第2話 腐女子よ、マリーゴールドを抱け その2
「……つーか、お前、あれなの。ユウジ君とは恋人とかそういう感じなの。それだったらうちのリョーコに殺されると思うんだけど」
「恋人とかそーゆーのはないです。ただのオタ友というやつです。たまたま好きな漫画が一緒でして、病弱なユウジさんのためにグッズとかを代わりに買いに行ってあげてるんです」
あっけらかんと言うハルの雰囲気からは恋愛感情は読み取れない。本当にそういう対象ではないのだろう。
僕はふたたびワナビ荘のダイニングに戻り、今度はDJと共にハルと対面していた。みっちゃんが麦茶を運んでくると「ありがとうございます」とぺこんと頭を下げるハル。一応の礼節は弁えているみたいだ。
リョーコが帰ってきたらなんて言うか、非常にハラハラするけど。
「なんでお前なの? 男友だちに頼んでもいいんじゃん。あるいはリョーコとか」
「うちのクラス、非オタクが多いんです。メイトとかゲマズにうかつに一般人を行かせられませんから。お姉さんは自分をそっち方向に染めようとしてくるので極力オタ話は振らないようにしてるとか」
「ああ、納得……」
「おっ、ユウジさんの写真。ダイニングにまで飾ってあるなんて、本当にお姉さんに愛されてるんですねー」
ハルは共用テレビの上に置かれた写真立てに手を伸ばす。そこには病院のベンチに座り、両手でVサインを作ったユウジ君と、その肩に手を乗せているリョーコが写っていた。ユウジ君の膝には、古びたグローブが乗せられている。
「ユウジさん、野球が大好きだって言ってました。小学生のころは少年団に入っていて、それなりに活躍できたのに、どんどん体調が悪くなって、今ではキャッチボールもままならないって残念がってます」
「ああ、それは聞いたことがあるな。このダブルVサインは試合に勝ったときに友だちと必ずやった『勝利の儀式』だとか。ってことは、今でも一緒にキャッチボールをしてくれている友だちはその頃のチームメイトか。切ないな」
「ただ、お姉さんがその様子を涎を垂らしながら毎回見に来るのが気になると言っていました」
「嫌な姉だ……」
「私たちが好きな漫画っていうのも、実は『青春バット』っていう名前の野球ものなんですよね。主人公が病弱な少年だけど甲子園を目指すっていう内容で、ユウジさんと重なるところがあります」
「あ、さっきリョーコちゃんが描いてたどぎついBL同人誌もその漫画だったみたいよ」
「そういやそうだったな……」
せっかくのいい話をいちいちぶち壊す姉である。
「うーん、うちに住みたいって言ってくれるのは嬉しいし、もっちーに遠慮することなく部屋を使ってくれてもアタシとしては全然構わないんだけど」
「いや、少しは構ってくれよ……」
「問題は、リョーコちゃんがいいって言うかどうか……。ほら、あのコ度を越したブラコンじゃない。たとえ恋人じゃない、ただの友達だって知っても、あなたがここに居つくことにいい顔をしないと思うのよね。そんな居心地の悪い環境で過ごすことは、お互いのためによくないと思うの」
DJは諭すように言う。こういうあたりは年の功というか、なかなかに説得力のある口ぶりだった。確かに、僕も修羅場を見たくはないな。
かたや弟、かたやオタ友。恋人でも何でもない男を取りあう女たち。
それはそれで漫画みたいで萌えるけど。うん。
「うーん、わかりました。それじゃあもっちーさんの部屋にずっと隠れて過ごします」
「いやだから僕の人権は……」
「ひょっとして、何か家に帰りたくない理由でもあるの?」
「えっ……」
DJの思わぬ切込みに、思わず黙り込んでしまうハル。どうやら図星だったようだ。年頃の娘の家出先に、たまたま仲のいいDJのアパートを選んだというところか。
「そ、その……そんなんじゃなくて、私は……」
そのまま声が小さくなり、俯いたまま言葉を紡げなくなったハル。「ま、いいわ。しばらくここにいていいわよ。ただし夜には帰ること、いいわね?」そう言ってDJは奥へ引っ込んだ。ハルは僕と二人きりになってもまだ俯き続けている。「なあ、もう顔上げろよ。これ以上突っ込んで聞くことはしないからさ、なあ?」僕が声をかけると、ハルはようやくぼそりと呟いた。
「……なんです」
「は?」
「私のお母さんが、『青春バット』の邪道カップリング好きなんです! 私はキャッチャーの主人公×ピッチャーの親友が好きなのに、お母さんはレフトのキャラと組ませるんです! だから、だから私、それで大ゲンカして、家を飛び出しちゃったんです!」
「お前も腐女子だったんかいっ!」
満を持しての僕の突っ込みは、はるか三件隣の家屋にまで響き渡ったという。
真夏の日曜日、午後のことである。