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紺碧の書 ~アトランティスの幽霊船~  作者: 蒼十海水
第三章【夕暮れの街と暗殺者】
9/18

【Story.08】

「分かった! こっちがジョゼフでこっちがジョニーでしょ!!」


「ぶぶー。はずれ。ジョニーは今マストで首つりしてるやつ。」


掃除の為に泡だらけにされた甲板から、そんな他愛のない会話が聞こえてくる。

その辺に居たスケルトン達を捕まえて、名前当てクイズをしていたアクアと副船長のサフランは、柔らかく日差しを遮ってくれるミストの中で昼の一時を過ごしていた。

レイス船長をはじめ、今はフレア姫もオーディンも、それぞれの部屋で眠りに着いている。

そんな中で一足先に目覚めたアクアは、今日もせっせと働く先輩スケルトン軍団に習って、お掃除の手伝いを始めたのだった。

幽霊船の乗組員達が昼も動いているなんて、変な話かもしれないけれど、真昼の下で働く死霊達はこれはこれで愛着がある。

もっとも人数的には今、最小限の状態だが。


「ね、午後にはウエストエンドの港街に着くんだよね? 買い物とかも出来る?」


「んー…昼間停泊場に着けるの、船長嫌がるからなぁ。まあ、船を隠すのに丁度良い入り江とか岩場があったらの話だな。」


「ふーん。ま、別に夜でもいいけどさ。」


手慣れた様子でデッキブラシを操り、甲板を擦っていくアクアは、今はシャツにホットパンツと身軽な服装をしている。

決して華奢ではないが、適度に鍛えられた体は健康的で。女性特有の丸みを帯びたラインは、それだけで少なからず船員達の視線を集めていた。

とはいえ、この場で実際に眼球があるのはサフランだけだが。


「…? 副船長、何ぼーっとしてんの。」


「いやあ、べっつにー。」


「暇なら、カーキの方と舵代わってあげたら?」


サフランは今、マストの根元にある太いロープの束にどっかりと腰かけている。そんな彼の目の前には、濡れた素足だとかシャツの内側に覗く胸の谷間だとか、そんな眩しい光景があった。

そこにいちいち目がいってしまうあたり、彼も人間の男と大して変わりは無いのかもしれない。

ただ、この船に"普通の人間"という存在は誰一人としていないことに、アクアやフレア姫は気付いているのだろうか。


「やだよ。俺午前中ずっと舵取ってたもん。」


「…何か骸骨さん達、滑って遊んでるよ。あ、ちょっと足どけてー。」


どうやら現在のアクアの優先事項は、サフランとの会話ではなく掃除の方らしい。意外にまじめというか、集中されるとそれはそれで寂しい気もする。

聞くところによると、この後アクアは昼食の準備に取り掛かるという。

まったく、昨日の今日でよくそれだけ元気でいられるものだ。


「―――アクア…。」


「あ、船長起きてきた!」


「(おいおい。船長、さっき寝たばっかじゃ…。)」


二人が声のした方を振り向くと、いつの間に上がってきたのか、明らかに寝起きな様子の船長が居る。

舵を代わったのは早朝とはいえ、レイス船長が寝たのは大分日が高くなってからの筈だ。まだ十分な睡眠をとったとは言えないだろう。元々あまり眠らない人だとは思っていたが、さすがにこれはやり過ぎのような気もした。

