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紺碧の書 ~アトランティスの幽霊船~  作者: 蒼十海水
第四章【古代都市アトランティス】
12/18

【Story.11】

ダダッ!と街路を駆け抜けていく足の裏が、じんじんする。きっと走り方の力加減や何やらが上手くいっていないのだろう。そうは分かっていても気ばかり焦ってしまい、荒っぽい走り方を変えることは出来なかった。

何しろこっちは、逃げることに必死なのだ。

まさか、未知の場所でここまでの逃亡劇を繰り広げることになろうとは、思いもよらなかった。普段のコソ泥稼業では逃げることは専ら専門分野だが、その場合は逃げ道に仕込みをしておいたり、下調べである程度周辺の地図を頭に叩き込んでおくのだ。これ程状況の悪いことなど、滅多に起こりはしない。


「うそつきーーー!! 船長のうそつきぃーー!!」


「ちょっとアクア、それは人聞き悪いよ。」


「いいから黙って走れ。奴らの群れが増える。」


「ほんとだ…! またこっちに気付いた。」


港の近くに、アジトがある。―――この都市に上陸する前、私達は船長からそう聞いていた。

だから、港から少し歩けば休める場所があるのだと。そう思っていた。空に広がる分厚い雲のせいで、鬱々っ気な都市を歩くことにはなるが、それも少しの距離ならば我慢しようと。

おまけに長旅ではないとはいえ、今回は船の故障などにも見舞われ、中々にハードな旅だったし。

いつもなら、とっくに睡眠をとっていてもおかしくない時間帯だ。そろそろ疲労の度合いは、限界に近付いてきている。多少鍛えているとはいえ、体力面で屈強な男達と一緒にして貰っては困るのだ。

しかし、少しばかりの休息を。という私の望みは、現実という過酷な試練の前に粉々にうち砕かれてしまった。

船長の言うアジトと思しき船倉庫に向かってみると、そこには修理用の部品の代わりに、みっちりと奇妙な人影で埋め尽くされていたのだ。

というか、船から一歩二歩降りた時点で、すでにその兆候はあったのだが…。


「だいたい、何なのあれぇぇーーー!! まだ骸骨のほうがマシだよぉぉ!!」


「原理は似たようなものだと思うけど。ちょっとあの船と似たような力が、都市でも働いてるみたいだね。」


「つまり、アンデッドの大量生産工場か。」


「あの人たち、前回船長が来た時には何してたんだろう…。」


その後あてもなく、私達は木乃伊(ミイラ)のような、平たく言うとイッちゃってる目の人達にひたすら追い回され、現状に至っていた。

これがまた、相手は走っている訳でもないのに結構早く。おまけに軍勢でぞろぞろと来るものだから、そのインパクトたるや凄まじいものがある。

今頃、船に残してきた骸骨達は、船番がてらすこやかにお休みになっていることだろう。しかしレイス船長が選んだ都市班は、不運にも生身の人間ばかりの人選となっていた。

ちなみに副船長やその他の男達は、皆とっくに散り散りになっている。


「そうだそうだ! 船長、前回はどうしてたのさ。まだ何か企んでるなら、今のうちに話しやがれ!」


「前回来た時は、人型で塩っぽい石像がやたら沢山あるなーって思ってたけど。それがあの生き物の"繭"みたいな物だったんだね。随分永い間寝てたものだよ。」


「ああ、あの体にひっついてる殻はそれか。どうりで硬いわけだ。…おまけに額や胸を刺しても仕留められん。燃やすか、胴体を両断するしかなさそうだな。」


「でも、昔は都市で生きてた人達なんだよね…?」


先程から似たような会話のパターンになっているが、喚かずにはいられない先頭の私と、隣でやけにのほほんとしているレイス船長。その会話に物騒な状況を叩きこんでくるオーディンに、色々と気にせずにはいられないフレア姫。私達4人は、半石像人間(今名付けた)の群れを突破しながら、今も奴らの人口密度が少ない方へ逃げ伸びようと、奮闘している所だった。

