【Story.09】
あの後、襲撃してきた男達を締め上げたは良いが、結局姫に関する情報は何も得られず。仕方なく皆がはぐれた地点まで戻り、周辺の人々に話を聞いてみることにした。
「でさ、そもそもサフランは何ではぐれたの?」
「いやー、それがとぼとぼ歩いてるカーキ達を見つけてさ。荷物持って貰おうと思って寄ってったら、案の上フラれて船に帰る所で―――。」
「うん、何かもう、分かったからいーや…。」
聞きこみの前に一応サフランの状況も把握しておこうと思ったが、これといって目立った事も無さそうだ。そこに少しでも、姫を探す手掛かりがあればと思ったのだが…。
しかし道端で露店を出している人々に話を聞いてみると、以外にも簡単に姫の足取りを掴むことが出来た。
それによると、フレア姫は裏道の方へ入って行ったきり、出てはこないらしい。
この辺り―――特に路地裏に入り込んでしまうと、地元住民でもマップの類が必要になる程に入り組んでいる為、旅行者が迷わないように声掛けをする習慣があるとのことだ。
ただ今回の場合に至っては、姫にその声が届いていなかった可能性が高い。それ程に、何か気を取られるような事があったのだろうか。
まあフレア姫のことだがら、ただ迷っただけならいずれ出てくると思うが、それよりも心配なのは、誰かに狙われたりしていないかということだった。
先程の例にもある通り、こういった大きな街には、ああいう賊が出没したりと何かと危険も潜んでいるのだ。
あんなむさい男達に追いかけられたら、それだけで普通はトラウマにもなりかねないのに。ましてや愛くるしさ最上級のフレア姫なぞ、金以外の格好の餌食ではないかと…
そんなことを考えるだけで、頭を抱えてかきむしりたい衝動に駆られた。
「で、やっとのことで船長達見つけたんだけど、アクアが目立つ位置に居るし、建物に男は入ってくし。こりゃマズイなと思って追いかけてったら、そこで…」
(あ、まだサフランの話、続いてたんだ。)
姫を探すために早々に路地裏へと入り、しばらく三人で探索していく。周辺はやはり十字路や横道が多く、代わり映えのしない建物が並んでいたりと、いかにも迷いやすそうな雰囲気が感じ取れた。
そこで私は、ポケットから使い古された手帳を取り出し、前に来た時に購入しておいたマップと、手書きで裏通りの道筋を記したページを比較してみる。これを自分の足で調べ上げたのはもう数年も前の事だが、どうやら変わっていなかったようだ。
「へえ、詳しく書いてあるね。表のマップには無い店の事まで、よく調べてある。」
「船長もそっちのことには詳しそうだよね。」
「ま、普通に海賊だけやってた訳じゃないからね。」
そういえば、初めてアトラス号に乗った時も、船長は出稼ぎ中とか何か言われた気がする。
それは、海賊以外にも生業を持っていると言う意味だろうか。表の商店街には並ばない、いわば裏のルートでしか手に入らない商品を求めるような、何らかの仕事を。
「副業か何かってこと?」
「どうだろうね。趣味って言った方が近いかもしれない。あの船を見て貰えれば分かると思うけど、物作りが好きなんだ。―――それも、ちょっと変わったやつをね。」
なるほど。あの幽霊船の機械的な部分に関する担当を、船長が自ら行っているという事らしい。あの非現実的な船の、どこまでが機械でどこまでがオカルトちっくな力で動いているかは、今だ不明確なままだが。
下手すれば動くガイコツまで、実は見えない糸で動かしてましたとか…。そんなオチがあったらロマンの欠片も無い気がするが、それすら失われた文明の力であれば可能な気がしてくるから不思議だ。何しろ一旦は、神にさえ近づけたと言うのだから。
「じゃあその頭脳と器用さを、今こそ全力で発揮してくれると嬉しいなぁ。」
「どうかな。アクアがいなくなったっていうなら、それこそ全身全霊をかけて探すけど。」
「………。」
「冗談だって。そんな目で見ないの。今もちゃんと探してるよ。」
なんだろう。この船長の冷静さが、時にすごくイラっとくるのは私だけだろうか。たぶん、そのせいで一度痛い目にあったから、というのもあるのだろうが。
それでも今現在フレア姫を探していく上で、迷わないよう、かつ効率的に路地を進んでいけるのは船長のおかげかもしれなかった。恐らく私とサフランだけでは、こうはいかなかっただろう。三人で時折離れながらも、船長の指示通り行くと定期的に合流できるので、物事が確実に進んでいくのは実感できた。