そう、普通の人間とは違うといえど、やはり休息や睡眠は必要なのだ。


「…何してるの。そんな格好で。」


「何って…掃除。え、そんな格好ってのは、濡れちゃったから?」


何かを探し求めるようにアクアを呼びつけ、その姿を見ると船長はむう…と不機嫌になる。

普通、男ならこの光景を見てひっそりと喜ばない筈は無いのだが。一体あの、シャツの透け具合やその中に見える水着の、何が気に入らないというのか。


「掃除なら、船長室お願いしてもいいかな。ここはあいつらに任せておけばいいから。」


「おあ、はいはい。でも邪魔じゃないの?」


「二度寝するから、いい。少しの物音じゃ起きないし。」


『嘘つけ!』と、この場に他の船員が居たら、思わずそう口を挟んでいたかもしれない。

少しの物音じゃ起きないとか、船長はそんな豪快な性格では断じて無い筈だ。

しかも、以前船長室前の廊下で酒瓶ボーリングをしていたら、刃物類が飛んで来たとか。そんな逸話もあるくらい、船長の睡眠妨害と寝付きに関しては何かと悪評が多いのだ。

確かに、普段からあれだけ脳をフル回転させている人のことだから、それも仕方の無いことかもしれない。

だが、ならこの状況は何だ? わざわざ起きてきてまで、船長室の掃除なんか頼みに来るか?

一体、何がそんなに船長を駆り立てるのかと一瞬だけ考えてみたが、疑うまでもなく答えは決まっていた。

―――これはひとえに、独占欲の為せる技だ。








+++++



行き交う人々が皆"生きている"ということに、無性に新鮮さを感じてしまう。

空を仰げば眩しい程で、街中を見渡せば燦々と日差しが降り注いでおり、空気を吸い込む度に清々しい気持ちになった。

慣れてしまえば船旅も悪くはないのだが、やはりこうして地面に降り立つと、それはそれで嬉しい。

ん~っと体を伸ばし、改めて大きく深呼吸をしてみると、どこからか鉄板焼きのような匂いが漂ってきた。濃厚なソースが焼ける香ばしい匂いに誘われ、ついついその場所を目で探してしまう。

昼食の後だというのに、こういう時の食欲は留まる事を知らないようだ。


「や~、街っていいなあ。」


「ほんとだね。今まで賑やかなのはあんまり好きじゃなかったけど、落ち着く。」


船上では陰気…というよりは陽気すぎる死人達に囲まれている訳だが、それでも"話し声"という項目に関しては、明らかに街中に軍配が上がる。

久々に人々の活気溢れる真昼の光景に、心が躍らずにはいられなかった。


「で、まずはどこへ行くって?」


―――しかし、ここに来て一つの問題が浮上してくる。

即ち、姫と二人でラブラブデートもどきvなんて浮かれていた筈が、何故他の男達まで着いてくるのかということ。

レイス船長は、島での一件もあるからナチュラルに邪魔をしてくる予想はついていたが、副船長二人とか、船員その1とか2とか。何で奴らも着いてくるのか、そこだけは理解が出来なかった。


「まずは、姫の着替えと武器ですね!さすがに丸腰は危険だし!」


「うん。今まで武器の持ち合わせが無かったからね。あとは…他にも揃えたい物とかあるし。」


夜ならともかく、この海賊っぽさ丸出しのガタイの良い男達は、歩いているだけで目立つ。こんなご婦人方や商人、まっとうな旅人達の人口が多い中で、それは如何なものかとつい思ってしまう自分が居た。