けれど中々、取り囲まれないような上手い場所を探すのが一苦労で。未だに高低差のある都市内部を動き回るだけで、肝心の逃亡先は見つからないままだ。


「もう、一回以上は死んでると思いますよ! 流石のアトランティス人も、そこまで化け物じみてないと願いたいです。」


「同感だね。そんなことまで気にしてたら、自分達の身が持たない。」


「俺はとっくに斬ってるけどな。」


今度は、三人の後にフレア姫の言葉は続かず。住宅街のような密集した建物の通りを抜けると、辺りの視界が急に開けていった。

この辺りは、複雑に水路が組まれた区画のようだ。

今はそのほとんどが枯れているが、緩やかなアーチ状の橋の向こうに、こちらは瑞々しい水路で囲まれた一件の屋敷が見える。白い石造りの建物が多い都市で、それは少し特別な物のようにも感じた。

最早視線を合わせて確認することもおっくうだが、たぶん皆も、同じことを思っているだろう。私達はここぞとばかりに、その橋の方へと向かっていった。

一旦、追って来たもの達の人数を減らすにしても、大勢対少人数の場合は、狭い一本道に陣取った方がやりやすい。

あの橋は、そんな格好の場所だった。しかも一区切り付いたら、屋敷に隠れられるかもしれない。それは中にまで連中がひしめいていなければの話だが、どうもこの水路周辺は、新しく出没する個体自体も少ないらしい。


「連中、水は得意だと思いますか?」


「海を泳いでる様子も無かったし、足が付かなければ本能的に回避するんじゃない?この水路…ていうか堀、結構深そうだし。」


問題は囲まれた時の逃走経路だが、屋敷の後方に外壁のような、用水路のようなものが伸びているので、少人数ならばよじ登って逃げられるかもしれない。その辺りは調べてみなければ分からないが、とにかく今は、追手を散らすことが先決だ。


「よし、じゃあここで一旦、踏ん張ってみますか!」


「お前は対して、戦いもしないだろう…。」


人が張り切って拳をならしてみれば、オーディンにそんなことを言われ。「失礼な。」と頬を膨らましていると、フレア姫がすっと――― 一人だけ前に進み出た。

まだ、剣などで接近戦を仕掛けるには早い。

私達が通ってきた建物の影から、現れたのはざっと三十人弱。皆捕まったら喰われそうな勢いで、私達に狙いを定めている。

一応、これ以上は集まってくる様子も無いが、あまり戦闘に時間を掛ければ、また集まってくるかもしれない。

ズッ…、ズズッ…と足をずって無気力に歩く奴らの(さま)は、動く死人そのもので。そもそも、相手が何故私達だけを狙っているかも分からないままだった。同志討ちはしていないし、どこで判別しているのだろう。意外と似たような動きで連中側に混ざってみれば、襲われないかもしれない。…勿論、試してみるつもりは無いし、捕まる訳にもいかないのだが。


「ここなら、多少は大丈夫…だよね。」


先程の会話から、言葉が途切れていたフレア姫が紡ぐ。それは、自らの戦闘の意志を表していたのかもしれない。

チリ、とした火花を含み、足元から巻き起こっていく風の余波が、私達の髪をも揺らす。

今はこちらに背を向けているが、きっとフレアの瞳は、揺らめく光を湛えていることだろう。

そう思った次の瞬間、群がっていた死人達が(おのの)くように足を止め、ゴウッ…!! と、内側から噴き上がるような炎に包まれていった。


惜しげもなく使われた力は、恐ろしいほどの勢いで燃え広がっていく。

視界に映った紅は、あの日の夕焼けよりも濃厚に思えた。








+++++



その部屋には、赤い液体の揺らめきが満ちていた。

正確には、暗い部屋の中にぼんやりと灯る柱がひとつ。それは部屋の中央に置かれ、何よりも重要な物だと自身で語るかのように、その存在自体を際立たせていた。

柱なのか水槽なのか。赤い液体に満たされたそれは、時々ゴボッ…と泡を巻き起こす。その度に下に溜まっていた濃い色素が巻き上げられ、また柱全体が赤々しさを取り戻していく。

