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第2話 腐女子よ、マリーゴールドを抱け その4

で。

 結局ハルは自宅に電話させられて泣く泣く帰宅、夜までハルを部屋に入れていた僕はDJにたっぷりと絞られ、一時は本気で強制退去させられそうになった。

「若い娘っ子をこんな時間まで置いとくなんてなに考えてんだゴラァ! おのれがなんかやらかす前に東京湾に沈めたろか、あぁん!?」

「す、すすすすみません……」

 正座をさせられた僕は半泣きになってDJに朝まで怒られ続けた。いや、本当に怖い、この人。さすが若い頃チームを仕切っていたと自称するだけはある(新情報)。

 しかし……、DJも恐いが、ハルの正体を知ったときのリョーコの姿にも、怖ろしいものがあった。

(この子がハル!? なんでここにいるの! それもこんな時間に!)

(出てって……、出てってよ! 顔も見たくないっ!)

 そこまで言わなくてもいいのに……と仲裁に入ろうとしたが、結局責任が一番重い僕は、DJにじろりと睨まれて黙るしかなかった。一方的に怒鳴られながら、俯いてプルプルと肩を震わせていたハルの姿が忘れられない。

 あれから三日間、せっかく昨日は熱心に漫画の書き方を教えてくれたリョーコは、もはや僕に口も聞いてくれない。まあ、昨日のあれも演技だったとバレたわけだし、当然と言えば当然か。彼女の純粋な乙女心を踏みにじったわけだしなぁ(とプレイボーイっぽく言ってみる)。

 カリカリカリカリ。リョーコは今夜もダイニングでコピー本の準備である。僕の顔も見たくないなら部屋に帰って描けばよさそうなものなのだが、残念ながら彼女の部屋はいわゆる汚部屋の類で、原稿を広げられるスペースが無いのであった。

 「あ、あのさあ、リョーコ」と僕がおずおずと話しかけてみても、「あぁん?」と言わんばかりの強烈な視線を返してくるのですごすごと引き返すしかない。弱い。弱いぞ僕。どこまでも情けない男である。

 同じようにリビングで、二人で創作活動を行っていたまー君がちょいちょいと手招きして、「リョーコさんと何かあったんですか?」と尋ねてきた。「ちょっとな……怒らせちまったんだよ」と適当に話を合わす。あの夜あったことについてはDJとリョーコ以外は知らないし、DJはあれ以来は普通に接してくれているが、リョーコの態度だけはいつまでも軟化しないのだ。

 あれじゃあリョーコがいる限りハルはワナビ荘に出入りできる日は来ないな……。僕は少し残念に思う。なんとかリョーコとハルにはわかり合ってほしい、というか、もうちょっとハルの人格を知ってもらって、一方的に恨むのをやめてもらわないと……、なんだかハルにもユウジ君にも気の毒だし、この先いろんなことが問題になると思うのだ。

「なるほど。察するに、また弟さん絡みですね」

「そうなんだよ。仲直りのきっかけも見つからないし、このままじゃいつになったら口を聞いてもらえるのやら……」

 そのとき、携帯の着信音(アニメの主題歌だった)が鳴り響いた。。リョーコがポケットから携帯を取り出し、耳に当てる。そしてものすごい猫なで声で「ユウジ~、待ってたよぉ~」とデレデレボイスを垂れ流し始めた。

(あの変わり身には毎度感心するな……)

 うん、へえ、そう、などと相槌を打つリョーコ。なにやら大事な話が行われているようだ。そして、唐突に受話器から耳を話すと、おもむろに、

「あのさー、今度の日曜日一緒に『青春バット』のイベントに来られる人いない? ユウジが来たがってるんだけど、じゃんけん会とかあいさつ回りとか、席を外さないといけないことがあって。手伝ってほしいんだけど」

