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第2話 腐女子よ、マリーゴールドを抱け その1

「腐女子って生き物はね。最強なのよ」


 りん、と風鈴が鳴る。

 暑い暑い、夏のある日曜日の午後である。


 リョーコは、筋金入りの腐女子である。

 おまけにブラコンでもある。

 弟大好き娘なのである。

「ユウジはねえ。あたしがいないとなーんもできないの。だから、あたしがなんでもやってあげてるの。そう、それこそ日常の世話から一人じゃどーしようもないことまで、なーんでも、ね」

 リョーコの弟、ユウジ君は重い病気で、ワナビ荘から徒歩で十分ほどの病院に、ずっと入退院を繰り返している。将来的にも、元気に一人で歩き回れるまでに治癒するかは怪しい、と医者から言われている。今も病院に短期入院中だ。

 だからリョーコは、一日のうちけっこうな時間を病院で過ごす。どんなに短い時間だろうと、毎日必ず弟の顔を見に行っているようだ。ワナビ荘に帰ってくることなく、本当に夜までユウジ君のお見舞いに行っている日もあるくらいだ。

「どーしようもないことまでって……というかリョーコ。お前、弟をそーゆー目で見てないだろうな」

「そーゆー目って、どーゆー目?」

「腐女子的目線だよ。他の入院患者と脳内で絡ませるとか、そういうことはしてないだろうな」

「あー、ダメダメ。全然そういう対象じゃないわ」

 掌をひらひらと振って否定するリョーコ。よかった、さすがにそこまで腐ってはいないか……。

「入院患者はオッサンばっかりだからねー、あたしオッサンは対象外なの。でも聞いて、あのねえ、ユウジには三日に一回は必ずお見舞いに来てくれる男友だちがいるのよ~」

「ぐっちょぐちょじゃん! うわあ、すっげえ嬉しそう! やめて! その幸せそうなとろんとした目をやめて!」

「一緒に庭先でキャッチボールとかしてくれてるわー。二人仲良くタマを扱い、サオを振る! もうその響きだけでお腹いっぱいじゃわー! ふん! ふん!」

「もうただの痴女だこのひと!!」

「でもねえ、最近ユウジったら、学校で仲よしの女ができたっぽいのよ! 異性の恋人なんてアブノーマルな趣味はこのあたしが許せねー。矯正してやる!」

「世界を自分中心に回してるタイプだこのひと!」

「あら、ずいぶん賑やかそうですね。何の話をしてるんですか」

 食卓でくつろいでいた僕たちに声をかけたのは、キッチンから出てきたみちるさんであった。彼女は先日の一件より、まー君と共同執筆を行うためにこのワナビ荘に頻繁に出入りするようになった。だが、さすがに泊まっていくような、それこそ『不純異性交友』と間違われそうな行為は謹んで、夜はちゃんと帰る。その辺の貞操観念はしっかりしている女性である。

 誰かさんとは大違いだ。

「猥談です。具体的にはもっちーが買った今月の新作AVの批評会を行っております」

「いつ僕がそんな話をした……」

「制服もの一本とOLもの一本かー。もっちーは高校時代に恋愛できなかったことによる未練と社会人のおねーさんへの憧れが性欲に結びついていると結論付けられます。やーらしー」

「結論づけられますじゃねえ! 制服とスーツ姿のお姉さんは全世代共通の男のロマンなんだよ! あと何で僕の購買履歴知ってるの!?」

「あ、それはそうとねもっちー、あたしは彼氏募集中で処女なんだよ」

「ここで突然の激白!? ちょっと嬉しいけど! せめてもうちょっと恥じらいながら言って!」

 みちるさんはすっかり困った感じの苦笑いで立ち止まったままである。

 りん、と風鈴が鳴る。

 僕は食卓で城島ダイヤの新刊小説を読んでいた。氏の作品は相変わらずものすごく面白いので、食い入るように活字を追っていたのだが、姦しいリョーコが向かい側に座ってしまってはその集中力も続くはずがなかった。

 近日、どうしても出たい同人イベントがあるとかで、リョーコはテーブルの上で新刊の準備を行っていた。具体的には『青春バット』という野球漫画のオンリーイベントであり、今は同人誌のネームを切っているところだった。今期流行したアニメの鉄板カップリングのカラミ本がメインらしい。リョーコ、絵は素晴らしく上手くて色っぽいのだが、残念ながらBL関係に僕の触手は動かないのだった。

 ちなみにリョーコのサークル、その界隈では相当な人気を誇る壁サークルらしい(壁サークルとは、壁を背にした大きめのブースを宛がってもらえる、規模の大きなサークルのことである)、と聞いたことがある。

