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紺碧の書 ~アトランティスの幽霊船~  作者: 蒼十海水
第二章【蟻地獄と呼ばれた島】
7/18

【Story.06】

「はあ…生き返りますね。冷たくて気持ちい。」


「うん…。」


「まだ心配なんですか?姫、大丈夫ですよ。やるだけのことはやったし。」


ひんやりとした透明度の高い水が、二人の体を心地良く冷やしてくれる。

行き倒れの青年の手当ても終えた今、フレア姫とアクアは水浴びの真っ最中だった。

流石に二人共全裸になることは無かったが、薄い布を一枚巻く位ではどちらにしろ肌は透けてしまう。

こんな風に若い娘達が体を清めている図となれば、大抵の男達はこっそりと覗きに勤しむだろうが、幸いなことにここは緑生い茂る森の中。意識を失った青年と見張りに置いたレイス船長以外に、人の姿は無かった。


「後で船長さんにもお礼言っておかないとね。」


「ですね。覗いてなければの話ですが。」


「いやその、あの人の手当てにも力を貸して貰ったし…。」


「あ、そっちですか。」


ここは船長達が居る岩場から、視角にはなるがさほど離れていない位置にある。たぶん小川の上流に近い場所なのだろう。岩の上からは小さな滝のように水が溢れ出て、その吹き溜まりである滝壺には程々の広さと深さがあった。飲み水の調達にも持ってこいの場所だ。

そこに腰まで浸かったアクアは今、ぱしゃぱしゃと顔の汚れを落とし、岩の上から滴る水を被るようにして髪を洗っている。

そういえば、位置的にはこちらの方が洗いやすい気がするが、姫と場所を代わった方が良いだろうか。

そう思って横を向いてみると、上半身を晒したままのフレア姫を真正面から見てしまい、思わず慌てて顔を背けることになった。


(な、何してんだろ私。これじゃ変に思われちゃうよ。)


皇宮に居た頃は、たまに侍女が風邪をひいた時など姫の湯浴みの手伝いをしたこともあったが、こうして数年経ってからだと妙な気恥かしさがある。

華奢な割に健康的な肌の色を持つフレア姫の体は、水面からの光を受けて艶やかにきらめき、目に眩しく感じた。

けれど、気のせいか少し痩せた気がする。しなやかな肢体の肉付きが、以前より更に引きしまったような。


「どうしたの?アクア。」


「いやその、よ、良かったら背中、拭きましょうか?」


一度は目を逸らしたものの、結果的にフレア姫に見とれていた自分に気付き、アクアは言い訳するように申し出た。

するとフレア姫は訝しがる様子も無く、「ありがとう。」と持っていた布を手渡す。

そんな相手の無邪気さに、アクアは自分の邪念を打ち払い、今は姫の背中を磨き上げる行為に集中することにした。

よくある街の公衆浴場なんかで全裸の美しい女性を見ても、あんな風に見とれることなんてないのに。やはり何か、姫は自分にとって特別な気がする。恋愛感情とはまた違うものだが。


「姫、少し痩せられましたね…。」


「そうかな。アクアは逞しくなったね。」


「世の荒波に、さんざ揉まれましたから。」


姫の傍で騎士をやっていた頃も、日々訓練に身を費やしていた気がするが、流れ者の生活はそれすら凌ぐほどに体力を必要とし、嫌でも体は鍛え上がってくる。

純粋な剣術で言ったら昔の自分ほどではないが、生きる為の(すべ)はこの五年間できっちり学んできた筈だ。


「ふふ、その経験で私もどんどん鍛えてくれると嬉しいな。」


「いやぁ、姫にあんな辛いことは…。大丈夫です、イザとなったら私が盾になりますから。」


そんな他愛ない会話の中でアクアは、どうしてかフレア姫の背中から険しい意志が伝わってくる気がした。

それは「もっと強くならないと」とか、「私がしっかりしないと」とか、そういったものを強くした感じなのだと思う。

その重圧を少しでも分かち合えたなら良かったのに。幼い頃から姫の運命は、自分の手には余りあるものだった。


―――例えるなら、それは燃え盛る業火のように。








+++++



レイス船長と手負いの青年がいる場所は、平べったく大きな岩に囲まれており、アクア達が水浴びをする滝壺と川で繋がっている。

先程通り雨が降ったせいで周りの地面や植物は今だ濡れていたが、岩の上は水分の蒸発も早く、これなら火も起こせそうだった。

近くの岩の上に寝かせた青年の顔色は、先程よりも徐々に良くなっている。しかし包帯を巻いた上半身とは違い、下半身は濡れた服もそのままなので、早めに体を温めた方が良い気がした。


