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紺碧の書 ~アトランティスの幽霊船~  作者: 蒼十海水
第一章【呪われし姫君と冥府の海賊団】
5/18

【Story.04】

まるで、冥府からの使者。―――初めて男を認識した時に、そんな印象を持ってしまった。

恐らく姫が見つけるか、彼自身が声を発しなければ、私はその存在に気付かないままだったろう。それは影が薄いとかいう問題ではなく、男の気配が実に上手く闇に紛れていたからだ。

これなら、死した海賊達の上に立つ、特別な存在と言われても頷ける。彼は氷で出来た華のような、ひんやりとした空気を纏っていた。


「初めまして、船長。」


アクアが声を掛けると、男は船橋へ行く途中の階段に座り込んだまま、ふっと笑みを零す。これまで松明の火が照らす陰影だと思っていた彼の右目部分は、眼帯であることに気付いた。

男の服装は、胸元に紐が着いたシャツの上に、色褪せたコート。それにズボン・ベルト・ブーツ共に、すべて黒で統一されている。

良く見ると、コートの所々は毛羽立っているような古い生地なのに、ベルトの銀細工や首のチョーカー、腰にさした剣や銃などが相まって、貧相な印象は少しも感じられなかった。


「はじめまして、かな?…そちらのお姫様は、初めましてだけど。」


「…は……?」


男は横に置いてあった船長風の帽子を手に取ると、ようやく立ち上がる。背は男性にしては高い方だろうか。その長い足で優雅に階段を降りると、胸に帽子を当てて、姫に向かって恭しく頭を下げた。

すると今度は、アクアの方へ歩を進ませ、初対面にしてはちょっと近すぎるくらいの距離で止まる。目の前の人物に見覚えの無いアクアは、それでも首を傾げることしかできなかった。

ただ、間近に置かれた男の顔は端正で、眼帯がなければもう少し穏やかな印象を抱いていたかもしれない。

そんなことを考えていると、顎に添えられた男の手が、アクアの顔をやや上向きにさせた。


「あの~…。」


「ん?…ああ。これは失礼。」


一応美青年の部類に入る顔にまじまじと覗き込まれ、細めた目で見つめられては、さすがのアクアも照れずにはいられない。

ましてやフレア姫ならともかく、自分は容姿も雰囲気も一般的なのだから。


(いつもこんなことやってるのかな…この船長は。視力があんま良くないってのは分かったけど。)


そんなこんなでようやく解放されたアクアは、今度は姫を守るように位置取り、自ら前方の船長を見据えた。

実際の所、少しの緊張はあったが、それでもここで怯むわけにはいかない。


「それで、話は聞いたって言ってたけど…。船長の返答は?」


「レイス、でいいよ。―――その前に、もう一度君達の要求を聞かせて貰える?」


<レイス>と名乗った船長は、読めない表情をしたまま、客人である二人に向かって問いかける。すると今まで男達を警戒してか、静かに状況を見守っていたフレア姫が、少しだけ前に歩み出た。

どこか神秘的な雰囲気を醸し出す赤いベールが、夜風を受けて大きく靡く。


「お願いです。私を北へ連れて行って下さい。北の皇帝・ヴァルハラの元へ。」


「…あの魔都へ?」


「姫様!?それは…。」


「…私はすでに、正式な席での面会を断られました。それでも、なんとしてでも皇帝に直接会わなければならないのです。牢屋越しや、使者越しで話しても何も意味がない。」


北の帝国へ、とは聞いていたが、まさか皇帝ヴァルハラが玉座を構える魔都へ行きたいとは…。

例えばこれが、まっとうな旅人同士の会話だとしたら、「あそこは入国審査も厳しいし、観光には向かない土地だけど、一生に一度は行ってみる価値もあるね。」くらいの話で済まされたかもしれないが、身分証を持たない者や海賊たちにとっては、あそこは立ち入ることも許されない鉄壁の要塞都市だ。

―――そもそも、北の大陸においてはすべての街や都市において、身分証や通行証の提示が必要になる。だからこそ姫は、魔都に直接通じる海からの航路を選んだのだろうが…。


「まあ身分証の偽装にしても、商船の乗っ取りにしても、悪いことするにゃ俺たちみたいなプロに相談するのが一番だろうな。城育ちの姫さんにそれ程悪知恵が備わってるとも思えんし。」


