すれ違う心
ルダフィオルテがレイヴァーレ王国の提案を国に持ち帰るという事で、この戦は終わった。しかしレイヴァーレ王国の提案を正式にナヤル国が受け取るかはまだ分からないというのが現状だった。
しかしルダフィオルテは去り際にこの提案を悪いようにはしないと約束してくれたので、サキはその言葉を信じる事にした。
そうして戦場から両軍が撤退すると共に、アヴァンオスローやジークフリードは自陣へ、ウェルダは神殿へと戻っていった。
そしてサキも公爵邸へと戻って来ていた。
「あ、あの……」
「……」
公爵邸の一室で、サキは長椅子に腰を下ろし、隣からの無言の圧力に冷や汗をかき続けていた。
「ハ、ハルト様? 私、着替えたいんですけど……」
応接用においてあるその長椅子は、対面できるように卓を挟んで二つ置いてあるのだが、レオンハルトは何故か対面せずに無言でサキの隣に座っていた。
その無言が、サキの逃げ場を尽く奪っていた。
思えば、王宮で別れてから戦場に並び立つまで、会ってはいたものの会話は一切していなかったのだ。レオンハルトからすれば聞きたい事があるのは理解している。しかしレオンハルトは逃がさないというように隣に陣取ってはいるものの、一向に口を開く事はなかった。
サキはその無言に堪えかねて何度か言葉を投げかけてみたが、それにすら返事が返って来ないのだ。
もうどうすればいいのだと半ば泣きそうになっていた頃、ようやくレオンハルトが口を開いた。
「……セルネイから聞いた」
サキはその言葉に心臓が跳ねた。
一体何処まで聞いたのだろうかと思うと心に焦りが生じる。
「もう先が長くないというのは、本当?」
その声が少し震えている事に気付くと、サキは途端に申し訳ない気持ちになった。
ずっと傍にいるという約束を守りたかった。しかしそれはもう出来ないのだとレオンハルトも知ってしまったのか。
その事を知ると、サキは居た堪れなくなった。
「セルネイさんに何処まで聞きいたんですか?」
そう聞いてみると、もう残された時間が僅かな事や記憶が戻っている事などをセルネイの手紙で知ったとレオンハルトは話してくれた。
それを聞いたサキは、セルネイはそれらの『理由』についてはレオンハルトに知らせていないようだと知ると、少しばかり安堵した。
「残念ながら、私はこの世界では生きていけません。それを思い出してしまったので、もう貴方の傍にずっといる事が出来なくなってしまいました」
すみません、と謝罪の言葉を口にすると、レオンハルトの肩が震えた。それを目の当たりにしてしまうと、サキは胸がギュッと締め付けられる感覚に襲われた。
「嘘じゃないんだ……」
項垂れてしまったレオンハルトの様子に、サキは何と声をかければいいのか分からなかった。そうやって何も言えないままでいると、レオンハルトから声が聞こえてくる。
「サキ」
名を呼ばれ、サキはレオンハルトに顔を向ける。するとレオンハルトも真っ直ぐにサキを見つめていた。
「生き残る方法はあるよ」
「え……」
サキは一瞬レオンハルトが何を言ったのか理解出来なかったが、すぐに何を言っているのだというように視線を逸らした。
「そんな方法はありません。セルネイさんだってもう無理だと……」
セルネイがサキを向こう側の世界に送り返そうとしたのは、サキがもうこの世界では生きていけないのだという事をセルネイ自身が悟ったからだった。それなのに、ここに来て生き残る方法があると言われても、信じる事が出来なかった。
するとレオンハルトは返事の代わりに一通の手紙を差し出してくる。
「セルネイからサキに」
サキはその手紙を受け取ると、セルネイに一通だけ手紙を出していた事を思い出した。
「読んでみて」
そうレオンハルトに促されたサキは、封を開け、手紙に視線を滑らせた。すると懐かしい癖字の羅列につい苦笑が浮かぶ。
「まだこの癖直ってなかったんですね」
そんな事を呟きながら、サキは手紙を読み進めていった。
そこにはサキが送った質問の回答と、レオンハルトの言う生き残る方法が記されていた。
「これって……」
サキはその内容に驚愕した。
サキは、何故レオンハルトだけが『異端の魔力持ち』の力を受け付けなかったのかという疑問を手紙に書いて送っていた。
その疑問への回答がセルネイの手紙には書かれていたのだが、それはサキに取って望んではいないものだった。
「私の影響をハルト様が受けてる……?」
サキは夏の日、瀕死の重傷を負って王宮へと戻った。その際、サキはレオンハルトから血を分けてもらったのだが、それが原因でレオンハルトの身に異変が起きていた。
この世界の人間の血液には魔力が溶け込んでおり、『魔術』が生きていた時代には血を交わすことで契約を結んだり、血で相手を縛ることなども出来ていた。
現代では『魔術』は既に消え、『魔法』しか存在していない。しかしサキとレオンハルトの間には血による『繋がり』が出来ていた。そのためレオンハルトは、サキ以外から与えられる『魔術』及び『魔法』の影響を一切受け付けない体になってしまっていた。それ故に、『異端の魔力持ち』の力を一切受け付けず、傷が治らなかったのだ。
