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サヨナラの向こう側

 晴れ渡る空の下、王宮内の一角に在る歴代の王族が眠る霊園に、それほど多くはない人たちが集まっていた。

 皆一様に黒い喪服に身を包んでおり、両騎士団の団長と副団長達は互いの騎士服を着ている。

 そんな参列者たちの目の前には一つの墓ある。

 その墓にはかつて末王子の名が記されていたが、それが偽りだった事が公にされた今、本来の名が刻まれたものへと建て替えられた。


「これでやっと見送る事ができる」


 レオンハルトは目の前に建てられた新しい墓を前に、寂しそうな笑みを浮かべた。


 新たな墓には『レオルヴィア』の名が記されている。七年前に亡くなり、今の今までその墓すらも存在しなかった双子の兄のための墓。それを見つめながら、レオンハルトは静かに亡き兄を想った。


「私も、ようやくルヴィアとの約束を果たす事ができたよ」

「イル……」


 隣に並び立つ長兄に向くと、彼は淡い微笑を湛えながら、ただ静かに墓標を見つめていた。


 レオルヴィアが亡くなったのは、丁度今くらいの時期だった。双子の兄がもう春まで生きられないと知りながら、それでも春になったら何をしようかと二人で話し合った事は、今でも忘れられない。もう寝台から出る事も起き上がる事も叶わなくなったその姿を前に、レオンハルトはただ未来の事ばかりを話していた。


 生まれた時からずっと一緒に生きてきたのだから、離れ離れになるなど考えた事もなかった。


 ずっと一緒にいられると思っていたのに、兄は先に逝ってしまった。


「ルヴィア」


 寂しい気持ちは七年経った今でも全く薄れる事はない。当たり前にそこに在ったその存在は、この先もずっと忘れる事はないだろう。大切な人だったから、その存在を忘れずにそっと胸の中にしまっておこと思う。


 それは縋るためではなく、思い出として残しておくために。


「僕たちは先に戻ってるから。後は二人で送ってあげなさい」


 参列者と共に後ろに控えていたセルネイが、そう声をかけてくる。その声に振り向けば、その隣にはサキの姿もあった。


「ちゃんと送ってあげてください。きっとルヴィア様に届くから」

「うん」


 そうして、参列してくれていた者たちが一人、また一人とこの場を去っていく。そして最後にサキとセルネイが去って行くと、残ったのはレオンハルトとイルヴェルトだけとなった。


「ルヴィア、怒ってるかな」


 そう呟くと、隣から長兄の苦笑が聞こえてきた。


「怒っているとすれば、それは私に対してだろう。時間のかけ過ぎだ、とな」

「そんな事は」

「七年かかった。国土を全て取り戻し、お前を解放するまでに」


 イルヴェルトに政権が移ってから七年。誰もが国が滅びる事を覚悟するくらいの惨状から、たった七年でこの長兄は国を立て直したのだ。おそらくイルヴェルトでなければ国を立て直すのに七年以上かかった事だろう。


「お前がルヴィアの変わりを続けられたのは、何も双子だったからだけじゃない。膨大な魔力を持っていたのが、本当はお前の方だったからだ」


 その事を知っているのはレオルヴィアの他には、セルネイとイルヴェルトだけだった。今だって、サキとウェルダには知られてしまったが、それ以外の者たちには知られてはいない。ユイにすら話していないこの秘密は、このまま明るみに出さない事をレオンハルトもイルヴェルトも決めている。


「誰かにその事を悟られるわけにはいかなかった。だからこそ、早く決着をつけたかった。七年もかかってしまったが、お前の事を知られずに済んだのは幸いだった。お前が王になる事に異論はないが、もし王になってしまったら、お前の未来は悲しいままだっただろうから」


 魔力量で決まる王位継承順だが、今回、レオンハルトとイルヴェルトはその決まりに反する事をした。本当は末王子が王位継承権第一位となるはずだったのだが、レオンハルトはそれを今も昔も望んではいなかった。


「お前は人のあしらい方が下手だからな」


 茶化すようにそう言って、長兄は小さな苦笑を浮かべていた。


 兄の身代わりとなった七年前から、レオンハルトの周りはがらりと変わった。今まで末王子などに見向きもしなかった者たちが『レオルヴィア』だというだけで媚を売るのだ。その様は滑稽以外の何モノでもなかった。故に、もし本来の王位継承順になったとしたら、レオンハルトの周りにはそうやって媚びる者たちしか集まって来なくなるというのは火を見るより明らかだった。