「それにしたって、さすがにこれは俺たちの手に余る仕事だろ…。」


中には前向きな意見を零す者もいたが、その都の恐ろしさを知った海賊達は、この場で息を呑む程に不安を募らせている。それはアクアも例外ではなかった。


―――北の帝国・アースガルズ。その強大な軍事力は四大帝国の中でも群を抜いており、工業を中心として発展した経済の元、都市の機械化にしても最先端をいく高度な技術で、世界を圧倒している。

更に帝国海軍・陸軍共に一部の隙もない守りは有名で。特にその領海内において、海賊船の横行は厳しく取り締まられていた。恐らく、掴まれば確実に処刑台送りになってしまうだろう。

そんな帝国内に、裏のルートから確実に侵入したい、と言っているのだ。フレア姫は。


「なかなか、大胆なお姫様だね。何か深い理由がありそうだけど?」


「それはまだ、お教えできません。けれど、相応の報酬はお支払いいたします。間違いなく。」


この甲板に居合わせた、骸骨を除く誰もが暗い表情でうつむく中、姫と船長だけは対等に話を進めていく。

確かに、普通の海賊船であれば即座に断られていただろうが、生者の少ないこの船であれば、引き受けてくれる確率は上がるかもしれない。

だが、船員達や副船長の顔色を見る限り、やはり彼らにも恐れはあるようで、「永い時を脱獄不可能な監獄で過ごす様なことだけは勘弁してほしい」と、目が訴えていた。


「―――何で、この船なの?」


幾千、幾万の船の中から、この幽霊船を選んだ理由。そこにはきっと、何か運命的なものが存在するのかもしれない。

姫は言った。この船を「捜していた」と。ならば、この船でなければいけない何かが―――あるに違いないのだ。


「"強く求める者の前に、必ず現れる。それは冥府からの使者。望む者に力と死を与える海賊団…"」


まるで詠うように、紡がれる言葉。

伝承の一部とも取れるそれは、アクアにとっては知らないものだったが、男達の耳には懐かしくも誇らしい一文として響くらしく、それを聞く者たちの瞳に生気が宿り始めていた。


「"失われた超文明・アトランティスの遺産となるべき最後の方舟。彼らは闇の海に存在し、今尚―――世界の行方を見届ける。"」


フレア姫によって最後の一節が紡がれるまで、辺りはしん…と奇妙なほどに静まりかえっていた。

今は不思議と生者の気迫で満たされた彼らの表情を見ていると、もしかして一部の乗員は生きているのだろうか…と、そんなことを考えてしまう。

動く骸骨を除いて、レイス船長や副船長達も含めた数名は、外見も普通の人間となんら変わりはない。だからこそ、今の言葉で船全体の士気が高まっているように感じた。

姫はほっと息を吐くと、少し感心した様子の船長を見据えながら、きっぱりと言い放つ。


「私は、自分を無事に目的地まで連れて行って下さるのはこの船の皆さんだけだと、信じています。」








+++++



フレア姫の確固たる意志を示すその言葉に、ただ一人、「ご立派です、姫!これで男共の心はガッチリです!」とか、心の中で呟いている者がいるとかいないとか。

とにかく、久々に姫の凛々しい姿を見ることが出来たアクアは、姫を守るという使命感が自分の中で高まっていくのを感じていた。

帝国を追われた身でも、今の姫となら一緒に居ることができるのではないかと、そんな期待を抱いてしまう。


「…それで、君の方は?」


錆び着いた腕を悔やむように拳を握り、それを見つめていると、レイス船長から声が掛けられた。

まさかこの、目に見えない盛り上がりを感じる最中、自分の方へ矛先を向けられるとは思っていなかったアクアは、少し驚きながら顔を上げる。

視線が合った船長の目は、心なしか穏やかに見えた。


「北に着いて行きたい。姫の傍に居る為に。…姫を守るために。」


はっきりと告げた筈の意志は、それでも当然、姫の言葉ほどの説得力はない。

例えばもう少しだけ後のタイミングで聞かれたなら、交渉とか、もっと良い言葉が思いついたのかもしれないが、今言ったのは駆け引きも何もない、純粋な自分の気持ちだった。

ただ、それを言った後に、無性に居たたまれない感覚に襲われてしまう。姫はともかく、私を乗せてこの船に何のメリットがあるのだろうかと、そんな事が頭によぎってしまったのだ。

