連れて来られた場所
「何……これ……」
サキはその状況を目の当たりにして、驚きよりも憐みの眼差しをその場に向けていた。
ジークフリードに半ば強引に連れて来られたのは、王宮の北側に位置する騎士たちの詰め所だった。そこは王宮の敷地内に在るものの、ある意味独立した形で存在している場所だった。その為、普通の騎士たちは滅多に王宮側へは来ない。王宮内の警備は近衛騎士の仕事であるため、騎士団は基本的に王宮の外側の警備が担当場所になっている。
詰所の敷地内には騎士たちの寄宿舎もあるため、ほとんどの騎士たちがそこで生活をしているのだ。
サキは王宮側で仕事をしているため、騎士の詰め所の方には来た事がなかった。そんな初めて来た場所で、騎士たちの憐れな姿を目の当たりにするなど思ってもみなかったサキは、目の前の現状に困惑気味だった。
「……息絶えそうですね」
「言っておくが、誰も死んでないからな……たぶん」
即座につっこんでくるジークフリードも、この場の重苦しい空気に何とも言えない表情をしていた。
サキとジークフリードがいる場所は、詰め所内に在る食堂だった。そこには昼を過ぎて久しいというのに騎士たちでごった返していた。というより、テーブルに突っ伏していたり、床に座り込んでいたりと、皆一様に覇気がなく無気力状態だった。
一体何があったのかとジークフリードに説明を求めようとした時、一人の騎士がこちらに近づいてきた。
「来たか」
この状況でただ一人平気な顔をしている目の前の騎士は、人の良さそうな面差しをしているが、その瞳はどこか煌めく鋭さがあるように見えた。年の頃は四十を少し過ぎたくらいだろうか。
「何だよコレ。作れる奴だっているだろうが」
「午前中何があったか知らない訳じゃないだろう? そんな気力がこいつらに残ってるわけがないだろう」
「……そうだった」
ジークフリードは何事かを思い出しているようで片手で顔を覆い、天を仰いでいた。
「あの、一体何があったんですか?」
未だに状況が掴めないサキは、説明を求めてみた。するとその声にようやくサキの存在を確認したらしい壮年の騎士が、まじまじとサキを見つめてきた。
「コレは驚いたな」
何故か驚かれてしまったサキは、何のことだろうかと首を傾げた。
別に容姿は普通、のはずだ。そう思いながらも困惑を隠せないサキにジークフリードから簡素な説明が飛んでくる。
「ああ、気にすんな。黒目黒髪が珍しいってだけだから」
「え!? そうなんですか!?」
それは初耳だった。今までその事で何かを言われた事がなかったので、サキは思わぬ事態に戸惑った。
「黒を持ってるだけでも珍しいのに、嬢ちゃんは髪も目も黒いんだもんな。俺だって最初は驚いたよ」
「そんな事一言も言わなかったじゃないですか!?」
「あの時はそれどころじゃなかっただろうが」
「…………そうでした」
サキはそう言いながら高い位置で結っている髪を一房手に取ると、いつも見ている黒髪に視線を落とした。そう言えば、夏に遭遇した盗賊たちもそんなような事を言っていたなと、若干の恐怖と共にサキは思い出した。
もといたところではコレが普通だったのだが、この世界ではそんなに珍しいものなのだろうか。悪目立ちするのなら染めたほうがいいだろうか、と本気で考えてしまう。
「いや、すまんな。あまりに見事な黒髪に見惚れてしまった」
そう言って微笑むその騎士は、手慣れた手つきでサキの手を取った。その様子に相当女性の扱いに慣れている事が分かる。しかしそういう扱いに全く免疫がないサキはつい焦ってしまう。
「あの、えっと」
「あははは。可愛らしいお嬢さんだな」
屈託なく笑うその様子にサキは少々恥ずかしくなって俯いた。
コレはどうすればいいのだろうかと、未だ取られている手に視線を落とす。
「……何でこいつだと恥じらうんだよ」
などと言うジークフリードの発言は完全に無視した。
ジークフリードの言いたい事は分かるが、それとこれとは全くサキの中では違うのだ。
