという表現は適切で無いかもしれない。

「・・・を殺せ」指令の声は男だ。電話でもない。彼の耳元にはっきりと聞こえる。驚いてあたりを見回すものの人気はない。

・・・テレパシー・・・神野は驚愕する。すぐにも冷静になる。

・・・あなたは・・・  

・・・闇の支配者・・・余分な言葉は一切ない。必要な内容だけを神野の耳元に送る。

 神野は”アサシン”で受けた教育で暗殺の依頼についてのイロハを習得している。

ーー殺す相手に関する情報、殺す動機や理由、依頼者に関する情報などーー

 報酬はまず50パーセントを振り込んでもらう。振込確認後、殺す相手、殺す動機などを神野自身が調査する。依頼の内容に嘘、偽りが無ければ仕事の遂行に移る。僅かでも嘘偽りがあった場合は、仕事は放棄、報酬の前金は返さない。仕事が完了後残金を振り込んでもらう。

 神野を陥れる入れるための”ワナ”と悟ったら、依頼人の抹殺を計る。

ーー闇の支配者ーーは神野の質問に答える。暗殺する相手の情報は、神野が調べあげたものと一致する。

 問題なのは、闇の支配者の情報が一切無い事だ。当初、神野は暗殺の実行に躊躇する。”ワナ”かも知れないと疑うのが自然なのだ。だが闇の支配者の声は有無を言わせない強さがあった。

 それに動機が奇妙な事に”月”に関係があった。 

名古屋市昭和区富士見ヶ丘の社長殺しもそうだった。この社長は1代で巨万の富を築いたが、彼は当時関西で流行した新興宗教の幹部だった。教団運営の中心人物であり、多額の寄付金を納めていた。その教団は太陽信仰の否定、月信仰の復活を大々的に宣伝して、多くの信者を獲得していた。

 暗殺者は依頼人の心情や動機に動かされることはない。与えられた仕事を無機質に遂行するだけだ。


                    月の謎


望月彰太郎は故郷での庚申待ちの夜を体験する。以来月に関する興味にとらわれる。図書館で月に関する本を漁る。

 月は人類にとって、一番身近な星だ。にも拘らず月程不可解な星はない。

 1968年12月11日、アポロ8号がケネディ宇宙センターから人類初の月旅行に飛び立つ。目的は将来の月の着陸点のチェック。

 1969年7月16日、アポロ10号の月周回によって月着陸に向けての用意が整う。

 1969年7月20日、アポロ11号の船長ニール・アームストロングは月面に人類初の第1歩をしるす。引き続いて12号から17号までの約3年半、月表面の有人探査が行われる。種々の地質学的調査と、月の岩石約400キログラムを地球に持ち帰る。ここにアポロ計画は完全な成功を収める。

 月の謎を解明するために地震計が設置される。アポロ12号では、使用済みになった月着陸船イントレピッドを、故意に月に衝突させる。地震計のチェックによって、月面は約1時間も振動し続けたのである。

ーー月はゴンと叩くと、鐘のようにグワーンと鳴り響いたのだーー


12世紀のある新月の夜、イタリアのカンタベリー寺院の僧侶は、月の上部が裂け、炎が吹き出すのを肉眼で見た。巨大な隕石が月に衝突する様を目撃している。

 アメリカの月科学研究所のジョン・ハータングによると、この衝撃によって始まった振動は、8百年後の今日まで続いているという。

 次に、月面は1日の温度差が280度もある。地殻が終始伸び縮みしている。にも拘らず岩石に歪みがない。不可解な事実が明らかとなる。

 アポロ宇宙船が持ち帰った月の岩石や土のサンプル、この中に46億年前に出来たと推測される岩石が見つかる。

 46億年前と言えば、太陽系が誕生した時代だ。地球や火星などの惑星が、星間ガスからできた微惑星の集積によって形成されたと考えられた時代、つまり地球の誕生よりも古い岩石なのだ。

 その他にも多くの謎がある。アポロ計画で月の謎は解明出来る筈だった。現実は多くの謎が現れただけだ。


 望月彰太郎は故郷での庚申待ちの夜の出来事を思い出す。長老から聞かされたのは、庚申待ちも23夜も、月に関係があ事だ。両親が殺されたのも月の復活をかかげた新興宗教に関与したためであると知る。

 あの日・・・。望月は庚申待ちの夜を思い出す。

 真夜中の3時にローソクの火が消される。俗にいう丑3つ時である。11時から1時までがの刻、1時から3時までが丑の刻だ。

 あの時神殿は漆黒の闇となった。

「眠りたければ横になってもよい」長老の声が響く。その声に引き寄せられるように、望月は急激な睡魔に襲われる。眼を覚ましたのは朝の7時。神殿内には誰のいなかった。

 睡魔の間、望月は奇妙な夢を見る。

目の前に太陽が輝いている。暑くはない。上をみると金色に輝いた天井がある。下をみると金色の大地がある。太陽は巨大な金色の壁に囲まれた空間の中央で光を放っているのだ。空間には無数の人間が天使のように浮かんでいる。

・・・ここは月の中の世界・・・声がする。中央の太陽から発せられる。澄み切った、胸に響く声だ。

「あなたはどなたですか」望月は夢の中で尋ねる。

「私は月の神、天帝、またの名を天照大神・・・」

 姿はない。声のみが歓喜の渦となって望月を包み込む。

ーー眼が覚めた時、望月の眼には、うっすらと涙が光っていたーー

 望月彰太郎はは故郷を後にする。別れ際、長老が呟く。お前の両親は殺された。だが暗殺の真の目的はお前だ。暗殺者に気をつけろ。そして・・・、闇の支配者に注意しろ。



                   次なる暗殺指令


 2013年12月。神野紘一は、闇の支配者からの指令を受ける。ターゲットは神道系の某宗教団体の指導者。

 指令による情報。

 某宗教団体の指導者=月沢教祖は20年前神奈川県で教団を設立する。若い頃から滝行や断食、山歩きなどの修行を通じて、病気平癒などの治癒能力に目覚める。手を患部にかざすだけで病気を治す。噂が噂を呼ぶ。たちまち数十人の熱烈な信奉者が集まる。自然発生的な勢いで教団は膨れ上がる。

 神道系の宗教組織であるが、これと言った教義がない。伊勢神道の流れを組むことで天照大神=太陽神を主神とする。積極的な布教活動は行っていない。膨張といったところで信者数は数千人。

 ところが、十三年前、西暦2000年に、突如変身する。天照大神は実は月神であると声高に叫ぶ。手かざし能力にも磨きがかかる。信者の獲得にも積極的に乗り出す。全国各地を周り布教に専念する。手かざしの効果と相まって、2013年には信者数は数十万人を数える。

 今や月沢教祖は信者にとってカリスマ的存在。神に等しい扱いを受けている。

 指令による月沢教祖抹殺の理由は、天照大神=月神としたことだ。教団が小さい内は社会的影響力は微力だ。今や数十万余の信者をかかえ、その数も年年歳歳爆発的に増加していくと予想される。

 闇の支配者は答える。

 天照大神=太陽神ならば問題なかった。月神崇拝に移行し、大々的に世に広めようとする行為は許しがたい。今、月沢教祖の言動は世間の注目を集めている。その影響力は計り知れない程大きい。彼の活動の息の根を止めねば、神道界の主神天照大神の太陽神としての威信は根底から崩れ去る。

 月沢教祖の抹殺方法。

彼のカリスマ性を剥ぎ取り、自殺と見せかけること。

 

 神野の行動は素早い。出来得る限りの情報を入手。闇の支配者の情報に間違いが無いことを確認する。

 月沢教祖、2013年現在56歳。妻子なし。独身。温厚で真面目な性格。手かざしによる治療は相手を選ばない。普段は柔和だが、一旦祭壇に立ち、教義について熱弁をふるうと、人が変わったように激しい口調になる。聞く者を厭かせない。涙を流して伏し拝む者、体を震わせて号泣する女性。教祖の説教を聞くだけで病気が治るという奇跡も続出。月沢教祖のカリスマ性はいやが上にも高まる。 月沢教祖の普段の生活の場は教団の執務室である。お伺い所と称する隣室で信者との個人面談を行う。

 教祖の私的な生活の場は、神奈川県内にある高層マンションの最上階だ。この場は教団の幹部数人しか知らない。神野は教祖の行動の細部にわたるまで調べあげる。神奈川の高層マンションには、どんなに多忙でも、1ヶ月に3日は滞在することを突き止める。

 神野は1人の女性を信者として送り込む。人生相談と病気平癒の相談と称して、教団のお伺い所で教祖と対面させる。彼女は若くて美貌の持ち主だ。セックスアピールに耐えるほどの肉体美も備えている。それでいて、教祖好みの清楚な雰囲気を醸し出している。

 何度か教祖と対面を果たす内の、彼女の潤むような眼差しは、教祖の心に刻みこまれる。

 頃を見計らって、神野は教祖が高層マンションに滞在する日に、女を送り込む。女の来訪を見て教祖は驚愕する。女は教団の幹部からここを聞いたと告白する。その上で切ない胸の内を打ち明ける。せめて1夜だけでも教祖と過ごしたいと涙ながらに訴える。