たぶん、悪意は無いのだろうが、今となっては船長が少しばかり意地悪に思えてしまう。

ここで「自分は姫の傍に仕えるのが仕事だ。姫の行く先には当然着いていく。」と言えたなら、どんなに良かっただろう。しかし自分にはもう、それを言う資格がない。

このことに関しては、どうしようもなく弱気な自分が居た。恐らくあの―――国を追放された時に受けた、心の傷のせいで。


「勿論、私の場合は掃除とか食事係とか…船の雑用も何でもします。だから…。」


「大丈夫。君に見返りは求めてないよ。」


それは最初から私に期待はしていない、という事だろうか。それでも船長の言葉にほっとしたのは事実だった。

お金、という点では旅の路銀程度しか用意できないし、戦闘力にしても、きっと姫と自分を守ることで手一杯になってしまうから。


「―――で、どうするんです?船長。」


今まで黙っていた副船長の一人が、ここにきて、ようやく口を開く。それを問いたい気持ちは皆一緒で、今はただ、船長の決断を待つ他なかった。


「うーん…。魅力的な申し出だとは思うけど。」


考え込むような仕草で微笑む船長の様子は、物腰穏やかな青年そのものなのだが、なんだろう、どこか毒を含んでいそうというか、人間にしては裏が読めなさすぎる。

今度は意味ありげに副船長達に視線を送っている船長は、やはりというかなんというか―――二人にとっては予想外の答えを齎してきた。


「とりあえず、船長命令としては…"この二人を捕えろ"かな。」


『!?』


言われた事が一瞬理解できず、フレア姫とアクアは驚きの表情を露わにする。

その時には、すでに副船長達は言われたままにことを実行しており、がっちりと押さえられた腕が、船長の絶対的な発言力を示していた。

見れば船員達も、話の成行きに驚いてはいるものの、逆らうそぶりはない。


「悪いな、姫さん達。」


「っ…なんで…!?」


言葉も無く、苦しげに眉を顰めるフレア姫とは逆に、「訳が分からない」といった様子のアクアは、声を張り上げていた。

断るにしても、"捕えろ"という命令は無いのではないかと。憎しみに似た衝動が、どくどくと頭を襲い始めている。

―――いけない。頭に血が上った状態で行動しても、何も良くはならない。まずは冷静にならないと…。

そう考えるアクアだったが、自分達の行く末を思うと、やはり困惑の色を滲ませずにはいられなかった。

それでも、船長は涼しい顔でこちらを眺めるばかりだ。


「正直言うと、もう一声ってところかな。でもまあ、前向きにゆっくり考えてみるから、一旦捕虜から出直してくれる?」


言っている意味が分からない。今は分かりたくもない。

生かさず殺さず、といった船長の判断に、再び言いようのない怒りが込み上げてくる。それは姫も同じようで、一瞬、ちりっとした風が床下から生まれるのを感じていた。


(フレア姫…!)



それは姫が普段使うような、抑制のある力ではなかった。

フレア姫の感情が高ぶった時に無意識に呼び起こされる、これこそが"呪われた力"と呼ばれる所以の現象。無差別とも言える、発火現象の前触れだ。


(だめです!この人たちは、それでも…っ!)


それでも、焼き尽くしてしまう程の罪は、まだこの者たちには無い。

アクアは一瞬、最悪の事態を思い浮かべたが、どうやらその心配は無用のようだった。

見れば自らの意志で固く目を閉ざしたフレア姫が、心を静めたことを示している。


「姫…。」


やがて男達に捕まったまま、二人は船内へと降りる為の階段に連れていかれた。

そんな状況のまま、けれどアクアは納得がいかないのか、もう一度だけ船長に呼び掛ける。


「―――私の見返りの方が不満なら、私は降りますから。だからせめて、姫だけでも…!」


「違うよ。君の要求が不満なわけじゃない。」


なら、一体何が…。続けてそう言おうとしたが、その時にはもう、船長の姿は見えなくなっていた。

あとはただ、無気力に俯くことしか出来ない二人を、副船長達は半ば支えるように誘導していく。

しっかりと掴まれた腕は、どう足掻いても外すことは出来なさそうだが、それ以上に乱暴に扱われることはなかった。

一応俯いた様子を見せながらも、アクアは垂れた髪の隙間から、こっそりと周囲を窺ってみる。

船内は通路や階段が狭いわりに、縦横ごちゃごちゃと入り組んでいて、部屋数だけは多いように感じられた。しかも装飾や木の艶を見る限り、元は豪華な船であったことも予想出来る。

