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変わらぬ日常、変わる日々

 噂の絶えない王宮では、現在後宮の話題で持ちきりだった。

 現状後宮には、北国の姫ウィルアリアと自国の侯爵令嬢のアデルリーデの二人が入っている。この事は誰もが知る事実であるが、実はもう一人後宮には姫が入っているという噂がまことしやかに囁かれている。

 噂によれば、非公式に後宮入りを果したその姫は、誰とも会わずにずっと部屋に閉じこもっているのだという。そのため、姫が何処の誰なのか誰も知らないというのだ。

 しかしそんないるのかいないのか分からない姫の話に信憑性を持たせたのは、未だ後宮に足を踏み入れないレオルヴィア王子が、一度だけ後宮に渡った際に訪れたのがその姫のもとだったという話だった。

 その噂が噂を呼び、もしかしたら花の娘が帰ってきたのではという飛躍した噂も飛び交い、その姫は童話に準えて『花の君』や『花姫』などと呼ばれている。






「――っていう噂」

「へぇ」


 サキは花壇の雑草をブチブチ抜きながら、たいして興味はないと言うような適当な返事を返した。

 王宮に戻ってきて既に十日ほど経っているのだ。その手の話は嫌でも耳に入ってくる。

 サキはもうため息を吐くことすら諦めていた。


「その話はもういいです。言ったでしょう? ここにいるなら手伝ってくださいって。じゃなきゃ戻って仕事してください」


 サキは隣に屈んでいる人物に容赦なく言い放つ。

 無駄に体力を温存させておくくらいなら有効活用させてもらう。

 サキは腰に付けている道具入れから作業用の手袋を取り出すと隣に差し出した。


「どっちにしますか、レオンハルト様?」


 王宮に戻ってきてからというもの、毎日のようにベッタリ付いてくるレオンハルトに、今日も絶賛貼り付かれ中のサキである。

 秋晴れの気持ちの良い昼下がり。夏の暑さもすっかりなりを潜め、涼しくて過ごしやすい日々になった季節の中で、あの夏の日々と同じようにレオンハルトはそこにいる。

 もうレオンハルトがいなくなることはない。サキはそれを改めて感じることが出来た。

 そんな毎日に戻ってきたサキは、今日も今日とて庭仕事に精を出していた。

 現在、人通りの少ない場所の花壇にいるため、周りには誰もいない。レオンハルトは出会った頃のように、そういう時にしか接触してはこないのだ。それは仕方のない事で、そういう時にしかレオンハルトは『レオンハルト』でいられないのだ。だからサキは、誰もいない時はレオンハルトを名前で呼ぼうと決めていた。


「サキ」

「どうしました?」


 ボーッと差し出された手袋に視線を落としているレオンハルトは、一向にそれを受け取ろうとはしない。

 その様子にサキはその後の展開を確信した。


「……眠い」

「またそれか……」


 眠い目を擦るいつも通りのその仕草に、サキは諦めのため息を吐いた。

 ひと月半離れていたにもかかわらず、安眠枕としての効果は未だ衰えてはいないらしい。


「何でいつも眠いんですか……。夜ちゃんと寝てますか?」


 会えば必ず眠そうで、それでも我慢して起きているレオンハルトの姿は正直、サンタクロースを寝ずに待ち続けた挙げ句、睡魔に負けて眠ってしまう子供に見える。そんな姿に笑みが浮かんでしまう反面、サキは寝る暇がないくらいに忙しいのではないかと心配に思っていた。

 本当はこんなところで一緒に雑草をむしっている暇などないのだろうが、それでもレオンハルトはやってくるのだ。そんなレオンハルトをサキは無下に追い返すことが出来なかった。