それでも、彼らは彼らなりに私達のことを心配しているようなので、あえてそれは口には出さないが。


「…あのー。そちらの男性方は、船の買い出しとか行かないんで?」


「うん。他の奴らに任せてあるし。」


「どうせなら、若い女の子達と一緒に街の散策でもと思ってv」


まあ、最悪荷物持ちになるか…。と、軽薄そうな副船長・カーキの横顔を見ながら、そんなことを考える。

見れば奴の瞳は、すでに向こうから歩いてくるお姉ちゃん達に釘付けになっていた。


「お! ちょっと俺、行ってくるわ。」


「(よしっ! 一人離脱!!)」


「あ、じゃあ俺も!!」


カーキと男達の視線に気付いたのか、向こうのお姉ちゃん達の一人が可愛くウインクしたのを受けて、五分の三の男達はそちらに流れていく。

これで残りは船長とサフランになった訳だが、ぽやぽやしているように見える二人は、今は街の特産品なんかの話をしており、一向に離脱する気配も無かった。

その間も、時には人ごみから庇ってくれたりなんかしつつ、紳士的に後を着いてくる。

やがて食料品中心の通りを抜け、衣服や雑貨などの店が立ち並ぶ商店街に入った頃には、とっくに男性二人の存在は気にならなくなっていた。

貝殻や天然石を加工した装飾品、用途の幅広い鮮やかな布地の数々。それらを元に作られた衣服など、見るべき物は沢山あったからだ。


「姫、見て下さい! これ可愛い!」


「ほんとだ。色んな色があるね。」





旅の路銀というものは、そもそも常に節約というのが基本であるわけで。それは海賊と行動している現在も変わらず、できるだけ必要最低限の買い物に留めようとは思っていた。


「せ、せんちょ…俺もう、前が見えな…」


「そう? 俺はまだ余裕だけど。」


「船長みたいな馬鹿力と、一緒にしないで下さいよ…。」


思っては、いたのだが…。どうも姫と一緒だと、なるべく不自由させたくないとかそんなことを考えてしまい、気付けば二人でかなりの量の衣類やら日用品を買い込んでいた。

―――いや、その、責任の半分は商売上手なおばちゃん達にあると思うんだけど。


「ごめんね、買いすぎちゃって…。」


「あの、半分持つよ。」


「いやいや、いいっすよこんくらい。」


先程、後ろの方で船長に弱音を吐いていたサフランだったが、二人で気遣ってみると、そこは男としてのプライドがあるらしく、姫の「半分持つ」という申し出もひきつった笑顔で断っていた。

彼も中々に頑張り屋さんだ。その根性は見習いたい気もする。


「ん? どうしたの船長。重い?」


「別に。」


サフランから視線を外すと、もの言いたげな船長とぱっちり目が合う。

もしかして船長も荷物持ちを気にしているのかと思ったが、聞いてみるとにっこり笑顔で"なんでもない"という風に返され、それ以上は何も言えなかった。


「ところでさ、アクアは弾の補充とかしないの?」


「ああ、これ? んー…。とはいっても、ほとんどお飾りだからなあ。」


話し掛けた成り行きで船長と並んで歩いていると、私の腰の銃が気になったらしく、そんなことを聞かれる。

普段はコートの下に隠れているそれは、けれど少しでも派手な動きをすればホルスターが見えてしまい、相手の武器を気にする者ならば一瞬で見破ってしまうだろう。


銃。ハンドキャノン。ハンドガン。国や地域によって様々な名称で囁かれるそれは、とどのつまり高速で弾を発射して目標物を粉砕する武器だ。

相手に対して、引き金を引くだけで致命傷にすら成り得るそれは、海賊や軍隊などの間でももっぱら主要武器の一つとして使われている。

だが、あくまでこれは殺戮兵器であり、武器を持たない者達にとっては脅威でしかないことを、改めて認識してほしい。

まれに乱闘騒ぎかなんかで、酒場の主人であるおっちゃんが奥から猟銃を持ちだしてきて、「てめえら、いい加減にしやがれ!」とか言って何発かぶちかますことはあっても、基本的に、街でそんなものを使ってはいけないことになっているのだ。これ常識。

たぶん、こんな真昼間に一発でも銃声が響き渡れば、役人さん達が慌てて駆けつけてくるだろう。


「お飾りって…」


「だって片方、弾なんか売って無いアンティークの代物だし。もう片方のちっこいのだって、護身用だし。」


ふっと笑うように息を零すレイス船長のそれに、悪意の類は含まれていない。

それに私の武器といえば、あとは細剣一本で。見る限り海賊としての戦力にならないことは、早めに理解して貰いたかった。

例え雑用の類は引き受けたとしても、元よりこちらは一般人への略奪や脅迫など、海賊行為の片棒を担がされる気はないからだ。

その相手が賊や刺客というならば、また別の話だが。


「だから、私の戦力はあてにしないでね。せんちょー。」


「はは、そうきたか。」


互いに軽い会話はしているが、この時点で、先程から着けてくる殺気に気付いていないわけでもなかった。

こんな大きな街でも、真昼間といっても、どこへ行っても、やはり非常識な輩というのは存在するものだ。

とりあえず、姫に話しかけるふりをして背後を窺ってみようか―――そう決めて振り向いた時だった。私がそのことに気付いたのは。


「あれ、姫とサフランがいない…!?」


「え、うそ。」


被害を少なくする為というか、船長とサフランにあくまでソフトに撃退させようと、人通りの少ない方を選んで来たまでは良いのだが。まばらに通り過ぎていく人々の中に、フレア姫の姿も、目立つ荷物を抱えているサフランの姿すら無かった。