 女の涙に勝てる男はいない。

 高層マンションは1階がレストランになっている。食事を自室まで運んでもらう事ができる。ウエイターに扮した神野が食事を運ぶ。

 月沢教祖は無類のコーヒー好きである。1日に4杯は飲む。神野はコーヒーの中にヒヨスの液を混ぜる。この草はギリシャ神話では、”愛の秘薬”として登場する。

ーーホメロスのオデッセイアに登場する魔女のキルケーは、オデッセイアをおびき寄せる為に彼の部下を豚にする。

 それを知ったオデッセイアはキルケーの館に乗り込む。美しい姿をしたキルケーはオデッセイアを誘惑する。キルケーの用意した料理を食べ、特製の飲み物を飲む。1日のつもりでいたオデッセイアは、気が付くと1年もキルケーの館にいた。

 キルケーが勧めた飲み物にはヒヨスが入っていた。この草の成分、ヒヨスチアシンやスコポラミニはLSDのような幻覚と酩酊感を味わうことが出来る。石部金吉のような男でも、性的欲求に溺れる。

月沢教祖のマンションはリップ専用で上流社会の為のマンションである。彼の部屋は50坪の広さがある。家具やリビング、キッチン、ユニットバスなど、すべて高級な品物が揃っている。

 神野は前もって、彼の部屋の寝室の天井裏に録画装置をセットする。月沢教祖はコーヒーを飲む。女とベッドで痴態のの限りを尽くす。その光景はすべて録画される。女の顔は写らないように編集する。マスコミに流す。

 テレビや週刊誌などで、センセーショナルな事件として報道される。インターネットでも取り上げられる。教祖としての権威は失墜する。教祖は世間の好奇の眼にさらされる。マンションに引きこもる。

 夜、神野が彼の部屋に忍び込む。教祖は酒に溺れて前後不覚の状態だ。神野は彼を首吊り自殺に見せかける。


                  秘密結社 12人委員会


 月沢教祖の首吊り死体はカーデガン姿である。髪の手入れもしていない。無精髭ものび放題。

”神の如く教祖”として崇拝されていた威厳のある面影はどこにもない。小肥りの醜い姿が、はだけたカーデガンからむき出しとなる。神野はその姿をデジカメにおさめる。後日マスコミに流すためだ。

 この時、ベッド横の几帳の裏で携帯電話が鳴る。几帳に掛けた月沢教祖の服の内ポケットの中だ。神野は少しためらった後、思い切ってスイッチオンにする。

「教祖さん、わしだ。浜島善之助だ。チャンドルの会への出席はなかった事にする」

 声の主は一方的に喋るとスイッチオフとなる。

・・・浜島善之助・・・チャンドルの会?

神野紘一は呟く。どこかで聞いた事がある・・・。

そう思った時、「ご苦労、任務は遂行したな」闇の支配者の図太い声が耳元で響く。驚いて辺りを見るが、誰もいない。

「立て続けだが、次の指令を与える」 

声の調子は一方的な命令口調だ。神野は月沢教祖の部屋を出ながら、指令の声に聞き耳を立てる。暗殺者としての神野も動作には無駄がない。眼鏡を掛けて髭をつける。白髪混じりのかつらを被る。霜降りコーヂュロイジャネットを着こむ。どこから見ても温厚な老紳士の散歩姿としか見えない。エレベーターで1階まで降りる。レストランでワインを注文する。周囲に眼を配るが、誰も気に留めない。その間、指令は驚くべき事を告げていた。神野が驚愕するが、表情は穏やかだ。

「今の電話の主、浜島善之助を殺せ」

 神野は舌を巻いている。電話が鳴ったのを、どうして知るのか。闇の支配者は神のような超能力者なのか・・・・

 声は神野の疑問には答えない。

「浜島は私の手足だった。彼は私を裏切ったのだ」

「浜島とはどんな人物か?」

「彼は日本の闇の帝王、私が日本の支配者として任命した、12人委員の1人だ」


神野はあっと声をたてる。隣の席の夫婦が神野をチラリと見る。すぐにも自分達の会話に没入する。

 秘密結社12人委員会は知る人ぞ知る、世界最高の秘密組織だ。この実体を知る者はいない。神野の指令者、闇の支配者がその頂点に立つというのだ。

 12委員会は文字通り世界人類を支配する選ばれた12人の集まりだ。浜島善之助はその1人と言う。

彼の名前は薄々聞いて知っている。日本の総理大臣さえも、浜島の意向には逆らえない。彼に楯突く者は誰であろうと抹殺される。

 日本の進路は国民や政党としての与党が決定するのではない。表向きはそうであっても、実際には浜島の胸3寸ですべて決定される。彼のバックには巨大な組織が付いている。

 その男をいとも簡単に殺せという。

「あなたは一体何者だ!」

 神野はレストランを出て商店街のアーケードを歩く。

「私の名はルシファー。かっては人類の神の中の神だった」

「神とは・・・?」

「天界、つまり月の世界の支配者、天帝・・・」

 神野は口をつぐむ。話があまりにも大きすぎる。彼の想像力の範疇を超えてしまっている。

「浜島を無惨に殺せ」

 ルシファーの声は圧倒的な力を持っている。抗うことは出来ない。神野の心には、すでに浜島善之助暗殺の計画が練られている。


                     天照大神


 2014年3月、神道系宗教団体、月沢教祖のスキャンダル、首吊り自殺とマスコミを騒がす。

 望月彰太郎ははテレビに釘付けとなる。

・・・彼は自殺ではない・・・望月は確信していた。

”月信仰を声高に叫ぶ者は容赦なく殺されていく。不気味な暗殺集団が存在する。

・・・自分もターゲットの1人なのだ・・・

 幸いな事に、望月は名誉も地位も金もない。月信仰のを声高に叫んだ事もない。46歳になったばかりの”しがない”風来坊なのだ。ここ常滑の町はどこの馬の骨とも判らぬ者でも暖かく迎えてくれる。借家を借りる時も、工場の雇い主が保証人になってくれた。家賃も安い。

 常滑の人間は昔から勤勉な者が多い。知り合いの電気屋さんが言うには、昭和40年代、常滑ではミシンの販売だけでは喰っていけなかった。ミシンを利用する家庭は極めて少なかった。大半の家庭の主婦は針仕事で普段着を縫う。

 ”しみったれ”という言葉がある。ケチという事だが常滑ではしみったれが良い意味で使われている。

常滑は昔から焼き物の産地として有名だ。人出に頼る仕事が大半なので、労働力の確保に眼の色を変える事になる。好き嫌いを言わなければ喰っていける環境にあった。

 望月の仕事は朱泥の急須の鋳込みと仕上げだ。時代が進んでもこの仕事は昔から手作業によっている。機械化が難しいというよりも、零細企業ばかりだから、その余力がないのだ。望月の仕事場は常滑駅から1キロ程東に入った所にある。朝9時から夕方4時まで。休日は週2日。

 望月は派手な遊びはしない。本は図書館で借りる。もともと読書好きだ。昨年故郷に帰って以来”月”

に関する本のみが眼につくようになる。

 今年になって、月沢教祖の自殺が話題になるが、教団の主神、天照大神が月の神様だと言うことが、全く話の種にならない。マスコミやテレビ局、週刊誌などが、口裏を合わせたように口を閉ざしている。何か大きな圧力で箝口令が敷かれている気がしてならない。

 望月は月沢教祖の死よりも天照大神=月神に興味を持つ。天照大神とは、あまてらすおおみかみと呼称する。”あま”とは女性を呼ぶ言葉だ。太陽を男性とすると、月は女性になる。

 神道の祝詞にはいろいろな神が登場する。それは決まって、あまの何々の神と、あめがつく。普通言われているのは、大昔天あまと名乗る人々が日本に定住した。全国各地に祖先神を祭ったのが神道の始まりという。

 あまはもともと海だった。海を渡ってやってきた海洋民族だったと言う説もある。それならどうして、あまを海としないのか。海をあまとするのは無理がある。

 百科事典で、”あま”を引いてみる。

尼=比尼びくにを略して尼と言う。出家して仏門に入った女性。

 海女=潜水して海中の魚介海草を採る女。

 どちらも女性である事が特徴だ。

 あま=女である事は大半の日本人は知っている。だが、あまがどうして女なのか、明確に答えられる人は少ない。


 1998年に知の起源という本が出版された。

ーー人類の先祖はシリウス星から来たーーというものだ。これを信じる信じないは別の話として、この本の中に、アマに関する情報が入っている。

 シリウス星からやって来た知的生命体はノンモと呼ばれる。ノンモは自らの創造主をアンマと呼んでいた。アンマは女性であると言われる。

 シュメール神話で天界を意味する言葉はアンで、その神をアマという。これも女性である。

 エジプトの神オシリスもアンと言う名前で表記される。エジプト人でもアンは天界に関係する言葉で女性名詞だ。アンから派生したエジプトの古いアモン(アメン)神は、本来は月の神として崇拝された。後世になると、太陽神ラーが重要視される。ラーと合体されてアメン・ラー(神々の王)として崇められる。

