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託された思いの届く先

 剣を持って来なかったレオンハルトは、城門の警備をしていた騎士から半ば強引に剣を受け取ると、そのまま城門を出て町まで駆けて行った。

 陽は既に山間にほとんど消えており、空は次第にその色を変えていく。

 早く見つけなければと気が逸り、レオンハルトはまともな思考ができなくなっていた。


「サキ……っ」

「待ってください!」


 いきなり腕を掴まれたレオンハルトは咄嗟に振り返ると、厳しい顔つきのジークフリードと目があった。

 レオンハルトは忌々しげに顔を歪ませると、ジークフリードを睨みつける。


「離せっ」


 レオンハルトは腕を振り払おうと必死にもがくが、ジークフリードは腕を掴む手を更に強めてきた。


「アンタが取り乱してどうする! そんなんじゃ、助けられるもんも助けられんだろうが!」

「……っ」


 その怒声にレオンハルトは目を見張った。そして今にも泣きそうに顔を歪めるとジークフリードから視線を逸らした。


「少し落ち着け」


 レオンハルトは一度きつく目を閉じると、自分の不甲斐なさを呪った。

 サキのことになると、気持ちの制御が上手く出来なくなる。早く早くと気持ちばかりが急いてしまって、何も上手くいかなくなる。そんな事ではダメだと分かっているのに、不安に押しつぶされそうで怖くなるのだ。


「分かってるけど……っ」


 レオンハルトは瞼を上げると、ジークフリードに視線を向けた。そこには大丈夫だというような騎士の瞳があった。


「絶対見つかる。心配するな」


 勇気づけるようなその言葉は、レオンハルトの胸に沁みた。

 大丈夫。まだ間に合う。

 レオンハルトはそう言い聞かせ、息を一つ吐いた。


「すまない。ありがとう」


 不安な心を抱えたままの状態ではまた取り乱してしまうかもしれない。そんな自分の傍にジークフリードがいてくれることは、とても心強かった。


「行こう」


 そう言って、駆けだそうとした時、夜空に変わっていく空に、ポツンと光が浮いている事に気がついた。

 それは星ではないようで、その光は町の上空を動き回っている。


「何だ?」


 目を凝らしてその光を見ていたレオンハルトは、その不思議な光景に眉根を寄せた。


「何かが燃えてるみたいだな」


 レオンハルトの隣で同じように空を見上げていたジークフリードは、そう呟いた。

 ジークフリードが言うように、その光は何かが燃えている炎だった。

 それは次第に小さくなると、夜空から消えた。そしてまた次の炎が舞いあがる。そしてまたそれが消えると、再び炎が舞いあがった。

 その光景を目の当たりにしたレオンハルトは、ふと気付く。


「まるで目印……」


 炎が舞いあがったということは、あの炎の下には誰かがいるということだ。

 動き回る炎は魔法で舞い上げているのだということは、見れば分かる。その炎は誰かにここだと示しているような、そんな感じがしてならなかった。


「サキとクランシエルが……」


 二人が現在位置を自分たちに教えようと上げている炎だとすれば、あの下にはサキとクランシエルがいる事になる。まだそうだと断定はできないが、動き回る炎は次第に町の外れの方に向かっている。


「ジーク、あの炎を追うぞ!」

「それが一番、手っ取り早いでしょうね」


 そうしてレオンハルトはジークフリードと共に浮かぶ炎を追いかけた。






 浮かんでいた炎が、ぴたりと浮かばなくなった。そのせいで行方を見失ってしまったレオンハルトは、炎が消えた辺りまで来ると、足を止めた。

 そこは町の外れに位置する、少し開けた場所だった。


「いないな」


 魔法で火を出し、辺りを見回していたジークフリードは、争った形跡がないかと調べていた。レオンハルトも同様に辺りを見回していると、ふと廃材が置いてある辺りに何か本のようなものが落ちている事に気がついた。近づいて手にとってみると、中のページが半分ほど破られている『レイヴァーレ』の童話だった。


「もしかして、燃えていたのはこれか?」


 本を見る限りまだ新しいモノのようで、ページはなくなっているものの本自体は綺麗だった。


「何か見つけたんですか?」

「これ」


 近づいてきたジークフリードに本を手渡す。

 そのページのない本をまじまじ見ていたジークフリードは眉根を寄せると、何かを思い出したようで渋面な顔つきになった。


「どうした?」


 ジークフリードの本を見る視線があまりにも真剣だったので、レオンハルトは嫌な予感がして、押し込めた不安が再び浮かび上がってくるのを感じた。


「これ、たぶん嬢ちゃんが買ったものだと思います」

「な……」


 レオンハルトはその言葉に目を見張った。何でそんな事が分かるんだ、とジークフリードに視線を送る。


「確かじゃない。でも、嬢ちゃんはこの物語を知らないって言ってたし。もし町に戻ってきた理由がこの本を買いに来たってんなら、納得できるというか……」


 サキは一体何をしに町へ戻ったのか。それはジークフリードが一番疑問に思っていた事だろう。ジークフリードが言うように、本を買いに町に戻り、そこを襲われ、見つけてもらえるよう本を破って目印を作っていたのだとすれば、ここにその本が落ちていた理由が自ずと見えてくる。