 七年間、確かにレオンハルトは双子の兄を演じてきたが、もともとレオンハルトはそういった者たちをあしらう事が苦手だった。レオルヴィアには生前の印象があったからこそ、レオンハルトも何とか乗り切る事ができたのだ。しかしそれがレオンハルト自身に向けられたとなったら、おそらく人間不信にでもなって部屋に引き籠るのがオチだろう。


「王になどなってしまったら、お前は部屋に引き籠ったまま出て来なくなりそうだしな」

「う……」


 ははは、と声を上げて笑うイルヴェルトに対し、今まさにそう思っていたレオンハルトは言葉に詰まって言い返す事が出来なかった。


「お前がどうしても王になりたいというのなら、王位継承順は正しい順に戻す事もできる。そうすれば、お前を侮る者たちの態度も変わるだろう」

「……その事、知ってたんだ」

「近衛騎士団長が報告を上げてきたからな。予想はしていたが、腹立たしい限りだ」


 現在、真実を隠したまま『レオルヴィア』が末王子のレオンハルトだと公表したため、末王子を受け入れない者たちからの心ない態度を取られているが、きっとその方がマシなのだ。それほどに、レオンハルトは人との関わりを苦手としていた。

 ウェルダからも魔力量の差が開くほどに相手を狂わせるのだという話を聞いたため、王になどなってしまったら国中が狂うのではないかと、レオンハルトは秘かに恐怖していた。


「俺は王になりたいとは思わない。面倒だし。今のままでいいよ」

「そうか? なら報復は私の方でしておこう」

「えっと、何する気……?」

「任せておけ」

「待って! 答えになってないよ!?」


 長兄は既にやる気満々である。


「まあ冗談はさておき。正直な話、王位を持って行かれると困るから、現状維持が私の望みだ」

「アリアの事があるから?」

「まあな」


 ウィルアリアの輿入れに関しての条件は、彼女を次期国王の正妃に迎える事だ。そのため、イルヴェルトがウィルアリアを手に入れるためにはどうしても王位が必要だった。


 しかし理由はそれだけではなかった。


「アリアを次期国王の正妃に向かえないと、また戦になってしまうかもしれん。私たちの気持ちがどうあれ、コレは国家間で交わされた協定だからな」


 その言葉に、レオンハルトは少しばかり視線を落した。


 イルヴェルトはそういった場所に留まる事を選んだのだ。自分の気持ちより、国のために行動しなければならないその場所に。

 だからこそ、人生を共にする伴侶は愛する人であって欲しいと心から思う。


 その場所に長兄が代わりに立ってくれるから。

 これからは出来る限りの恩返しをしたい。


「俺は王位なんていらない。一生いらない。なんなら放棄する。だからアリアと幸せになって。俺、何でもするから。イルのために、力になるから」

「ハルト……」

「もうルヴィアには恩返しが出来ないけど、イルにはできるから。もう何もしないで隠れたりしない」


 身代わりとなってくれた双子の兄の背に隠れ何もしなかった子供時代。幼かったからというのは最早言い訳にしかならない。兄はその幼かった時分に身代わりになる道を選び、ずっと守ってくれていたのだから。それに甘えてその背に隠れていた自分が、今ではとても恥ずかしく思う。きっと出来る事はあったのだ。その辛さを、その悲しみを、一緒に分かち合う事くらいは出来たはずだった。それなのに、庇ってもらえる事が当たり前になり、その状況に甘えていた。