「二人とも、とりあえず食堂の状況を思い出せ」
ジークフリードの言葉で、ここがどこで、どういう状況なのかを思い出す。辺りに視線を巡らせば、死地に赴く兵士もビックリな惨状が広がっている。
「一体何があったんですか?」
「こいつら皆腹へって動けないんだと」
「……は?」
ジークフリードの返答にサキは何と言ったのか一瞬理解出来なかった。
「説明は俺がしよう」
そうして壮年の騎士からサキは大まかな説明を聞いた。
この食堂には賄いの人がいるらしいのだが、その人が昼食の支度をしている最中に腰を痛めてしまったらしく、昼食が作れなくなってしまったのだそうだ。昼食にありつけなかった騎士たちはその空腹に耐えかねて、屍のように生気を失くしているのだという。
「賄いの方は大丈夫なのですか?」
「ああ、もう自宅に送って行った。しかし、しばらく安静にしてないといけないらしいからな。こいつらの食事をどうするかが問題という訳だ」
「本当なら自炊できる奴もいるんだが、今日は日が悪かった」
壮年の騎士から言葉を引き継ぐようにジークフリードはそう続けた。
今日の午前中は演習をしていたようで、その苛酷な訓練を終えて尚食事の支度は誰もできなかったのだという。
「ジークフリードさんはお昼どうしたんですか?」
「王宮で食った」
「じゃあ、そちらの方は?」
「俺は、ロゼッタジーンさん……ここの賄いさんを送ってった時に、娘さんに御馳走になった」
その会話が響くと、食堂内は凄まじい殺気で満ち溢れた。その殺気はもちろんジークフリードと壮年の騎士に向けられているのだが、当の本人たちは全くと言っていいほど気にしておらず、至って普通だった。
「団長と副団長に向かって殺気放つって、どんだけ飢えてんだよ……」
その呆れたようなジークフリードの言葉に、サキはハッと壮年の騎士を見上げた。
「騎士団長様だったのですか!?」
「ああ、そうだが。そう見えないかな?」
そう苦笑されたサキは頬が熱くなるのを感じて勢いよく首を振った。
「そんな事ありません。ジークフリードさんよりらしいです」
「おいコラ」
ジークフリードからの恨みがましい視線は無視だ。
「そう言えば自己紹介がまだだったな。アヴァンオスローだ、よろしく」
「あ、はい。私はサキと言います。王宮で庭師をしています」
サキは慌てて腰を折った。
しかし普通に挨拶をしたつもりだったのだが、アヴァンオスローからは不思議そうな声が返ってきた。
「庭師なのか?」
「ええ、そうですけど」
「そうか……」
もともと庭師はセルネイ一人だけだったので、新しく庭師が増えた事は知らなかったのだろうかと、サキはそれ程深くは考えなかった。
「まあ、その話は追々という事で」
ジークフリードはアヴァンオスローにそう言うと、サキに向いた。
「とりあえず今だけでいいから、こいつらに何か作ってやってくれないか?」
「……やっぱり、そういう事ですよね」
ようやく本題を聞いたサキは、大方の予想は既についていた。
ここに連れて来られた理由はどう考えてもそれしか浮かばなかった。
「それは構いませんけど、味の保証はしませんよ」
サキはできる事があるなら手伝おうと最初から思っていたので、素直に承諾した。しかしながら、サキはこの世界の料理など全くと言っていいほど知らない。
ジークフリードの故郷にいた時はイレーヌに教えてもらって作った事はあるが、レシピもなく作れと言われても、できる保証は全くない。こちらの世界のものでなければ作れるのだが、この世界の人間の口にあうのかは分からないというのが現状だ。しかし目の前で空腹に耐えかねて脱力している騎士たちをこのまま放っておくのはあまりにも可哀想だった。
見捨てるくらいなら、できる限り食べられるものができるように努力する。
「じゃあ早く作っちゃいましょう。できれば手伝ってもらいたいです」
そのお願いには、団長、副団長共に承諾してくれた。
サキは、よし、と気合を入れると二人と共に厨房へと向かった。