どうやら完全に二人を見失ってしまったようだ。まがりなりにも、こんな状況で。


「わあああどうしよー!! 姫がいない!! 姫ぇー!!」


「ちょ、落ち着いてアクア。この状況で大声で姫とか呼ばない方が…。」


「あああそっか!! でも姫は姫だし。ほら東国にはヒメって名前の人もいるし。」


「それはそうなんだけど。…ていうか、こんな悠長に話してる暇でもないみたいだね。」


今まで平然としていた私が急にパニック状態になった展開を受けてか、ここへきて、殺気の主達が素早く周りを囲むべく動き出した。

幸か不幸か、道を歩いていた人々は賊同士の小競り合いに巻き込まれては敵わないと、逃げるようにその場を去っていく。一方でちらほらと佇んでいた店の主人たちは、さりげなく建物の奥へと身を潜めていった。

―――なるほど。賢明な判断だ、まちびと達よ。


(なーんて。でも良かった。相手がただの賊で。)


私と船長の周りを囲んだ男達は、全部でざっと十数人はいそうだった。

前方の石畳の階段の上には、見えるだけで三~四人。階段の途中から私達の周囲までに散らばるのが半数近く。そして後方にぐるりと陣取るのが、その他数名程。かなり体格の良い男達に囲まれてはいるが、いかんせん、見る限りでは貧乏くさい気配が漂っていた。

これが姫と行動してたりなんかすると、中々プロの殺し屋とかが襲ってくるケースも否定できないのだが。目の前で月並みにげへげへと下卑た笑いを浮かべる奴らに、その人相を見る限りでは、すでに相手に負けフラグが立っているのも明白だ。


「さあ、行きたまえ船長! あとはよろしく!!」


「アクア…。まあいいけど。」


戦闘、開始。

恐らくは羽振りの良さそうな私達を、強盗目的で襲撃に来たのであろう。いきなり有無を言わさず挑んでくる男達に、船長はすらりと剣を引き抜いた。

と同時に、私は道端に積んであった木箱を踏み台にし、物干し用に張られた高い位置のロープを掴むと、そこにぶら下がる。そのまま足をふりこの用に動かし、反動を付けて大きく跳ぶと、店に張られた日よけの上に着地した。


「よっとと。ここだと足場は不安定かな。」


そのまま適当に飛んできたナイフをかわしつつ、店の二階テラスに侵入する。あとは丈夫そうな鉄製の看板を盾に、落ちていたナイフを頃合いを見計らって回収してみた。これは使えそうだ。

丁度木箱を積んでこちらに上ってこようとしている男達が居たので、牽制でいくつか投げてみた。すると思いがけず先頭に居た奴の額に当たってしまい、男達はそのまま折り重なって崩れ落ちていく。

当たったのは柄の部分だが、普通に投げたのに、どうやったらあの部分が当たるのかが不思議でたまらなかった。ひょっとしたら、ナイフ投げスキルなんかは敵の方が上かもしれない。非常に残念な話だが。


「こんの女!! ふざけやがって!!」


(あら~…。神経逆なでしちゃった?)


