第2話 腐女子よ、マリーゴールドを抱け その3
「それでー、そのときユウジが言うのよー。姉さんが作ってくれたものならなんでも美味しいよ、って。そんなあー、お世辞を言える歳になったのねー、なんて思いながらもぉ、本当にとっても美味しそうに食べてくれるからついついあたしも嬉しくなっちゃってぇ~」
その夜。病院から帰ってきたリョーコはダイニングにて食事中、弟ののろけ話を延々一時間は続けていた。おかげで夕飯のシチューがすっかり冷めてしまっているが気付いてすらいないようだ。
「でもぉ、あたしの前にお見舞いに来た子がいたらしくて、お花が置いてあったのよ。男の友だちかな? って思ったら、ハルっていう例のユウジと最近仲いいっていう女らしくてさぁ」
手に持っていたリンゴをごしゃっと握り潰すリョーコ。「へ、へぇ~」と返事をしながらも僕は背中に嫌な汗を一リットルくらい流していた。
「ま、ユウジも年頃なんだから同年代のコに興味持つのはわかるんだけど、理屈では割り切れないっていうか……もっと同性に目を向けるべきっていうか……ん」
そこでリョーコは何かに気付いたようにハッと目を見開き、鼻をすんすんさせ始めた。
「……女の匂いがする」
僕とDJはぎくりと背筋を強張らせた。「あ、そろそろ洗い物終わらせなくちゃ」とそそくさと出ていくDJ。おい、ずるいぞオッサン。
「あ、わかりますか? 実は私、新しい香水を試してみてるところなんです。『学園セブン』のヒサヤくんの香りっていうのが出たばっかりで……」
「あんたじゃない」
一言のもとに切り捨てられて落ち込むのんちゃんである。元気出せ、僕はお前の味方だ。
「もっとこう、馴染みのない女の気配がするっていうか……嗅いだことない人間の匂いっていうか……」
「あ、それって私かもしれません。ほら、最近来たばっかりですから。ちょっと香りの強いシャンプー使ってますし」
みっちゃん、ナイスフォローである。
「ふぅん……」
そう言いながらも依然疑わしそうにダイニングを見回すリョーコ。その目が、はたとテレビの上の写真立てを見たところで止まる。まさか。
「ユウジの写真、動いてる。斜め三十度くらい、私が出る前より傾いてる」
知るかそんなん!
「ほ、ほら、そういえば昼に地震あったし! ちょっとだけそれで動いちゃったんじゃないかな! ね、DJ!」
「そ、そうね! けっこう大きい地震だったわね! ブホホホホ!」
大声でごまかした後、アタシに振るな! と中指を突き立てるDJ。不動明王のような形相である。
「地震なんてなかったと思うけど……」
「そ、そうだリョーコ、僕ちょっと絵の描き方教えてほしいんだけど! 最近ちょっとBLに興味持ってて、男と男のカラミってやつをぜひ!」
「ええっ本当!?」
ここでリョーコの目の色が思いっきり変わった。しまった! 地雷を踏んだ!
「そっかー、もっちーもついに目覚めたかー。いやーあたしはずっともっちーには素質あるって思ってたんだよねー。よくぞ言った、偉いぞもっちー! ようし、それじゃあ今からあたしの部屋で徹夜の猛特訓だ!」
「ひ、ひいいいっ!? 目が燃えてる! この人怖いいいい!」
両手を合わせて御愁傷さま、と呟く他の面々である。ああ、僕の貴い犠牲をどうか忘れないで……。襟を引きずられてリョーコの部屋に連行される僕の悲鳴は、はるか三件隣の家屋にまで響き渡ったという。
というか近隣の皆さま、ごめんなさい。ワナビ荘は今日もにぎやかです。
さて、そんなこんなで夜。
ようやくリョーコから解放されて、ほうほうのていで自室まで逃げ帰ってきた僕は、勢いよくベッドに倒れ込もうとして、そこにいた何者かが、
「わ――――――っ!?」
と驚愕の叫びを上げるまでその存在に気付かず、結果的にその何者かの上に思いきり覆い被さる形になってしまった。
「ななななにするんですかもっちーさん! 手ごめですか!? 帯をくるくるして良いではないか良いではないかってやるんですか!?」
「お前こそ僕の部屋でなにやってるんだよ! 帰ったんじゃなかったのか!? というか叫び声を上げるな、他の奴らにバレる!」
「おっと、失礼しました。実はさっき一回帰ってお母さんと和解したのですが、別の作品のカップリングでまたしても揉めてしまいまして、今度は修復不可能なほどの決裂を」
「うう……なんかもう頭痛が」
ある意味、ワナビ荘にふさわしそうな奴である。
