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君の『幸い』

 冷たい風が頬を撫でる感覚に、レオンハルトは無意識に上掛けを引き上げた。


「寒い……」


 寝ぼけながらそんな事を呟き、窓が開いているから寒いのだと思い至る。


「ユイ、窓閉めて」

「はあ? 閉めたいなら自分で閉めろ」


 何とも無情なその返事にレオンハルトは泣きそうになった。


「ひどい……」


 ユイはいつからこんなに突き離した言い方をするようになったのか。

 いつも優しかったユイは一体何処に行ってしまったのか。


 そんな事を考えながら薄らと目蓋を上げると、そこにユイの姿はなかった。


「…………誰、だっけ?」

「お前、いい度胸だな」


 赤い空を背景に開け放たれた窓辺に立っているその人物は、眼光を鋭くしながらレオンハルトを少々睨んでいた。


「お前は俺の事まで忘れたというのか?」


 意識が次第にはっきりしてくると、窓辺に立ちその人が誰であるのかを思い出す。

 彼の態度は相変わらず横柄だ。


「何でウェルダがここにいるの?」

「何だ。俺の事は憶えていたのか」


 窓辺に寄りかかり腕を組んでいるウェルダを一瞥すると、レオンハルトは徐に上体を起こした。


 前ほどの疲労は感じないが、やはり幾らかの疲労感は残っている。


「寝首を掻かれなくて良かった」

「はっ、してやればよかったな」


 互いに憎まれ口を叩きながら睨み合う。しかし先に視線を外したのはウェルダの方だった。


「今はお前と言い争っている場合ではない。お前には早急にサキの事を思い出してもらわねばならん。思い出せないというのなら力尽くで思い出してもらう」

「?」


 何故サキを忘れてしまっていた事をウェルダが知っているのかと思ってレオンハルトは首を傾げたのだが、彼はそれを別の意味で解釈したようだった。


「お前の想いはその程度だったという訳か。サキを助けるだの何だのと大層な事を言っておいて、結局はこれか。ふざけるなよ。簡単に手放せる想いなら最初から手を伸ばすな」


 言いたい放題言ってくるウェルダに、レオンハルトはムッとする。しかしすぐに反論できないのは、本当にサキの事を忘れてしまっていた事実があるからだ。


「……ちゃんと、憶えてる」


 ムスッとしながらもレオンハルトはそう返す。するとウェルダは鼻で笑いながら、そうか、と返してきた。


 ムカつく事この上なかった。


「だったら話は早い。ある程度は天姫から聞いただろうから大方の説明は省く」


 そう言ってウェルダが言葉を続けようとした時、控えめに扉がたたかれる音がした。


「すみません。話声が聞こえたのですが、もしや殿下が起きられたのですか?」


 扉の向こうから聞こえたのはユイの声だった。レオンハルトはその声に応えようと口を開いたが、その前にウェルダが言葉を返した。


「ああ、すまん。もう入ってきてもいいぞ」


 何でウェルダが応えるのだと眉根を寄せるレオンハルトだったが、同じ事を告げようとしていたのでとりあえず何も言わず、ユイが入って来るのを待った。


「殿下!」


 ユイは入って来るなり起きているレオンハルトに気付き、寝台の傍まで駆け寄った。


「よかった……、このまま起きなくなってしまったらどうしようかと……っ」

「心配かけてごめん、ユイ」

「いいえ、いいのです。こうしてまた貴方と会えましたから」


 ユイは本当に安堵しているようで、目にはうっすらと涙を滲ませている。それを目の当たりにしたレオンハルトも、そう思ってくれるユイに感激して思わず、ずず、と鼻を啜った。


「悪いが、感動の再会はまた後にしてくれ」


 その声にハッとするレオンハルトは、ウェルダの存在を思い出して舌打ちしたくなった。


「何だその顔は? 言いたい事があるならはっきり言え」

「邪魔」

「やはり寝首をかいてやればよかったか」


 そうやって再び睨み合うレオンハルトとウェルダの様子に、ユイだけはニコニコとその光景を眺めていた。


「よくは存じ上げませんが、殿下にも良い友人ができたようで何よりです」

「誰が友人だ」

「誰が友人だ」


 レオンハルトとウェルダの声が見事に重なる。それに思い切り渋面を作る二人の様子にも、ユイはずっとニコニコとしていた。


「とりあえずお前が起きれば、後は――」


 そう言いかけたウェルダの言葉は、再び邪魔され、遮られる。


「もう! 起きたらすぐ呼んでって言ったでしょ!」


 そう言いながら忽然とそこに現れたのは、今まさに引っこ抜いてきたと言わんばかりの雑草を片手に憤慨しているセルネイだった。


「何で教えてくれないの!? 何? 君は僕に意地悪してるの!? 君が千年前の事を未だに根に持ってるのは知ってるけど、それとこれとは話が別でしょう! 酷いよっ。僕だって心配してたのに……、心配してたの知ってたくせに!」