「お勤めご苦労様ですせんちょー!キノコ食べる?」


「いえいえ。ご婦人方のお役に立てるなら光栄に存じます。…って、手早いねアクア。」


焚き火を起こす段取りを考えていた船長に、アクアは戻ってくるなり声を掛けると、腕に抱えた沢山のキノコ達を見せる。

それらはざっと眺めただけでも食べられる種類に判別されており、採取した者の中々のサバイバル精神が窺えるようだった。

こんな最果ての島にも、見知ったキノコは結構生えているようだ。


「これ焼いてるから、船長も一休みしてきなよ。あっちの方に綺麗な滝壺あったし。」


「ああ、助かるよ。…っと、火は持ってる?」


行きがてら、ポケットのマッチ箱に手を伸ばす船長。だがそれは、ちらりとフレアの方に視線をやり、頷いたアクアによって遮られた。

どうやら火を点けることに問題は無いらしいが、レイスは一瞬、そのやりとりに違和感のようなものを覚える。

恐らく先程目の当たりにしたヒーリングとやらの他に、まだフレアには能力があるのだろう。ただそれは、おおっぴらに使うようなものでも、誇れる類のものでもないのかもしれない。

例えば火を着ける能力とするなら、使い方さえ誤らなければ相当便利なものの筈だが、この二人は一体何を恐れているのだろうか。―――レイスはそんな事を考えながらも、不自然にならない程度に軽く微笑み、この場を後にしていく。

後に残された二人は、それぞれの分担を手際よく進めていくだけだった。


「どうですか。わんこの飼い主の様子は。」


「うん、呼吸も落ち着いてるし、大丈夫みたい。」


謎の青年は今だ目を覚まさないままだったが、フレアの治癒が効いたのか、見た目だけでも先程よりは大分落ち着いている。

見れば主人の傍をうろついていた灰色の狼も、どこからか狩ってきたらしく、鼠のようなお食事を口に咥えていた。

そんなご馳走が青年の横にも二匹程置かれているのを見て、アクアは不覚にも噴き出してしまう。


「くくっ…可愛いですね。毛並みも良いし。」


「うん、私にもくれたよ。」


言いながらフレアは、集めてきた樹皮や手持ちの紙を燃やし、火種を焚き火へと安定させていく。

そんな姫の横には、枝のストックと共に鼠の死骸が横たわっていた。

確かにこういう野生の種なら、何とかして食べられないことも無いかもしれないが…

アクアからしてみれば、姫にそんな物を食べさせるわけにはいかない。たとえどんな状況でも。


「後は魚でもいれば、ご馳走なんだけどな…。」


「あ、さっき上流の方にいたかも。見たのは一匹だけど。」


アクアはさり気なく他の話題を提供しつつ、適当な木の枝にキノコを串刺し、焚き火の周りに上手く立て掛けていく。その間もフレアは大きな葉っぱで風を送り、火の勢いを保っていた。

何やら煙の量が多いが、焚きつけに使った小枝が少し湿気っていたのだろうか。アクアは風下を避けて、さり気なくフレアの横へと移動してみることにした。

時折吹く風は湿気のせいか、だいぶひんやりとしている。姫が居なければ火を安定させる事ですら、本来なら骨の折れる作業だったかもしれない。


「なんか、笑っちゃうほど和やかですね。」


「うん、何か楽しいかも。」


こうして二人で火を囲んでいると、それだけで幸せな気分になってくる。

おそらく、本来ならあまり気は抜けない状況なのだろうが、当のフレア姫が笑顔でいてくれればそれで良いと思った。

ただやはり、こういう時だからこそ話しておきたいこともある。


「…聞いてもいいですか?姫。」


「うん。」


「ヴァルハラの元へ行くっていうのは、その、国の為に…?」


あの船長と交渉する際、姫は北の皇帝ヴァルハラの元へ行きたいと言っていた。

けれど確か、姫や自分の故郷であるサザンクロス帝国は北とは敵対関係にあり、聞けば一部の地域では領土問題で紛争すら起こっているらしい。そんな中、姫が直々にヴァルハラの元へ行きたいとはどんな理由なのだろうかと、確認せずにはいられなかった。


