第1話 ゴーストタクシーにうってつけの夜 その4
「そもそも僕は一言も彼女が死んだなんて言っていませんが?」
ぬけぬけと抜かしながら運転するまー君であった。く、悔しい……。僕は真っ赤になった顔を俯いて必死に隠しながら、拳をプルプルと震わせていた。
「じゃ、じゃあ、さっきの話はウソ……? ひどいなぁ。純真な私たちを騙すだなんて」
怒り心頭なのんちゃんである。まー君はいつになくにこにこと眩しい笑顔。その笑顔の半分くらいは僕たちに、もう半分くらいは助手席のみっちゃん――、みちるさんへと向けられていた。
「いいえ、一切ウソは混ぜていません。僕がさっき言ったことも、今お二人が見ている光景も、どちらも紛うことなき真実です。ただ、少しだけ言い方に変化があるだけです。これがホントの叙述トリック、アッと驚く真相ってやつですよ」
「ええ、でも彼女はトラックに轢かれたって……」
「『運悪くトラックが……、そして彼女の体が吹っ飛んだ』っていう部分ですね。あれ、実は『運悪くトラックが停まっていた』の略だったんですよ。彼女は僕の車に夢中で気付かなかったんです。で、自分でトラックの車体に思い切りタックルしていった、と。僕が駆け寄ったときには、もう、手の骨にヒビの入るほどの怪我をしてしまっていて、なんと三日間の入院。しばらく『病院から』出ることができなかったわけです」
「アホだな……」
「アホですね……」
思わず言ってしまった。みちるさんの顔が見る見る赤く染まっていくのに気付いて、僕は慌てて話題を次に移した。
「『彼女が生きた人間と会話できない』って言ってたのは?」
「『殆ど』がついていましたよね。要はそれくらいシャイだっていう意味です」
「さすがにオーバーですよ、それは。私だって知らない人と話すことくらいできます。人見知り、頑張って克服したんだから」
ぷくーっと膨れるみちるさんである。おお、なんというか、可愛い女性だ。こうして見ると、とても一度幽霊と間違えた相手とは思えない。
「『この世から消え去るのはネタが出なくなったときだ』とか言ってましたけど、あれも」
「そのくらい、次から次にアイデアが出てくるっていう意味ですよ。私、あのトラックにぶつかった日から、頭のうちどころが悪かった、もとい良かったのでしょう、なんだか空から降ってくる、あるいは水が沸いてくるかのように、アイデアを絶えず思いつくようになったんです。いわゆる怪我の巧妙、というやつですかね」
「なるほどね。でも、それじゃあ自分で書かれればいいのでは?」
僕は質問する。するとみちるさんは、右の掌に、とても愛おしいものを見るようなまなざしを向けた。
「残念ながら、こんこんと湧きだすアイデアの対価として、私は書く能力を失いました。短時間なら良いのですが、長時間ペンを持ったりキーボードを打ち続けると、痛みが走るようになってしまったんです。そこで、私たちは、二人で一人の作家になることに決めました」
「それが『道塚魔太郎』というわけか……。『道塚』って、ひょっとしてみちるさんの『道』なのかな。それじゃあ、みっちゃんって結局仮名じゃなかったんだね」
「私が毎夜、このタクシーの中で、彼の用意してくれた幽霊たちを眺めながら、彼にアイデアをつぶさに話す。彼も彼で、お昼に乗せたお客さんのエピソードを私に聞かせてくれる。こんなタクシーですから、乗ってくるお客さんはおかしな人ばかりでしょう。だからこそ、私はそうした、一風変わった人たちの話を聞きたかったんです。そして、私は彼から聞いた人々のエピソードから、新しい物語のアイデアを練り上げ、次の夜同じようにここで彼に話す……。もうずっとそんなことを続けてきました」
「帰ってから出勤時間までずっと執筆してるから、殆ど寝る時間が取れなくて……。けっこう苦労しましたよ。ただ、それでも彼女の役に立てることはとてもハッピー、嬉しかった」
「それはやっぱり、みちるさんに怪我をさせてしまったという罪悪感から……なんでしょうか」
のんちゃんが尋ねる。もう彼女は怒ってはいない。相変わらず幽霊があちこちから立ちのぼっているクセに、車内にはどこか温かい雰囲気が漂っていた。
「それももちろんありました。なんだかんだで、みっちゃんが怪我をしてしまったのは僕の責任だから……。ずいぶんとその事で思い悩みもしましたよ。なので、この執筆したり、エピソードを蒐集したりという行為は僕にとって贖罪でもあります。ただ、……、その、それ以上に、僕が彼女にいかれちまってたっていうのもあります」
「まったく、リア充爆発しろっ!」
照れて顔を赤くして笑うまー君。ここまで、かなりぶっちゃけた内容の話をしているのに、二人がまったく動じる様子が無いということは、もう二人の間ではたっぷり話し合いが行われ、すっかりお互いわかり合っているということなのだろう。そして、すでにお互いがお互いを許し合っている。
まったく本当に、リア充爆発しろ、だ。
まあ、確かに。
自分のためだけに、これだけとんでもない装置を搭載した車なんて造られたら、さすがに惚れないわけにはいかないかもしれないな。
僕は目の前を飛び交うお化けたちを眺めながらそう思った。
「このドライブはいつまで続けるんだ? みちるさんがこの車を気に入ってるのはわかるけどさ、さすがにこの先ずっと、というわけにもいくまい。それに、彼女から直接アイデアを聞きながら書いた方が効率がいいだろう。いつかはそういう方式に切り替えないと」