「俺、ルヴィアに何もしてあげる事が出来なかった。ずっと守ってくれたのに、お礼すら、ちゃんと言えなかった……」


 レオンハルトは兄の名前が刻まれた墓を見つめ、遠き日に逝ってしまった兄へと謝罪した。


「ごめんね、ルヴィア」

『気にするなって』


 不意に聞こえたその声に、レオンハルトとイルヴェルトは驚きの表情のまま顔を見合わせた。


「何? 幻聴?」

「お前も聞こえたのか……?」


 二人揃って辺りを見回してみるが、声の主の姿は見当たらなかった。


「ルヴィア、いるの……?」


 我ながらおかしい問いかけだと思いながらも、レオンハルトは問いかけずにはいられなかった。


 会えるなら会いたい。

 声だけでもいいから聞きたい。


 そう思っていると、後方からはっきりとその声が聞こえた。


『いるよ』


 ハッと勢いよく振り返るレオンハルトとイルヴェルトは、その視線の先に透けたその姿をはっきりと捉えた。


 最後に別れた十五歳の姿のまま、彼はそこに立っていた。


『二人してなんて顔してるんだよ。まるで幽霊でも見たような顔して』


 お前が言うなよ、とレオンハルトとイルヴェルトが二人揃って心の中でツッコミを入れたのは言うまでもない。


「えーっと、どういう事?」

「私に聞かれても困る。そういう事は本人に聞くべきだろう」


 そうしてレオンハルトとイルヴェルトは揃って、透けたその姿を凝視する。どれだけ瞬きしようが、目を擦ろうが、その姿はちゃんとそこに在った。透けてはいたが。


「ルヴィア、だよね?」

『この姿見て分からないか? 忘れるなんて、案外薄情だな』

「ち、違うよ。忘れてなんかないよ」

『ははは。分かってるよ』


 カラカラと笑うその様子に、レオンハルトは思わず視界が滲んだ。


 夢でも幻でも何でもよかった。再び会えたその事が何よりもレオンハルトには大切な事だった。


「ルヴィア、コレはどういう事だ? セルネイが何かしたのか?」

『違うよ。強いて言うなら、サキのおかげだな』


 イルヴェルトの質問に答えるレオルヴィアは、ニコニコしながら言葉を続ける。


『サキがこっちに戻って来る時に、俺もついて来たんだ』

「ついて来たって……」


 ちょっと買い物に行くついでに寄ってみたくらいの気軽さが感じられるのは気のせいだろうか。


『しばらくお前たちに会える機会を窺っていたんだが、なかなか会える機会に恵まれなくてな。いっそ夢枕にでも立つかって思ってた頃にいろいろ決着が付いたから、これは会えるんじゃないかと思って出ていく時期を見計らっていたという訳だ』


 しれっとそんな事を言うレオルヴィアの言葉から、彼が一部始終を見ていたという事が知れた。


「ずっと見てたの?」

『見てた。ハルトとサキが再会したところからずっと見てた』

「な……っ」


 意味深な笑みを向けてくるレオルヴィアの言葉に、レオンハルトは絶句すると共に思い切り顔を逸らした。


 頬がとんでもなく熱いので、きっと顔は真っ赤になっている事だろう。


「あまりからかってやるな」

『別にからかったつもりはないんだけどな。むしろ安心したって言いたかっただけだ』


 イルヴェルトにそう答えるレオルヴィアは、レオンハルトに視線を向けると、嬉しそうに笑った。


『ハルトも愛する人を見つける事が出来てよかった』


 その言葉に隠された意味を、レオンハルトは正確に察した。双子だからか、そういった事は言葉にしなくても良く分かる。


 レオンハルトとレオルヴィアは母親のせいもあってか、異性に対してあまりいい印象を持ってはいない。レオンハルトは特に人との関わりを嫌っていたため、自分が誰かを愛して生涯を添い遂げるなどという事は全く考えられなかった。ただ一人『花の娘』だけは例外だったとしても、会う事すら叶わないと分かっていたため、想っていられるならそれでいいと思っていた。

 王族の義務として誰かを娶る事はあっても、自分から誰かを求める事はないだろうとずっと思っていた。それなのに、夏の日に出会った黒目黒髪の少女だけは、どういう訳か、気になって仕方がなかった。その気持ちがどういうものなのかに気付いた時、レオンハルトは人を愛する事の意味を知った。