「―――そうなんだと、思う。」


「…思う?」


「でも、それだけが目的じゃないんだ。そこに辿りつくまでの道のりにも、何か大事なことが隠されてる気がする。」


今に始まったことではないが、フレア姫の行動には、目には見えないものに従う節も含まれている。

例えば国の平和を姫が願った時に、どうすれば良いかを頭で考えて行動するよりも、感覚的なものに身を任せ、あるべき定めを辿っていくような―――そんな風に見える事もあったのだ。実際のところ。

かといって国が滅びる定めなら何もしないとか、そういうことではない。あくまで良い方へ導く力が、時折姫の中に垣間見えるという話だ。…こう言うと熱心な崇拝者みたいだが。

それは他の王や領主からすれば、考えられないことなのかもしれない。ただ姫にとっては、その感覚の方が確かなものなのだろう。幼い頃からフレア姫に使えていた自分だが、やはりそんな姫のカンに従って間違った事などなかった。


ただ、抗いきれない運命というのも、やはり存在する。

その能力のせいで、姫が実の父親である皇帝に幽閉されていたことも。姫を守ろうとして、帝国から追放された私のことも。


「だから、あんまり急いでる感じがしないんですね。」


「本当は急がなきゃいけないのかもしれないけど…。焦っても、良い方向にはいかない気がするから。」


実の所、本音では1から10までちゃんと聞き出したい所だが、これ以上問い詰めても姫はきっと、曖昧な答えしか返してはくれないだろう。

というか正直言うと、自分が追い出された国の(まつりごと)など、今更興味もそんなには湧かなかった。

これで実際に紛争の状況などを目の当たりにすれば心境にも変化があるだろうが、やるせない程の空腹に襲われたことだって、死にそうな目に遭ったことだって、自分も日常的に経験した時期もあったのだ。別に不幸自慢をする気は無いが。