そんな柱の様子は、生命の胎動にも似た、生ける意志を連想させていた。

水槽の上下を天井と床に固定する白銀の装置は、いくつかのケーブルを部屋中に送り出しており、多少粉のようなほこりが積もっているとはいえ、滅びた都市の物とは思えない煌めきを醸し出している。

この場に世界の流れを感じられる者がいたならば、まさしくそれは"竜脈"の具現化であり、アトランティスの命そのものだと、そう言葉にしただろう。

―――ここは、都市の中心部。島の隅々にまで根を張った大樹のように、すべてに繋がる重要な施設だ。

招かれざる訪問者を拒み、今は亡き都の人々の意志を継ぎ、旧人類と都市を守り続ける。そういったことが、この場所の指令で行われている。

場所の司令、という言葉を使ったのは、それを操作する者が存在しないからだ。部屋に組み込まれたシステムそのものが、今は都の意志として静かに活動を続けている。

部屋の中央にある柱でさえ、それは"動力"に他ならず。人の心に似た意識を持つ者も、ここにはいない。

ただ、それに最も近い物が、今まさに長き眠りから目覚めようとしていた。


『居住区エリア・六-三 焔竜<ニーズヘッグ>の力を感知しました。』


闇に包まれた六角形の部屋に響くのは、機械的な、でも流暢な雰囲気を持つ人の言葉。

その音声を機に、部屋の壁で点滅していた一つの円から、縦横に一斉に広がっていくように、光の文字列と都市の地図が表示されていった。


『前管理者の意志によって まずは彼女を"資格ある者"として認識します。参照項目はアトランティス・システム第十章二十七節。』


天井から響いてくる奇妙な独り事に、反応を示せる者は誰ひとりとして居ない。ただそこに住み着いていた小さな生物達は、一斉に壁を這ってどこかに行ってしまった。

今や部屋全体が、微かに揺れている。

地下から鳴り響く重苦しい音は、何かが運ばれてくる音だろうか。炭鉱場のゴンドラのような響きを含むそれは、やがて部屋に辿り着くこととなった。

床の一部が六つに分かれて捲れ上がり、そこから新たな柱が伸びてくる。

それは部屋の中央に設置された赤い柱よりは小さかったが、それでも人の腕では半分も抱えきれない程の太さを持っていた。

部屋の壁や床同様、白銀の色を湛えた新たな円柱は、表面に壁と同じ、流れる文字と図形を湛えている。

その中でもひと際大きく書かれた二桁の数字は、一秒ごとにその数字を減らしていき、中のものが解き放たれる時間を静かにカウントダウンしているようだった。


"意志"が、目覚める。


『これより "アトランティス"の再起動に向けて 資格ある者を誘導します。』


やがて刻まれた数字がゼロになると、一瞬の間に、柱に光の筋が通り抜けていく。

横にスライドして開かれたその中には、細長く収納された四対の"脚"が覗いており、胴色の機械的な関節の上に被せられたのは、やはり白銀の金属で出来た装甲だった。

"中身"だけを残して、円柱が床の下に消え去っていくと、支える物が無くなった脚はガシャンと開き、関節部分を折り曲げて蜘蛛のように降り立つ。

血の色と同じ赤い眼を煌めかせ、都市の分身であるそれは、脚の一本に刺さっていた頭蓋骨の破片を無造作に振り落とすと、壁に投影された映像を見た。

そこに映っているのは、炎に照らされた女の姿だ。





先程までの騒ぎが嘘のように、今は屋敷内外も含め周辺は静かだった。

私達は今、リビングと思しき部屋に陣取り、交代で仮眠をとっている。勿論部屋には一切の灯りも付けておらず、分厚いカーテンも二重に引いていた。

その隙間から、私は絶えず侵入口である橋の辺りを観察しているのだが、先程フレア姫が燃やした亡骸が、遠目でも未だにくすぶっているのが分かる。

あの辺りを通ろうとするにも障害を退かすにも、ある程度の時間稼ぎにはなるだろう。おまけに屋敷に入った直後、ここにあった物でオーディンが橋に簡単な罠を仕掛けてきたので、亡者達がこちらに渡って来ようとするまでは一応の安心感があった。