辺りにはごおん、ごおん…と、機械の歯車が動くような音が響いていた。一見古びた様子のこの船だが、実は高度な技術で動いているのかもしれない。


「ほい。ここで大人しくしてな。」


「食事とかはちゃんと運んでやるし、必要最低限な設備は中にあるから。」


一応、悪いと思っているのだろうか、副船長達は若干気まずそうな表情を湛えていた。

それでもアクアの武器はきっちりと取り上げられており、腰に下げておいた道具袋も外されている。

ただ、コートの中までは探る気も無いらしく、手枷などの類も付けられはしなかった。恐らく捕虜の中では、特別待遇の方なのだろう。

アクアとフレア姫が放り出されたのは、頑丈そうな二重の鍵が守る扉の内側だった。

薄暗い部屋の中は、それでも扉だけ鉄格子のようになっている為、そこから階段下の灯りが洩れて、僅かにこの空間を照らしている。

がちゃり、と二度響いた鍵の音に、閉じ込められた二人は力無く床に座り込む。互いにこの状況で出来る会話は見つからず、今はそれぞれに考えを巡らせるしかなかった。


これから、どうしたらいいのかと。








+++++



二人がここに閉じ込められてから、どれ位の時が経っただろうか。部屋の外の目立った変化といえば、見張りの骸骨が用意されたこと位だった。

彼は今、どこから声を出しているのかは知らないが、豪快にいびきをかいて眠りこけている。

それを眺めているだけで中々充実した時間が送れそうだったが、アクアは部屋に唯一ある円形の窓から、船の外の様子を窺っていた。…先程から、急に波が高くなった気がする。

夜明け近くになり、少し肌寒くなってきたのを感じたアクアは、ようやく窓から視線を外した。

何か羽織る物は無いかと周囲を漁ってみると、毛布代わりに用意されたのか、畳まれた二枚の布が見つかる。

匂いを嗅いでみると微かに潮の匂いがしたが、それ以外に不潔な感じはしなかった。広げてみると、結構大きい布だという事に気付く。

早速、一枚を二人の寝床代わりに敷くと、もう一枚をフレア姫の肩に掛けた。そろそろ、仮眠をとっておいた方がいいかもしれない。


「いいよ。私にはこれがあるから、アクアが使って。」


周辺の埃を軽く払っていたフレア姫は、布を敷いた床に座り直すと、頭に被っていたベールを外す。そして今掛けて貰った布を、自分がして貰ったように優しくアクアに掛け直した。


「すみません、姫。」


布を掛けて貰ったことにか、それともこの状況に対してか、アクアが申し訳なさそうに謝る。その頭を、隣に座るフレア姫がそっと撫で始めた。

それは、いつも強がっている分、こんな時には子供のように心もとない顔をするアクアを、知っていたからかもしれない。


「私が、頼りないから…。」


「違うよ。こうなったのはアクアのせいじゃない。」


逆に、妙に穏やかな表情をしているフレア姫は、今まで黙っていた分、ひたすら考えを纏めていたのかもしれなかった。

その声も先程より、大分すっきりしたものとなっている。


(私も、もう少ししっかりしないとな…。)


ごうごうと、船の外を強い風が掠めていく。

夜明け近くになり、空が少し白ずんできた所までは良かったのだが、一向に日の光は見られず、進む海域の天気は悪くなる一方だった。


「…ね、それより考えたんだけど、これからは私のこと、姫じゃなくて仲間として扱って欲しいな。」


「姫?…でも…。」


フレア姫の穏やかな声は、どこまでも優しく耳に響き、眠気を催してくる。実際、このまま眠れたらどんなに心地良いかと、アクアは考えずにはいられなかった。


「私は、私一人の判断で国を飛び出したんだ。だからもう、国に帰って皆の許しを貰うまで、姫では無いのかもしれない。」


「そんなこと、ありません。サザンクロス帝国を収められるのは、姫の体にも流れている血筋の方々だけです。」

 