『ちょっと気は早いかもしれないが、もう今しか言えないから言っておく』


 そう前置きをすると、レオルヴィアはそのままそれを告げた。


『二人ともおめでとう。愛した人はちゃんと守ってやれよ』


 一瞬、レオンハルトもイルヴェルトも祝いの言葉に目を見張ったが、次の瞬間には二人して照れるように視線を彷徨わせた。


『気付かないとでも思ったか? さっき言っただろう? ずっと見てたって。全くお前らは策士だよな。今後の対策まで万全だし』


 少々呆れたような物言いだったが、レオルヴィアの口元にはニヤリとした笑みが浮かんでいる。それにはレオンハルトとイルヴェルトも同じような笑みが浮かんだ。


「俺としてはセルネイがサキの事を娘だって公表してくれたおかげで、身分どうこうの話が解決したから有り難かった。まあでも、別の事で煩く言われるのはこの際覚悟してる」

「身分云々の事を考えたら、彼女を死んだ事にしたままでは都合が悪かったからな。だが、そうすると別の問題が出てくるから、万全の策を講じる必要があったんだよ」

『まあ、爺共は身分や血統に煩いからな。お前たちにとってサキの立場が一番の懸念材料だったというのは誰が見ても明らかだった訳だし。しっかし、どうやってそれを解決するのかと思ってたら、まさか堂々と正攻法で攻めるなんてな。全く、お前たちの欲しいものへの執着はホントに半端ないな』

「そうかな?」

「そうだろうか?」


 自覚なしの二人を前に、レオルヴィアは少々困惑気味な表情でため息を吐いていた。しかしそれはすぐに笑みに変わる。


『俺も、お前たちとそうやっていろいろな事をやってみたかった』


 ふとそんな事を呟くレオルヴィアが、寂しさの滲む笑みを浮かべる。それを目の当たりにしたレオンハルトは、胸に痛いほどの切なさを感じた。


『お前たちを見てると、もう少しここで生きてみたかったなって思うよ』

「ルヴィア……」

『そんな顔するな。俺は十五年という月日をお前たちと生きられて幸せだった。俺は、それでいいんだ』


 そう言って、レオルヴィアは笑った。


『本当は生まれるはずのなかった命だ。十五年生きられただけでも奇跡だろう』

「え?」


 どういう意味だと首を傾げるレオンハルトを余所に、イルヴェルトはその言葉の意味を少しばかり察したようだった。


「ルヴィア、お前まさか……」

『イルのそういう察しのいいところは、長所でもあり短所だよな』

「何? どういう事?」


 一人だけ訳が分からないレオンハルトがそうやって二人の兄に問いかけるが、明確な答えは返って来なかった。


『ハルトがいてくれたから俺もこの世界に生まれる事ができたって事』

「? よく分からない……」

『ははは。お前はそれでいいんだよ』


 カラカラと笑うレオルヴィアと少々難しい表情を作るイルヴェルト。二人を交互に見ていたレオンハルトは、本当にどういう事なのか分からず首を傾げるばかりだった。


『ありがとな、ハルト』

「え?」

『ずっとお前に礼が言いたかった。これで俺も心おきなく逝ける』

「そんな……っ」


 唐突にそんな事を告げられ、レオンハルトは思わずレオルヴィアに手を伸ばす。しかし伸ばした手は空を切り、兄に触れる事は出来なかった。


『俺はもうここにはいない存在だ。触れる事は出来ない。本当はこうやって会って話すことだってできないはずだった。でもハルトとサキがここにいるから、少しだけ話せた』


 それで満足だ、と言いながら、レオルヴィアはずっと微笑んでいた。


 この場に現れてからずっと兄は笑顔だった。

 ずっと嬉しそうに笑っていた。


 生前のレオルヴィアは冷血無慈悲という言葉通りに、人を寄せ付けない雰囲気を持っていた。瞳にはいつも冷徹さを帯び、人前では滅多に笑う事すらしなかった。


 そんなレオルヴィアも、レオンハルトやイルヴェルトの前では心から笑っていた。

 今目の前に在る笑顔のように。


『なあ、イル。いろいろと思うところがあるのは分かるが、俺の事嫌わないでくれ』


 渋面のままのイルヴェルトに、レオルヴィアが眉尻を下げながらそう懇願する。するとハッとして視線を上げたイルヴェルトが慌てたように口を開いた。


「すまない。そういった事を考えていた訳ではないんだ。確かに思うところはあるが、お前を嫌ったりはしないよ」

『そうか。よかった』


 不安そうな顔から再び笑顔になったレオルヴィアは、そのまま一歩後ろへと下がった。


『そろそろ時間だ』

「待って……っ」


 兄はもう逝ってしまう。

 だから今、言わなければ後悔する。


 レオンハルトはそう思い、ずっと言いたかった事を告げた。


「ずっとルヴィアを盾にしてごめん。俺の代わりにその場所に立たせてごめん。ずっと守ってくれたのに、俺はルヴィアに縋ってばかりだった……っ」


 兄が亡くなった七年前。レオンハルトは半身を失ったかのような喪失感からしばらく抜けだす事ができなかった。そんな状態の最中、イルヴェルトから『レオルヴィア』の身代わりとなれという命令書を受け取った。