遠巻きに徘徊する人影はあるが、今の所、こちらに近づいてくるものもいない。

それでも、こうして常に見張りを続けているのは、何も亡者対策の為だけではなかった。もしも仲間の誰かが逃げ込んできた場合、橋を安全に渡れるよう誘導するためだ。


(副船長達、大丈夫かなぁ…。)


そんなことを考えながら、ぼんやりと暖かい紅茶に口を付ける。持ち合わせた保存食で軽くお腹を満たした後だったので、それはほんわりと体に馴染んでいった。

気を付けなければ。こんな状況で一番厄介なのは、眠気に襲われることだ。

それでも、次に目覚めた時に仲間の焼死体が転がっていることを本気で想像すれば、眠気など恐るるに足らず。今も私は適度に安らぎながら頭の中を整理していた。


―――あの後、亡者達が周辺に居なくなったのを確認した後に、私達は屋敷内にお邪魔したわけなのだが…。すでに都が滅亡してから数百年は経っているだろうに、今にも人が帰ってきそうな部屋にまず驚くこととなった。

よく、船乗りの間に伝わる怪談話の類に、まるきり無事な船だけを残して、食事の用意もそのままに忽然と姿を消した乗組員達の話があるが、ここはまるで都市の規模でそれが行われているような感じだ。

こちらの場合は元住人こそある意味存在しているが、それにしても建物や周辺装置の現役ぶりは異常で。屋敷に入ってからも、レイス船長の点検程度であっという間にお湯くらいは沸かせるまでになっていた。キッチンの所にある火の無い釜戸は、まさに文化遺産とも言えよう。

見た目は今の時代より古めかしい造りなのに、その外見を損なわぬまま、性能だけは恐ろしく高度だった。水をはった鍋らしき容器が一瞬でほんわりと暖かくなった時には、フレア姫と一緒に声をあげて驚いてしまったくらいだ。もっとも、オーディンだけはいつもの様子でさほど驚きもしなかったが。

それから、各自屋敷内の身回りや使えそうな物資の調達を行い、私は裏口から退路の確認、レイス船長は二階の身回り、フレア姫は一階の見張りを兼ね、オーディンはこの時に橋へ罠を仕掛けてきたらしい。そして彼は、後にこう教えてくれた。


『この都市の基礎となっている石は、よほど頑丈な物のようだ。さっきフレアが燃やした場所も、あれだけの火種に関わらず焦げ跡一つ付いてない。』


確かに。この都市を造る石や金属など、ここには様々な素材があるにも関わらず、その色は基本的に白っぽい色で統一されており、また海風にも腐食している様子は無かった。

何か特別な鉱物が混ぜてあるのだろうか。それとも独自の技術故か。それを調べるだけでも大金持ちになれそうな雰囲気が濃厚に漂っている。

この紅茶を入れたカップも、中身は熱くても持つには丁度良い温度が保たれていて。先程小さな光を当てた時は、上品な虹色のような、不思議な色に煌めいていた。

もしかしたら落としても割れないどころか、硬さ的にはこれでオーディンの剣も受けれるんじゃないかとか、そんな好奇心が湧き上がってくる。

それを試してみる勇気は無いが、後で軽い強度実験くらいはしても良いと思った。


(何か、未だに信じられないな…。あの伝説の都に居るなんて。)


この屋敷内に落ち着いてからが平穏すぎて、いつの間にか和んですらいるのだが、窓の外に見える光景は間違いなく旧都市のものだ。本当なら入り込むことすら許されない場所の筈。

そもそもこの都市で造られた物は、ほとんどが古の時代の産物だろう。あとは一度滅びた都市に、生き残りの一族か何かが住み着いたというだけの話だ。それを一部の者達が勝手に第一期・第二期と呼んでいるだけで、実際の繁栄時期はおそらく、遥か昔に下された"天罰"というやつで終幕を迎えているのだろう。