―――だからこそ今は、姫が無事ならそれでいい。こうして少しでも長く、姫の側に居られればいい。





「…何か調味料が欲しいなー。」


「塩ならあるけど。その麻袋の中だよ。」


焼け具合を確かめる為にキノコをかじり、その薄味にアクアがぼやいていると、丁度良いタイミングで船長の声が聞こえた。

振り向くと、まだ上半身には服も纏わずに歩いてくる姿がある。きっと彼も、水浴びか何かをしていたのだろう。


「せんちょー。姫の前なんだから、服ぐらい着ようよ。」


「だって、まだ髪拭いてないし。今着ても濡れるし…。」


「うわ、背中もびしょびしょ!もー座ってください。」


からかうように言うアクアだったが、その手には布を持ち、火の側に座らせた船長の背中や髪を拭いてやっている。

そんな光景がフレアの目にはごく自然に映ってしまい、何故だろうか、二人から他人同士ではないような雰囲気が感じ取れた。

それでもアクアは船長のことを知らないと言っていたから、たぶん気のせいなのだろうが。


「はい。これ焼けたと思う。」


「ありがとう。良い匂いだね。」


言われた通り麻袋から塩を貰い、焼いたキノコに振りかけると、フレアは手近な物をひとつ船長に手渡した。

ついでに味見途中だった自分の分にも味を着け、口に運んでみる。


「…おいしい。」


塩を一振りするだけでも、先程とは香ばしさが全然違っていた。この塩も、ひょっとしたら上質な物かもしれない。

そういえば自分もアクアも、昨夜から何も食べてはいなかった。そう考えると、こうして自然の中でも食事にありつけるのは、すごく幸せなことなんだと実感する。


「あ…。」


「どうしました?姫。」


そこでふと、青年のことが気になってしまい、食事も途中のまま座っていた岩から腰を上げた。

できれば彼も、何かしら食べておいた方が良い気がするのだが、まだ意識を取り戻すには早いだろうか。

そう思って顔を覗き込み、ひんやりとした頬に触れてみるが、やはり何の反応も無かった。


「まだ、起きてはくれないかな…。」


「その辺の草に包んで、とっといてあげましょうか?」


「うん。じゃあ、そうしようか。」


水と違い、こればっかりは本人の意思が無いとどうしようもない。

フレアは青年の呼吸だけを改めて確かめ、自分の食事へ戻ろうとする。


が、その頬に触れていた手を離した瞬間―――

いつのまにか後頭部に回されていた青年の手によって、ぐいっと頭を引き寄せられた。


二人の唇が、重なる。


「えっ…!?ちょ…!!」


動揺しているアクアの声が、フレアにはとても遠くに感じた。

そのまま、たっぷりと十秒以上はそうしていただろうか。

突然の状況に身動きが取れないまま、次にフレアの視界に映ったのは、開かれた赤色の瞳だった。


「…なんだ。また水でも貰えるかと思った。」


「え?……あ…。」


初めて聞いた青年の声。それはしっくりと耳に馴染む、低いのに通りが良い声色だった。

口元だけ笑みの形を浮かべた表情は、どこか艶っぽささえ感じてしまう。どくんと、瞬間的に心臓が高鳴るのを感じた。


「おのれ、一度ならず二度までもっ…!!わーん殺してやるぅぅ!!」


「アクア、落ち着いて。あれでも怪我人だからね。」


背後からは、アクアが喚きながら剣を抜く音と、それを宥める船長の声が聞こえてくる。

その間もフレアの視線は目の前の青年に釘付けにされており、また青年も、フレアの瞳から目を逸らすことは無かった。


「お水、だよね。ちょっと待ってて。」


「…ああ。」


まだ気だるさを残した青年の瞳は、記憶に後引く魔性のもので。

健康状態から言えば生気は薄い筈なのに、気を抜けば呑みこまれてしまいそうな気迫がある。


先程水を汲み足した瓶を船長から受け取り、青年に渡すと、以外にもしっかりとした様子でそれを喉に流し込む姿があった。

良かった。この様子ならもう、大丈夫だろう。


「迷惑を掛けた。…悪かったな。」


「ううん。いいよ。」








+++++



夕暮れ時になり、四人が海岸へ出ると、さして浜辺から離れていない海上で幽霊船が巨大ダコと戦っていた。


「あはははは!!二匹も取り付かれてる!!」


「あらら。苦戦してるね。」


それを見て、迷わず指をさして爆笑するアクアと、こともなげに言うレイス船長。

アトラス号は船の中でも割と大きい部類に属するが、今やその船体の四分の一を巨大ダコに占領され、まともにぐらぐらと傾きかけていた。

おまけに島とは反対側に船首が向いているのに、進む方向はこちらへ向かってきているようで、明らかに押し流されている状況が窺える。


「…レイス船長、助けないの?」


「そうだね、岸に着いたらなんとかしようか。」


「あれ、食べれるかな。」


唯一船員達の安否を気遣い、不安げに船長を見上げるフレアだったが、それでも相変わらずな二人の反応に、「それでいいなら」と見守ることしかできなかった。

そこで、今も船長の肩を借りている青年に視線を移してみる。一見俯きがちな彼だったが、よくよく見れば眠気に襲われており、海上の光景にもさして興味を抱いていない様子だった。