裏通りの周辺はもうすぐ、ほとんどが調べ終わってしまう。このまま姫が見つからなければ、それはどこか別の場所へ抜けてしまったという事だ。それが、少しでも安全な場所なら良いが。
途中、鴉の鳴き声が妙に耳に着くことがあったが、こんな時に動物の縄張り争いに構ってられるかと、今は無視に徹しておいた。それでも、ここより暗く汚い〈裏〉の町並みで、何度も鴉の"お食事"を目の当たりにした私にとっては、鳴き声一つで不安が渦巻いてくるのも自然なことだ。それは鴉に限った事ではないし、動物も普段は嫌いではないが。
(いやーな感じだな。何か、空気が…風が気持ち悪い。)
最悪の場合、火の手が上がった所が姫の居る所なのかもしれない。そんなことになれば、街が火に包まれることも考えなければならないのだろうか。―――いや、一国の姫が、フレア姫が、そんな事態を望むとは思えない。南の帝国の姫が西の街を焼くなんて、そんなことはあってはならないのだから。
もしも私がそれを決める者だとしたら、どんな罪を背負うことになろうとも、姫の生命が賭かっていたら街をも焼くかもしれない。けれど姫はきっと、それを選ぶくらいなら自分が犠牲者になるだろう。
だからこそ、一刻も早く見つけ出さねばならないのだ。手遅れにならないうちに。
「そういえば、今日武器屋にも寄ったけど、フレアは何か買わなかったの?」
深い思考の渦にハマりかけていた私に、それを見越したような船長が声を掛けてくる。
その声ではっと我にかえると、私は武器屋に行った時のことを思い出していた。
「…あ。」
―――なんで忘れていたのだろう。こんな大事なことを。
私はやはりいくつになっても、姫のことに関しては冷静な判断が出来ないのだ。
「何、火炎放射器でも買ってた?」
「…いや。買ったのはサーベル一本。」
急に私の表情が緩くなったことに気付いてか、レイス船長がそんなことをきり出して来る。それに対する私の苦笑いの返事に、今度は横にいたサフランががっくりと肩を落とした。
「あー…。それはちょっと、あの細腕じゃあ…。」
「何言ってんの。」
そんなことを言うサフランの背中を叩くと、私は親指をビシっと立てかねない勢いで、自信満々に言ってやった。
「十分だよ!」
夕暮れの空に二度響く、金属の音。古びた石畳の地面に転がったのは、黒い袖に覆われた手首から上の部分だった。
一瞬遅れてビシャ、と地面に降り注いだのは、三日月のように鋭く描かれた血の軌跡。
悲鳴を上げる間もなく、手首ごと攻撃の軌道を断たれた男達は、動揺に霞む視界の中で、煌めく二つの光を見た。
迫る刀身に、燃えるように艶やかなガーネットの瞳。
「…なんだ。やるじゃないか。」
「"戦えない"なんて、誰も言ってないよ。」
崩れ落ちる仲間の体と、その向こうから立ち上がった二つの影―――と、後方にいた刺客達にはそう見えただろう。
体制を整える間もなく、疾風のように踏み込んでくる二人の標的に、"窮鼠猫を噛む"などという状況はとっくに通り越していることを認めなければならなかった。
ギィンッ…!! と咬み合わされた刃の音でさえほぼ同時に、夕日の色で染まった光景の中、艶めかしく繰り出される女の蹴り。それを危うい所でかわせば、すぐさま男が追撃を掛けてくる。
―――こいつら、即興にしては息が合いすぎている。
そう感じた刺客のうちの一人も、すでに致命傷になり得る程の攻撃は受けており、最後は自らが繰り出した蹴りと同じものを、今度は受ける側となっていた。
「その脚になら、蹴られても良かったんだけどな。」
「何言ってんの、オーディン。」
おまけに男の冗談に頬を赤らめる女の表情は、先程仲間の二人を斬って捨てた人物とは思えない、魅力的なもので。
そんな光景に、見とれることすらも許されない刺客達はすかさず刃を振り上げるが、これも二人の剣技にあっけなく止められてしまう。
今は互いに背を合わせ、剣を奮う二人の姿は、燃えるような紅に照らされ闘神じみた気迫を湛えていた。
「フレア。フレキの方を頼む。」
「分かった。」
さながら炎のように燃える残像を残す赤い衣装の女は、髪の色さえ濃い赤褐色に染まり、それは視界に飛び散る鮮血にも、おそらくこの世に存在するどんな赤色にも、決して見劣りはしないだろう。