しかし、その第二期を歴史に無理やりねじ込むとすれば、実はアトランティスの完全滅亡はそれ程古くは無い。フレア姫の曾おじい様かその前あたりが、サザンクロス帝国を収めていたころだ。

その辺りは小さい頃に居眠りがてら勉強しただけなので、よくは覚えてないが…。確かサザンクロス帝国は、大規模にアトランティスの生き残りを捜索し、最終的には不利な裁判にかけ、その血を根絶やしにしてしまったと聞いている。

またアトランティスに住み込んで研究を行っていた学者達も、城に連行されたか、抵抗して殺されたかという話だ。

サザンクロス皇家唯一の暴君として名高い当時の皇帝が、歴史上根強く名を残しているのは、こうした残酷な行いのせいかもしれない。

ただ暴君とは言っても、それは世界的な印象というだけで、実際には自国の民には慕われていたという話だ。これだけは国を追放されてから聞いたので、ある程度の信憑性はある。…と思う。


(こんなことなら、もっとアトランティスについても勉強しとくんだったな…。)


何が悔しいって、盗み聞きとはいえ、船長とフレア姫の会話にろくについていけなかったのが悔しいのだ。

まあ、ちょっとやそっと勉強したくらいで、アトランティスの謎が解けるとは思っていないが。それでも、歴史的な背景などは知っておいて損は無いと思う。今は何より、目で見るこの街の情報を吸収することが先決だろうが。


「…アクア。」


「ん、どうしました?フレア姫。」


もの想いに耽っていると、近くのソファーからフレア姫の声が掛けられる。その、微かに寝ぼけたような可愛らしい声にキュンとしながら振り向くと、すでに姫は身を起こしていた。


「そろそろ、見張り代わるよ。」


「いえ、まだそんなに時間も経ってないですし。あとは男共に任せますから。」


剣術やカンにまつわること、運の良さに関しては十人力なフレア姫だが、そこはやはりお姫様。体力に関してはそこいらの娘さんと何ら変わりは無く、きっと今も、まだ疲れは取れていない筈だ。

この先船長の指示通りに、船の修理に必要な部品を散策するにしても、また副船長達を探しまわり、合流するにしても。

いずれにせよ必要なのは、体力と気力と元気と勇気と…。とにかく、睡眠をとって体を回復させるのは今、最優先にすべきことなのだ。できれば姫にはもう少し、眠っておいてほしい。


「なんかね、今は起きていたいんだ。副船長達のことも心配だし。…何か、胸がドキドキしてて。」


「それは、ちょっと分かる気がしますね。」


あんなに怖い思いをしたのに。仲間が心配なのに。これからも、危険なことは沢山あるに違いないのに。―――心の奥に、何か大きな興奮が潜んでいるのを隠しきれない。そんな状態。

疲れているのに、眠ってしまうのが惜しいくらいの冒険の只中に、今私達は居るのかもしれない。


「…じゃあ、お願いしてもいいですか? 少し経ったらちゃんと、誰かと交代してくださいね。」


「うん。ゆっくりおやすみ、アクア。」


ポットに入っていた紅茶を新しいカップに注ぎ込んで、それをフレア姫に手渡すと、私達は入れ替わるように位置を交換した。

先程までフレア姫が使っていたブランケットは、ほんのり暖かい。

一瞬、寒くないか聞こうと思ったが、姫はすでに上着を肩にかけており。今はカップを両手で包みこんだまま、真剣に窓の外を見つめていた。

そんな光景を視界の隅に入れながら眠りに着くことに、言いようの無い安心感を覚えてしまうのは、何故だろうか。

この時の気持ちを、数時間後に後悔することになろうとは露ほども思わず。私は心地良い温もりと疲労感の中で、ふわふわと眠りに落ちていった。








+++++



まただ。胸の鼓動が、どうにも落ち着かない。

これが嫌な苦しさでないだけマシなのだろうが、血が騒ぐような、いてもたっても居られない衝動というか。都市を丸ごと包んでしまう程の強すぎる気配に当てられて、体が火照って仕方ないのだ。