「セルネレイト様、少し落ち着いてください」

「ユイも酷いよ……、僕にも教えてよ……」

「す、すみません」


 項垂れてしまったセルネイを必死に宥めるユイの姿に、ウェルダは、頭が痛い、と言いながらこめかみを揉んでいる。そんな光景を目の当たりにしたレオンハルトは、思わず笑みが浮かんだ。


 失ってばかりだと思っていた七年間。しかしこうして心配してくれる誰かはちゃんと傍にいてくれたのだ。それなのに、それに気付かぬフリをして意地を張っていたのは自分自身だった。


 サキと出会って、レオンハルトはそれに気付けた。


「早くサキにも会いたい」


 ポツリとそう零すと、ウェルダとセルネイの雰囲気が一気に変わった。どうしたのかと視線を巡らせると、ウェルダが重々しく口を開いた。


「お前に言っておかなければならない事がある」


 ウェルダのその表情が真剣なモノに変わる。


「お前がいればサキを蘇らせる事ができるというのは、天姫から聞いただろう?」

「うん」


 夢の中で出会った少女。

 ウェルダが『天姫』と呼ぶその人があの少女である事をレオンハルトはすぐに察する。


「確かにその通りだが、それをサキが望んでいるとは限らない」

「どういう事……?」


 ウェルダの問いにレオンハルトはしばしその意味を考えてみる。

 サキを蘇らせる事ができるという事実に喜んでいたが、蘇る本人、つまりサキ自身はそれを望んでいないというのだろうか。それはつまり、彼女自身は既に『死』を受け入れてしまったという事なのだろうか。


 答えを求めるようにセルネイに視線を向ければ、彼もまた、その表情を硬くしていた。


「サキはもう生きたくないと思ってるの……?」

「そういう訳ではないだろうが……」


 歯切れの悪い言い方をするウェルダは、少しばかり視線を落してしまった。


 サキに最期を与えたのは他ならぬウェルダだ。確かにあの時サキはそれを望んでいたが、サキ自身が自分自身を止める事が出来なくなってしまったからこそそれを望んだだけだった。

 本当はサキが生きていける道はあったのだ。レオンハルトの魔力を使ってサキの残された『封印』を維持することで、彼女は身の内に在る忌わしい魔術陣を抱えながらも生きていく事ができるはずだった。しかしサキの『封印』は完全に壊れ、その道は絶たれてしまった。


 サキを苦しめていたあの『黒い魔術陣』は天姫が『魔術陣』をなおす過程で取り除いてくれた。だからもうサキはこれ以上苦しまなくてもいいのだと思っていたが、彼女が抱えているモノはそれだけではなかった。


「サキと天姫が別の心だという事を、俺もそいつも気付かなかった」


 ウェルダはそう言ってセルネイを一瞥すると、再びレオンハルトに向いた。


「それはおそらく、サキ自身にも言えることだ」


 その言葉に、レオンハルトはハッとする。


 夢の中で、サキ自身もその事を知らず、自分が『人』から『魔術』になったのだと思っていると天姫は語っていた。


 『サキ』と『天姫』は別々の存在だ。


 確かに天姫は『人』だった。

 しかし生まれた『魔術』はサキだった。


 つまり、サキは自分が最初から『魔術』であった事を知らないのだ。


「サキを蘇らせれば、アイツは自分自身が『人』ではなく『魔術』なのだという事実を思い知る事になる。それを知る事がサキにとっていい事なのか悪い事なのか、少し考えてみた方がいい。それくらいの時間はまだ残っている」


 レオンハルトは何とも言えない気持ちを抱き、そのまま項垂れた。


 サキにまた会えると浮かれていた自分が疎ましい。自分の事ばかり考えて、サキの事は全く考えていなかった。

 このままサキを蘇らせる事が一番いいと思っていた。しかしそれは本当にサキにとっての『幸い』となるのかどうか、分からなくなった。


――やっと……『人』に、戻れた……。


 その最期の言葉を思い出すと、魔術となってしまっても人で在りたいと思いながら生きて来たのでないかと考えてしまう。もしそうだというのなら、『人』ではなく『魔術』なのだという事実をサキに突き付けるような真似は出来ない。