片や男の方は、直に訪れる宵闇を一足先に引き連れたような出で立ちで。真っ直ぐに伸びる剣の刀身さえ黒銀に輝き、闇の中へ引き摺り込もうと目の前の敵を葬っていく。
いずれにせよ、退くことなどそもそも許されはしない刺客達の末路は、ただ声も無く地面に伏し、今は薄れゆく意識に身を委ねるだけとなっていた。
海の向こうに、日が沈んでいく。
それを見届ける頃には勝敗は決しており、オーディンの横に凛と佇むフレアの額には、一筋の汗が流れ落ちていた。
アクア達がようやくこの場所に辿り着いたのは、そんな時だ。
+++++
雲一つない晴天の空は良いのだが、この船の骸骨達は、あの日の元では動きが鈍くなるらしい。
今、じりじりと陽炎の立ち昇る甲板は一見、死体置き場か地獄絵図と化していた。
聞けば船の調子が悪く、いつもの霧が出ないのだという。それはいいのだが、幽霊船がそんなカラクリじみた造りで良いのだろうかと、少し不安にもなるオーディンだった。
「ここにいた。」
そんな暑苦しい図を横目で眺めながら、階段の下で涼むこと数時間。
今更ながらぴょこんと現れた人物に、誰と分かっていながら軽く視線だけを走らせた。
「船内はどうなってる。」
「うん、船内はわりと涼しいみたいだよ。調子悪いのは今のところ、霧と骸骨だけだって。」
どうやら骸骨の働きぶりも、船の調子と関係があるらしい。
先程日陰を求めてシャカシャカとこちらに這ってきた者がいたが、そんな様子を観察している内に、Uターンしてどこかへ行ってしまった。この目つきが悪かったのだろうか。
「それより、はい、お昼ご飯。」
さり気なく後ろに隠し持っていた皿を、フレアが目の前に出してくる。
皿の上にはチーズやハムなどが挟まれたサンドイッチが並べられており、街に寄って日が浅いからか、ご丁寧に野菜までもが添えられていた。
突然出された食事に、今の胃が受け付けるかどうかを考えていると、フレアの表情が微かに寂しげな様子になる。
「まだ心配?」
「…いや、頂こう。」
この船の食事は、…少なくとも俺が食べる物は、必ずフレアが作っているらしく。いつも厨房から直接ここへ持って来てくれた。それでも夕食だけは、顔合わせの為に食堂へ行かければならない。そんなことを繰り返しているうちに、自然と食事のリズムも安定してきた。以前の自分なら考えられないような事だ。
おかげでここ数日は体調も良く、怪我も順調に回復している。これほど穏やかに過ごすことなど、本当に久々のような気もした。
「残してもいいから、出来るだけ栄養とってね。はいお水。」
「…もう、俺のことは放っておいても良いんだぞ。」
「迷惑?」
「感謝はしている。」
あのアントリオン島で出会った時から、この女は何かというと俺の事を気にかけてくれる。
それは怪我人だからとか、同じ船に乗る者だからとか、そんなきっかけなのだろうが。人に頼ることを覚えてしまうのは、自分にとっては良くない傾向に思えた。
―――何より、これ以上フレアを巻き込んで、俺のような目に合わせるわけにはいかない。
「…オーディンは、私に似てる。」
「そうなのか?」
少しの静寂の後、黒柘榴の色の瞳がこちらを向いた。
それは確かに、吐き気がする程の過酷な運命に、抗ってきた者の色を湛えている。
「関わるなとか、無理だよ。もう会っちゃってるから。」
どうやら俺の考えも、すでに見透かされているようだ。
いつも、根本的な部分では誰かが近づいてくるのを拒むことしかできない、この性分を。
それでも、見透かされた事が不快に感じないのは、きっとこの女だからだろう。たぶん本当に、本質が似ているからこそ自然と伝わってしまうのだ。
ただ違うとすれば、フレアは人に手を差し伸べることができる。
自らが纏う目には見えない何かが、近づくすべてを傷つけることを知っていながら。それでも関わった者を必死で守ろうとすることでしか、生きられないのだ。
「大丈夫! この船の皆は強いよ。なんたって、ほとんどが一回以上死んでるし。…あ、アクアは違うけど。」
それは血濡れた茨の道を、共に歩める程の力を持った者と、そういう意味だろうか。いや、ただの印象かもしれないが。
「死人なら、巻き込んでいいのか。」
「そういう意味じゃないけど。だって皆、生きてる人より能天気なんだもん。」
思わず、くっと笑いを零してしまった自分に、返ってきたのはそんな仲間達が好きでたまらない、といったフレアの表情だった。