両手で包んだカップを膝の上に置くと、太股にしっとりと汗を掻いていることに気付く。先程、お茶を貰う時に触れたアクアの手は冷たいくらいだったのに。

こんな気が逸るような気持ちは、オーディンを見つける時以来だ。昔から自分と似た何かを近くに感じる時、こうなってしまうことがある。

それなら今回のこれも、オーディンが近くに居るからなのかと。そう考えてもみたが、どうも屋敷内より外の方が強い気配がした。

―――誰かが、呼んでいる気がする。

そういえば、先程の夢も少し変だった。

不快ではなかったが、普段なら絶対見ない程の鮮やかな光景。それは脈動する赤い血の海で、何かが泳いでいる夢だ。

悠々と目の前を通り過ぎていく赤い鱗。ゆらりと揺れる尾鰭。その存在が強大すぎて、私の目にはすべてが映ることも無い。

彼はすべてを知っている。沢山の眼で、常にこちらを見守っている。

悲しんでいる。怒っている。そうした感情の流れで、小さな私を支配しようとする。

抗えない。―――いや、私は抗うことを望んでいない。

受け入れなければならない。その為に此処に居る。私も、私と同じ者達も。


彼は世界。地上を司る者。

決して海には帰れない。だから苦しんでいる。


『…だから、"地上"を海に還す。』


―――紡いだ言葉にはっと我に返り、思わず周囲を見回した。

今のは私の声。なのに自分で言ったことのように思えないのは、どうしてだろうか。

カップから立ち昇る湯気が、先程の白昼夢がほとんど一瞬だったことを教えてくれる。

私は夢に囚われていた。そう考えても良いのだろうか。夢の内容を回想しながら、そのままあの赤い水の中に誘い込まれそうな感覚があった。

あれは一体、何だったんだろう。


(どうしよう…。次に同じことがあっても、振り払える気がしない。)


自分の変化に気付けるのは、自分だけだ。

あれが何なのかは分からないが、この都市に居る限り、何度でも同じような"夢"を見るだろう。

今のうちに、誰かを起こしておいた方が賢明かもしれない。そう思っても、この状況を説明することが少し難しい気もした。

アクアなら、私が精神的に疲れたと思って、心配するだろう。

レイス船長なら、その裏に潜む何かを探ろうと、私を静かに問い詰めるだろう。

オーディンなら―――彼なら、分かってくれるだろうか。


(でも、珍しくオーディンがちゃんと寝てるのに、起こすのも悪いし…。)


飲み終わったカップを近くのテーブルに置くと、すっと立ち上がる。部屋の中は相変わらず暗かったが、すでにある程度は目も慣れていた。

少しだけ、窓を開けて換気をしよう。外の冷たい空気を吸えば、この気持ちも和らいでくれるはず。

そう思って隙間程度に窓を開くと、そこから微かに夜風が入り込んできた。空は分厚い雲に覆われていても、都市の様子はどこかほの明るい。

見るからに照明の類や何かが設置されている訳ではないのに。それでも、ある程度暗闇に慣れれば、橋の向こうに歩く人影が見える位だった。


(人影…?)


その違和感に気付き、もう一度私は目を凝らす。あてもなくゆらゆらと歩く亡者でもない。辺りを警戒して来た船の仲間でも無い。

ただ僅かに光を纏った少女が、立ち止まってこちらを眺めていた。


(うーん、明らかに怪しいけど…。)