「寝てるけど、眠れない」

「……それは単に昼寝をたっぷりしているからなのでは?」


 ハァとため息を吐いたサキは、子供か、とツッコミたくなった。しかし、それほど多忙ではなさそうなので少しホッとした。


「だったら昼間寝るのを我慢して――」

「違うよ」


 何の事かと首を傾げれば、その否定は『昼寝』に対してのものだった。


「サキの傍じゃないと眠れないだけ」

「……余計に質が悪いです」


 結局自分は安眠枕なのか、と再認識してしまったサキは、隣で欠伸をしているレオンハルトをチラリと見遣った。

 もう既に睡魔に負けそうになっている。


「どうして私の傍だと眠くなるんですか……」


 サキは未だにその理由は分からなかった。近づくと途端に眠くなるらしい事は確認済みだが、他の人はそんな事にはならないのだから、レオンハルト限定というのは少々気になっていた。

 サキの力ない呟きに、レオンハルト次第に重くなる目蓋を必死に持ち上げながら答えてくれる。


「サキの魔力は心地好いから」

「え!?」


 その言葉に、サキは心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。

 まさかレオンハルトは人の魔力を感知できるだろうか。そう思うと焦らずにはいられなかった。

 魔力はこの世界の人々にとっては当たり前のものだ。魔力は神殿にある魔石でしか量ることは出来ないはずだが、膨大な魔力を有する者はそれだけで相手を畏怖させる事が出来るというもの事実だ。それを考えると、この世界の人々は互いの魔力を感知しあえるのだろう。

 その考えに血の気が引く思いがした。

 サキは魔力を持たない人間なのだ。互いの魔力を感知しあえるのなら、サキが魔力を持たない人間という事がばれてしまう。しかしこの約半年間全くそれがばれる事はなかったのだ。これは一体どういう事なのだろうか。

 訳が分からなくなり首を捻っていると、レオンハルトから小さな笑い声が聞こえてきた。


「こんな事言われても分からないよね」


 レオンハルトが言うには、大抵の人は他人の魔力など感知することは出来ないらしい。それは本能で感じ取っているものだから、意識的に感知しているわけではないという。

 サキはそれを、ですよね、などという相槌を打ち、誤魔化しながら聞いていた。


「俺は、それが人より敏感なだけ」

「そうなんですか…………あれ?」


 サキはふとある事に気がついた。


「私の魔力?」


 レオンハルトは確かに『サキの魔力』と言った。それはサキにも少なからず魔力があるという事だ。

 ここに来てまさかのイレギュラー発生にサキは内心戸惑っていた。そんなまさか、と思いつつ、いやしかし、と疑う気持ちが浮かんでくる。詳細を聞いてみたいところではあるが、この世界では魔力があるのは極当たり前の事なので、聞くのは少々憚られる。

 スッキリしない心のまま唸っていたサキに、突然重さが加えられる。


「サキの隣が一番落ち着く」

「ちょ、寄り掛らないでくださいっ! 私では貴方を支えられませんって!」


 どうやら限界を越えていたらしいレオンハルトを、サキは倒れないように必死に支えながら訴えた。しゃがんだままの態勢で寄り掛られては支えるだけでも一苦労だった。ましてサキとレオンハルトでは体格差があるため、サキでは少しの間支えるくらいが精一杯だ。しかしどんなに起きてくれと訴えてもレオンハルトはこのまま寝てしまう勢いだった。


「だ、誰か助け……に来られても困る……」


 サキはほぼ抱きつく形でレオンハルトを支えているので、こんな場面を誰かに見られたらどう言い訳すればいいのか分からない。

 助けがほしいのに助けを呼べない悲しさに、サキは途方に暮れていた。

 その時、植木の陰に人影が見えた。


「う、嘘、誰か来た!? 誰か来ましたよ!?」


 慌ててレオンハルトを揺さ振ってみたが、当の本人は薄目を開けただけで動く気配はなかった。その様子に焦ったサキは、景気よくひっぱたいて起こしてやろうかと、半ば本気で考えてしまった。


「いないと思ったら、こんなところにいたのか」


 見つかったと思った瞬間かけられた声は、聞きなれた声だった。その声に視線を上げれば、そこには騎士の制服を着たジークフリードが何とも言えない表情で近づいて来るのが見えた。