 ちなみにワナビの中にこうした同人活動を行っている人は多い。同人から商業に移った作家も多く、各種イベントはプロにとってもアマにとっても格好の発表の場となっている。正直、僕はコミックマーケット以外はよくわからないんだけども。

「ふー、暑い暑い。今日は暑くてうんざりするわあ。このTシャツの下は何も着てないんだけど、思い切って脱いじゃいたいくらいだねー」

「だねーじゃねえよ、シャツの胸元を引っぱってちらっちらっとこっちに目配せをするな! おっぱいを見せるな、男の弱点を突くなっ!」

「あ、それはそうと私は男の人におっぱいを触られたことはありません」

「だからもうちょっと恥じらいながら言って!」

 カフカは湿気に弱いらしく、リビングのソファの上で舌を出しながら、だらしなく寝そべっていた。

 暑い暑い、真夏の午後のことである。



「ほんじゃーあたしはユウジのところ行ってくるからー」

「おー、気をつけてなー」

「気をつける暇もないくらい近いわよー、病院」

 ひらひらと手を振って立ち去るリョーコ。夏の陽炎がゆらゆらと地面から立ちのぼり、あっという間に小さくなる彼女の姿をかき消した。

 さて、と。僕も夜まで執筆でもするか、とワナビ荘へ戻ろうとしたとき、

「ちょっとお伺いしたいんですけど!」

 元気の良い声が僕を呼び止めた。

 振り返ると、そこには背の小さくて髪の短い、セーラー服を着た女の子、つまるところ、女子高生が立っていた。

「DJさんの経営してるワナビ荘っていうアパートはどこですか!」

「ワナビ荘? それならここだけど」

「ひょええ! これが噂のワナビ荘! 想像していた以上にボロくて小さいんですね!」

「そりゃ悪かったな……」

 自分の住み家をボロ呼ばわりされて喜ぶ人はいないだろう。そんなわけで僕はちょっとだけむっとして、女の子を無視して部屋に戻ろうとした。

「あ、すみませんすみません! ひょっとしてお兄さんワナビ荘の住人さんでしたか、大変失礼しました! いやー、よく見ると素敵な建物ですね。錆びた柱とかヒビの入った壁に独特の味があります」

「無理してフォローしなくていい……というか誰、あんた」

「これはこれは申し遅れました、不肖わたくし、名前を薬師寺ハルと言います! ワナビになるのが夢です。DJさんにはいつもお世話になっています」

「ワナビになるのが夢って……別にそんなの今この瞬間にでもなれるんじゃ……」

「あらあ、ハルちゃんじゃないの! よく来たわねー、いらっしゃーい!」

「DJ! やっと会えましたー!」

 玄関先で騒いでいた僕たちに気付いたのであろう、顔を出したDJにハルが助走をつけて跳びついた。ボキッと音がして「ぐおおっ」とDJがわりと本気で苦しそうな表情をしたため、少しだけ心配になったが、すぐに「いいコねえ」と笑って頭を撫で始めたので僕もほっと胸を撫でおろした。眉がひくひくしてた気もするけど。

「このコには一度おいでって誘ってたのよ、アタシのアパートへねぇ。可愛いでしょー、うちのクラブにたまにお友達と遊びに来るのよ。ユウジくんを連れてきたこともあったわね」

「ユウジくん?」

 なんかやたら身近で聞く名前だけど。

「ついさっきもユウジさんのお見舞いに行ってきたところです。ここにユウジさんのお姉さんが住んでらっしゃると聞きました。リョーコさんという方なんですが」

「ああ……」

 だとすると、この子がリョーコの言ってた「弟と仲良くしてる許すまじき女の子」なのかなぁ……。

 顔合わせなくて良かった……。絶妙なタイミング。できるならこのまま一生会わないでいてほしいものだなぁ。

「私もワナビになってみたいんです。ぜひここに住ませて下さい!」

「ああん!?」

 思ったそばからとんでもない問題発言を耳にして、勢いよくハルを二度見する僕。

「あらー、嬉しいこと言ってくれるじゃないのー。でもねえ、今このワナビ荘はいっぱいなのよ、残念ながら。ここじゃなくてもワナビはやれるから、自分のおうちで頑張りなさい」

 というか普通そうだと思うが。

 しかし、ハルは何を思ったか僕の方をじっと見上げてきた。な、なんだよ。やる気か。僕は思わず頭二つ低いハル相手にファイティングポーズである。

 ハルはDJに向き直ると、にかっと笑って悪びれることなくこう言った。

「それじゃあ、このお兄さんと同じ部屋に住みます!」

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