 アフリカのドゴン族の神話によると、

ーーアンマは世界(地球)に形と、動きと生命を与えた。我々の星(月)以外(地球)にも生物の住む星が存在する。ーー

ここで重要なのはノンモの神アンマはノンモを地球に送り込み、自分は月にいて地球を支配したのだ。

 日本の神話は天に何々の神が圧倒的に多い。天照大神は当然の事として、天之御中主神、天之常立神、人間でも天児屋命、天宇受売など、実に多くの天の何々が出てくる。

 共通しているのは、天と書きながら”あめ”と読ませている事だ。天とあめを同意義語として使用している。天は本来”テン”であって、あまとは読まないが、同じ意味に使われているので、いつしか天をあまと呼ぶようになった。

 天とは元々道教の言葉である。

道教では最高位の神を元始天尊と言う。女性で月の神である。2番目には太微天帝、これも女性、月の神でありながら、元始天尊と同位と考えられている。 

 道教で天界と言えば月の世界をあらわす。太陽や星の神も登場するが、位は低い。道教では実に様々な神様がいる。日本の八百万神と同じだ。

 道教は日本では馴染みの薄い存在の様に思われがちだが、仏教や神道よりも大きな影響を与えている。社会生活の中に溶け込んでいると言ってよい。

 節分の日の豆撒きは道教の呪術がルーツである。丑の刻参りの呪いの人形のも道教思想から来ている。獅子舞いの獅子が歯をガクンガクンと噛み合わせる動作、叩歯の術は道教の呪術である。これは不老不死の祈願をあらわす。

 家を建てる時に地鎮祭を執り行う。現在の祝詞はイザナギ、イザナミの高天原の神が多い。本来は道教の神様に祈願していた。

 雷が鳴ると、”クワバラ、クワバラ”と唱える。その呪語の誕生背景には道教信仰が根付いている。

 商売繁盛や家内安全などの呪符には必ずと言ってよい程”急急如律令”と書いてある。この言葉は漢代の公文書の末筆の文字である。つまり法令に従って速やかに行えという”おかみの言葉”である。これを道教が取り入れて、ーー天の神様にむかって、”どうぞよろしく”と言う意味で使い出した。

のれんや衝立はもともと宮中や寝殿に使われていたのが、後世になって、玄関や座敷で使われるようになった(広辞苑)とするが、本来は道教思想の魔除けからきている。道教では魔は直進しか出来ないとされる。よって魔が入って来ないように考えだされたのがのれんや衝立で、障子の語源と言われる。

 人が死ぬと忌中の札が貼られる。忌中、物忌は道教の呪符からきている。

 丹念に実例を探し出せばまだまだ出てくる。風俗、習慣として社会生活に溶け込んでいる思想、それが道教である。

 仏教や神道にも道教思想が染み込んでいる。天皇ーー日本独自の呼称ではない。道教の神様、天皇、人皇、地皇の内の1人で、天皇は天帝と同じく、月の王を意味する。

 大宝2年(702)12月22日に持統天皇が崩御。殯宮もがりのみやが作られ大祓おおはらえが中止となるが、東西の文部に解除はらいつまり東文部やまとのふみべ西文部かわらのふみべの祓は、例外として執り行われたとある。その時の祈願の呪文には道教の神様が沢山出てくる。つまり、大祓より、道教の神への祈願の方が大事だったのだ。

 易や陰陽道も道教から出ている。天皇の4方杯も元々道教の儀礼なのだ。

 現在でも神社に参拝し、絵馬に祈願をかける。絵馬も道教の祈願儀式なのだ。本来は、本物の馬を殺して、生贄として神に捧げた。馬は農耕用に役立つし、殺生を嫌う、日本人独特の”けがれ”思想もあって、代用品を奉納する事になる。

 その他、孫の手のルーツは麻姑の手、てるてる坊主、護符、山開きの神事、書道、還暦の時に着る赤い着衣、刺し身にキクを添える。1日1善、金粉入のお神酒、ツルは千年、カメは万年、7草がゆ、正月のお屠蘇、羽根つきの敗者に墨を塗る。神道の禊行事、鯉のぼり、端午の節句、チマキ、七夕、中元(お中元としての贈り物)等等。

 細かく調べればいくらでも出てくる。

 以上の行事や儀礼は本来は道教思想からきている事。これらの思想には”月”の影響が大きい事があげられる。特に不老不死の思想は”月”との関係が深い。

 日本最古の物語小説”竹取物語”は道教の神仙思想の影響を受けている。かぐや姫が昇天するのは月の

世界だ。あまは天である。この2つはどちらも月の世界を意味している。月の世界の神が人間の神として君臨している。

 聖書に出てくる天使たちも月の住民だ。堕天使と呼ばれるルシファーも月の神だった。

望月彰太郎は、月が人類に与える影響は計り知れないものがあると実感する。


                   暗殺指令X


 国家機密機構と呼ぶ組織がある。これを知る者は、少人数のみ。歴代の総理大臣、官房長官、経団連の代表など、日本の権力の頂点に立つ者のみが知る、闇の組織である。この組織の支配者が浜島善之助、闇の組織の言う、12人委員会の1人。

 時の総理大臣でも、この組織には政治介入は出来ない。出来ないどころか、逆に政治的支配を受けている。浜島善之助が直接総理大臣に指令を下す。それも電話1本だ。もし逆らうと、総理大臣はたちまち失脚する。最悪の場合はあの世行きとなる。警察権力も介入出来ない。財界人も組織に逆らうと、たちまち身ぐるみ剥がされる。営々として築いてきた巨万の富も一夜で消え去る。

 国家機密機構に介入出来るものはいない。いや例外がいる。神野紘一らの暗殺集団である。

闇の支配者より暗殺の指令を受ける。ターゲットに関する情報はここから直接受ける事が出来る。

 ルシファーの暗殺指令は、この組織の長を抹殺する事だ。残忍な方法で殺せという。

 神野紘一は暗殺指令Xと名付ける。行動を開始する。

ーー浜島善之助に関する資料を流せーー

 国家機密機構は、浜島善之助がルシファーを裏切った事を知っている。暗殺指令が出たかぎりは、もはや組織の長ではない。浜島善之助は行方をくらましている。

 国家機密機構は12桁の暗証番号でホームページを開く事が出来る。それも1ヶ月毎に変更される。ファックスで、東京Xよりと称して、何月何日付の新聞の記事が送られてくる。事情を知らない者が見ればただの新聞記事だ。その末記に、何月何日にどこそこでお祭りがある。何月何日にどこで釣り大会があると記している。

 どこそことは地名だ。東京を起点として、日本を東西南北12分割してある。それを知るのは国家機密機構と暗殺集団のみ。地名から、東西に何番目、南北に何行目と判る。その行数が新聞記事の、何行目の何番をあらわす。そこに出ている文字を数字に転換する。それが今月の暗証番号となる。

 浜島善之助は闇の組織の長だ。膨大な情報があるものと期待していた。ディスプレイに表示された情報はーー年齢不詳、国籍不詳、住所不明以下・・・ーー

彼はいつ何処で生まれたのか全く判らない。住んでいるところさえ不明。

・・・浜島本人が自己のデーターをすべて消去した・・・

 彼はルシファーから消される事をして知って、いずことなく姿を消したのだ。

神野は瞑想に入る。直接ルシファーから聞くしか無い。・・・四国・・・耳元で声がささやく。次に愛媛県、南宇和島郡、観音森。 神野はかっと眼を見開く。飢えた獣のように立ち上がる。

 2014年四月中旬、神野は宇和島市にいた。車はトヨタカローラV、1500CCの白。彼の服装はグレーのジャケット。サラリーマンが休日を利用してドライブを楽しんでいる格好だ。

 国道56号線を約10キロ南下する。県道に入る。45キロ程南に行くと山出というところに出る。その東の方に海抜779メートルの観音森の山が見える。その麓に宏大な平野が拡がっている。近くに大久保山ダムがある。山出は小さな部落だ。

 山出部落から南西方向、観音森の方へ、車がどうにか通行出来る道が続いている。双眼鏡で道の奥を見る。コンクリート造りの陸屋根が見える。その周囲は数百メートルにわたって、草がきれいに刈り取られている。 

 神野は部落の雑貨屋の主人に、コンクリートの建物について尋ねる。

ーー約2年前に完成している。誰が住んでいるのかは判らない。1週間に1度、大量の食材と雑貨の注文が入る。大変な金持ちの別荘のようだーー

 神野は大久保山ダムに直行する。ダムから北の方に観音森の小山が見える。目測で距離は2キロ。神野は車の中から望遠鏡を取り出す。倍率な100倍。高性能の天体望遠鏡だ。人の表情さえ手に取るように見える。

 家に周りには、作業服を着た男が数人屯している。草を刈ったり種を蒔いたりしている。

・・・ボデイガードだな・・・彼らの身のこなしから判断する。浜島善之助は建物の中にいるにいるに違いない。暗殺を恐れて引きこもっているのだ。

 大久保山ダムは水力発電用のダムだ。ここから宇和島郡一帯に電力を供給している。浜島の建物を見ると電柱がない。地下ケーブルのようだ。建物の周囲には土を掘った形跡がない。建築は2年前というから、ケーブルを埋設するための土木工事はそれ以前に終了しているとみる。地下ケーブルは山出部落まで続く道路まであるはずだ。万一の事態も考慮して自家発電装置も備えているだろう。