「じゃあ、ここで何かあったということか……」


 一気に不安が溢れだす。

 ここで何があった。

 ここで何が起きた。

 焦りが心を急かせ、不安が予想を最悪なものに代える。


「ここには争った形跡は全くない。なら、まだ嬢ちゃんは無事ってことだ」


 瞳を暗く翳らせていたレオンハルトの肩に、ジークフリードの手が乗せられる。顔を上げれば、そこには安心させるように微笑んでいるジークフリードがいた。


「一度、表通りに戻りましょう。他の奴らが見つけてるかもしれない」


 自分は本当にダメだなと自覚する。

 些細な事でも悪い方にしか考えられなくなるのは悪い癖だ。

 ジークフリードのように無事である可能性を信じられなければ、サキを助けるなどできはしない。

 レオンハルトは、サキは無事だと心に言い聞かせ、ジークフリードと共に表通りへと戻っていた。






 もうすっかり陽は暮れて、外灯の灯りだけが淡く辺りを照らしている。

 途中何人かの騎士に会ったが、皆一様に見つからないと首を振った。それに不安を募らせるレオンハルトだったが、きっと見つかると信じて、探しながら町を歩く。


「何か聞こえないか?」


 ふと固いモノが地面を擦っているような音が微かに聞こえた気がして、レオンハルトは歩みを止めた。


「そうですか? 俺には……ん?」


 ジークフリードも気付いたようで、眉根を寄せて辺りを見回していた。

 その音は次第に近づいて来ているようで、カランカランとはっきりと聞こえるようになる。


「そこの路地からか?」


 音はもうすぐそこまで来ていた。レオンハルトは音がしている建物の間にある狭い道まで歩みを進めると、その道を窺った。するとその暗がりからカランカランと音を立てているものが何なのかようやく気付いた。


「クランシエル!」


 暗がりから姿を現したのは傷だらけのクランシエルだった。

 クランシエルは右手に持った剣の刃で地面を擦りながら歩いていた。

 至るところに切り傷を作り、服を血で汚し、左手で腹部を抑えながら、壁伝いに歩いて来る。

 レオンハルトはそれに急いで近づくと、クランシエルを正面から支えた。


「しっかりしろ!」


 荒い息を吐くクランシエルは、目の前にいるのが誰なのかを確認すると、途端に崩折れた。

 レオンハルトはそれを追うように膝をつく。


「おい!」

「……クラン!」


 レオンハルトの大声にジークフリードもやって来る。

 ジークフリードは崩折れているクランシエルを認めるとすぐさま駆けより膝をついた。


「殿下、すみません……俺はっ」


 そう言ってクランシエルは地に手をついて項垂れていた。


「どうした、何があった……サキは……」


 レオンハルトは逸る気持ちを懸命に抑え、クランシエルの言葉を待った。するとクランシエルから絞り出すような声が聞こえてきた。


「すみません……っ……サッちゃんは……連れて、いかれました……っ」


 一瞬、頭が真っ白になった。

 その言葉は、レオンハルトの心を恐怖で蝕んで行く。


「俺を、逃がすためにっ……サッちゃんは……っ」


 レオンハルトは苦しそうに顔を歪めながら片手で顔を覆った。

 恐怖で胸が押し潰されて、上手く呼吸さえできない。

 これは夢で、幻なのだと信じられたなら、どんなに心が楽になるだろう。それなのに残酷な現実は心を抉り、希望を奪うだけだった。


「クラン、ちゃんと説明しろ。まだ寝るな!」


 荒い息を繰り返しているクランシエルの瞳は既に焦点を失っている。

 抑えている腹部が赤く染まっているのが見える。他の傷は大したことはなさそうだが、腹部の傷は相当酷いものだと分かる。


「サッちゃんは……自分は『花姫』だと、言って……人質に……っ」


 その言葉にレオンハルトはハッとする。

 サキはクランシエルと逃がすために、自らを囮に使ったのだ。

 『レオルヴィア』の寵姫は、その存在だけで利用価値がある。

 それをサキは自分で利用したのだろう。


「どうして……っ」


 苦い思いがレオンハルトを襲う。

 どうしていつも誰かのために自分を捧げてしまうのか。どうして自分の命を顧みないのか。

 サキのその『優しさ』が今はとても辛い。


「サッちゃんは……無駄に俺を、逃がしたわけじゃ……ないです」


 クランシエルは頭を持ちあげ、レオンハルトに向いた。

「助けに来てくれるのを……待ってるって……信じて、待ってるって……っ」


 そうやってサキは人質になる道を選んだ。

 クランシエルの状態を見ると、サキを庇いながらの戦いは無理だった事が分かる。それだけ相手が腕の立つ者だったのか、それとも多勢に無勢だったのかは分からないが、それを察したサキがクランシエルの負担にならないよう考えた結果が『人質』だったのだということだけは分かった。

 『花姫』の利用価値を知っていて、すぐに始末されることはないと踏んだのだ。


「お願い、です……サッちゃんを……助けてくださいっ」


 サキは二人ともが助かる道を選んだのだ。たとえそれが人質になる事だったとしても、助かると信じて、思いをクランシエルに託した。クランシエルはその信頼を裏切ることなく、満身創痍になりながらもそれを果たしたのだ。

 今度はそれを自分たちが引き受ける番だった。

 サキは助けが来ると信じて待っている。その期待を、決して裏切りたくはない。

 レオンハルトは、先ほどまでの絶望を吐き出すように息を吐くと、立ち上がり指示を出す。


「ジーク、クランシエルを連れて先に王宮に戻れ。ユイならその傷も治せるだろう。俺は騎士たちを集めてから戻る」

「殿下」


 心配そうに見上げるジークフリードに、真っ直ぐ視線を返す。


「戻ったら、すぐに侯爵邸に向かう。……サキは必ず助けだす」

「了解しました!」


 ジークフリードはそのままの体勢で敬礼した。それを認めたレオンハルトは踵を返し、二人のもとから去っていく。

 サキは決して諦めてはいない。それが分かったのだから、自分も諦めてはいけない。


「待ってて、すぐ行くから」


 闇夜に染まる空を見上げ、レオンハルトは彼女の無事を願った。


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