「ジークフリードさん……助けて」


 思い切り寄り掛ってくるレオンハルトを必死に抱きかかえながら、サキは天の助けとばかりにジークフリードに助けを求めた。

 このままでは二人とも花壇に倒れこんでしまう。それは何としても避けたい。

 花壇の花のためにも。


「殿下、嬢ちゃんが困ってますよ?」


 ジークフリードは手を貸してはくれず、レオンハルトにただ声をかけただけだった。

 その無情さにサキはジークフリードを少々睨んでみたが、あっさり受け流されてしまった。


「ごめん」


 ふとそんな声が聞こえたかと思ったら、レオンハルトはあっさりサキから離れていった。眠かったのではないかとレオンハルトの顔を見れば、悪戯が過ぎたというような困った表情で微笑んでいた。


「サキは優しいから」

「……その『優しさ』とやらに付け込んだってわけですか……」


 この際花壇に突っ込ませた方がよかっただろうか、などという無情な考えが頭を過ってしまったが、レオンハルトの微笑みが本当に嬉しそうに見えたので、サキは、仕方ないな、と苦笑しただけに留めておいた。

 決して絆されているわけではないのだが、レオンハルトに対して自分は甘いとサキは自覚している。


「あーっと、いい雰囲気のところ申し訳ないんですけど」


 コホンという咳払いで、ジークフリードの存在を再認識する。

 決して忘れていた訳ではない、と弁解しておいたが、ジークフリードからは生温かい視線が向けられただけだった。


「そろそろ戻ってくださいよ。ユイが困ってるんで」

「……そうか」


 ジークフリードの言葉を聞いたレオンハルトが立ちあがると、サキはそれにつられる様にして立ち上がる。見降ろしてくるその深い青色の瞳が、どこか淋しそうに揺れている。


「レオンハルト様」


 サキは努めて明るく声をかける。


「私は逃げも隠れもしませんし、ここからいなくなることもありません。ずっとここにいるんですから、いつだって会えますよ」


 自分からは会いに行けないのは分かっている。会えない事を淋しく思うのはサキだって同じなのだ。しかしこうして会いに来てくれるのなら、いつだって会うことができる。もう無理をして遠ざかる必要はないのだ。


「だから、お仕事頑張ってくださいね」


 たとえ今日とは違う明日が来たとしても、あの夏の日に交わした約束は決して違えたりはしない。

 傍にいる。ずっと。

 その気持ちはきっと言わなくても伝わっていると信じている。


「うん。またね、サキ」


 レオンハルトは名残惜しそうにサキの頬を一撫ですると踵を返した。


「後は頼む」

「了解です」


 ジークフリードの横を通り過ぎる際、レオンハルトが何か言ったようだが、サキには聞こえなかった。

 レオンハルトの姿が見えなくなるまで見送っていたサキは、ふとジークフリードに声をかけた。


「あの、ジークフリードさんってレオンハルト様の近衛騎士になったんですよね?」

「そうだけど?」


 あっさり返される返事にサキは、ジークフリードを上から下まで見つめた。

 ジークフリードは、夏の一件でレオンハルトの近衛騎士になったのだ。しかしその服装はいつまでたっても普通の騎士服のままだった。


「近衛騎士の制服は着ないんですか?」

「嬢ちゃん、それは『後宮に入らないんですか?』って聞かれてるようなものだぞ?」

「……よく分かりました」


 ジークフリードの的確な答えに、サキは何も言い返す事ができなかった。


「俺は近衛騎士になったし、嬢ちゃんは後宮に入った。それでいいんだよ、きっと」


 その言葉通り、ジークフリードは近衛騎士になり、サキは後宮に入った。

 これは夏の一件で国家機密を知ってしまったがためにとられた処置だった。

 本来なら死罪は免れなかったのだ。しかし、決まった処遇は誰もが羨む高待遇だった。それにはサキもジークフリードも驚いたが、二人はそれを喜ぶことはなかった。ただ、死罪じゃなくて良かったと思う程度だった。