 そんなことを言った。幸いその場にワナビ荘の全員がいたのだが、なぜか全員が示し合わせたようににやっと笑うと首を横に振った。

「あら残念、その日はうちのクラブでイベントがあるのよお」

「私も声優学校の練習が忙しくて……。本当にごめんなさい」

「みっちゃん、僕たちも」

「え、ええ、そうね、ちょっと都合が悪いわ」

 最後の二人はなんかいかにも嘘っぽい。だが、こうなると仕方がない。要は、僕に行けってことだ。

「あー、僕なら……。運悪くその日はなーんにもないんだ。なんなら一日中付き合ってやってもいい」

「ちっ」

「あからさまに舌打ちされた!?」

 だが、これが仲直りする最後のチャンスかもしれない。僕は腹をくくることにした。それに、『青春バット』のイベントならば、おそらく……。

 そんなこんなで、僕はリョーコの便利屋をやることになった。まあ、たった一日のお手伝いであの日の恨みが解消されるなら、安いもんだ。


「いくらなんでもこれはこき使い過ぎだろぉっ!」

 そして当日。僕は朝からひいひい言っていた。

 約四十キロする段ボールを丸三個、その搬入の全てを任されており、それだけでも充分にこき使われているのだが、実はこの前段階でも僕は漫画の手伝いやら編集作業やらでここ一週間ほどまともに寝る間も与えられなかったのだ。

「あーら、この間はBL漫画が描きたくて仕方がないっていってたでしょ?」

 そんな脅し文句でリョーコは僕のケツを引っぱたきつつベタを塗らせ、トーンを貼らせ、印刷会社に連絡を取らせた。おかげですっかり漫画の技術がアップしたような気分になってしまう今日この頃である。

「まだまだ。今日はじゃんけんでユウジが欲しがってる限定賞品が当たるイベントと、BL作家の直筆サイン色紙がもらえるイベントが重なってるんだからね、そのときばかりはあんたの力を借りるわ。じゃんけんに勝てば主人公の使ってるミットがもらえるってんで、ユウジの奴張り切っちゃっててねえ。はーあ、体がいくつあっても足りないわぁ、同人作家はつらいわよ」

 溜め息をついて肩をとんとんと叩きながらも、どこか楽しそうなリョーコである。僕は荷物に押しつぶされそうになりながらも、よかった、なんとかリョーコに、少なくとも気持ちの面では許してもらえたかな、と安堵していた。

 しかし、自分のブースに到着したとき、リョーコは驚愕に顔を強張らせ、目を見開いた。そして呟く。

「なによ、これ……」

 くるりと振り向き、つかつかと僕に歩み寄る。そしてリョーコは、バシン、と僕の頬に平手を打った。ざわざわしていた会場が一瞬静かになる。周囲が僕たちに注目している。

「なんで……、なんであの子連れてきたのよ。誰も頼んでないんだけど」

 ブースには、僕が誘ったハルが、申し訳なさそうに座っていた。

「あいつも『青春バット』のファンなんだよ。お前の同人誌も好きなんだってさ。あと、人数が足りなかったからってのもある。お前が弟と一緒にじゃんけんに行って、もう一つのじゃんけんに僕が行ったら、誰が店番をするんだ? こう見えても、気を利かせたつもりなんだけどな」

「……余計な事すんな!」

 リョーコはハルの襟首を掴んで無理やり立たせる。「おいっ!」僕はリョーコの腕を握って静止しようとしたが、乱暴に振りほどかれて、尻もちをついてしまった。

「……来てくれてありがとう。あたしの同人誌好きっていうのにも、一応お礼を言っておくわ。だけど、ごめんね、あたしの作品に関わってもらうわけにはいかない。あたし、そこまで人間できてないの。ブースからは、出てもらえるかしら」

「えっ、で、でも……」

「出てもらえるかしら」

 静かに、しかしきっぱりと言うリョーコに、逆らうことはできないと判断したのであろう、ハルは「はい……」と消え入るように返事をして、そのまますごすごと背中を向けて姿を消してしまった。