聞いた話によると、フレアやアクアが合流したのはつい最近の事だという。きっと、時間など対して意味を為さない程に、この船で過ごす時間が濃いものだったのだろう。
そんな話の流れから、甲板で干からびている骸骨の群れに目をやってみる。
すると話の内容は知らないのだろうが、隣のフレアの笑顔に反応したらしく、眼球の無い表情で何体かがこちらにピースサインを送ってきた。
―――確かに、愛嬌があって気の良い連中だ。姿は相変わらず不気味だが。
「……眠くなってきたな。」
「膝なら、貸すけど。」
+++++
机一杯に広げた海図に、細かく印やら文字を書き込んでいく。
今回は特に、西の最果てのアントリオン島まで行き、脱出してきたとあって、かなりメモや何やらが増えてしまった。
とはいえ長時間文字書きなどの作業をしていると、どうにも目が疲れてしまう。
そろそろ一息つきたい所だと思い、ペンを置いて眉間のコリをほぐしていると、控えめにコンコンとドアを叩く音がした。
「開いてるよ。どうぞ。」
こんな風にノックしてくるのは誰だろうと思いながらも返事をすると、ほぼ同時にドアが開く。ふわりと、入れたてのコーヒーの匂いがこちらまで漂ってきた。
「ありがとう。丁度休もうと思ってたんだ。」
部屋に入ってきてから、やや俯きがちのアクアが、海図から離れた所にことりとカップを置く。
その表情は珍しく浮かないもので。その理由を聞こうとする前に、彼女は俺が座る椅子の横にどさりと腰を降ろした。
テーブルの引き出しを背もたれに床に座り、膝を抱える姿は何だか無気力そうだ。
「…しばらく、ここに居てもいい?」
「大歓迎だよ。何なら相部屋にしても良いくらいだけど。」
「姫と一緒がいい。」
きっぱりと言うアクアの声は、それでもどこか寂しそうに聞こえる。またフレア絡みの話であることは、容易に想像ができる気がした。
熱いコーヒーに口を着けると、いつもより濃い目の味がする。
それきり黙ってしまったアクアの頭をそっと撫でると、彼女は椅子に座る俺の膝に、頭を預けてきた。
「フレア姫、とられちゃったんでしょ。」
不躾かもしれないが、ついついそんなことを口に出してしまう。
言った後ですぐに、気を悪くさせたかなと思い、首を傾げて軽く覗き込んでみる。それでも彼女は素直にこくんと頷いただけで、聞かれたことに対する不快感は無いようだった。
「それで、俺のとこに来たんだ。」
「ここ空調効いてて涼しいし。」
「まあね。」
「…船長と話したら、元気出るような気がしたから。」
「うん。」
素直なんだか、いじっぱりなんだか。先程からアクアの反応が一々可愛くて、つい意地悪したくなってしまう。
曖昧に返事を返しながら、彼女の髪の毛を捻るようにいじっていると、ぱしっと手を取られ、そのまま捕まってしまった。
そんな相手の体温でさえ、俺にとっては心地良い。
「…この船、外見とか古いけど妙に機械的だよね。あちこちに便利な装置着いてるし。」
照れ隠しも少しは入っているのだろうか。いきなりそんなことを言いだしたアクアに、思わず苦笑いを零してしまう。
話の転機にしては妙に鋭い内容に、それでも、彼女に隠す事柄など無いに等しかった。
「そりゃあ、アトランティスの遺産ですから。」
正確にはアトランティスの遺産を軸にした船だが、アクアにしてみれば、たぶんその辺りのことはどうでも良いのだろう。
ただの、純粋な興味。そんな風に感じた。
「…でも、なんであんな場所の船持ち出したの?」
だから、そんな風に言ったアクアの言葉に、一瞬耳を疑ってしまう。
"百聞は一見に如かず"と言うが、"あの地"に関しては、本当に百の情報より一つの光景が物語るのだ。
しかし現代の一般的な見解では、アトランティスはほとんど伝説の島と化している。海を知る船乗りや海賊達の間で話をすれば、それこそ絵空事だと馬鹿にされるほどに。
だからこそ、"それ"を見てきたことを裏付るようなアクアの発言は、正直驚きだった。
この世には、一生を掛けてもアトランティスの謎に辿りつけなかった者達もまた、驚くほど存在するのだ。…いや、存在したと言った方が良いのかもしれないが。
「あんな場所って…、知ってるの?」
「昔、ちょっとだけ海賊やってて、行ったことがある。恐ろしい島。」
―――ちょっと待て。この船に来る前に、海賊をやっていた?