こちらに注意を向けるのは、それでも三分の一程度。レイス船長は寄ってたかって攻撃してくる男達を器用にかわし、斬り付けていく。

こうして見ると、船長の扱うカットラスは男達のそれよりも切れ味が異常に見えた。これは手入れの問題だろうか。加えてリーチの長さにしても繰り出す斬撃のパワーにしても、たった一人で男達を圧倒するだけの強さは兼ね備えているようだ。これなら勝負が付くのも時間の問題だろう。


「さっすが船長!! かっこいー!!」


「はいはい。危ないからもう少し隠れてるんだよ。」


私の声援にもちゃんと答えてくれる辺りに、船長の余裕ぶりが表れている。それが男達にとっては挑発に思えたのか、ムキになって襲い掛かっていく様が微笑ましかった。

そんなことをしている間に、急に店の二階が騒がしくなってくる。

ようやく気を利かせた誰かが、私を人質にでもしようと屋内から上がってきたのだろう。「退け!邪魔だ!!」とか喚きながら、こちらに声が近づいてくるのが分かった。


「おらぁっ!!」


「どこだ、女ぁ!!」


室内の日避けに張っていたと思われる布が裂かれ、二階に位置する建物部分から、二人の男達が顔を出す。

けれど、その時にはもう看板の裏に私の姿は無く。男達は一瞬の戸惑いの後に、柵に向かって身を乗り出した。


「お前ら、上だ上!!」


「…は?」


そんな男達を見て、仲間の一人が声を掛ける。

一瞬、意味が分からなかっただろう男達が、それでものろのろと状況を理解し、振り返りがてら上を見上げた時には―――すでに、私の靴底が男達の顔面に迫っていた。


『ぶへえっ!!』


二人の悲鳴が、同時に響き渡る。

柵に寄りかかりながらこちらを見上げた男達は、私の全体重を掛けた攻撃に、その反動で地上へと落ちて行く羽目になった。


「わは、危なかった!」


このテラスの天井に近い位置。もう少し言えば、日よけを支える棒に私はぶら下がっていたのだ。丁度男達は、膝を曲げていた私の足の下すれすれを通っていたことになる。

蹴りつける勢いが強すぎて、危うく男達と心中するところだったが、なんとかそれも堪え。今は両手でぶら下がったまま、足をバタつかせてバランスを立て直そうとしている所だった。

幸いにも二階へ上がって来た男達は二人だけで、今はもう、地上で叫んでいた者もとばっちりで動かぬ人となっている。

この時点で、すでに敵側は残り三人ほどの勢力となっていた。


「くそう!!」


そんな中でヤケを起こしたのだろうか。今までレイス船長の相手をしていた男が、こちらに向かって銃を構える。

どうやらそいつは、少し前から不意を突く機を窺っていたらしく、撃鉄はすでに起こされているように見えた。

―――待て、それは反則…!! と思うも、ぶら下がった今の状態では、咄嗟に身動きも取れない。

ここで銃を認識した瞬間に手を離し、テラスにしゃがみ込めば何とかなったのかもしれない。けれどこの時の私は、今の状態のまま逃れる術を、先に考えようとしてしまったのだ。