「おい、リョーコ、今のはいくらなんでも」

「……あのさ、もっちー。あたしってさ、ガキだと思う?」

「……いや……」

 僕はそれ以上何も言えなかった。またしてもしばらく気まずい時が続のくかと思ったが、いざイベントが始まるとそんなことは言っていられなくなった。さっそくリョーコのブース前には行列ができ、僕とリョーコは掛け声を掛け合いながら必死に同人誌を陳列しては売り続けた。

 そんなこんなであっという間に午前が終わり、お昼過ぎ。リョーコが一時的にブースを抜け、ユウジ君を連れてきた。ユウジ君は車いすに乗っていた。少し調子が悪そうだったが、会場のあちこちで行われているゲームやさまざまな種類の同人誌、そして何より姉のサークルの人気の凄まじさに目を丸くし、言葉を失っていた。「すごい、すごい」という言葉を繰り返し発する彼を見て、楽しんでもらえたようだ、と僕もなんとなく嬉しくなってしまった。

 そしてお待ちかねのじゃんけんイベントの時間がやってきた。幸い、もう一つの方は時間が重ならないようにずらしたのか、まだ行われていないようだ。二人の姉弟は喜び勇んでじゃんけんに参加した。車椅子に手をかけながらじゃんけんするリョーコの後姿がブースからもよく見えた。

「よく来てくれたぜ、青春高校の生徒のみんな! 今日はたっぷり商品を持ちかえってくれようっ! よっしゃ、さっそく始めようぜ、じゃーんけーん!」

 登場キャラクターの真似なのか、スタッフがやたらと演技がかった声でMCをしている。ひょっとしたらアニメ版の声優なのかもしれない。彼が『じゃんけんぽん』で手を出し、観客も全員手を出す。彼に勝った者は立ったまま残り、負ければその場にしゃがむ、というシンプルなゲームだ。僕はほうけたようにその様子を見ていた。いやはや、集まっている女性陣のはしゃぎようったら、尋常ではないのだ。これが腐女子パワーというやつか。僕は感嘆の溜め息を漏らした。ホント、スゴイ。

 しかし、やがて僕はリョーコがじゃんけんに夢中になっているその手元で、ユウジ君がなんだか苦しそうに身を屈めていることに気付く。震えてもいるようだ。そして、そのことにリョーコは気付いていない――そうわかった僕は、思わずブースを飛び出し、イベントステージのところまで走り寄った。

「おい、リョーコ。何やってんだ、ユウジ君が苦しんでるぞ。大丈夫なのか」

「は? あっ、あんた、なんで勝手にブースを出てきてるの!」

「それどころじゃないだろ! ユウジ君の様子を見ろ」

「えっ……」

 ユウジ君は胸を押さえて、苦しそうに咳をしている。顔色が真っ青だ。「ユウジっ……」彼の様子を見て、リョーコも顔が青くなった。

「さぁーガンガン行くぞぉー! じゃーんけーん!」

 そうしている間にも、じゃんけんイベントは容赦なく進行している。リョーコは一瞬言葉もなく、困った顔で、ユウジ君の顔と司会者の顔を見比べた。

 ……迷った。

 そう思った瞬間、僕はまったく反射的に、

「馬鹿野郎っ!」

 彼女の頬に平手を打っていた。パンッ、という乾いた音は周囲の熱狂にかき消された。髪の毛が横を向いたリョーコの額と頬に貼りついて、彼女の表情を隠していた。

「……じゃんけんなんかやってる場合か。病院だ。さっさと行け。ここは、僕が引き受ける」

 周囲の人々はじゃんけんに夢中で僕たちの様子に気付かない。リョーコは目に涙を溜めて、「……これで、お相子だね」と言い残し、うなだれながら、それでも急ぎ足で、ユウジ君の車いすを押しながら会場を後にした。

 僕はすぐに携帯電話を取り出し、手早く最初からセットしてあった番号にかける。コールは二回ですぐにつながった。

 そのとき、すぐ近くの別のイベントステージからもわっと歓声が上がった。あちらもどうやら始まったようだ。

「待たせたな。ようやく出番だぞ、ハル」

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