 暗殺の決行は今夜。神野は計画を練る。

 夜12時、山出部落の外に車を置く。黒のハーフコートに、黒のスポーツシューズに身を包む。ショットガンと短銃を胸の吊り革に装着する。背中にバッグを背負う。暗視装置ノクトビジョンをつける。部落のはずれに変電所がある。地下ケーブル用の変圧器のコードを切断する。浜島が異常に気付いて、電力会社に連絡を入れる。変電所のコード切断に気付くまで、約1時間とみる。電力会社の営業所は約20キロ南にある城辺町だ。1時間で任務完了予定とする。

 山出部落から浜島の居場所まで約1・8キロ。駆け足で行けば約15分。神野の強靭な肉体は疲れを知らない。一気に建物の近くまで忍び寄る。

 建物の周囲には、懐中電灯を手にした数人のボデイガードが騒いでいる。電源を切られて建物の周りは暗闇だ。建物の中は自家発電装置が稼働して明るい。

 神野は背中のバッグから照準付きサイレンサーを取り出す。距離は4百メートル。神野は機械仕掛けのように、淡々と引き金を引く。狙いは正確だ。数人の影が瞬く間に倒れる。残った者は慌てて建物に逃げ込む。

 間髪を入れずサイレンサーを投げ捨てる。バッグから数個の手榴弾を取る。ズボンのポケットにねじ込む。建物の玄関は鉄製の観音開きだ。当然中から鍵をかけている。神野は手榴弾のピンを引き抜く。玄関に向けて投げる。1個2個3個と立て続けに投げる。

 鉄製の扉が吹き飛ぶ。と思う間もない。暗闇の玄関の中に手榴弾を投げ入れて破壊する。建物は3階建だ。1階の広さだけでも百坪はある。部屋の入口をショットガンで吹き飛ばす。中にいる人間は手榴弾で始末する。1階のキッチンの片隅に大型のプロパンガスが設置してある。ガスは外に置くと狙われやすいので中に入れてある。

 神野はプロパンガスの栓を抜く。ガスが漏れる。手榴弾を投げ入れる。大音響とともにキッチンの天井が崩れる。建物の壁は鉄筋で厚い。爆発の難を避ける。

 1階を始末すると、2階3階と駆け上がる。すべてショットガンと手榴弾で始末する。

 プロパンガスの爆発で建物の右半分は破壊される。火の手が上がる。玄関の左手に階段がある。その裏手に鉄のドアがある。ショットガンで鍵を破壊する。そこは地下室の入り口だ。用心深く階段を降りる。十メートルほど廊下が続いている。奥に鉄の扉がある。ショットガンでは壊れない。手榴弾で破壊する。その瞬間、銃弾が神野の肩をかすめる。床に身を伏せる。ショットガンを撃ちこむ。悲鳴が聞こえる。

 鉄の扉が倒れる。奥から光が射し込む。神野はノクトビジョンをはずす。地下室の自家発電装置が動いている。地下室は二十帖程の広さだ。食料やベッド、通信機まで揃っている。天井の証明が明るい。ベッドの奥の壁を背にして2人の男が、小肥りで小柄な男を守っている。神野は破壊した鉄の扉の残骸で身を守りながら短銃で2人の男を撃ち殺す。

「待て、待ってくれ」小肥りの男は白のスポーツウエアーを着ている。顔は浅黒い。

「お前が浜島善之助だな」神野は誰何する。

「そうだ。俺が悪かった。頼む。闇の支配者に取り次いでくれ。心を改めて忠誠を尽くす」膝をかがめると命乞いをする。

「命乞いならあの世でやってくれ」言い様神野は、3発4発と短銃の弾を浴びせる。ショットガンで浜島の手と足を吹き飛ばす。

・・・一件落着・・・

--ご苦労ーー闇の支配者の労いも、神野の心には届かない。すべて事務的に処理しただけだ。


                   月よりの使者

 

 2014年夏。

 望月彰太郎は西の窓から外を眺める。常滑沖の飛行場を視るともなしに見ている。飛行場内には国際色豊かな売店がある。 彼は度の強い眼鏡をたくし上げる。クーラーはないが西の窓から涼しい風が入ってくる。それでも彼の団子鼻に汗が浮く。

 月に関する様々な情報を吸収している。

月ーー人間にとって最も身近な星だが、謎に満ちている。

 1843年、ヨハン・シュローターは”リンネ”という6マイルのクレターについて、不思議な記録を残している。このドイツの天文学者は、何十年もかけて何百枚もの月面図を完成させた。この長い期間、月を観察してきた彼は、ある日リンネ・クレーターが少しずつ消滅しているのに気付いた。今日では、このクレーターはある小さな白い堆積物に囲まれた点でしか無い。

ーーアポロ15号で撮影されたリンネ・クレーターは直径1・5マイル程度ーー

 1958年、明治大学の豊田ケンザブロウ博士は、月面で大きな黒い文字を見つけている。PYAXとJWAと確認している。

 1966年、ソビエト宇宙船ルナ9号が月の”嵐の海”に着陸。嵐の海はいつも地球の方を向いている暗い溶岩の丸い”海”の部分。ここで撮った写真に、塔のようなものが写っていた。

 1966,米宇宙船オービター2号は、静かの海に降り立つ。そこから29マイル先の月面を撮影する。そこにはエジプトのオリベスクのような塔が写っていた。

 月面で次々と人工物体が発見されたのである。月についての謎に触れると一冊の分厚い本になる。


 我々が身近に見る月は、見かけの大きさが太陽と同じだ。月の直径は2160マイル。太陽の直径は86400マイル。太陽の直径は月の400倍。地球から太陽までの距離は9300万マイル。月までは25万マイル。この距離も400分の1。

 月には無数のクレーターがある。不思議なのは一様に底が浅い。クレーターの直径が100マイルあっても、深さは1~2マイルしか無い。この理由はたった1つ。月の地殻は鉄のような硬い物質で覆われている事だ。月の海は一度溶解した岩で出来ている。月の表側の3分の1を占める”海”の溶岩がどこから来たものかは謎である。それと月の裏側には”海”は存在しない。

 アポロ計画で持ち帰った月の石には、アルゴン40という物質が大量に発見されている。この結果、月の年齢は地球や太陽よりも倍も古い70億年と算出された。

 望月彰太郎は月を知れば知るほど、頭のなかが混乱してくる。1つ謎を解くと、新たな謎が生まれる。結局、月とは何かと問詰めていくと、クエッションマークだけが残る。


 お盆を過ぎる頃には暑さも和らいでくる。8月の最終土曜と日曜日は、常滑焼祭りが常滑競艇場で開かれる。常滑焼きの製造元や問屋、陶芸作家等の作品が即売される。名古屋方面からも観光を兼ねた買い物客が訪れる。市の公表では来客は5万とも10万とも言われる。

 望月も朱泥の急須の鋳込みの仕事をしている。焼物祭りには興味がある。

 競艇場の焼物会場はクーラーが効いていて過ごしやすい。会場の外でも焼物市や屋台が軒を連ねている。暑さが峠を越したとはいえ、ウンザリするほど暑い。会場の外で若手の陶芸作家の即売会がある。1つ1つ見て回るのも1興だ。湯呑茶碗などの実用的な物を買い求める。

 競艇場のすぐ北側に市役所がある。市役所の北側には飛行場関係の道路が走っている。その道路を突ききると小さな喫茶店がある。店内はきれいとは言えないが、こじんまりとしている。座席が8つ。望月は奥のテーブルに腰を下ろす。着席しているのは望月と2組の老夫婦のみ。ウエイレスも暇を持て余して、天井下に設置された液晶テレビを見ている。

 望月はコーヒーを注文して、漫然とテレビを見る。

「ここ、よろしいですか」1人の男がにこやかに相席を求める。他に席が開いているのにと思いながらも

「どうぞ」と着席を促す。

 ウエイトレスがおしぼりと水を持ってくる。男はコーヒーを注文すると望月の顔を覗き込む。

「望月さんですね」

「えっ!」男の顔を直視する。望月は大人しい性格だ。「はい、そうですが・・・」不安げに答える。

「私こういう者です」

 差し出した名刺には「チャンドルの会、役員月瀬隆一」とある。

「つきせ?さん・・・」望月は手にした名刺を読む。

「つきがせと言います」

「チャンドルの会・・・?」望月の不安は募るばかり。臆病そうに、度の強い眼鏡をたくし上げる。ぶ厚い唇がかすかに震える。

「チャンドルとは月の光の意味です」

 月と聞いて望月の心臓は高鳴る。不安を抑えて男を見る。服装はこの暑い中、上下そろいだ。紺の色がよく似合う。白いシャツに赤いネクタイが映える。眉が濃い。涼やかな眼に、筋の通った鼻梁。薄くしまった唇、何処から見ても好青年だ。歳は30代と見た。