「まあ、そういう事実があればいいんじゃないか? 実際そうなんだし。な、『花姫』様」

「……からかわないでください」


 悪い悪い、と苦笑しているジークフリードの様子に、サキはため息を吐いた。

 王宮で噂されている『花姫』はサキの事だった。

 ジークフリードの故郷に行っていた際のレオンハルトとの押し問答は、結局サキが負けたのだ。それ故に、サキはレオンハルトが提示してきた条件をそのまま実行させてもらっている状態だった。

 確かにサキは後宮に入った。しかし、庭師としての仕事も辞めることはなかった。それどころか、サキは今まで通り自分が改造した小屋で寝泊まりしているので、後宮には一度も足を踏み入れた事はない。噂では『花姫』は部屋に閉じこもっているという事になっているが、実際はその部屋には誰もいないのだ。『花姫』を誰も見た事がないというのはそのせいだ。

 本当にこれでいいのだろうかと不安に思うこともあるが、それに救われている部分を大いにあるので、今はそれに甘えさせてもらっているのだ。


「『花姫』ね。私その童話知らないんですけど、どんな話なんですか?」

「知らないとか、嘘だろ!?」

「え!?」


 まさかそこまで驚かれるとは思っていなかったサキは、『花姫』の由来となった童話が余程有名なのだという事をこの時初めて知った。


「どれだけ世間知らずなんだよ。山奥で修業でもしてたのか?」

「そこは普通、どれだけ箱入りなのかと聞く場面では……?」


 一体何の修行だよ、とサキは心の中でツッコミを入れながら、ハァと力なくため息を吐いた。


「で? 実際箱入りなのか?」

「……いいえ」

「だろ?」


 残念ながら言い返せなかった。

 サキは箱入りでもなければお嬢様でもない。極々普通の一般人なのだ。


「まさかあの童話を知らない奴がいたとはな。俺でも知ってるんだぞ?」


 そう言いながらも、ジークフリードはちゃんと教えてくれるのだ。そういうところは本当に親切だと思う。


「『レイヴァーレ』はこの国のはじまりの物語だ。まあ、内容は子供向けだけどな」


 『レイヴァーレ』という題名のその童話は、この世界で最も有名で誰もが知る話なのだそうだ。この国と同じ名前のその童話は、この国が建国した当時の話で、歴史書としての価値もあるのだという。


「その本持ってますか?」

「いや、俺は持ってない」

「……ですよね」


 本とは無縁だろうと思っていたので、その返事は予想していた。しかしこの本は読んでおいたほうがいいのではないかと思ったサキは、この際町まで買いに行こうかと考えていた。


「ああ、いた! 副団長!」


 ジークフリードと立ち話をしていたその時、大声と共に騎士が一人、猛ダッシュでこちらに走って来るのが見えた。

 その騎士は余程急いでいるのか、どこか切羽詰まっている様子だった。


「嬢ちゃん、ちょっと悪い」


 ジークフリードはそう断りを入れてから、騎士のもとに駆けよって行った。サキは騎士と話をしているジークフリードの様子を見ながら、ちゃんと副団長なんだな、と失礼極まりないことを思っていた。


「分かった。お前は先に戻ってろ」

「分かりました」


 どうやら話は終わったようで、騎士は再び走ってこの場を去って行った。それを見送っていたジークフリードが若干厳しい表情をしている事を認めると、サキは何かあったのかと首を傾げた。


「あの、ジークフリードさんも行ったほうが良いんじゃないですか?」


 何があったかは知らないが、騎士の慌てぶりを見るに余程の事があったのではないかと心配になった。しかしジークフリードがそれに答える事はなく、その代わりというようにサキの腕をいきなり掴んだ。


「事情は行ってから話す。とりあえず付いて来てくれ」

「え、ちょ、うわ!?」


 掴まれた腕を引っ張られたサキは、そのままジークフリードについて行くしかなかった。何も言わずただ腕を引っ張るジークフリードの背を懸命に追いかけながら、サキはその背に叫ぶ。


「何で私もなんですか!?」


 その叫び声は、晴れ渡る青空に虚しく消えていった。


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