 きっとあの時の自分はそれに縋ったのだ。兄を演じる事で、逝ってしまった兄ともう一度生きられると思い込んだのだ。

 兄の事を知るためにその場所に立とうと思った事も確かだった。しかし半分は、亡くなった兄を見送れない弱い自分が、その命令に縋りたかっただけなのだ。


「七年前に見送る事が出来なくてごめん。夏の日にも、俺はルヴィアを見送れなかった。俺がルヴィアを演じている限り、一緒に生きていけると、思ってたから……」

『俺はもう死んでいるから、もうハルトとは一緒にいられない』

「うん……っ」

『ごめんな、ハルト』


 思わず俯いてしまうと、地面に雫が落ちた。


 もう一緒にはいられない。

 もう二度と会えない。


 サヨナラまでの時間は、もうそれほど残ってはいない。


 レオンハルトは意を決するように顔を上げ、涙で滲む視界の向こうに大好きだった兄を見つめた。


「俺はもう大丈夫。ルヴィアがいなくても、ちゃんと生きていくから……っ」


 兄が安心して逝けるように。

 一人でもしっかり歩いて行けるように。


 サヨナラの向こう側へ、笑顔で行けるように。


「今までありがとう、兄さん」


 流れる涙はそのままに、レオンハルトは精一杯の笑顔をレオルヴィアに贈った。


 母親に傷付けられて上手く感情を表に出せなくなってから、上手く笑う事さえできなかった。それでもいつも隣にいてくれた大切な兄は、何の反応も返せない自分にも笑い返してくれた。


 その笑顔にいつも救われていた。

 その笑顔が大好きだった。


 だからこそ、あの時返せなかったこの笑顔で兄を見送りたい。


「ずっと忘れないから。絶対に忘れたりなんか、しないから……っ」

『ああ』


 忘れない。

 兄がくれた優しさの全てを、決して忘れない。


『ハルト。それにイルも。二人とも元気でな』


 七年前までいつもそこにあったその笑みが、次第に薄れてゆく。その事に寂しさと悲しさを感じながら、レオンハルトは消えゆくその身をしっかりと目に焼き付ける。


『さよなら。俺の大切な――』


 サア、と強めの風が吹き抜け、レオンハルトは思わず目を瞑ってしまう。そして風が止み、ハッとして目を開けると、そこにはもうレオルヴィアの姿はなかった。


「逝ってしまったか」


 隣からイルヴェルトの声が聞こえたが、レオンハルトはしばらく何も言わずに、兄がいたその場所を静かに見つめていた。


「ねえ、イル」

「ん?」


 レオンハルトが流れた涙を袖で拭きながらそう声をかけると、イルヴェルトから何だという声が聞こえてくる。レオンハルトはそれを認めると、長兄の方に顔を向けずに口を開く。


「ルヴィアの最後の言葉、聞こえた?」

「……ああ」


 消えるその瞬間に告げられたその言葉が何を意味しているのか、レオンハルトには分からなかった。しかし長兄と兄との不思議な会話の意味と何か関係があるのだという事は何となく察した。


「いつかその意味を教えてくれる?」

「私に聞くよりセルネイに聞いた方が早いと思うがな。私も確信がある訳ではないから」


 そう言って、イルヴェルトがレオンハルトの方に向いた。


「落ち着いたら、私が知っている事は話してやる。本当は話す気などなかったが、お前も知っておいた方がいいのかもしれん」

「うん」


 そこで会話が途切れ、二人はしばらくそのままその場に留まった。


 七年前に逝ってしまった双子の兄に、面と向かって謝罪とお礼が言えた事は最早奇跡だった。

 あの花畑でサキはレオルヴィアに会ったと言っていたが、レオンハルトは会えなかったのだ。だからこうして会えた奇跡が、レオンハルトにとってはかけがえのないものとなった。


「さよなら、ルヴィア」


 そっと呟いてみるが、もう返事は聞こえない。それでもレオンハルトは兄に届いていると信じ、最後に一言呟いた。


「またね」




 今日の別れが明日の出会いになるように。


 サヨナラの向こう側で、もう一度出会える奇跡を願う。



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