「…うん。だけど守って貰いながら北を目指すんじゃ、ダメな気がする。」


ただ客として乗る限りは、この船にも足手まといが二人、増えるだけだ。

勿論、目的を果たすまでは易々と命を賭ける訳にもいかないが、かといってそれを不安材料に、この先すべての戦闘を回避することなど、できる筈もない。

時には死ぬかもしれないというリスクを背負って、自分も戦わなければいけないのだと―――そうフレアは考え始めていた。


「レイス船長も、それを言いたかったんじゃないかな。姫とその護衛として私たちを乗せるんじゃなくて、新しい乗員として乗せるならいいって。」


「え…。そうなんですか?」


「分からない。ただの予想だけど。」


言われてみれば、船長の言動はそんな風に捕えることも出来そうな気がする。しかし、それならそうと初めから言ってくれれば―――…いや、そしたらあの場でアクア自身が止めただろう。フレア姫の決意を聞く前なら、「姫にそんなことはさせられない」と。


「でも、だとしたら船長、結構良い人なのかもしれませんね。」


あくまで、そこまで考えていたらの話だが。

そうでなければ、あの船長はただの食えない男だ。例え、他の船員達が悪い人達に見えなくても。


「…分かりました。それが姫の望みなら、喜んで。」


「うん。ありがとう。」


思わず顔を見合わせた二人に、クスリと笑顔が零れる。何故だか本当に、もうすぐこの船の一員になれそうな、そんな予感がしていた。

今に始まったことではないが、不思議と、フレア姫の言葉一つで不安が消えていく。不可能なことも、可能ではないかと思うようになっていく。―――これが、姫の偉大なところなのだ。きっと。


「あ。…雨が降ってきましたね。」


「どうしたんだろう。急にどしゃ降り…嵐みたい。」


二人がそんな風に会話をしていると、落ちた雷の音が聞こえてくる。幸いにも、この船には落ちなかったようだが、それは急激に変わった天候の合図でもあり、気付けば周りの海は信じられない程に荒れていた。


「窓の外、すごく波が高い。」


今まであまり意識していなかった船の揺れも、だいぶ激しくなってきている。

それでも普通の船よりは、揺れない設計なのだろうか。先程までは普通に座っていられたのだが、今では壁に寄り添っていないと、まともに落ち着くことも出来なかった。

窓に叩きつけるように落ちてくる雨の固まりが、その量の多さを物語っている。

この船は、どれほどの嵐に耐えられるのだろう。そんな事を試す前に、早くどこかの岸に着いた方が良さそうだった。


「って、この潮の流れ…。」


「どうしたの?アクア。」


まるで流されているようにも感じる船の進路に、不穏な空気を感じ取ったアクアは、しばらく部屋のとある方角をじっと見つめる。

やがて何を思ったのか、おもむろにチョークを取り出すと、床に図形のような物を描き始めた。

自分の記憶の棚から情報を取り出しているのか、さらさらと描かれていくそれは、この辺りの簡単な航海図なのかもしれない。


「ああ、これって…いつもの世界地図で言うと、左下の辺り?」


フレア姫がそれを感心しながら見ていると、アクアが急に、がばっと身を起こした。そして部屋の外に居る見張りに向かって、声を張り上げる。


「ねえ、やばいって!!ちょっ…船長でも副船長でもいいから、誰か話できる人呼んできて!―――オイコラ起きろ!そこのガイコツ!!」


それまで、椅子にもたれ掛かって爆睡していたと思われる骸骨は、そんなアクアの大声に慌てて飛び起きると、反射的にか階段を駆け上がっていく。

素直、というかなんというか。本当に副船長の一人を連れてきた骸骨は、歯の部分をカチカチ鳴らし、アクアの方を指さして何かを伝えていた。


「どうした?わりいけど出してはやれねーぞ。」


「いい、出してくれなくていいから教えて!…この船の進路、どこに向かってる?」


「確か、西の大陸の外側に沿って、上への進路を取ってた筈だけどな。」


扉の柵を掴み、顔を押し付けるようにして訴えるアクア。そこから只ならぬ様子を感じ取ったのか、副船長は聞かれるままに進路を答えていた。

たぶん、上というのは地図上の見方で北側を示すのだろう。その言葉を聞いたアクアの顔が、一瞬青ざめる。それでも、話を中断させる訳にはいかなかった。


「私も、途中まではそうじゃないかなって思ってたけどさ。さっきから、変な方に流されてない?この船。」


「いや~。たぶん、そんなことねえと思うけど。」


副船長ののんびりとした態度に、アクアは思わず、「話にならない」と心の中で呟いてしまう。

普通ならば、多少流されていようとどこに漂流しようと構わないのだが、この辺り一帯に関してだけは、場所が悪かった。そしてそのことに早く気付く者がいなければ、事態は最悪の状況になりかねないのだ。