「サキを蘇らせるというのなら、お前にはそれなりの覚悟が必要になる。それこそそこにいる『守護者』のように、千年もの間たった一人で『花の娘』を待ち続けるくらいの覚悟を、な」


 ウェルダの視線を追うようにセルネイを見れば、彼は少しばかり視線を落しながら口を開く。


「僕はそんな大層な覚悟をしていた訳じゃないよ。ただ目の前で死にゆく彼女を助けたかっただけ。今だってサキを助けたいと思ってる。例えサキに恨まれようと、僕はあの子のこんな最期を望まない」


 自分自身が魔術だと思い知った時、サキはその事実をどう受け止めるのか。


 知りたくなかったと嘆くのか。

 死んだ方がましだったと悲観するのか。

 それとも、何もかもを憎んでしまうのか。


 セルネイはそういった事を既に考えていたようだった。どんな結果が待っていようともサキを助けるという意志を、彼は持っていた。


 千年、セルネイは『花の娘(サキ)』の帰りをずっと一人で待っていたのだ。そこに在る想いは計り知れない。しかし助けたいと思うその気持ちは、レオンハルトも同じだった。


 今はまだ、その覚悟が出来ないけれど。


「心が決まったら呼びにこい。俺は騎士の詰所にいる」


 ウェルダはそう告げると、開いている窓からひらりと外へと飛び降りていった。


「ここ、二階……」


 レオンハルトはそんな事をボソリと呟いてしまったが、とりあえずそのままウェルダを見送った。


「ハルト」


 ウェルダが去っていくと、神妙な面持ちでセルネイが見下ろしてきた。


「ごめんね」

「何の事?」

「君の事、道具みたいに利用して……」


 セルネイは本当に申し訳なさそうな雰囲気を纏いながら、視線を落してしまった。それにレオンハルトは声をかける。


「いいんだ」


 何も言ってくれない事に腹を立てたこともあったが、セルネイがそれを言わなかったのは全てサキのためだったのだと今は分かっている。サキは最後の最後まで自分が魔術なのだという事をレオンハルトに伝えなかった。それはサキ自身がその事を知られたくなかったと思っていたからに他ならない。それをセルネイは知っていたのだろう。しかし例え言えなかったとしてもサキの行く末を案じて備える必要があったというのなら、レオンハルトは今この状況に至った事全てを見越していた目の前の男に感謝した。