 月瀬と名乗る男は笑顔を絶やさない。

「私に何か・・・」望月は保険か何かのセールスと考えた。何か買えと言われても金はない。

「チャンドルの会の入会を勧めに参りました」

「私・・・」望月は一歩身を引く。

「貧乏だから、お金が無いんです」断る口実だ。

「お金はいりません。と言うよりも月々の手当をを差し上げます」

 望月は面食らう。どこの馬の骨とも判らぬ者に、金をやるから入会しろと言う。そんな旨い話には必ず裏がある。望月の表情が硬くなる。月と言う言葉が出てくる。月信仰のために両親が殺されている。望月のとって”月"は不吉な言葉なのだ。

 月瀬は笑顔を絶やさない。人を騙すようには見えない。”品格”がある。

「あなたのご両親は殺された」

 月瀬はポツリポツリと喋る。声は小さいが、はっきりと聞き取れる。

「2年前、故郷で庚申待ちの夜を過ごされた」

 望月は驚愕の色を滲ませる。こんな事は誰にも話していない。月瀬は図書館でと、喫茶店の窓から見える鉄筋の建物を見る。

「今日まで月に関する本を読破された」読んだ本を暗記しているみたいにすらすらと述べる。

 望月はあっけにとられる・ぶ厚い唇をだらしなく開く。

「あなたは一体・・・」

「月よりの使者」

月瀬の言葉が脳裡に響く。得体のしれない衝撃が全身を襲う。急に目眩を覚える。時間が停止したような静けさが漂う。テレビの音も聞こえない。2組の老夫婦の疳高いお喋りも耳に入らない。外のざわつきも凍りついたように静かだ。月瀬の声だけが全身を襲う。

ーー4年後には月は地球を離れる。あなたは月に乗って人類の故郷、シリウスに還る、私はあなたを月に迎えるためにやって来たーー

 途方も無い話だ。当たり前に聞いていれば馬鹿馬鹿しい。望月の眼は催眠術にかかったように、月瀬の眼を見ている。瞬きもできない。思考能力も停止している。月瀬の声だけが、理性の壁をやすやすと通りぬけていく。暗示にかかったように望月は頷く。

・・・4年後に月に乗って、故郷の星、シリウスへ還るんだ・・・その思いのみが心中に広がっていく。


 望月ははっとして我に還る。眼の前にいる筈の月瀬がいない。彼が注文したコーヒーもおしぼりもない。急にテレビの音や老夫婦の声が騒がしくなる。

「あの・・・」

「えっ!何か?」ウエイトレスは注文の追加かと近寄ってくる。

「ここにいた人は?」

「はっ?」ウエイトレスの怪訝そうな顔。望月をまじまじと見下ろす。

「誰もいませんが・・・」ウエイトレスは首をかしげながらカウンターの方へ戻る。

 望月は握りしめた手を開く。月瀬隆一の名刺がある。

・・・チャンドルの会・・・耳元で声が聴こえる。はっとして周囲を見回す。


                ルシファーの謎


 2014年も11月となる。神野紘一は世の中の動きの注目している。約半年前に12人委員会の1人を抹殺している。この時彼が殺した人間は18名。建物も破壊している。浜島善之助の死体は両手足を砕かれて、地下室に転がっている。センセーショナルな事件として、テレビや新聞、週刊誌を賑わしても良いはずだ。

 翌日の夕刊、テレビの報道をみても何も伝えてはいない。浜島善之助の立て籠もる建物すら、この世になかったかのように無視されている。2日たち3日が過ぎる。マスコミは一斉に申し合わせてように口を閉ざしている。

 気になった神野は山出部落に行ってみる。変電所の地下ケーブルは跡形もなく消えている。大久保山ダムから観音森を眺めてみる。あった筈の建物や、山出部落まで続く道も消えている。

「これは!」豪胆な神野も声を失う。山出部落の雑貨店で聞いてみる。そんな建物なんて昔からありませんがという。満更嘘を言ってる顔ではない。

 12人委員会のメンバーも1人欠けた事になる。神野が驚いたのは、浜島抹殺後、1周間で浜島善之助なる人物が復帰したのだ。国家機密機構のホームページを開く。浜島善之助の写真は面長で精悍な顔立ちをしている。神野が殺した浜島善之助とは別人だ。

 しかもホームページの情報によると、国家機密機構の長としての浜島は10年前から同人物と言う。

・・・すべて闇から闇に葬る。そんな芸当ができる、ルシファーとは一体何者・・・

 

 ーールシファーとは光を掲げるもの。彼は神に反乱を起こし、地獄に落とされる。反乱の動機は”奢りや嫉妬”であるとされる。

 神から最高の権威と力を与えられ”神を追い越せる”と過信して反乱を起こしたとするのが奢り説。神が人間を寵愛するのを見て不満をふくらませたとする嫉妬説。

 旧約聖書によると、悪魔界の天王サタン=ルシファーは本来は天使界の最高位、熾天してん使の一人だった。ルシファーは全知全能の絶対神に反旗を翻す。

ーーかって、お前は心に思った。わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂に登って、いと高き者のようになろうーー(イザヤ書14章13~14節)

この時、ルシファーは仲間の天使達を次々に誘惑、全天使の3分の1とも半分とも言われる天使がルシファーに従う。

 かくして天界で大戦争が勃発する。

ーー天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが竜に戦いを挑んだ。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。ーー(ヨハネの黙示録、12章7~8節)

 かくして反乱軍は鎮圧され、ルシファーとその一味は天界から追放される。

ーーこの巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全人類を惑わす者は投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。ーー(同書12章9節)

 ルシファーが堕天使と呼ばれる所以である。

 悪魔は神への挑戦を断念した訳ではない。復讐計画を立てて実行に移す。人間を誘惑して悪の道に引き込む行為がそれである。

 以上が一般に流布している解釈である。当然の事ながらキリスト教世界とルシファーは深いつながりがある。ところが不思議な事に旧約、新約ともに聖書にはルシファーの文字が一行も出てこない。キリスト教世界においてルシファーの名前を知らない者は皆無だ。これはどういう事か。

 17世紀にエクソシストとして活躍したセバスチャン・ミカエルは、天使に階級があるように、堕天使=悪魔にも階級があると主張する。

 1,ルシファー=悪魔の帝王

 2,ベールゼブラ=悪魔の副王

 3,レビアタン=人間を真の信仰から引き離す

 4,アスモデウス=贅沢と欲望の炎を人間に吹き込む

 5,バルベリス=人間に争いをもたらす

 6,アスタロト=怠惰とものぐさで人間を誘惑する

 7,ヴァリーヌ=人間を短気にさせ、いさかいの原因をまき散らす

 8,グレシール=不純、不潔をもたらす

 以上のような悪魔の階級は聖書には登場しない。ルシファーは元々はユダヤ教、キリスト教とは無縁であったと考えるのが妥当である。キリスト教が西欧社会の中心思想になるにつれて、ルシファー=悪魔として取り入れられた可能性が高い。

 西洋において、竜は悪の象徴である。同時に”月”も不吉なものの存在として恐れられる可能性が高い。満月の夜に変身する狼男、ドラキュラ伝説、月に関係が深い。

 東洋では竜は神と同等の扱いを受ける。”月”も同様で、天の神は月に住むと言われる。

 神野紘一は暗殺者らしからぬ一面を持っている。情報通なのだ。暗殺の指令を受ける。自分が納得するまで調べ上げる。住む家の間取りから、友人、兄弟にいたるまで、綿密な調査を行う。

 ルシファーについて調べ上げて、神野は驚く。欧米社会で人々に膾炙されていながら、情報が極めて少ない。一般的に流布しているルシファー像も、ルシファー=悪魔サタンと決めつけている。

 悪魔とルシファーが別人とすると、途端にルシファー像が闇の中へ消えてしまう。


 闇の支配者は自らをルシファーと名乗っている。

ーーあなたは誰なのかーー尋ねても答えはない。

 1つ言える事は、ルシファーからの指令は”月”に関係している事ばかりだ。ルシファー自身が月を憎んでいるとしか思えない。

 神野紘一は次の暗殺指令が降りるのを待つ。


                   チャンドルの会


 2015年も何事もなく明ける。

ここ10年、世界の趨勢は中国、インド、インドネシア方面に移りつつある。北朝鮮の独裁者は代替わりして、粛清の嵐が吹きまくる。韓国は日本との関係が悪化している。

 長い共産主義の経済思想に慣れたロシアは、自由経済に移行できずに苦悩を続ける。中国の共産主義は形骸化して久しい。個人の私有を大幅に認めて、企業間の競争原理の導入が成功している。

 カースト制度に苦しんでいたインドは、デモクラシーの発展が著しい。個人の能力によって名誉や地位、富の獲得が容易になっている。

 反対に、アメリカやフランス、イギリスなどの欧米諸国の衰退が著しくなっている。アメリカの経済は自由貿易によって企業の力が衰えている。財政赤字は慢性化して、税収も伸び悩んでいる。10年前と比べて軍事力は低下している。平和維持軍と称した同盟国への軍事介入も不可能となっている。自国の専守防衛が精一杯の状態だ。