「ねえ、航海士とかはいないの?」


「それがさ、この前まではいたんだけど…。ちょっと前に300歳の誕生日祝ってやった時に、満足したのかアイツ逝っちまって…。」


「じゃあ船長は!?」


「船長朝弱いから、まだ寝てんだよな。」


なんだか頭が痛くなりそうな話だが、とりあえず300歳の誕生日ってどんな奴だ!?というつっこみを堪え、アクアは切実に、でも丁寧に副船長に語りかけ始めた。


「…信じて貰えないかもしれないけど、私は航海術もかじってて、ちょっとした特技も持ってる。」


「へえ、騎士だけじゃなかったんだな。」


「で、ね!?今、この船は北じゃなくて、地図で言う左…"最果ての海"に向かって進んでる筈なんだ。」


その言葉に意外性を感じたのは、副船長だけではなかった。フレアでさえ知らなかったアクアの一面に、驚きを隠せない様子だ。

少なくとも彼女が帝国を出る前は、ここまでの海の知識は無かった筈だ。ということは、アクアが海のことを詳しく知るようになったのは、つい最近…フレアと離れた後のことになる。

フレア自身、世界の国々や地理については嫌と言うほど勉強させられてきたが、それでもアクアが床に描いた簡単な地図でさえ、知らない島がいくつかあった。


「左…っていうと、そのうち一周して東の大陸に出るんじゃねえか?」


「それはそうだけど。その前に危険な海域通らなきゃいけないでしょ?"最果ての海"は、まだ知られてない場所も沢山あるし…〈アントリオン島〉なんかに入ったら面倒じゃない?」

 

昔々…まだ人々が、世界は球体に繋がっていることを信じなかった時代。

海には端があって、最果てをすぎると滝のように船ごと落ちてしまうと考えられ、船に乗る者たちは、そこへ近づくことを考えもしなかった。

だが大航海時代を経て、ある勇敢な海賊達が、西の大陸と名付けられた場所の外側から更に西へと進んでいくと、東の大陸の外側に出ることを証明し、世に知らしめたのだ。

それから、いくつもの船がその場所に挑み、ある船は無事に東へと辿り着いたが、ある船は二度と帰ることはなかったという。


「アントリオンって…一度入ったら出られないって言う、あの島のことか!?」


ようやく、アクアの言おうとしていることが分かってきたのだろう。驚いて柵の方へ顔を寄せた副船長は、身震いしそうな衝動を抑えながら、その場所の言い伝えを思い出していた。

曰く、巨大な化け物の巣窟だとか、生きて戻った者はいないだとか。そんな恐ろしい噂を持つのが、〈アントリオン島〉なのだ。


「出られないって言うか…。とにかく、あの辺は船にとっては特に危険な場所が多いし、近付かないに越したことはないでしょ。―――ちょっともう、手遅れかもしれないけど。」


「何ぃぃぃ!?」


アントリオン―――その言葉を置き換えるなら、"蟻地獄"という意味で。つまりある一定の範囲に近づくと、船は自らの意志でそこを離れることも出来ず、島に引き寄せられてしまう。そして噂によれば、一旦引き寄せられたが最後、あとは出ることも叶わないというのだ。


「わ、わかった。ちょっと船長起こして、話し合ってみる!!」


「…って、だから早くしないと間に合わな………あーあ、行っちゃった。」


来た時と大違いな程、血相を変えて階段を登っていく副船長に、あっという間にその足音すらも遠ざかってしまう。

すでに部屋には、再び静けさが戻りつつある。そんな沈黙を破ったのはフレアで、彼女もまた、少し不安げな表情をしていた。


「大丈夫なのかな?」


「はは、どうなんでしょうね。」


苦笑を零すアクアだが、このことに関しては少しだけ余裕があるような、そんな眼差しをしていた。

ただ、繰り返し聞こえる雷の音が、先程よりも更に大きくなっている気がする。嵐は収まるばかりか、激しくなる一方だった。

ひょっとしたら、この嵐が無ければ船は波に流されることもなく、無事に西の大陸上部へと進んでいたかも知れないが…。

まるで運命に引き寄せられるかのように、この一時の激しい嵐は、間違いなく船をアントリオン島の方角へと向かわせていた。


―――西の最果てへ、進んでいく。









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