そんな一瞬の判断ミスが時には命取りとなることを、改めて感じた瞬間だ。


銃声が、高らかに鳴り響く。

同時に、向かいの屋上で羽を休めていた鳥達が、一斉に羽ばたいていくのが見えた。








+++++



銃に撃ち抜かれた体がぐらりと傾く。それが自分の目で見る光景ということに、一瞬の違和感を覚えた。

―――生きている。弾も、こちらまでは届いていない。

誰かが身を呈して、私を庇ってくれたのだ。ゆっくりとテラスに転がる男の背中が、妙に痛々しい。


「っ…! ……だ、大丈夫!?」


こんな馬鹿な私を、命がけで庇ってくれるなんて。そう思い、思わず滲む涙に、命の恩人に対する切ないまでの愛おしさが込み上げてきた。

そこで相手の状況を見届ける為に、男の体を抱え、ゆっくりと仰向けにさせる。


そこには見知らぬ男の顔―――というか、私達を襲ってきた男の一人が、顔を歪ませて呻いている所だった。


「…なんだ。こいつか。」


「危ない所だったな。アクア。」


その顔を認識して、自業自得だと撃たれた男の体を放り出すと、同時に背後から聞き慣れた声が聞こえてくる。

振り向くと、手ぶらで不敵な笑みを湛えたサフラン副船長がいた。彼はいつの間に、この場に合流していたのだろうか。


「あ、助けてくれたのサフランだったんだ。」


「そうそう。部屋の中に一匹いたから、そいつノシててさ。ほんでお前が危なそうだったから、蹴飛ばして盾になって貰ったんだ。」


それは、なんともグッドタイミング。これもひとえに、私の日頃の行いが良いからかもしれない。いやそんなこともないが。とにかく今ほど、二匹の竜神様に祈りたい気分になった時はない。


「ナイス! …てーか、私の感動を返せ。」


「いたた! 助かったんだからいいだろ。」


それにしても人を盾にするとはどういう了見だと、がくがくサフランの首元を揺する。それでも向けられるのはほっとしたような人懐こい笑みで、すぐに私の動きは止まってしまった。

相手の素直な反応に安心したのか、今頃になって恐怖とか、緊張とか、そういったものの感覚が押し寄せ、遠ざかっていく。

おまけにじわりと胸に湧き上がってくる感謝の気持ちも含めて、気付けば私は、サフランの首元に勢いよく抱きついていた。


「…うん。ありがと…!!」


「えっ!? いやその、そこまでは…あの、」


過剰に照れながら、それでも受け止めてくれる所が彼らしい。

そんな感じでぐるぐるとやっていると、下から「何やってんの。」と冷たい声が掛けられた。

そういえば、先程からレイス船長の辺りがしん…と静かになった気がする。

そこでサフランから身を離し、柵越しに下を覗き込んでみると、そこには頬に返り血を浴びたレイス船長の姿があった。


「終わったなら、降りておいで。」


言い方は穏やかなものだったが、その表情からはいつもの笑みが消えている。

見れば先程私に発砲した男の体が唯一、盛大に胸を貫かれ、血溜まりの地面に転がっていた。


(こ、こわ…!)


他の男達は外傷もさほど目立たず、生きてはいる可能性が高いというのに。その死体だけは異色さを放っており、それはまるで船長の声無き感情を物語っているようだった。

船員が他の海賊に殺されることは船長の恥だと、仲間想いで有名な海賊が言っていたが、彼もまた、そんな誇り高い者なのだろうか。

何にせよ、今回一番活躍したのはレイス船長に他ならず。言われた通り素直に一階へと向かっていると、気まずそうな家主と鉢合わせしてしまった。

すかさず、もの言わぬ笑顔で、盾になった男からスった財布を渡しておく。すると家主もそれ以上は何も言わず、にっこりと笑顔で見送ってくれた。


「船長! 大丈夫!? 怪我とか無い?」


「ああ、大丈夫だよ。アクアも、…サフランも、無事で良かった。」


戦いを押しつけておいて何だが、こちらも一応六・七人は相手しているし。予想通りだが船長(と荷物)に被害も無かったので、この場は一応の決着がついた。

―――ように思えるのだが、これから戦闘不能になった男達を締め上げ、姫の安否を確認するという大事な使命が待っている。

…ああ、サフランがこちらに居るということは、フレア姫が一人に…!

急がなければ。もし姫に何かあったら、ごろつき共の皆殺し程度で許されることではない。

な、何かあったらなんて…!! ダメだ。想像でもだめだ。胃がねじり切れそうになる。


「姫、今行きます…っ!! ―――ほら、さっさと起きんかゴルァ!!」


「アクア、人格変わってる…。」








+++++



「困ったな…、見失っちゃった。」


見覚えのある人影を見かけて路地裏に入ったまでは良いが、入り組んだ道は予想以上に複雑で、同じような建物ばかりが並んでいるように思える。そのせいか気付いた時にはもう、勘だけを頼りに一人彷徨う羽目となっていた。

冷静に考えれば、アクアか誰かに一言、声を掛けるべきだったのだろう。しかしその人影を追いかけようとした時は必死で、周りのことなど目に入らなくなっていたのだ。


(なんとなく、アクア達のいる方角は分かるけど…。)