 日本は2010年頃には国債の発行額は限度を超えていた。利払いだけでも財政の4割を超えていた。それでも、借金財政に頼らなければ国家の運営は困難となっていた。もはや国債の買い手は日本銀行以外になく、無理に買ってもらうために、利払のアップしかない。そのために国家予算に占める利払の負担が大きくなる。

 この悪循環を断ち切るためには、消費税の大幅アップと、社会保険料はじめ、所得税、住民税の増税となる。国民に税負担が重くのしかかるために人々は購買意欲を失う。物が売れず倒産する企業が続出。 国家の破綻は目の前に来ていた。国民は将来への不安に宗教や占い、迷信に走る。犯罪も凶悪化して増大していく。

 3年前から生じている現象として、新興宗教が雨上がりの竹の子のように増えていることだ。既成の巨大宗教は信者の不安に応える能力を失って衰退の一途をたどっている。ミニ教団が全国に拡がっている。 これらの教団の特徴は”月”信仰であることだ。

ーー月は将来地球から離れていくーー予言を口走る教祖もいる。世の終末を訴え、人々の不安を煽って、信者獲得に奔走する。この現象は日本のみならず、世界各地に拡がっている。宗教学者はしたり顔で、月の復活を主張しだす。

 古代、宗教は月が主体だった。時代を遡ればのぼる程、月信仰だった。

大地母神=ビーナスは多産と豊饒の象徴であり、月と深い関係を持っている。やがて農業改革によって、宏大な耕作地が必要となる。秋の実りは、雨や嵐等の天候に左右される。太陽の恵みが重要視される。太陽信仰が月信仰にとって代わられる。この事実は世界に共通の現象である。

 現在、農耕は経済の中心ではなくなっている。穀物は天候の影響を受けるが、経済活動に決定的な影響を与えない。今、太陽信仰=肉体への影響から、月信仰=精神への影響へと移行している。


 2015年3月。

望月彰太郎は相変わらず朱泥の急須の製造に従事している。独身者なので、1週間の内5日働けば食うに困らない。金銭的な欲もない。図書館で本を借りてきては、暇を潰している。たまに喫茶店でコーヒーを飲む。望月の住まいは伊勢湾からみて東の高台にある。天気の良い日には四日市の町や鈴鹿の山々が遠望出来る。美しい眺めである。それに加えて、常滑沖からの飛行機の離発着が手に取るように見える。静かなもので、騒音は感じられない。

 3月の満月の夜、望月は妙な胸騒ぎを覚える。耳元で声がする。彼は無意識の内に道路地図を本棚から取り出す。ペラペラとめくって眼についた所が長野県だ。小諸市の約10キロ南に望月町という地名がある。長野県佐久郡望月町、国道142号線沿いに天神がある。

 彼の眼はここに吸い寄せられる。

ーーチャンドルの会ーー声が耳元で響く。

 朝、工場へ出勤した望月は、1周間ばかり仕事を休むと伝える。幸いな事に、正月明けから急須の注文の減少が続いている。今は作りだめの時期だ。

 3月中旬、常滑から名古屋に向かう。JRで長野県に直行。小諸市の松井で降りる。そこからバスで望月町に行く。天神までは1キロ程度。歩いていける距離だ。

 ここは鹿曲川の上流だ。川沿いに町道が走る。一帯は山また山の中の望月町だ。見るべきものは何もない。ここから8キロ程行くと、春日湿原やビィラ蓼科に着く。周囲は畑が開けている。山が迫っている。林業が盛んなのだろう。木材が山積みになっていいる。天神は数十建程の部落だ。背後に国道142号のトンネルが見える。

 声に誘われて来たものの何もない。はてどうしたものかと足を止める。早朝に常滑を出ている。腕時計を見るとすでに午後3時を過ぎている。途中駅で弁当を買って喰っている。空腹ではないものの、食堂も宿泊施設もない。 

 望月は携帯電話やアイホンなど持ったことがない。家にあるのは固定電話だ。ほとんど手ぶらで来ている。どこかに連絡しようにもすべがない。不安になってくる。それでも足は誘われるように天神部落へ入っていく。

 望月はは田舎という言葉が好きだ。言葉だけでなくその実体も含めて田舎には魅力を感じる。都会は人の動きが忙しい。変化も早い。ストレスが溜まる。田舎は時間が止まっているようにゆったりしている。  天神部落は家の造りが古い。冬は雪が深いのだろう。どの家も勾配緩やかな板葺きの粗末な造りだ。4~50年は経ているような家ばかりだ。窓や玄関はサッシだが、それも相当に古い。

 部落は山を背にしている。東の方に鹿曲川が流れている。畑が広がり、所々に材木の山積みが見える。部落は南北に長く伸びている。道は鹿曲川に沿って走っている。木の橋を渡り西の方に行くと天神部落に入る。部落の中に道が南北に伸びている。

 部落に入っても何処に行けばよいのか判らない。北の方のはずれに祠が見える。自然に足がその方に向く。少し歩くと家の中から年の頃17,8歳の女の子が飛び出してくる。紺のセーターを着て髪が長い。背は高く、色白の瓜実顔だ。目鼻立ちが整っている。望月が来るのを待つかのように立っている。

 望月はつられるようにして歩を早める。女の子はにこやかに、こちらへ、と手招く。招かれた家は20坪ほどの木造家屋だ。玄関の引き戸を開けると、畳半分のポーチ、上り框の奥は3尺の廊下、右手は6帖のキッチン、左手が6帖の和室が2間、奥の方にトイレと風呂がある。

 女の子以外に誰もいない。キッチンのテーブルに招かれてお茶を出される。

「遠路ご苦労様でした」女の子はハキハキした声で言う。

「あの・・・」望月は口下手だ。自分がどうしてここにいるのか、よく判らない。何かに導かれてやって来た感じだ。

「ここは天神部落です」女の子の涼しげな声。望月のそれは判っていると言った顔つき。

 天神部落一帯は過疎化がひどく、一時期200余名いた住民も今は10名程だ。

 女の子は1人舞台でペラペラ喋る。お調子者という感じはしない。望月のこの部落の現状を説明しているのだ。話し終えると、望月をじっと見る・眼が澄んできれいだ。月のように美しいという表現がある。それにピッタリだ。

「望月彰太郎さん、私、月瀬綾といいます」

「つきがせ・・・」望月はオーム返しに呟く。

「月瀬隆一の妹です」

 望月の頭のなかは混乱している。常滑市役所近くの喫茶店で会った人物、月瀬は幻のような存在だ。望月以外店内の者は誰も見ていないのだ。

・・・あれは一体・・・

 月瀬綾は白い歯を見せて笑う。望月の疑問に答えるわけでもない。望月を嘲笑しているのでもない。

「チャンドルの会、お判りですね」諭すように言う。

「チャンドルの会って、何でしょうか」望月の質問に、綾は歌うように説明する。

ーーチャンドルとは月光の意味。月は自分から光ることは出来ない。太陽の光を反射して光る。

 太陽の光は地球上の万物を育む上で欠く事が出来ない。物質としての万物の成長のエネルギー原となる。月は太陽の光を反射するが、万物を育むエネルギーにはならない。むしろ生物の精神や情緒に影響を与える。

 チャンドルの会は月に移住するための準備の会、現状の精神状態からより向上するための会ーー


                    チャンドルの秘儀

 望月は呆然として聞いている。チャンドルの会の意味が判ったとしても、どうして自分がその会と関係するのかよく判らない。

「あなたは選ばれたのです」月瀬綾の長い髪がさらりと揺れる。眼がキラリと光る。

「兄から聞いているでしょう?月は4年後に地球を離れます。人類の生まれ故郷シリウスには旅立ちます」

 月瀬綾の形の良い唇が蛭の様に動く。その口から驚愕の事実が語られる。


 ーー今から120万年前に、月は地球の衛星となる。その時に人類進化の種が蒔かれる。人間は猿から進化したのではない。月に乗ってシリウス星からやってきた、原人類の子孫なのだ。

 原人類が地球にやって来た目的はただ1つ、地球上で肉体的、精神的に進化を遂げて、シリウス星で超人類となるための準備なのだ。月に乗ってシリウス星に帰れるのは約15万余人。日本人だけでも5千人足らずーー

 望月は息ののむ。

・・・現在地球の人口は70億余と言われている。その中のたったの15万・・・

「月が去った後の地球は?人類は?」

「原始状態に退化します。月があるからこそ、人類は進化してきました」

「それでは、人類滅亡・・・」

「いえ、月は120万年後に、再び地球の衛星になります」

 月瀬綾の声は淡々としている。望月は押し黙ったまま窓の外を眺める。鹿曲川の向こうに国道142号線が走っている。交通量は多くない。時々見かける車は、一世代前の車よりも充実している。大型のカーナビは勿論のこと、衝突を未然に防ぐ為の、オートマティックブレーキが作動するように設計されている。斜体も炭素繊維が使用されている。車の重量は鉄の車体よりも3割軽い。燃料は水素や電気が主流となっている。タイヤがパンクしても、自動的にエアが充填される。パンクによるハンドルのぶれもコンピューター操作で防ぐ。