「そんな……」
サキは小刻みに震える手で手紙を凝視していた。
サキが生き残る方法は、その『繋がり』を利用してレオンハルトに壊れた『封印』の代わりを担ってもらうというものだった。
「俺ならサキを助けられるんでしょう?」
サキの震える手にレオンハルトの手が重なる。サキがハッとして視線を向けると、レオンハルトは優しげな笑みを浮かべていた。
「ダ、ダメです、そんなの……っ」
「どうして?」
レオンハルトの瞳には何を言っても無駄だとでも言うような意志が見えた。
「サキを助ける事ができるなら、俺はそれを選ぶよ」
「ハルト様……っ」
それはダメだと分かっているのに、サキの心は嬉しさに満ちた。しかしそんな自分をサキは疎ましくも思っていた。
王宮から飛び出したのは、こうなる事を怖れていたからだった。
残された時間が僅かだと知れば、助けようとしてくれるだろう事は分かっていた。セルネイは向こう側の世界に送り返すことでサキを助けようとしていた。しかしそれを拒んだサキは、この世界では生きていけないと分かっていながらこの世界に残る事を選んだのだ。それはつまり、生まれた世界で最後を生きようと思ったからだった。
そうなる事を望んだのは他ならぬサキであるのに、今さら誰かを犠牲にしてまで助かろうとは思っていなかった。
「ハルト様、私は――」
「聞かない」
不意に触れていた手が強く握られ、サキはその痛みに少しばかり眉を顰めた。
「今は聞かない。きっと、信じられないから」
視線を逸らし、少し俯いてしまったレオンハルトの様子に、サキは何を言っても本当に聞いてはもらいないのだろう事を悟った。
「一緒に帰ろう、サキ」
ポツリと呟かれるレオンハルトの言葉を、サキは静かに聞いていた。
その言葉は懇願にも似た切なる想いが込められていた。
「帰ろうよ」
「ハルト様……」
握られている手からレオンハルトの震えが伝わってくる。
サキがどういう言葉を返すのか、レオンハルトは怖がっている。それをサキは察し、しばらく何も言えなかった。
一度は別れを告げた。しかしもう一度その言葉をレオンハルトに告げる事は、サキには出来そうもなかった。
会えて嬉しいと思う気持ちと、会いたくなかったという悲しみが入り混じり、サキの心は既にグチャグチャだった。
本当にどうすればいいのか分からなかった。
しかしもう二度と、レオンハルトを悲しませるような言葉は言えなかった。
「少しだけ、時間をもらえませんか?」
サキは何とも返す事が出来なかったため、苦し紛れにそう告げた。
サキは持っていた手紙を卓に置くと、手を掴んだまま離そうとしないレオンハルトの手にもう片方の手を添えて握り返す。
「ちゃんと決めますから」
そう言って真っ直ぐに視線を向けると、レオンハルトはどこか納得していないような視線を向けてきたが、分かった、と了承してくれた。
レオンハルトは何かに気付いているようにも見えた。しかしサキは、それに敢えて気付かないふりをしていた。
「一つだけ、聞きたい事がある」
不意にレオンハルトからそう言われ、サキは何だというように首を傾げて見せた。するとレオンハルトから質問が返ってくる。
「サキは最近、緋色の瞳を持った男に会った事はある?」
「緋色の瞳、ですか……?」
サキは質問の意図がよく分からないながらも、最近会った人たちの中で緋色の瞳を持っていた人物がいなかったか記憶を辿ってみた。しかしそれに該当する人物に心当たりはなかったので、会った事はないと首を振った。するとレオンハルトは、そう、と短く返してきただけで、後は何も言わなかった。
「とりあえず着替えさせてください。借り物のドレスが汚れたらと思うと気が気じゃないんです」
サキはいつもの調子でそう告げると、レオンハルトから言葉が返ってくる。
「折角綺麗なのに……。もう少しくらい」
「ダメですよ。これ公爵様のお嬢様の物なんですから。早く返さないと」
ラウラディアンの娘はもう何年も前に嫁いだという話だが、こうして大切に保管されていたというのだから、ラウラディアンは娘をとても大切に想っている事が窺える。だからこそ、汚してしまう前に返したいのだ。
「さあ、ハルト様は出ていってくださいね」
「えー……」
「えー、じゃないでしょう!」
全く、とサキはため息を一つ吐くと、立ち上がってレオンハルトの手を引いた。するとそれに応じるようにしてレオンハルトも立ち上がる。
「サキ」
サキがレオンハルトを見上げると、レオンハルトは少々硬い表情で言葉を続ける。
「今夜、また話そう」
レオンハルトから答えを求めるような視線が向けられるが、サキは思わずフイと視線を逸らしてしまった。
「……分かりました」
それだけ告げると、それじゃあ、とレオンハルトは扉へと向かっていった。そして一度だけサキを振り返ると、レオンハルトはそのまま部屋を出ていった。
その背を無言で見つめていたサキは、もう見えなくなったその背に小さく呟く。
「ごめんなさい、ハルト様」
許されないと知りながら、サキは心の中で何度もレオンハルトに詫びていた。