個人的には、そちらの方が遥かに聞きたい。聞きたいのだが…
今聞いたら、きっと感情に任せて問い詰めてしまう。自分の知らない彼女の過去が、そこにあるのだから。
けれどそれは、この状況では得策ではない。そう自分に言い聞かせ、今はあえて島の話に集中することにした。
「それは何というか、無謀だね。」
「そう思う。深い霧の中にあの島を見つけた時は、それこそ天国だと思ったけど。結局"システム"に阻まれて、陸までは辿りつけなかった。」
これは、思わぬダークホースの出現だ。あの島の事に関して、先に探るべきはフレアでは無く、こちらの方だった。
島の"アレ"をシステムと呼んでしまう彼女は、すでに相当の情報を得ているに違いない。それも一般の海賊ならば簡単には入手出来ないほどの、貴重な情報をだ。
アトランティスの謎のすべてを知った時から。
遺産を使い、この幽霊船を造り上げた時から―――
自分には、あの島の秘密を守る責任がある。
それが地上で"許された者"の定めでもあるのだと、俺にアトランティスの遺産を託した人物がそう言っていた。
―――それは、今は亡き実の父親だが。
「君は、あの都市に関してどこまで知ってる?」
あくまで柔らかく。そう聞こえるように問いただすと、彼女は俺の膝に頭を持たれかけながら、警戒心など皆無な様子でぽつぽつと語り出した。
それが、アクアとフレアの本質的な違いでもある。
「あの都市が、私達の想像もつかないような高度な文明を持っていたこと。生ける者が居なくなった今も、何か機械的な結界が張ってあること。そんで特別な羅針盤がなければ、どんな船乗りも辿りつけないこと…くらい。」
なるほど。かつての古代文明都市"アトランティス"の外側に関することは、ほぼ正確に知っているようだ。
島全体が立体的な都市の造りになっていることも。島の周りが、霧やその他の防御システムで守られていることも。そこまでは実際見てきたということだろう。
ただ、問題は島の…都市の内側の情報だ。
「かなり詳しく調べて行ったみたいだね。それで、何を求めてあんな場所に行ったのか、聞いてもいい?」
「別に。欲しいものなんか無かった。アトランティスの遺産が莫大な金貨に変わることも知ってたけど。調べれば調べるほど、わりに合わなそうな気がしたから。」
彼女が握っている手の力が、強くなる。それは島の力の片鱗を目の当たりにした者の、恐怖かもしれなかった。
あのアトランティスの謎は、調べれば調べるほど、知ってしまったことそのものが罪になる。
いつか父に聞いた異界の神話。
開けてはいけないとされながら開けてしまった、パンドラの箱のように。
そして都にただ一つ残った"希望"は、今尚時を窺っている。
「賢明な判断だね。…そうだよ。あの都市は一歩間違えれば、すべてを滅ぼす。」
「ただ、自分の力でどこまで行けるかを、試したかっただけなのに。」
顔を上げた彼女の瞳は、懺悔する者にも似た、縋るような色を湛えている。
恐らく、こんな話をしていなければ、そのまま強く抱きしめていたかもしれなかった。
フレアの言う、王家に隠された文明遺物。アクアが怯える、アトランティスの見えざる力。
そして俺が果たすべき役目も、望む物も。すべてはあそこに繋がっている。
「―――行くの? アトランティスに。」
「…ああ、聞いてたんだ。フレアと話してたこと。」
それについて、彼女を咎める気などさらさらないが。これでこの話の流れも納得できた気がする。
アクアは恐れると同時に、再び決意したのだ。―――あの場所に、挑むと。
「ごめんなさい。入っちゃいけないような気がして。」
「いいよ。いずれ話しておくつもりだったし。アクアが財宝目当てじゃないことも分かったから。」
船の修理に必要な部品も、この海賊団のアジトも、アトランティスの内側にある。
この流れは必然。それを運命だと、フレア姫なら言うかもしれない。
ただ一つ、オーディンの存在だけが気に掛るが、船が導いた存在ならば人選に間違いはないだろう。
少しばかり冷めてしまったコーヒーを味わいながら、今は来た時のように俯くアクアの髪を、穏やかに撫でていた。
「で、話は戻るけど、実際何してたの?あの二人。」
「…膝枕してた。姫がオーディンに。しかも二人とも、気持ち良さそうに寝てたし…。」
「それはまた、レアな光景だな。」
もしかしたら、フレア姫も怖かったのかもしれない。
俺が王家の復讐者ではないか。都市の遺産を悪用するものではないかと。
「そんで邪魔しようとしたら、野次馬ガイコツに止められた。」
「はは、あいつら暇だからな。」
―――そこに辿り着く日は、近い。