 月瀬綾は科学技術の進歩は月の影響と言っている。人間の能力、技能も月なくしては進歩向上はありえない。

「チャンドルの会はここで行われるのか」

「ここではあなた一人のみ」

 日本各地で選ばれた5千人がチャンドルの会を受ける。

「自分だけどうしてここに」月瀬綾を凝視する。

「あなたは闇の支配者に狙われている」

 望月は戦慄を覚える。両親が殺された時の思い出が蘇る。あの時の殺しのターゲットは望月彰太郎と知らされている。

「どうして自分が・・・」

 望月は地位も権力もない。金もない。特別な才能もない。常滑ではしがない朱泥の急須の鋳込み職人にすぎない。何故、狙われるのか合点がいかないのだ。

「将来あなたの子孫はシリウス星で大いなる者を産みます」

 望月はびっくりする。彼は独身だ。女性に縁がない。不審な表情で綾を見る。彼女は笑って答えない。ただ1つ、ここは闇の支配者の力が及ばない場所だという。


 夕食後、望月は部落の西側にある山裾の雑木林に連れて行かれる。西日が射さないので日が暮れるのがは早い。ここの自然の恵みといえば豊富な樹林だ。春とはいえ、夜は肌寒いので上着を着込む。細い坂道登る。3百メートル程登った所で視界が開ける。東の方に標高1156メートルの平尾富士の優美な姿が、夕日に映えて美しい。ここは山また山の中だ。

 一息つく暇もない。露出した岩肌をくねるように登る。2つの岩が塔のように立っている。その間に窪みがある。洞窟の入口の判る。暗いので懐中電灯をつける。人の背たけほどの穴が下の方に続いている。20メートルほど降りると、広々とした空洞となっている。天井から鍾乳洞が垂れ下がっている。

 望月綾は迷うことなく前進する。行き止まりは大きな岩となる。彼女は岩の少し窪んだ所に手をやる。途端に大きな岩が1メートル程奥に引っ込む。中に入ると岩の壁は元に戻る。

 懐中電灯を照らす。石段がある。数10段降りる。突き当りに磨きぬかれた白い岩がある。彼女は両手を拡げて押し付ける。しばらくすると、引き戸のように白い岩は開く。中に入る。岩は元通りに閉まる。

 瞬間、眼を射るような眩しい光が二人の身を包む。眼が慣れて周囲を見る。光源は何処にもない。100メートル程の高さの丸い空間が光を放っているのだ。2人は白い岩の入り口を入って空間の中にいる。

「体が浮いている」望月は叫ぶ。

「この光は月の内部の光と同じです」

 月瀬綾は両手を拡げる。体を回転させる。彼女の紺のセーターが白い貫頭衣に変化している。両手を動かし、体を回す度に、白い帯が体全体を包み込むように現れる。天女の羽衣のようだ。

「真似して!」

 望月はその声に励まされて両手を拡げる。体を回転させる。服装を見る。白の貫頭衣に変わっている。ここに来るまで彼の服装はグレーのジャンバーに黒の作業ズボンだった。その上に厚手のオーバーを着込んだ。

・・・体が軽い・・・体を動かす度に、体内に気力が流れ込んでくる。

ーーシリウス星は地球から8・7光年先にある白色矮星。月に乗ってシリウス星まで行くのに地球時間で20年かかる。その間、地球人としての肉体はシリウス星で生活出来るように改造される。その姿は聖書で語られる天使ーー

 体を動かせば動かす程爽快な気分になる。体の芯から疲労が消えていく。

 チャンドルの秘儀ー月の内部での生活に順応し、天使として自覚するための儀式である。

「1つ聞いてもいいですか」望月は高揚したした気分で尋ねる。声の響きは自分の声とは思えないほど澄んでいる。

「私に子供が出来ると聞きました。結婚相手はあなたですか」

 月瀬綾は声をたてて笑う。

「私だといいんですけれど。あなたの相手はまだ判らない。素敵な方だと良いですね」


                     月の謎


 1966年、米宇宙船オービター2号によって、月面にエジプトの大ピラミッドと同様のピラミッドが発見される。場所も静かの海、人類が初めて降りたった月面と同じ。

 1671年、著名な科学者カッシーニは、月面に白っぽい雲が漂っているのを目撃する。NASAによると月面上の雲は過去何十回となく目撃されている。

 1787年、ハレーとド・ルビィの2人の天文学者は月面に光体を観察する。

 1787年、ウィリアム・ハーシェルは月面上に3個の光体と、4つの新しい火山を目撃。3個の光体は月面を移動していた。

 1877年、明るいケーブルがユードクサス・クレーターの西から東に約1時間にわたり目撃される。

 1881年、月の縁に2基、ピラミッド状の明るい突起物を目撃、その後消滅。

 1882年、アリストテレス付近に、停滞したり動いたりしている影が目撃される。

 1940年、キメの細かいぼうっとした明るい流れが、プラトー・クレーターで観察される。

 1955年、有名な科学者フイルソフにより、月の南極で機械的に光るものが観測された。

 1964年、ロスロの南域で、2時間もの間、黒い影が移動するのが観察された。

 1966年、数名の科学者が数分間にわたり、プラトー・クレーター上の閃光を観察する。

 1967年、NASAはモントリオール・グループより、人類が初めて月に到着した静かの海で、紫色にふ       つどられた黒い雲が観察された、と発表。

 1968年、アポロ8号が起動に乗り、月の裏側に回った時、巨大な地球外の物体が現れる。その大き

       さは、10マイル四方に及ぶ。

 1969年、アポロ11号は16ミリフイルムで月面を撮影しながら、地上管制官と着陸時の危険性につい

       て会話している最中に、2機のYFOが突然出現した。

       アポロ12号、3機のUFOを目撃。

       アポロ15号、月の空を一瞬にして飛行する物体を目撃。

 1974年、アポロ16号、光が月の空を横切るのを目撃。2~3秒で月の地平線に消え去る。

       アポロ17号、2機のUFOを目撃。


 1970年、ミカエル・ヴァシンとアレクサンダー・シュシュルバコフの2人のソビエトの科学者は以下の大胆な発言をする。

ーー月は空洞であり、遠い星の世界から来た知的生物の宇宙船である。月は古代の宇宙船で、内部にはエンジン用の燃料があるーー

 二人のソビエトの科学者は以下のように月について推量を重ねている。

 仮設1,月はかって地球の一部であり何かの理由で地球から離れた。この仮説は数々の証拠から誤り。

 仮設2,月は地球と同様、宇宙のガスや塵により個々に形成された。そのまま地球の衛星となる。しか

     し実際は月と地球とは比重から物質の成分に至るまで、ずいぶんとかけ離れている。

 仮設3,月の誕生は地球よりも古い。これは月の岩石の分析により判明。

 次に、ヴァシンシュシュルバコフは密度の相違点について言及する。月は一立方センチあたり3,3グラム。地球は5,5グラム。月の引力が体積の大きさに比較して、引力が軽いのは中が空洞だからだ。

 月は2層から出来ている。1層の岩石や土は、補強や修理の跡がある。もう1層は金属で厚さ20マイルになる。

 月の海には説明のつかない質量凝縮が存在している。この謎があるのは平らな円形のある所に限られる。この部分だけが、月の他のどの部分よりも引力が強い。


 望月彰太郎はチャンドルの秘儀を通じて、月の謎を知る。月の内部が空洞であり、そこには古代人が天帝、あるいは天使と呼んだ、人類の神々が住んでいる。

 2018年に月は故郷のシリウスに向かって”発進”する。そこに乗れるのは、シリウスで神々として生まれ変われる者だけだ。その資格はただ1つ、魂の浄化が完了した者だけだ。月が地球の衛星となって120万年。人間の魂は肉体の再生と死を繰り返しながら進化している。シリウスは大気の密度が濃い。魂の進化が不完全な者がいくと、魂は破滅する。

 チャンドルの秘儀、その場所は月の内部構成の密度と同じである。シリウス星の大気の密度を模倣している。


                    奇妙な指令


 2014年の秋、神野紘一は山梨県大月市の自宅にいた。闇の支配者から指令が来なくなって久しい。それでも彼は暗殺者としての訓練を続けている。自宅の地下にサーキットトレーニング場や射撃場などを完備している。防音装備は万全だ。プロの暗殺者としての鍛錬は欠かさない。

 神野の住まいは大月市郊外にある。標高96メートルの高川山を西に見る。中央自動車道大月インターから車で10分で行ける。辺りは野原だ。彼の家は周囲を雑木林で囲まれている。その樹木の枝に赤外線センサーが縦横に取り付けられている。樹の葉がそれを隠している。人が雑木林に立ち入ると、センサーが感知する。テレビモニターに映し出される。地下室にトンネルが掘られ、高川山の麓に出るようになっている。

 神野は酒のタバコもやらない。熟睡中であっても、身の危険を察知すると目を覚ます。ベッドを反転して隣室に逃げ込む。

 彼の家は平屋の民家だ。80坪程の建物の内部はぶ厚いコンクリートである。空からの襲撃にも耐えられる。玄関は片開きの鉄製のドア。ポーチは畳半帖だけ。玄関ホールは畳1枚分。部屋はすべて鉄製のドア。各室は8帖の広さしか無い。物入れが多い。敵が侵入した時、広い玄関や部屋は不利となる。収納壁には銃がが装備してある。