こんな所に、少女が居るはずもない。

居たとしても、焼け焦げた亡者の屍の中、ああやって平然と立ち尽くせるわけがない。

その前に、こんな暗闇の中でぼうっと光っていること自体が怪しい。幻術じみているというか、何か特殊な仕掛けを使って投影させているのだろうか。

しばらくそうやって監視していると、橋の向こうにいる少女がこちらに顔を向けてきた。

その相手の行動に、こんな暗い中でも目が合った気がして、思わずドキリとしてしまう。


『あなたを、お迎えに上がりました。竜の血を引く者よ。』


―――何―――。


『大人しくこちらへ来て頂けますか? 都市のことをお話しましょう。』


この距離なのに。耳元で囁かれているようにも感じてしまう、機械的な声。

慌てて近くを見回してみれば、周囲の変化に敏感なオーディンでさえ起きる気配は無く。

勿論アクアや船長も、身動き一つ取らなかった。

もしくは、あの少女に何かされているのだろうか。そんなことは、なるべく考えたくないけれど。


「私が、竜の血を引くって…。…どうして…。」


『分かります。都市に入った者は、すべて。』


これが、アトランティスの文明の力だというのか。王家の内でさえひた隠しにしてきた、竜人の血族という真実を、こうも簡単に暴いてしまうなんて。

けれど先程の不思議な現象が、私がこの都市に同族の匂いを感じ取っていたからだとしたら。仮に相手側の方でそれが出来ても不思議ではない。あの少女が生きた人間かどうかは別として。

ただ引っ掛かるのは、焔竜の子孫と言われる竜人が、アトランティスにも存在したかということだ。

竜人の血を引く者として語り継がれてきたのは、サザンクロス皇家と、今も北の奥地に人知れず住んでいるとされる純血種の一族だけだ。

後は、北の帝国に捕らわれたただ一人の―――私の母君のみ。


「都市のことって、何故私一人に話す必要があるの?」


『あなた一人で来て頂くことが、こちらの条件になります。アトランティスの力を利用したい輩は幾らでもいますから。』


ここで大声で騒げば、さすがに皆は起きてくれるだろうか。あの少女はどうやって今、私達の会話を周囲から切り離しているのだろう。

でも、私一人で行った方が都合が良いのは、こちらも同じだった。

悲しいことに、まだ私が心から信用できるのはアクアだけだ。

レイス船長やオーディンが、この都市に何らかの目的を見出していないとは限らない。

実際、レイス船長に関しては明らかに―――船の修理以外の目的がある。彼に関しては私も、警戒せずにはいられない理由がいくつかあった。

その最大の理由は、彼がこの都市を知りすぎている、ということ。

一度はそんな考えも振り払ったが、もしもレイス船長が"アトランティスの生き残り"の子孫だとしたら。王家に対する憎悪は確かなものに違いないのだ。それは、あの少女に対しても疑えることだが。

なら尚の事、相手の目的が分からないうちは、私一人で行った方がいい。皆を、恨みつらみの揉め事に巻き込むわけにはいかないのだ。

『王家は、その咎も背負わなくてはならない』とは、かつて私を閉じ込めた時に父が言い放った言葉だが。確かに、私の祖先が行った行為は、許されるものではない。


「…皆は、ちゃんと起きるの?」


『心配ありません。』


見張りである私が離れるのは、良いこととは思えないが…。これだけ奇妙なものと話し込んでいるのに起きないなら、私が相手の言うとおりにするまで、起きない可能性だってある。

「ごめんね。」と呟いても、きっと声も聞こえないだろうけど。それだけを言い残して窓を開け放つと、私は庭を横切って、橋の方へと向かって行った。

近づいてみると分かる。やはりあの少女は、虚像に違いない。これを映す本体はきっと近くに居る筈だ。


「私が行ったら、すぐに皆を起こしてあげて欲しいな。」


光る少女の元へ辿りつくと、未だ嫌な匂いが鼻に着いた。

大体、かつてのアトランティス人をあんな風に操ること自体、悪趣味だと思う。

まだ意志を持ってあの船に乗っている骸骨達の方が、救いがある。彼らはあんな風に、自我を失っていない。飢えて苦しんでいない。


『むしろこれは、あなたの意識に干渉する部分が大きいです。』


「―――え?」


瞬間、通りの屋根の上から、何か大きな影が飛び降りてきた。


それが蜘蛛の脚のような形状をしていることに、気付いた時にはもう遅く。

ひらりと降り立ったその存在に、首の横にチクリとした痛みが広がり、みるみるうちに視界が暗くなっていった。



『おやすみなさい。』








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