 サキを助ける道が残ったのは、セルネイのおかげだ。


「約束したから」


 レオンハルトはセルネイに淡い笑みを向ける。


「『花の娘(サキ)』は俺が守るって」

「ハルト……」


 幼い頃に交わした約束をセルネイは叶えてくれた。だからこそ、今度は自分の番だとレオンハルトは強く思う。


 しかし。


「でも、ごめん。どうすればいいのか、今は分からない……」


 このままサキを見送る方が彼女のためなのだろうかとも考えるが、それを拒む自分の心もレオンハルトは止められなかった。


「サキは、どうしたいのかな」


 レオンハルトは己の胸に手を当て、身の内に在る『魔術陣(サキ)』を想った。


 全てはレオンハルトの決断次第。サキ本人の意思ではなくレオンハルトに左右されるその運命は、本当に彼女の『幸い』となり得るのだろうか。


「ハルト」


 名を呼ばれそちらを向くと、セルネイは少しだけその虹色の瞳に寂しさを滲ませた。


「全てを君に背負わせてしまう事になってしまって、本当に申し訳ないと思ってる。でも僕は、君の出した答えを尊重するよ」


 どんな答えを選んだとしても。

 その先で、もう二度とサキに会えなくなったとしても。


 セルネイは全てをレオンハルトに委ねた。

 その想いを、レオンハルトはちゃんと受け取った。


「分かった」


 何が正しい事なのか分からない状況の中で唯一分かっている事は、サキは助ける事ができるという事実だけだった。

 ただ、それを選ぶ事でどういう結末を迎えるのかは、誰にも分からない。


 しかしどんな道を選ぶとしても、その前にやらなければならない事がある。


「答えを出す前にサキを見つけないと」

「サキを? どういう事?」


 不思議そうな表情で首を傾げているセルネイに、レオンハルトは、ああそうか、と呟く。


 サキの『魔術陣』は確かにレオンハルトが持っているが、心は違う場所に在る事をまだセルネイは知らないのだ。


「俺はサキの心を持ってないから」


 レオンハルトはそう言って、天姫から聞いた話を簡単に話した。するとセルネイは、そうか、と言って口を開く。


「心当たりは在るの?」

「……ない」

「そう……」


 何とも言えない表情を作るセルネイは、何事かを考えるような仕草を取る。


「あの日、サキの欠片は僕のところにも来たんだ」

「そうなの?」

「うん。あれが、サキの心だったのかもしれない」


 そう告げるセルネイだったが、今はそれを持っていないという。


「サキはきっと、『(からだ)』は消えてしまっても『心』だけはハルトの傍にいる事を望んだんじゃないかな。だからハルトが必ず帰って来るこの場所に、先に帰って来たんだと思う」


 その言葉に、レオンハルトは鼻の奥がツンと痛んだ。


――心はずっと、貴方のそばに。


 サキの最後の一欠片を受けとめた瞬間に聞こえたその声を、レオンハルトはちゃんと憶えている。

 本当に心だけになっても傍にいてくれるというのなら、素直に嬉しいと思う。しかしその反面、切なさに胸が軋む。


 心だけでも傍に在るならそれでいいと思えるなら、こんなに胸が苦しくなる事はないだろうに。


「サキの心は王宮内の何処かに在ると思う」


 セルネイの言う通り、サキの心は王宮に在ると思って間違いないだろう。天姫もレオンハルトの傍にサキの心はあると言っていた。それならば、あとはサキの心が在りそうな場所をしらみつぶしに探してみればいい。


「あまり時間をかけられないというのは分かっているんだけど……。魔術陣を君が持ち続けられる時間がどれくらいか、彼女から聞いてる?」

「五日が限度だと言っていた」

「そうか」


 猶予は五日。

 その間に魔術陣を発動させなければ、もう二度とサキには会えない。


「大丈夫。それだけあればきっと見つけられるから」

「うん」


 夏の日、サキを探して庭を巡った事を思い出す。レオンハルトはサキがどんな所にいても必ず見つける事ができた。戦地にあった神殿ではなかなか見つける事が出来なかったが、王宮内であれば話は別だ。この場所でならサキを探しだすのはきっと難しい事ではない。


 レオンハルトはサキとの追いかけっこの日々を思い出し、少しだけその時の気持ちも思い出した。


「あの、大変申し上げにくいのですが」


 今まで黙って成り行きを見守っていたユイがおずおずと口を開く。


「確かにサキさんの事は私としても心配ではあります。ですが今は、イルヴェルト様の事もなんとかして差し上げたいのです」

「イルがどうかしたの?」


 ユイの言葉に表情を硬くするレオンハルトは、寝ている間に何か事が起こったのかと不安になった。


「イルは今、持てる全ての権限を凍結されて私室に監禁状態になってる」


 レオンハルトの質問に答えたのはセルネイだった。セルネイは手に持ったままとなっていた雑草を掌の上で消し炭にすると、そのまま言葉を続けた。


「ガインがイルの地位を廃そうと動き出したんだ」

「こんな時に……っ」

「侯爵様はイルヴェルト様の叔父であるラウラディアン公爵様に在らぬ疑いをかけてイルヴェルト様の動きを封じてしまいました。何度かイルヴェルト様に面会をと申し出ましたが、聞き入れてもらえず……」


 力至らず申し訳ありません、とユイは頭を下げ謝罪を口にした。そんな彼にレオンハルトは頭を上げろと促した。


「謝らなくていい。とにかく今は状況を確認しないと」


 そう言ってレオンハルトは寝台を降りる。


「イルに会ってくる」

「私もお供します」

「うん」


 ユイの申し出に承諾を返し、レオンハルトはセルネイに向く。するとセルネイは、分かっているというように微笑んだ。


「僕の方でもサキの心を探してみる。だからハルトはイルの事を助けてあげて」

「ごめん。なるべく早く何とかするから」


 短期間で全てを解決する事は無理だと分かっている。しかし事態を落ち着かせる事くらいはなんとかできるはずだ。


 五日という日数は、そのままサキの命の時間だ。その間にやらなければならない事はたくさんある。


「とりあえずハルト様には身支度の時間が必要ですね」

「あ……」


 レオンハルトは自分が寝間着姿だという事に気付き、ユイの言葉通り、最初は身支度からはじめた。



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