 住まいに隣接して車庫がある。車が4台収納出来る広さだ。自動車の修理屋改造も可能だ。彼は車庫から出入りする。

ーー暗殺者は絶対に顔を見られてはならない。万一見られたら、相手が子供でも容赦なく抹殺する。ーー

 暗殺者が顔を見られる事は致命的なミスとなる。それが命取りになることがあるからだ。

 闇の支配者の指令はいつくるか判らない。いつでも出動出来るよう準備は怠らない。インターネットで世の動きを常に見守る。コンピューターなどの先端技術はいつもマスターしておく。

 10月中旬。神野はは夜11時にベッドに入る。腰には軍隊用ナイフ。手に短銃を持つ。深い眠りに入りながらも、動物的な勘で瞬時に眼を覚ます。長年の訓練の賜だ。部屋の照明はつけっ放しにしておく。敵に襲われた時、瞬時の動作が鈍るからだ。


 ーー暗殺の指令をを与えるーー

 神野ははっとして目を覚ます。腕時計を見ると午前2時を過ぎている。彼の眼は野獣のように光っている。獲物を狙う時の感覚が全身を覆う。

・・・死者を葬れ・・・

・・・死者?・・・一瞬神野は戸惑う。次の言葉を待つ。

ーーターゲットは月瀬隆一、年齢不詳、見かけは30歳、常に紺の背広と白いシャツ、赤いネクタイを締めている。濃い眉に、7,3に分けた髪、整った風貌。彼はチャンドルの会の主催者ーー

・・・チャンドルの会?・・・

 月沢教祖暗殺の時にその存在を知る。その会の特徴を聞こうとした時、声が耳元で呟く。

ーーチャンドルは月の光の会ーー

 以下闇の支配者は神野の疑問に明確に答える。

ーーチャンドルの会は昨年の春頃から発足している。その目的は、月に移住する人間の肉体や心の波動を強化するためだ。

 月は2018年に地球から離れる。月が去ると同時に約15万人の人間が月に乗り込む。その人間たちを選別して月に送り込むのが、月瀬隆一ーー

 神野は驚愕する。月が地球から離れる事など聞いたことが無い。信じてもいない。巷では新興宗教の教祖が、月が消えると喚いている。”心ある者”は嘲笑している。マスコミも相手にしない。

 20世紀末に、ノストラダムスの大予言と称して、1999年に、悪の大魔王が地球に降臨、人類は滅亡すると吹聴する者が多くいた。マスコミも踊った。その手の本も売れた。テレビも大真面目に取り上げた。だが、結局は何も起こらなかった。大魔王ならまだよい。天災とか流星群の落下だと言い張っていれば、世間は何となく納得する。

 月ーーとなるとそうはいかない。月が去らなかった時の言い逃れが出来ないのだ。それでも物に取り憑かれたように絶叫する教祖たちの異常な行動が、世間には鬱陶しく写るのだ。

 ”月が去る”闇の支配者から直々に聞かされる。神野は驚き呆れる。だがーー信じざるを得ないーー

・・・何故彼を殺すのか?・・・

ーー月が消えるのを阻止せねばならぬ。月のない地球に住む人類は滅亡するーー

・・・彼がどうして死んだというのか・・・

ーー百年前に私が殺した。彼は死者の中から蘇った。どんな方法でも良い。殺せ。彼の魂はすぐには蘇生しないーー

 月瀬隆一は選別する人間を集めているというのだ。月に移住できるのは、日本国内で5千人。残りは世界各地に散らばっている。チャンドルの会の主催者は世界各地で13名。月瀬隆一はその1人。15万余の人間を選別する事はこの人数では不可能だ。彼らの下にはそれぞれ120名の”天使”と言われる協力者がいる。

 神野はは1つの疑問を呈する。

・・・俺のような暗殺者は他にもいるのか・・・

ーー世界各地で千二百名。日本ではお前を含めて50名の者が私の指令で動くーー


                   月瀬隆一の謎


 神野紘一が闇の支配者=ルシファーから受けた指令は月よりの使者、月瀬隆一の暗殺である。

ーー死者の葬りーーと名付けられた暗殺計画を、神野は実行に移すべく行動を開始する。

 闇の支配者の指令によると、月瀬は11月上旬に島根県桜江町に現れる。この地域で3人、選別された者がいる。月瀬は彼らを導くために出現するという。

 月瀬隆一は毎日のように日本国中に現れる。4年間で5千人余の人間を導かねばならない。彼は車を利用しない。鉄道のバスも使用しない。

ーー瞬間移動ーー闇の支配者は言う。月よりの使者=大天使、月瀬は世界中どこにでも瞬時に現れたり消えたりする。

 島根県桜江町ーー江川小糸県立自然公園を南方に控えた風光明媚な地だ。桜江町川戸。JR川戸駅の商店街のはずれに、月瀬隆一が現れる。

 侘びしいたたずまいの一軒屋。注意して見ないと見過ごしてしまいそうな見すぼらしい木造の家だ。この家の主は今年70歳。妻に先立たれ、子供達は独立している。商店街から歩いても5分と離れていないので買い物には不自由はない。彼は週に一度は江川小糸県立自然公園内の天神社に詣でる。

 午後3時に月瀬隆一がその家を訪問する。彼を殺せるのはその時以外にチャンスはない。闇の支配者の情報は的確だ。

 神野紘一は格子柄のジャケットに紺のズボン、タックカラーのシャツを着込む。白のブルーバードに乗って、桜江町川戸駅に現れる。車を商店街の駐車場に置く。目的の住まいから2百メートル離れた場所に、5階建の雑居ビルがある。1階は店舗、2階は貸事務所、3階から5階までが賃貸マンション。商店街の駐車場の前面に位置している。”仕事"が終った後の駐車場までの移動時間は2分。

 神野はビルの屋上に駆け上がる。鉄製のドアがある。鍵がかかっている。ピッキングは30秒で完了。時計を見ると午後2時半。ターゲットが現れる30分前に待機する。手にした革鞄からライフルを取り出す。組み立てるのに20秒。消音付特別仕様のライフルだ。

 長距離を狙えるライフルは素人向きの銃だが、距離が長くなると、プロとしての力量が試される。天候は晴れ。風向きは東。”仕事”をこなすには絶好のロケーションだ。ライフルに仕込んだ望遠鏡でターゲットの家を監視する。後方の屋上のドアにも気を配る。

 午後3時ジャスト。紺の背広の赤いネクタイをつけた30代の男が玄関先に現れる。玄関のインターホンを押す前に”仕事”を終えねばならない。ターゲットの周囲には人影はない。仕事を終えて車で逃走するまでの時間を5分とする。

 神野のライフルが月瀬隆一の背中を捉える。ためらいもなく銃弾を発射する。月瀬隆一の背中から血しぶきが飛び散る。彼はバンザイをするように仰向けに倒れる。神野はライフルを解体すると鞄の中に収納する。

 鉄製のドアを開けて階段を下る。急ぐともなし、ゆっくりでもない。マンションの住民を訪問するセールスマンのような動作で、静かな足取りだ。駐車場まで4分。彼はゆっくりとブルバードを発進させる。

・・・任務完了・・・

 神野は桜江町から北西に10キロ程行ったところの、江津市で2泊する。月瀬隆一殺人の報道が、テレビや新聞でどのように出るか確かめたかった。神野の期待に反して、それから2日たち3日たっても殺人事件の報道は一切ない。

・・・闇の支配者によるもみ消しか・・・

 神野は江津市に2日いて、大月市の自宅に戻る。彼の心には、1つの疑惑が渦巻いている。

ーー月瀬は隆一、一度死んだ人間、月よりの使者ーー

 この男に関する情報を入手したいと切望する。ターゲットの正体が不明?では後味が悪いのだ。国家機関機密機構のホームページに入る。

ーー月瀬隆一、年齢不詳、国籍不明。2014年現在日本人。日本国籍なし。住所不定。百年前にルシファーとの戦いに敗れて死亡。彼は月の世界の住人。大天使ーー これ以上の情報はない。

 神野はホームページや書籍、あらゆる情報網にアタックする。結果判明した事実は以下の通り。

 月瀬隆一という名前は日本人としての仮の名前。本名不明。仮説として、120万年前に、月に乗って地球にやって来た。人類の進歩を促すのが彼の使命だ。彼は不死であり、肉体の死後も新たな肉体を纏って生き続ける。。

・・・ルシファーも大天使の1人だったのだ・・・神野は密かに思い続ける。


                          ーー 続くーー

(この物語はフィクションです。登場する個人、団体、組織等は現実の個人、団体、組織と一切関係ありません。なおこの物語に登場する地名は現実の地名ですがその情景は作者の創作ですので現実の地名の情景とは一切関係ありません)


 

 

 

  

 



 



 





 

 



 




 

 





 


 











この小説はフィクションですので、ここに登場する人名や組織、団体は現実の人名、組織、団体とは一切関係ありません。それと小説に登場する地名は現実の地名を使用していますが、その情景は作者の創作ですので、現実の地名の情景とは一切関係ありません。

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