その時、どおん…!と大砲の音が鳴り響き、船に取り付いていた一匹の大ダコが海に落ちていく。


「それでさ、船長。まだ聞いてなかったんだけど。」


「ん?」


「姫と私を送り届けるってアレ。どうなったの?」


言われてみれば、この一日でお互い馴染み過ぎて忘れていたが、まだ自分達があの幽霊船に乗せて貰えるとは決まっていなかったのだ。

それでもフレアが思うに、今の状況を見る限り、とても彼らだけでは島から出られそうにない気がする。

レイス船長は眠そうな青年をフレアに預け、持っていたコートを羽織るとにっこりと微笑んだ。


「今更そんなこと気にしてたの?勿論いいよ。」


「本当ですか…!?」


「へー。船長も大ダコ見て、命が惜しくなったと。」


船長の返事が拍子抜けするほどあっさりとしていたので、フレア姫はつい手放しで喜んでしまう。その横では、ぼそりと皮肉を言うアクアがいた。

昨日まではいきなり牢屋に入れられたりと手厚い歓迎も受けたが、すべては二人を見極めるまでのことだったというのか。


「…船長の何かの基準に、値することが出来たって所かな?」


「そういうこと。だからいい加減機嫌直してくれないかな、アクア。この島を出る為に君が必要なんだから。」


ぽんっとアクアの頭を撫でる船長は、苦笑しながらもどこか機嫌が良さそうに見える。その様子だと今朝がた「他の船を探す」とまで言ったアクアの言葉も、もう気にはしていないのだろう。

百聞は一見にしかず、ということか。ひょっとしたら一緒に行動する所まで、船長の思惑通りだったのかもしれない。


「何にしろ、ありがとうございます。…良かった。」


「まあ、直行じゃなくて、ちょっと寄らせて貰うとこもあるけど。」


そう言う船長の表情は、夕日のせいで半分以上が影になっていて読みきれなかったが、まだ何か…寄り道レベルではない行き先がある気がする。

けれど、どうせ急いでいる旅ではないし、それ以上は何も言わないことにした。

―――それよりも、今だ体調が回復していない青年の方はどうするのだろう。

フレアは今にも体が傾きそうな青年を支え、もう一度船長の方を見た。

ついでに「放ってはおけない」と目で訴えかけてみると、それに気付いた船長が、こちらに向かって軽く頷く。


「仕方ないね。ここに放っておくわけにもいかないし。」


「犬…じゃなかった狼も?」


「ああ。うちの船員をおやつにしなければの話だけど。」


そういえば、骨。…なんというか、これに関してはそうならないように祈るしかない。

相変わらず主人の側を離れようとしない狼は、騒がしい船の方を見やり、あれに乗ることが分かっているようなそぶりだった。


「てことで、異論は無いかな?」


「行き先は知らないが、どうせ俺は行くあてもない。乗ってきた船は壊れたしな。」


すでに眠っていたかと思われた青年が口を開き、その手が船長に向かって何かを放り投げる。

夕日に煌めいたそれは見た所、赤い宝石のようだった。


「へえ、これは中々…上物だね。」


「わ、でっかいルビー!!すっごい!!」


船長の手の中を覗きこんだアクアの様子からして、相当な物のようだが、それを平然と渡してしまう青年もやはり謎めいている。

それに彼の纏うマントの中の服も、どこかで見覚えがある物のような気がしてならない。詳しくは思い出せないが、どこかの軍服か何かだっただろうか。先程手当てする際に見たのだが、その服に本来あるべき軍のワッペンや徽章などはすでに剥がされた後だった。


「運賃代わりだ。生憎それ以外の持ち合わせは無いが。」


「十分だよ。俺たちは別に、略奪が趣味って訳でもないし。」


「そう願う。」


両者そう言ってはいるが、青年の腰に携えた二本の剣はお飾りではないだろう。

もしも船長が青年からこれ以上の何かを求めるなら―――例えば寝込みを襲うだとか、強盗まがいのことをした場合だが。そんなことになった場合、青年も狼も反撃以上の行動に出ることは明白だった。