「それでもっちーさんがこの部屋に帰ってくるまで待っていたのですが、どうやらこんな時間までリョーコさんの部屋でいちゃこらしていたようで。おかげでお腹がぺこぺこです」
「紛らわしい言い方するなよ、何もやましいことはないぞ……。と言うか、ちゃんとご飯食べてこなかったのか? DJのご飯も人数分しか作らなかったと思うけど」
「う~~、お腹減りました。何か食べないとおっぱいと背中がくっついてしまいます」
「仕方ないな。僕の部屋には何もないけど……、確かキッチンにいろいろお菓子があったはずだ。取ってきてやるよ」
「あっ私も行きます。自分で選びたいですし」
「お前自分の立場わかってるのか!? 誰かに見つかったら困るのは僕なんだぞ」
「それじゃ夜中まで待ちましょう」
そんなわけで僕たちは夜中になり、みんなが寝静まるまで待った。その間、僕は意外な事実を知らされた。ハルが、リョーコの漫画の大ファンだというのである。
「へえ、そうだったのか。あいつの同人誌、そんなに有名なんだ」
「有名なんてもんじゃないですよ。行列ができます。ファンの間で奪い合いが起きて運営委員の指導が入ったなんて伝説もあります」
「ふーん……。ファンと作家、なんというかこう、うまくわかりあえないもんかねえ」
「私も、リョーコさんと仲良くなれれば、と考えてはいたのですが……」
そんな話をしているうちにとっぷり夜は更けて午前二時、いよいよ僕たちは『食べものを求めてキッチンを漁れ作戦』を決行した。というか付き合い良過ぎだろ、僕。
「そろそろ頃合いですねー」
「いいか、絶対に物音立てるなよ。僕が先頭に立って行くから後ろからついて来い。できれば誰も起こさずに穏便に済ませたい」
「がってん承知!」
僕たちは電気をつけず、足音を殺しながら階段を下りてダイニングを通過し、キッチンへ移動する。幸い、誰も気付かないようだ。お菓子の入っている棚を漁り、一通りのお菓子をゲット、そろそろ部屋に帰ろうか――というそのとき、がちゃりと音がして二階の扉が開いた。リョーコの部屋だ。
(くそっ、何て間の悪い……! ここで僕が見つかったらまたBL談義で長時間捕まるかもしれん。隠れよう)
(えっ、隠れるってどこに)
(ここしかない!)
僕はハルの手を引き、キッチンの扉の裏のすき間に二人で身を隠した。
(うおっ、近い! なんだこのギャルゲーみたいな展開!)
(ギャルゲーじゃなくてBL同人誌と言ってください!)
(どっちでもいいだろが!)
電気もつけないまま、のそのそと真っ暗なキッチンの中を歩き回るリョーコの気配を感じる。リョーコはシンクへ行って水道水をコップに注ぎ、ぐびぐびと飲んだ。そしてその後、さっさと部屋に帰ってくれるかと思いきや、どっかりとダイニングの椅子に座り、なにやらぼーっとしている。ダイニングを通らないと部屋へは戻れない。キッチンには他に出口はなく、大家であるDJの部屋へつながる扉があるばかりだ。僕はハラハラしながら彼女の様子を見守った。
暗闇の中、二~三分もそうしていただろうか、リョーコががばりと身を起こし、鼻をすんすんさせ始めた。やばい、これは。
「……女の匂いがする」
これはまずい。このままだとさすがにバレる。僕は扉の後ろからそおっと抜け出そうとする。一か八か自分が盾になってハルを隠し、外に逃がそうか。いや、どんなに頑張っても確実に背後に人がいたら見えるよな。どうすれば、どうすれば……。
そのとき、パチリとキッチンの明かりがついた。
「あら、もっちーじゃないの。アナタこんなところでなにやってるの? それもこんな時間に」
キッチンの奥からDJ登場である。なんてこった、こんな時に……! 僕は「いやあ、小腹が空いちゃって、あはは」などと言い訳をしながら、後ろ手に必死に指示を出した。逃げろ、逃げろ!
その意味を解したのか、ハルが背を屈めて素早くキッチンを出ていったのが目の端で見えた。よし、あとはダイニングを抜ければ……!
「あらあら、ごめんなさいねえ、お夕食足りなかった? 今度からもっと作った方がいいかしらね。量も愛情も二倍増し!」
「いやあ、DJの愛情はもう足りてますよ。むしろこれ以上濃くしないで」
「いやん、お上手ねえ。そんなもっちーにはドロッと愛情三倍増し!」
その時、隣の暗いダイニングから、
「きゃ――っ!」
「ぎゃ――――っ!?」
……悲鳴が響いた。
「あ、あら!? なになに、なんなの!?」
結局見つかりやがって……、それも最悪の相手に。僕は頭を抱えて溜め息をついた。