仕方なく、適当にでも元来た方角へと歩き出す。通り沿いはあんなに賑やかだというのに、迷ってからはまだ一度も人に会ってはいなかった。

もうすぐ夕暮れだろうか。建物の間から覗く日の光は、暖かみを増した色合いになっている。

戻るなら、早く戻らないと。またアクアに心配をかけてしまう。

そんなことを考えながら曲がり角に差しかかり、路地に戻した視界が―――急に反転した。


「動くな。」


喉元に感じる、冷たい金属の感触。殺気すら込められていない男の声はそれでも鋭く、何の感情も無いように感じられる。

首元に回された腕は固く、動いてもびくともしない。体が上に引きつけられるような強い力に、足が浮いてしまいそうだった。


「オーディン…!」


「―――なんだ、お前か。」


脅された声から、それでも何とか声の主を特定する。途端、すぐに体は解放されたが、一瞬前まで掛っていた首への圧力に軽く咳き込んでしまった。

今のは…あれが、オーディンの声なのか。あんな血も涙も無いような、無慈悲すぎる響きが込められたものが。


「酷いよ…けほっ!」


「ああ、悪かった。後を付けられたから、ついな。」


それでも、今の彼の声は先ほどとは違って穏やかだ。

穏やかとは言っても、知らない者が聞いたなら、それは淡々としたものに他ならないが。


「だめだよ、まだ安静にしてなきゃ。…それを言おうと思って追いかけてきたのに。」


「街の散策程度なら、問題無い。半日も休んだしな。」


「まだ半日しか、だよ。傷が開いたらどうするの。」


まったく。どんな育ち方をすれば、ここまで自分を大切にしない人間になれるのだろう。そう呆れながら上を見上げると、建物の隙間から覗く空に二羽の鴉が飛び交っていた。

オーディンはそれを食い入るように見つめている。なんだろう。あの不思議な飛び方に、何か意味があるのだろうか。

―――それは、静かなメッセージのように。


「来い! …ここで戦うには狭すぎる。」


「えっ!? なに、どうしたの?」


急に腕を掴まれ、半ば抱えられるような状態で走り出すと、私が体制を整える頃にはいくつかの気配に追われていることに気付いた。

これは、足音を殺している。それも複数の統率の取れた動きだ。

全力で走っている私達に追いつくほどだから、見えない相手もかなり必死に追ってきている筈。それでもバタバタとした粗野で大胆な足音ではなく、スサササ…と、滑るように移動している音だった。


「オーディン、走らない方が…。」


「言っただろう。街の散策程度に問題はないと。」


これが彼の言う"街の散策"だとしたら、こんな風に追われるのも日常の内なのだろうか。

走るオーディンは、怪我人なのに息も上がっていない。その横顔は冷静で、こうやって逃げながらも辺りに気を配っている様子が窺えた。


(だから、あんな大怪我してたの…?)