彼の鋭い視線は、人を信じることをしない、借りも作ったままにはしないと、そういう色を湛えている。


「…できたら少し、休ませてくれ。」


「ゆっくり療養するといいよ。人手は足りてるから。」


ようやく海岸近くに着いた幽霊船からは、わらわらと男たちが下りてくるのが見える。

あのスケルトン達は出てはこなかったが、今だ船体にへばりついた大タコと奮闘中の様子だった。

こうして安全な場所から眺めていると、何とシュールな光景だろうか。しかしそのうちの何体かがバラバラと海へ落ちていく様は、笑いごとでは無いような気もする。


「船長~!!たすけてぇぇ~!!」


「船長~!!って、馬鹿野郎!海の男がこれしきのことで泣くんじゃねえ!!…ぐすん。」


泣いてる泣いてる。

よほど大変な目にあったのだろう。駆け寄ってくる者達の目は一様に潤んでいた。

こうして見ると、屈強な男達がなんだか可愛く見えてしまう。

けれど何だろう、後ろの方の船員達が数人がかりで運んでくるのは―――

あれは巨大な杭だろうか。黒い鉄で出来た、大男程の大きさもある尖った物体。


「ご苦労様。大変だったね。」


「で、結局どうなったんすか~!もう出れる人が居るなら協力しましょうや。こんな所、もうコリゴリっすよ。」


「分かった分かった。もう大丈夫だから。」


すでに本音駄々漏れというか、これ以上船長の気まぐれに振り回されるのはしんどいと、男達は切実に訴えている。

しかし肝心の船長はというと、男達をあしらいながら手首を動かし、コキコキと鳴らしていた。

何かの準備運動に見えなくもないが、何をするつもりなのだろう。

彼は運ばれてきた巨大な杭と合流すると、数人の男達が持つそれの下に腕を回し、ひょいっと肩の上まで持ち上げた。

 

「ほお…。」


「えええええっ―――!?ちょ、有り得ないでしょうそれはっ!!」


「うん、何か…夢でも見てるような光景だね。」


先程までうとうとしていた青年も、今はそんな光景に目を奪われ、アクアはまともに驚いた様子を見せていた。

まさか、あのガタイの良い男達が数人がかりでやっと持ち上げていた巨大な杭を、あんな簡単に持ち上げられるとは誰も思わないだろう。

船長の体格からしても、すらりと背は高いものの特別頑丈そうな訳でも無く、ましてやあんな力持ちには見えない。

彼もまた、幽霊船の船長をしてる位だから、…その、怪物じみた力を持っていてもおかしくはないのだが…。

それでも、こうしてその力の片鱗を目の当たりにすると、やはり少し恐ろしくもある。


「船長、怪力すぎでしょうあれは。」


「な?こええだろ~。どこぞの巨人族もびっくりってもんだ。」


レイス船長はまるで細い槍か何かを操るように大きく振り被ると、船体にへばりついた巨大ダコだけを狙うように角度を定めた。

ぐぐっと、片手で持ち上げた杭が僅かに後退し、そして次の瞬間には、打たれた矢のように空を切り裂いていく。

ドッ…!! と鈍い音を立て、見事にタコの胴体に命中したそれは、弾力のありそうな身に深々と食い込み、更には船体に張り付いていた吸盤付きの腕をも引きはがす威力を持っていた。

そのまま大ダコは派手な水しぶきを上げて海に落ち、だらりとした状態で動かなくなる。


しばらく、ザ…ンと、妙に穏やかな波の音だけが耳に届いていた。

今は誰も、何も喋ろうとはしないようで。役目を終えた船長がこちらに戻ってくるのを、ただただ見守るばかりだった。


「船長ー!!すっごい!!かっこいいね!!」


あれ、アクアだけは唯一喜んでいるらしい。

無邪気というか何というか。皆がその威力にドン引きしている中、一人だけ手を叩いてはしゃいでいる様子が窺える。

そんな所も嫌いじゃない。むしろ好きだけれど…ちょっと不安に思ってしまうのは、私の悪い所なんだろうか。


「見直した?」


「うんうん、頼もしいね!!」


かといって船長は、言葉以上にその能力を特別とも思っていないらしく、アクアの人懐こい歓迎を受けると、すぐに何事も無かったかのように船へ戻る準備を始めた。

彼は降りてきた船員達に手際よく水と食料の確保を促し、先程と同じように青年に肩を貸そうとしている。

そこでようやく我に返り、こちらも森で採取してきた食料の包みを持ち上げ、アクアと共に夕暮れを背景とした船へと向かうことにした。


―――直に、夜が来る。

幽霊船ならば本来の力を発揮するだろう、闇の刻が。









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