「そうですね。もちろん、それはわかっています。これ以上彼に負担をかけることは、私としても本意ではありません」
「そこで提案なんですけど、実は」
「あ、そろそろワナビ荘が見えてきました」
微妙に空気の読めないのんちゃんが指を差す。一晩のドライブを終え、朝日が差し込む逆光の中、ワナビ荘はいつもよりも眩しく照り映えていた。
「DJが心配してるかもしれないね。急いでご飯を作る支度をしないと」
「ああ、今日はまー君が朝食当番か。結局昨日は寝てないけど、大丈夫?」
「大丈夫、慣れてますから。皆さんこそ大丈夫ですか? 今日はホリデイです、ゆっくりお休みになってください」
「ふああ、確かに一晩寝なかったからクタクタだぜ……。よし、のんちゃん、今日はぐずぐずと昼まで寝るとするか」
「ええっ、私ともっちーが昼までぐちょぐちょと同衾!? そ、そんなあ、アツアツなお二人を見てもっちーも燃え上がっちゃったの? 恥ずかしい……。私、まだ心の準備がぁ……」
「そう言いながら早速シャツのボタンを外すな、これこそ軽くホラーだぞ。お前はさっさともう一人の朝食当番であるリョーコを起こして来い」
「リョーコさんならこの時間はまだ爆睡してるはずですよ。よーし、必殺百合百合拳法であられもない姿のリョーコさんを襲って来ますっ!」
「嫌な起こし方だな……」
車から下りてすっかり日ののぼった眩しい空を見上げる。お化けには都合の悪い時間だ、『ゴーストタクシー』もさっさとアトラクション機能を切った方がいいだろう。朝日の中の幽霊だなんて、なんだか興ざめで、滑稽である。
ふと気になり、僕は車の中を覗いてみた。助手席には目玉の飛び出したゾンビのストラップが落ちており、それ以外は空っぽだった。人が降りたような形跡もない。まー君は、とっくに車外に降りて、青空を眺めながら一人でタバコを吸っている。
「……一夜の夢、か」
僕は呟くと、昨日の分までゆっくり休むべく、ひとり一階の自室に踏み入った。上階からはどんな起こし方をしたのやら、のんちゃんとリョーコがドタバタと喧騒を繰り広げている。リョーコは恐ろしく寝起きが悪いから気をつけて欲しいのだが、のんちゃんはわかってやっているだけに性質が悪い。
まあ、いい。とるものもとりあえず、僕はワンルームの片隅に寄せてある簡易ベッドに倒れ込んだのち、もそりと声を出した。
「ただいま」
気付くとすでに薄暗くなっており、時計を確認するとなんと午後六時。「やばいっ、寝過ぎた!」僕ははっと飛び起きて、大慌てで台所へ向かう。ワナビ荘では昼は各自自由にとってくる決まりになっているが、夜はきちんと担当が決まっており、今日はそれが僕だったのだ。加えて、朝はすぐに眠り込んでしまったので、朝食も抜かしてしまった。大失態である。これではDJにもみんなにも合わす顔が無い……。僕の額から嫌な汗が吹き出した。
「遅れてすみません! すぐに手伝います!」
食卓の扉を開いた僕は、次の瞬間には呆気にとられてぽかんと口を開くことになる。目の前には、すでに完成した美味そうな料理が出来上がっていたのだ。
「DJ、これはどういう……」
「あら、もっちーくん、良く寝ていましたね。お早うございます、もとい、お遅うございます、かしら」
そう言いながらお盆を持って食卓に入ってきたのは、白くて細い手足の、昨夜の女性--、みちるさんであった。鳩が豆鉄砲を食らった顔というのは、その時の僕の顔のために先人が残してくれた言葉であろう。
なんだ、あのときのまー君の提案っていうのは、そういうことか。
「ああらみっちゃん、もうお味噌汁持って行ってくれたの、助かるわー。働き者ねえ、うちのもっちーなんかとは大違い。いっそもっちー追い出してあんたがここに住む? ううん、もっちーなんて可愛く呼んでやる必要ないわ、モチ男で十分よ。それがあいつの本名なんだから」
「モチ男さん……ですか。変わってるけど、なんだか素敵なお名前ですね」
「信じるな信じるな。その男の言うことは九割方嘘だから」
とは言え、DJに迷惑をかけてしまったことには変わりが無い。僕は素直にDJに頭を下げる。
「すみません、DJ。イゴキヲツケマス」
「ガッデム! 遅刻魔のお前に食わすメシなんかねえよ! このワナビ荘を出ていくかあたしにケツを突き出すか、どっちかにしな!」
DJがドスの利いた声で凄む。少しだけ本気で怖いから困る。
結局、DJの存在が一番のホラーでした、というオチ。
「おっ、すごいご馳走ですね。DJレシピとみっちゃんの家庭料理、夢のコラボレートですか」
「おほっ、豪華な料理! おいしそーだわー。リア充を見せつけられてメシマズでありながら、メシがいつもよりうまいとはこれいかに。なんちゃって」
リョーコも新しい女性が入ってきて嬉しそうだ。
「ところでもっちー、あんた爆睡してて今朝のあたしのご飯食べなかったけど、アレどーゆーこと? ちゃんと説明してほしいんですけど~」
続々と住人が集まってくる。食卓の人口密度が一気に上がった。DJによる叱責がその後うやむやになってしまったのはありがたかったが、リョーコによるさらに厳しい追求には正直参った。当然僕は姦しい女性たちと逞しい(言葉遣いだけ)女性らしい連中に追いやられ、一番端っこの席で縮こまりながら料理をつつくはめに。つくづく食べものの恨みというものは恐ろしい。
ともあれ。
賑やかなワナビ荘が、またいっそう賑やかに、騒がしくなったことは間違いなさそうだった。