私も幼い頃から数えれば、幾度か命を狙われたこともあったが、ここまで常に周囲を警戒して生きてきたわけではない。

今、研ぎ澄まされたオーディンの注意力を目の当たりにし、私がこれまで、周りの護衛達にどれだけ甘やかされてきたかが分かった気がした。


「巻き込んでしまったか…。」


「いいよ。まだ決まったわけじゃないし。」


そう。それでもまだ、どちらが狙われているか確定はしていないのだ。

例えオーディンのせいだとしても、責める気がないから、関係ある者として振舞いたい。その方が戦況的にも、彼の気持ちも、少しはマシになる気がした。

何故だろう。彼の事に関しては、関わらずにはいられない。逆に私には関係ないことのように振舞われた方が、やるせない気分に苛まれてしまうだろう。

今はこうしてオーディンと一緒に走る風景の色が、とても新鮮に感じられた。それはこんな状況だというのに、恐怖といった負の感情を消し去ってしまう程の勢いがある。


『―――そこまでだ。止まれ。』


じわじわと、現れ始めた敵に追い詰められていく。

聞こえた声は、金属のマスクで覆われたような、低くぼやけた声色だった。

私達が逃げてきたのは、街の大通りとは逆の方向だ。このまま進むと、向こうに見える山側の門へと辿り着く。

すでに街中とは離れているため、周囲の建物も一見倉庫のような物が多かった。足場は少し傾斜がかかり、街やその向こうの海を見渡せる道だ。

ここならば剣を振るう程の広さはあるが、果たしてオーディンは奴らをおびき寄せたのか、それとも追い詰められたのか。


「性懲りもなく斬られに来たか。ご苦労なことだな。」


『…。』


傾いた太陽を背に、刺客達はすらりと剣を引き抜く。

それを構える動作はやはり洗練されていて。一目で戦闘のプロと分かる程に、一部の隙も無かった。


「何が目的だとか、聞かないの?」


「無駄だ。殺す気で来る。…下がってろ。」


オーディンに庇われる状態で問いかけてはみたが、交渉の期待もあっさりと打ち砕かれてしまう。

下がっていろと言われても、本来なら怪我人であるオーディンに任せてはおけない気がした。けれど私より実力のありそうな彼の戦闘範囲に、やすやすと踏み込むわけにもいかない。

こんな時に自由に"あの力"が使えたら、何も困ることはないのに。これは動かぬ導火線に火をつけるのとは違う。

下手すれば、街が炎に包まれてしまうかもしれない。そう考えるだけで、キリリと胃が締め付けられる思いだった。


ギィンッ…! と、容赦なく繰り出される刃の軌跡が、オーディンを襲う。

刺客の数は七人。すでに始まった戦いを見る限り、相手はかなりの実力者達だが、一人一人に関してはおそらくオーディンのそれを下回るだろう。

だが、彼らの戦いぶりを見る限り、かなり連携が取れている感じがした。

一人が攻撃しては退き、間髪入れずに次の者の斬撃が繰り出され、それがタイミング良く繰り返されていく。

一気にオーディンに襲い掛からないのは、同志討ちを防ぐ為か。または場を混乱させぬよう冷静に、自分達の有利なまま戦況を進めていく為だろうか。

このまま行けば、体力や集中力の勝負になってしまう。

集中力はともかく、今のオーディンでは体力面はかなり心配だった。そういう意味でも、確かに敵にとっては今の戦い方が、時間はかかっても確実だろう。

事実、次々と違う方向から来る攻撃に、オーディンはほとんど防戦一方だった。

それでも一歩も後ろへ引くことがないのは、彼の剣術が並外れているからだろう。

それと、刺客が二人程後ろを警戒し始めたことに、聞こえる唸り声からして、あの向こうには狼のフレキが居る筈だった。


(でも、このままじゃ…)


腰に下げた、買ったばかりのサーベルに触れてみる。

何も巻いていない剣の柄は冷たく、手にはまだ馴染んでこなかった。

―――その時だ。オーディンの右のわき腹に、血が滲んでいるのを見つけたのは。


「オーディン!!」


叫んだ時にはもう遅く。目ざとくそれを見つけた刺客の一人が、彼に容赦のない蹴りを叩き込んでいた。

オーディンは咄嗟に、肘で相手の足を弾く様にガードし、何とかその威力を削ごうとする。けれど人間離れした敵の蹴りの威力に、こちらの方までまともに吹っ飛ばされてしまった。

ドサッと受け止めた体は、先ほどよりも多く血を流していて、触れた手にぬるりとした感触を齎してくる。

装備で全身を覆い隠し、目元だけを晒した刺客達の視線が、一斉にこちらに注がれているのが分かった。

今や周囲は、言いようのない張りつめた空気に包まれている。その圧迫感だけで、ゾクリと背筋が震え上がる思いだった。


遠くで、フレキがひときわ大きく吠えているのが聞こえる。

それを合図に、刺客がこちらへ追撃を仕掛けてくるのを、視界の隅に捉えていた。









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